トピックス -企業家倶楽部

2019年09月17日

サブカルが産業になる復活劇でブシロード上場記念「時空越え」英国旅行/日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 村口和孝

企業家倶楽部2019年10月号 日の丸キャピタリスト風雲録 vol.68


村口和孝 《むらぐち かずたか》

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 

 1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール非常勤講師。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、ジャパンケーブルキャスト、テックビューロ等がある。



2019年7月 ブシロードIPO成功

 2019年7月29日、ブシロード創業者の木谷さんが、人生二度目、一回目から数えて18年ぶりとなる創業IPOに成功した。(私は現在、ブシロード上場を記念して、およそ二十年ぶりの英国旅行に来て、この記事を書いている。)

 ブシロードは、サブカルチャー系のコンテンツを、カードゲーム「ヴァンガード」や、マンガやアニメなどに事業化することが得意である。また子会社に新日本プロレスを持ち、アニメオタク系のTV深夜広告も、たくさん出している。

 今回のブシロードIPO記念英国旅行では、学生時代に演出に取り組んだシェイクスピアの墓、中学生時代からよく聴いて、田舎から世界進出への前例を教えてくれたビートルズのスタジオのあるアビーロードに行って360度カメラで写真を撮った。その他ミュージカルのスリラーライブ、ウェストミンスター寺院など訪問して、VC投資家としての私自身の心に、「時空越えの意味を考える」という、大切な栄養を補強する意味もある。NTVPに勤めていた以前のスタッフ(ルーマニア人のクラウディア) と最近のスタートアップ案件の意見交換もした。ブシロードと言う一つのIPO上場の実現を振り返り、さらに次のVC投資のテーマを考えようとしているのだ。

 その中で最終日前日に大英博物館に行ってみたら、何と、たまたま企画で「日本のマンガ展」を開催中で、その偶然に驚いた。その昔25年前には、サブカルチャー事業などは、実業に対して「虚業」と言われ、産業としては認められない、上場など出来ない事業と、思われていたからだ。今とは違って、日本のアニメは世界にとどろいてはいなかった。時代は変わるのだ。いや、変えられるのだ。


2019年7月 ブシロードIPO成功

一回目はブロッコリー創業

 木谷さんの一回目の上場は、01年9月3日IPOのブロッコリー(1994年6月設立)だった。彼は元々山一證券の営業だったが、趣味が高じてというか、アニメとかフィギュアの、当時としては珍しい、サブカルチャーの世界でスタートアップしようとしていた。その頃木谷さんは、東北の地方勤務で、上京時に羽田空港から都内にアクセスしやすい、浜松町の貿易センタービルで、私は彼に初めて会った。

 そこで、彼のアニメの同人誌や、コスプレ世界の話に目を丸くして、初めてそんな世界があることを知った。正直言って、変わった、特殊なオタクの世界だなとも思った。当時はまだ「萌え系という単語もなく、産業とはみなされていなかったのだ。あれから25年が経過して、ようやくサブカルチャーが認められ、大英博物館で、マンガ展が開かれる所にまで来たのである。

 95年当時、ブロッコリーの創業期に偶然立ち会うことができ、先進的にVC投資をした人は他に居なかったから、私も何らか、この歴史の発展の役に立ったのかもしれない。時代の一部を変えることに貢献できたのかもしれない!



新しいVCの再定義

 私は95年当時サラリーマンベンチャーキャピタリストとして、株式会社組織の人事異動の矛盾に苦しみながら、5年以上すぐに経ってしまう長期の仕事にとことん向き合って頑張っていた。そんな中で経験を10年以上積んで、何とか自分で開発営業した投資先(共成レンテム、福原、第一臨床検査センター等)から、上場企業を何社か実現し、まずまずの投資収益も実現していた。(ただ、それらは立派な投資上場IPO回収案件ではあって、当時社内で副社長賞など貰っていたが、何か歴史的に新しい産業が生まれた、というほどのことはなかった。)

 一方、その頃(私にとって30代中盤)は毎年休暇を取ってはシリコンバレーに足を運び、現地キャピタリストとのディスカッションをし、VCについての基本的な疑問を持った。日本の「上場による投資回収だけを目的とした株式の投資活動に重点を置いた、従来の日本のVCではだめだ」と大きな危機感を抱いたのだ。自分の前線活動のビジネスイメージを、従来の日本のVCのものから、新しく別なものに進化させる必要性を強く感じていた。流行に乗っただけのような事業は、どこかで化けの皮が剥がれ落ちる。もっと社会的に価値の大きいものでなければ長くは続かない。VCもそうである。

 単なる企業上場屋でなく、正真正銘のキャピタリストと世界で評価されるためには、「新産業と言えるようなフロンティア領域のスタートアップにゼロから投資をして、投資先スタートアップが成功するのと並行して、これまでなかった新しい産業が社会の中で立ち上がるような投資活動」であるべきだというビジョンを描きつつあった。

 世界史から91年ソ連邦が崩壊し、日本の証券市場のバブルが恐ろしい勢いで崩壊し始めたことも、これまでの株屋の発想ではダメだと思わせてくれた直接的理由だった。それまでの上場屋的なVCから脱却すべき時期だと思った。私は、92年に生まれた娘に「朝海(あさみ)」と言う名前を付けて、未来をVC産業で、ゼロから一つ一つ拓こうと決意した。常に現在に時代の断層を見つけ、時空を超えた投資こそ大吉である。


