トピックス -企業家倶楽部

2019年01月29日

安藤百福の「妥協なき到達点に挑む執念」に学ぶ/臥龍こと角田識之

企業家倶楽部2019年1/2月号 伸びる企業家は歴史や偉人に学ぶ vol.13


臥龍(がりゅう:wolong ウォロン)こと角田識之(すみだのりゆき Sumida Noriyuki)

APRA(エープラ)議長&一般社団法人「志授業」推進協議会・理事長「坂の上の雲」の故郷、愛媛県・松山市生まれ。23歳のときに「竜馬がゆく」を読み、「世界の海援隊」を創ることを志す。人の幸福を主軸とする「人本主義思想」の素晴らしさを経営の場で実証推進する和僑(日本)と華僑(台湾・上海)合同の勉強会「APRA(エープラ)」を設立し、日本全国そしてアジア太平洋各国を東奔西走中。最近では、一般社団法人「志授業」推進協議会の理事長として、小中学生の大志確立を支援する「志授業」の普及、民族肯定観を上げるための「歴史・偉人」の講話にも注力中。詳細は「志授業」でご検索ください。



●チキンラーメンは事業開発のお手本

   朝ドラ「まんぷく」のモデル、日清食品の創業者である安藤百福も日本の企業家列伝には欠かせない人物です。

1.衝撃的な商品は必ず売れる

「良い商品と売れる商品は違う。衝撃的な商品は必ず売れる。それ自身がルートを開いていくからだ。独創性のない商品は競争に巻き込まれ、労多くして益は少ない。その商品には消費者が支払った対価以上の価値があるか。大衆の声こそ神の声である」(安藤百福語録より)

   筆者は、いつの時代も開発はトップの仕事だと思っています。新商品開発、新事業開発、人財開発、海外進出などの開発業務においては、「妥協なき到達点の設定」と「意思決定や決裁のスピード」が必勝の条件となります。

   安藤百福は、インスタントラーメンの定義を「1.おいしくて飽きがこない、2.保存性がある、3.調理に手間がかからない、4.安価である、5.安全で衛生的である」の五大条件に定め、一切の妥協なく開発に取り組んだのです。結果、お湯を注げばたった2分で食べられて美味しいチキンラーメンは、「魔法のラーメン」として爆発的ヒットを飛ばします。当時、うどん玉6円の時代に35円のチキンラーメンでしたが、売り出された1958(昭和33)年は共働きや核家族が増え始めた時代、「時間価値」から見て安かったのです。貴社の開発業務には、衝撃的な市場インパクトをもたらす到達点が、明確に定義されていますか?

「私はラーメンを売っているのではない。お客さまに時間を提供しているのである」(安藤百福語録より)

2.時代の変化を掴むアンテナ

「どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない」(安藤百福語録より)

 チキンラーメンの爆発的ヒットは、共働きや核家族が増え始めた「大衆が時間価値を求め始めた時代」にマッチしただけでなく、スーパーマーケットの誕生により売り場の急拡大が始まったタイミング、テレビというメディアが人々の注目を集めたタイミングでのいち早いテレビコマーシャルの投入などの複合効果の産物でした。

   このことを運が良かったの一言で片づけるのは簡単ですが、22歳のメリヤス販売業から始まった安藤百福のたくさんのチャレンジ、そこから生まれたたくさんの成功と失敗の経験により磨かれた直観力(勘)の賜物と筆者は見ています。チャレンジした事業は、幻灯機の製造、バラック住宅の製造、軍用機エンジンの部品製造、炭焼き業、製塩業、漁業、信用組合の理事長など、実に多岐に渡っています。

「即席めんの発想にたどり着くには、48年間の人生が必要だった。過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている」(安藤百福語録より)


●チキンラーメンは事業開発のお手本

●トップの現場感覚が開発の引き金になる

 チキンラーメン開発のきっかけは、戦後すぐのある時、大阪駅近くの闇市で、寒空のもと1杯のラーメンを食べるために並ぶ長い行列を目にしたことから始まりました。安藤は日本人が麺類好きであることを改めて実感したと同時に、この行列に大きな需要が隠されていることを確信したのです。

 第二の大ヒット商品であるカップヌードルの開発着眼は、チキンラーメンを世界に広めようと考えた安藤の欧米への視察兼プレゼン旅行から生まれました。アメリカのスーパーマーケットに持ち込んだところ、どんぶりがない彼らはチキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べ始めたのです。この経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発に着手したのです。

 企業規模がまだ中小・中堅企業なのに、トップが社長室でふんぞり返り、市場の最前線に立たなくなった企業は間違いなく衰退していきます。


●トップの現場感覚が開発の引き金になる

●起業タイミングはいつでも最善

 安藤が食品加工事業に本格的に乗り出したのは47歳のときでした。しかもそれは、懇願されて理事長になった信用組合が破たんし、全ての財産を失い、残ったのは大阪府池田市の借家のみというどん底状態のときでした。自宅の裏庭に立てた小屋にこもり、道具や材料はすべて自分で探し集め、睡眠時間は一日4 時間、一日も休まない死に物狂いの研究からチキンラーメンは誕生します。

「即席めんの開発に成功した時、私は48歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳でも新しい出発はある。5年間、必死で働く意思と体力さえあったら、年齢に関係なく必ず成功できる」(安藤百福語録より)



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