トピックス -企業家倶楽部

2019年09月05日

企業家大賞記念講演  生活者に寄り添い商品を開発する/アイリスオーヤマ 会長 大山健太郎

企業家倶楽部2019年10月号 第21回企業家賞





 私どもアイリスオーヤマの本社は宮城県仙台市にあり、昨年で創業60年目を迎えました。昨年のグループ年商は4750億円です。東日本大震災以降、年商を毎年2割ずつ伸ばしており、2022年には1兆円を目指しております。

 快適生活用品から始めて、ガーデニング用品や、中身が見えるクリア収納ケースなど、オリジナルな商品を製造、販売しています。工場は国内に14工場、海外に17工場持っております。この3月にソウルの仁川、先月はフランス・パリの郊外に大きな工場を作らせていただきました。現在アメリカに3つ、ヨーロッパに2つ、そして中国、韓国に工場がございます。

 現在、一歩一歩ではありますが、当社は家電メーカーに生まれ変わりつつあります。毎日のようにテレビCMで当社の製品を宣伝しており、アイリスオーヤマの売上げの6割が家電製品です。

 当社の特徴の1つは、新商品率が高いことです。当社では発売して36カ月、つまり3年経つと既存商品の扱いとなりますが、現在新商品率は62%です。これは常に6割を超えています。

 日本、特に家電業界は成熟市場と言われる中で多くの新商品を作ることができるのは、私たちが消費者の目線に立って商品開発をしているからです。プロダクトアウトで開始しましたが、その後マーケットイン、そしてユーザーインに切り換えました。



ピンチをチャンスに変えて飛躍

 私は19歳の時に父親を亡くし、創業6年目に家業を継承しました。当時は本社が東大阪にあり、年商500万円、社員5名の零細企業でした。しかしそんなピンチの中、「一生を下請けで終えたくない」という高い志がありました。

 そこで22歳の時、ガラス製に代わる、軽くて壊れにくいプラスチック製のブイを自社商品化しました。また、田植えの際に使う育苗のためのプラスチック箱を作り、農業・水産関係の産業資材メーカーとして大きな飛躍を遂げることができました。

 なぜ大阪の会社が宮城県に移ったかというと、農業は北海道や東北の方が、大阪よりもマーケットが大きいからです。当社は現地生産、現地販売が基本なので、26歳の時に宮城県に工場を作りました。

 私の20代は下請けメーカーからそれなりの産業資材メーカーへと跳躍し、順風満帆に思われました。しかし、オイルショックにより、倒産寸前という厳しい環境に立たされました。ただ、振り返ると、このピンチ無しでは今のアイリスオーヤマはなかったと思います。

 プロダクトアウトを基本とし、性能の良い商品を大量に安く製造することに邁進する中で、マーケットが縮小してしまいました。そこで、「会社の目的は永遠に存続すること、いかなる時代環境においても利益を出せる仕組みを確立すること」という企業理念を掲げました。そしてプロダクトアウトからマーケットインに業態転換し、お客様のニーズに合ったモノづくりをしようと考えたわけです。

 しかし、私たちが大阪から宮城に移った時は農業・水産の需要が大きくなってきていました。すると、自然と競合他社が増え、市場は過当競争となり、足元の売上げは減っていきました。



常に一人の生活者であれ

 そんな状況でも利益を出さなければ会社が回らないので、私はお客様のお客様、つまり消費者に目線を向けて事業を営んでいく手法に切り換えました。しかし、マーケットが無いので、自ら事業創造するしか方法はありません。

 そこで消費者の潜在ニーズをいかに顕在化するかに着目しました。ユーザーインのビジネスは市場経済による供給過剰にも影響されません。このビジネスチャンスで収益性を高くし、自社の強みを生かして、なおかつ将来性の高い技術を持つこと。これを課題に掲げて必死に企業調査を行いました。140万社のデータベースを買い、そこから調べ上げました。

