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2019年04月22日

増税の年に思う、土光敏夫先生の信条「個人は質素に、社会は豊かに」/臥龍

企業家倶楽部2019年4月号 伸びる企業家は歴史や偉人に学ぶ vol.14


臥龍(がりゅう:wolong ウォロン)こと角田識之(すみだのりゆき Sumida Noriyuki)

APRA(エープラ)議長&一般社団法人「志授業」推進協議会・理事長「坂の上の雲」の故郷、愛媛県・松山市生まれ。23歳のときに「竜馬がゆく」を読み、「世界の海援隊」を創ることを志す。人の幸福を主軸とする「人本主義思想」の素晴らしさを経営の場で実証推進する和僑(日本)と華僑(台湾・上海)合同の勉強会「APRA(エープラ)」を設立し、日本全国そしてアジア太平洋各国を東奔西走中。最近では、一般社団法人「志授業」推進協議会の理事長として、小中学生の大志確立を支援する「志授業」の普及、民族肯定観を上げるための「歴史・偉人」の講話にも注力中。詳細は「志授業」でご検索ください。



「経営のバイブル」をお持ちですか?

 皆さまは、「経営のバイブル」はお持ちですか?神父や牧師にとっての聖書、僧侶にとっての経典、それらは読み込み、読み上げ、語り、実行の反復連打により、心中深く「魂のコンパス」となります。ブレない指針、ブレない判断基準です。企業家人生において、もっともロスする時間はブレる時間です。経営管理に関する本を一冊しか持てないとしたら、あなたが躊躇なく座右に置く本、それが「経営のバイブル」です。臥龍が37年間、経営コンサルタントとして原理原則を説くことが出来たのは、土光敏夫先生の「経営の行動指針」(産能大学出版部刊)を座右の書としたからです。

 
 例えば、「わかっていてもやらないのは、実は真にわかっていないからだ。やっていても成果がでないのは、実は正しくやっていないからだ。真の『知』は『行』に一致するし、正しい『行』は『果』に一致するはずである。知と行と果は一致するという基本認識をもつべきだ。(中略)要は、始めから終わりまで一つひとつのステップをきっちりと押さえ、きびしく追及してゆく態度の問題に帰着する」というお言葉に、臥龍は「知行果」というタイトルを付け、ご紹介していますが、これは経営者の心に強く響きます。


「経営のバイブル」をお持ちですか?

「何を言うかではなく、誰が言うか」

 今年の秋には、消費税アップがほぼ間違いなく行われます。仮に土光先生がご存命でも、消費税アップは出来るでしょうか?「出来ない!」と断言出来ます。1981年(昭和56年)、国債の乱発によって、財政赤字は史上初の100兆円目前、国鉄の累積赤字は16兆円を超え、日本は明らかに行きづまっていました。時の総理・鈴木善幸に、行政の適正を審査する臨時行政調査会、通称臨調、その会長就任を乞われた土光先生が、鈴木総理に「この証文にハンコを付くならやりましょう」と迫った四つの約束があります。

1.臨調答申を総理は必ず実行

2.増税なき財政再建

3.行政の合理化、簡素化

4.3K(コメ・国鉄・健保)の赤字解消、特殊法人の整理・民営化、官業の民業圧迫の排除

 
 中でも、コメ、国鉄の既存権益を守ろうとする抵抗勢力との闘いは熾烈を極めます。しかし、当時85歳、土光先生の国を想う国士魂はブレませんでした。この私利私欲なき献身が財界を巻き込み、本田技研創業者・本田宗一郎、ソニー創業者・井深大を動かします。当時国民に絶大な人気を博していた本田・井深両氏が中心となり、「頑張れ土光さん!国民がついている」という国民運動を展開します。世論の後押しも受けた土光臨調は、「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」の道を切り拓きます。戦後74年の歴史の中で唯一、政治・財界・国民が「三本の矢」となる奇跡は、土光先生の私利私欲なき使命感、謹厳実直な人柄、そして抜群の行動力から生まれました。リーダーシップの本質は、究極「何を言うかではなく、誰が言うか」、時の総理をして「土光先生に言われたのでは仕方ない」と言わしめる後ろ姿は、大事を成そうとする企業家にとって「活きたバイブル」そのものではないでしょうか?



メザシの土光さん

 1982年(昭和57年)、NHKで「NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫」という番組が放映されました。財界トップという人物の私生活を覗き見た国民は驚愕します。自宅は質素な古びた平屋建て、 戦後一回も床屋に行ったことがない(自宅で息子にやってもらう)、戦前から50年以上使用しているブラシ、農作業用ズボンのベルトは使えなくなったネクタイ、そして老夫婦の食卓に並んだのが、メザシ・自分で育てた菜っ葉・みそ汁・玄米ご飯。ここから「メザシの土光さん」というクリーンイメージが浸透しました。では、高額な収入はどこに行ったのでしょうか?それは、自宅近くの橘学苑中学校・高等学校の運営に、収入のほぼ全額を寄付していたのです。



「個人は質素に、社会は豊かに」

 この学校の創設者は、土光先生の母・土光登美さん。創設が1942年(昭和17年)、戦時下において一個人が女学校を創設する苦難は、想像に難くありません。しかし71歳の登美さんは、断固としてやり遂げます。土光先生自身も創設に当たり、現在の貨幣価値で4000万円近くの寄付をしています。土光先生の不屈のDNAは、登美さんから受け継がれたものでしょう。そしてDNA以外に受け継いだものが、「個人は質素に、社会は豊かに」という教えです。土光先生の志高く、自らは質実剛健という生き様は、この母の教えを忠実に実践したものといえます。

 
 では登美さんの信条「個人は質素に、社会は豊かに」はどこからきたものでしょうか?登美さんの父・伏見義三郎は西郷隆盛を大変に尊敬しており、西南戦争の際「西郷さんから連絡があれば行く」と待機していたほどです。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり」、西郷隆盛・南洲翁の言葉です。

 
 登美さんは、子どもの頃から、南洲翁のことを父から聞かされて育ったと思われます。その言葉を自ら昇華し、信条としたのが「個人は質素に、社会は豊かに」であるならば、これは三代に渡り脈々と受け継がれた武士道精神であり、土光先生の代で見事な「士魂商才」の華となった訳です。

 
 政財界・官僚が自らは質素の精神で、行政の合理化・簡素化、民業圧迫の排除を継続していれば、「増税なき財政再建」の道は途絶えなかったでしょう。「怒号の土光」と呼ばれた土光先生が、現代日本を見たとき、どのような怒号を発せられるでしょうか?



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