新しいVCの再定義

日本初のシード創業投資成功

 新しいVC投資は、産業の新しい胎動をリードして実現するものでなければならない。その最初の挑戦の一つが、92年頃から手掛けた、これから未来に生まれなければならない、来るべき超高齢化社会の需要を支えるはずの、「介護サービス産業へのスタートアップの投資支援」だった(ジャパンケアサービス)。

 当時はほとんど老人福祉の将来性を理解されず、「福祉はビジネスにはならない」と考える人がほとんどだった。札幌で対馬さんというトヨタの営業マン出身で、特別養護老人ホームを経営している起業家と出会った。まだ事業実態がないから、厚生白書数年分を精読し、介護施設や病院など集中的フィールドワークに二か月ほどかけ、投資案件を組み立てることに苦労した。産業の新しい胎動、つまり未来に投資しようとすると、必然的にエビデンス不足、という状況に陥り、社内会議を通すのは至難の業となるからだ。なお、無理やり通したつもりはないが、私は当時、過労で一か月入院した。風邪をこじらせての胸膜炎だった。(阪神が優勝を逃した92年だ。)

 福祉は事業化しなければ、とても国が税金で提供できるような小さな量ではないことは明らかだと思った。その読みは的中した。94年頃には徐々にその成果が現れ始め、介護保険法が施行されて、とうとう市場がキャズムを超え、上場エクイティストーリーが急にリアルになったのだ。97年には業界初上場して、投資回収に成功した。(日本で創業からスタートアップVC投資で上場して回収成功した初めての成功例だったと思われる。)



萌え系が産業になるか?

 木谷さんがブロッコリーを創業した94年6月は、ちょうどシリコンバレーでNetscapeがネットのブラウザとして産声を上げたころだった。一方私は、介護業界のシード(ジャパンケアサービス)投資上場を目論んで支援している最中だった。

 当時私が注目したテーマは、日本特有のアニメ漫画やオタク文化である。数少ない「シリコンバレーにはないもの」だ。それらのオタクコンテンツもITデジタル化する産業構造変化の中で、インターネットの普及によって世界的に市場を獲得し、産業規模になるのではないか、という予感である。それまでのサブカルは、手作業で職人的に作業をして手間がかかるのに、一部のオタクに少ししか売れないみやげ物程度の小さな市場で、産業になるには小さすぎると思われていた。実際、現在とは異なり、秋葉原は電子機器エンジニア向けの街であって、萌え系などのグッズは端っこにしか売っていなかった。

 それがITデジタル化によってロングテール(ニッチ市場もネット上でビジネスになるという市場論)で世界中に広がって、産業化する可能性がある、という大胆な新しい時代の成長シナリオを描いたのだ。

 当時のVCの審査スタッフは、ジャパンケアサービスの時もそうだったが、事業にリアリティがない危険性が高く、投資は難しいとの姿勢だった。神楽坂のコスプレイベントを見学に行った審査スタッフも呆れ顔だった。5年後にチャンスがやってくるような不確実な未来への投資は、会議ではだいたいエビデンス不足で、不足点ばかりが意識され、リスクがあると敬遠されてしまう。未来に投資を進めようとすると、詐欺師みたいな扱いを受けることすらある。それでも押しに押して、何とか少額投資が出来た。ブロッコリーへの投資は、当時そんな感じだった。

 その後、案の定、日本政府も萌え系を重要な日本の産業のホープとして世界に打ち出すようになり、秋葉原の街も、怪しい電子の街だったものが、サブカル系の街に変貌した。街角のいたるところにコスプレの客引きがいる、ある意味健全な街になった。ブロッコリーは96年ゲーマーズの店舗を展開し、01年9月業界で初めて上場出来た。



ブシロード設立と上場

 ブロッコリーは上場後にちょうどドットコムバブル崩壊と、上場後の挑戦的な先行投資による急速な事業展開が祟って、資金繰りが窮地に追い込まれ、結果的に木谷さんは、責任を取って、会社を追われることとなる。その失意から復帰するために作ったのが二社目のブシロードだったのだ。

 木谷さんはオタクっぽくて変わっているかもしれないが、エネルギーのある立派なプロレス好きの経営者だ。その道にディープで、集中し長期にわたり、誰よりもポジティブで現場が好きだ。未来へのチャレンジャーなので困難を当たり前と思っているから、苦労と思っていない(だから普通の人の感覚と異なっていて厄介な人だ!)。こういう起業家は一回大失敗しても、それを学習して結果的に這い上がってくる。この点は日本でも世界でも同じで違いがない。今回のブシロードの連結売上300億円という業績と二回目の上場がそれを証明しているのではないか。

 木谷さんの復活劇はある意味当然であり、しかし特に二回目がなかなか難しいと思われる日本において二回目の上場が出来たことは、歴史的にとても意義の深いものだと思う。まさに、英国の文豪シェイクスピアの劇のようにドラマチックだ。今回の二度目の上場に際し、これまた日本を代表する天才デザイナーの滝沢直己さん仕立ての最高のスーツを私は木谷さんに、代官山の滝沢ショップでプレゼントさせて頂いた。

 まさに七転び八起き、サブカルという世界の新領域での最初の創業から数えて25年という、時空を超えた二回目の快挙だ。ロンドンから、心よりおめでとう、木谷さん!



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