 その結果、唯一私たちの条件を満たすビジネスだと思われたのは園芸業のマーケットでした。当時、40数年前の日本の園芸は、家庭の庭で素焼き鉢が利用されていました。素焼き鉢は通気性や保水性を兼ね備えているので植物に好環境を与える一方で、重くて壊れやすいのが難点です。それに対してプラスチックの鉢は通気性や保水性に関しては劣るものの、手頃でカラフル、かつ使いやすい。

 農家は育苗が成功するか否かで種の出来が決まるので、育苗箱は重要です。そこで私たちは植物の生育環境を考慮しながら、プラスチックの育苗箱の形状を考え、特許を取り、育苗箱のナンバーワンメーカーとしての技術を持ちました。

 こうしたユーザーインを行う上での信念は、常に私自身が1人の消費者、生活者の代弁者として不満や不便を解決していくことです。私は自分の家庭で家内や子どもと一緒に園芸をし、潜在ニーズを顕在化させました。

 単にアイデアだけでは駄目なのです。コンセプトや主役を考えなければなりません。この場合ならば、人間ではなく植物に適した園芸をするということです。

 さらに植物を「育てる」園芸から「飾る」園芸にコンセプトを変えたところ、90年代のガーデニングブームが生まれました。当時は年商が40億円足らずでしたが、テレビ東京の番組を自社提供し、楽しい庭造りの啓蒙を進めて、市場を創造したのです。



「しまう」から「探す」へ

 また、当社はグローバル企業にもなりました。グローバルに進出するきっかけとなったのは、30年前に起こった私自身の家庭での出来事です。

 ゴールデンウィーク中の早朝、5月にも関わらず山瀬で冷え込み、セーターが着たくなりました。しかし冬物は既にしまっているうえに、収納を把握している家内はまだ寝ています。そこで衣装ケースを5、6個順に開けていくと、最後の箱からようやく見つかりました。

 この経験から、ものを探すのに便利なクリア収納容器を作ろうという発想に至りました。主婦にとって、衣類の収納は大きな課題です。それまでの収納のコンセプトはいかに上手にしまうか、長持ちさせるかでした。この「しまう」という考えを、私は「探す」に変えたのす。

 しかし当時のプラスチックは、ポリエチレンやポリプロピレンという中身が見えづらい不透明なものでした。そこで原料メーカーに2年かけて原料を開発してもらいました。汎用原料より価格が高く、商品は1500円から2000円くらいになりました。

 低価格な商品が優位な過当競争では、高い商品をチラシに載せても効果は出ないので、小売店舗のバイヤーには売れるはずがありません。そこで売り場の一画だけ貸てもらったところ、2週間後には売上げが上しました 結局、バイヤーは過去のデータを見たり、競合との比較をしたりして購買しているので、消費者のニーズを考慮していません。そんな中で当社はユーザーインによる商品開発から、全国に大規模な工場を作ることができました。


 「しまう」から「探す」へ

世界中にクリア収納を広める

 大手の原料メーカーも「クリア収納にそれだけのニーズがあるなら」と、30社もが一気に当社と同じような原料を作り始めました。すると、値段が急激に下がるので、経常利益10%を目標にしていた当社は、さらに原価を下げる努力をしました。

 いかなる時代環境でも利益を出すことを理念にしていますので、自分が作ったマーケットだからといって、肉を切らして骨を切るなどという戦略は効き目がありません。そこで生産中止や値上げを検討。新な商品開発に注力し始めました。

 また、クリア収納のニーズは日本だけではなくアメリカにもあると考えました。チェーントアでは機能よりも価格が重要視されましたが、大手のチェーンストアと差別化を図る専門店が当社の商品を取り扱ってくれました。

 こうして、現地のニーズに合った商品を開発していると、数年後にはアメリカも同じような原料を作り、大手のチェーンストアが安く販売を始めました。そこで今度はヨーロッパに目を向け、オランダに工場を作りました。昨日売れた場所で今日も売れるとは限りません。常にユーザーインで生活者のニーズに合わせた市場開発をし、世界中にクリア収納を広めました。



最後発からナンバーワンに

 2000年前後、家庭の庭で夜に楽しむイミネーションが流行りました。ただ、当時は豆電球を使っていて、500個も一気につけるとブレーカーが落ちてしまいました。

 そんな中、私はある機会にLEDのイルミネーションを見せてもらい、半導体が光るということを知りました。こうしてLEDのイルミネーションを新たに売り始めたのですが、数年するとイルミネーションを鑑賞る家少なくなりました。

 そこで残っていたLEDの製造設備を利用して、LED電球を作りました。他社が5000円~1万円で売る中、当社は2000円の値を付けました。決して安く作ったわけではありません。2000円で売っても利益を出そうと考えた結果、知恵が出たのです。

 私たちが取り組んだのは内製でした。家電業界というのは組み立て型産業です。半導体の場合、ほとんど電子部品は調達しますが、徐々に内製率を上げ、仕立てもプレスも社になりました。結果、2000年に最後発であった当社が、翌年にはトップシェアを誇りました。これは競争価格を推し量るのではなく、常に「消費者がいくらなら買ってくれるか」を念頭に置くべきだということです。

 そんな中で東日本大震災を機に計画停電が始まりました。ここでは何よりも節電重視です。消費者は電気料金が上がっても、元の電気代の中で収めようとします。そこで私は、供給側ではなく需要側の気持ちになって物事を考えました。すると、電球でナンバーワンになり、続いてシーリングライトと直管でも最後発ながらナンバーワン企業となれたのです。

 4年連続で省エネ大賞を受賞。7年前に照明の2分の1だったLEDの節電率は、そこからさらに2分の1になりました。原発事故がなければ、ここまで大きくLEDビジネスを手掛けることはなかったと思います。


最後発からナンバーワンに

低温製法で美味しい米を提供

 続いて行ったのは精米事業です。これは米が美味しい被災地の宮城県、岩手県、福島県の強みを活かすために始めました。食品の基本は「簡単・便利・美味しい」です。旨み成分は温度が40℃を超えると劣化しますが、米は精米すると米同士をすり合わせた摩擦で65℃まで上がってしまいます。

 そこで当社は、米の旨みを保つために低温製法を使用しました。工場内温度を15℃にして、精米しても35℃までしか上がらないように設定。脱酸素剤を入れると、1年経っても新米と変わらぬ質を保てます。

 その後多くのコンビニエンスストアが、私たちが精米した米を採用してくださいました。この米は精米にとどまらず、餅やパックご飯にもなります。パックご飯も炊き立てと変わらず、当社の炊飯器と共に消費者のニーズの一つです。


低温製法で美味しい米を提供

常に新市場を探し続ける

 当社がグローバルに工場を作っていけるのは、Eコマースのお陰でもあります。バイヤーの壁が無いため、機能と価格だけで勝負できるのです。

 さらに、B2Cの商品を作る当社ですが、現在B2Bも行っております。LEDのおかげでゼネコンとも取引ができるようになりました。最近はサッカー場や日本最大のホテルまで手掛けております。これが当社における1つのイノベーションです。

 また、今一番の課題は流通です。当社は6万5000店ものチェーンストアと直接交流する、おそらく最大のメーカーベンダーです。ワンストップで商品を提供し、プラスチック製品、家電製品、繊維や食品など、品揃えは2万4000もあります。

 私が常に念頭に置いているのは、お客様に喜んでお買い上げいただくことです。販売実績情報を収集するPOSシステムは過去のデータに過ぎず、翌日の売上げが同じになるわけではありません。つまり、消費者の気持ちを考えていくことが重要です。特に、家電製品はまだまだ宝の山です。常に新たな土俵を探し続ける。これが大事です。

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大山健太郎(おおやま・けんたろう)

1945 年大阪府生まれ。1964年、19歳で父親の経営するプラスチック成型品を作る大山ブロー工業所代表者に就任。1991年アイリスオーヤマに社名変更。グループ国内工場14カ所。1992 年アメリカ、1996 年中国、1998 年オランダなどに現地法人を設立し、現地生産、現地販売で事業を展開。地方から世界で展開するグローカル企業に成長させ、現在に至る。2009 年に藍綬褒章受勲、2017年に旭日重光章受勲。2018年7月から代表取締役会長。



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