トピックス -企業家倶楽部

2019年10月27日

ピーバンドットコムの未来戦略/モノづくりのプラットフォーマーになる

企業家倶楽部2019年12月号 ピーバンドットコム特集第1部


私たち現代人は実に多くの家電や電子機器に囲まれている。スマホひとつ取ってもその多機能さ、便利さから手放せない必需品となっている。今後も文明の利器は増える一方だ。それら電子機器を制御するために必要なのが「プリント基板」である。開発者が新製品を作るときに必要になるこのプリント基板をネットで手軽に調達できる仕組みを作ったのがピーバンドットコム社長の田坂正樹である。「こういう商品を作りたいというアイデアがあったら完成品まで一括して提供する仕組みを作りたい」と壮大なビジョンを語る。モノづくりの世界にイノベーションを起こしている企業家に迫る。



電子機器に必須なモノ

 スマートフォンやテレビのリモコンといった小型のモノから、PC、ロボットや医療機器、自動車など大型のモノまであらゆる電子機器にプリント基板は使用されている。電子機器が正しく動作するのはこの基盤が制御しているからである。

 製品を分解すると電子部品が地下鉄の線路図のように配線された緑色の板状のモノを見たことがないだろうか。あれが基盤である。

 世界中で日々、新しい家電や電子製品が生まれているが、その前にはさらに多くの研究開発・試作が繰り返されている。大手・中小企業の開発担当者、大学や高専といった公的機関の研究者、近年ではロボットや宇宙開発ベンチャーなど幅広い領域のエンジニアが試作品を作り、実用化に向けて試行錯誤を繰り返している。

 例えば大学病院にあるようなMRI といった医療機器や人工衛星などは、価格が数千万から数億円するような高額なもので、何万台も量産する製品ではない。このように大量生産品ではなく、少ないものは1個から数十個、数百といった小ロット向けに専用の基盤を作成してくれる工場を探すのはひと苦労であった。自社でプリント基板をゼロから作ろうと設備を揃えたら500万円ほどかかったというケースもある。

 運よくやっと工場を見付けられたとしても、見積もりを取り、価格交渉しなければならず、本来割くべき開発の時間を削られてしまう。試作用の基板作成の手間は、開発者の悩みの種であった。

 そこに田坂は商機があると目を付けた。

 2002年に創業し、翌年にはプリント基板の設計・製造・実装の見積りと注文をインターネットで完結させるEコマースサイト「P板.com(ピーバンドットコム)」を立ち上げた。現在、プリント基板のネット通販としては国内最大手に成長、登録ユーザーは5万人を超え、これまでに2万2000社以上の取引実績を誇る。

 2017年3月、東証マザーズに株式上場を果たす。初値は公募価格1650円を大きく上回り2倍越えの3530円となり、投資家から今後の成長性にかける期待の大きさが伺える。

 2019年3月期の売上高は21億600万円(前期比5.6%増)、経常利益は3億円(同3.3%増)と増収増益となり、今期も増収を見込んでいる。

「国内のプリント基板市場は約6000億円で、弊社の売上げが20億円なので、市場シェアは0.3%とまだまだ成長余力が充分にある」と田坂はさらなる成長戦略を描いている。


 電子機器に必須なモノ

とび職のアルバイト

 創業者の田坂は1971年生まれで、団塊ジュニア世代の48歳と企業家としてちょうど脂がのってきた頃だ。日本を代表する企業家である孫正義や澤田秀雄が師匠と慕う野田一夫が初代学長を務め、起業家志望の学生が集まることで有名な多摩大学に入学。

 学生時代は日給の良いとび職でアルバイトし、月に30万円近く稼いでいた。当時の大卒初任給は20万円程度、「自分はサラリーマンには向いていないと思っていた」と田坂は当時の仕事観を語る。

 卒業後の進路を考え始めたころ、大学の先輩から初任給40万円の高給をくれる会社があると聞き、金型部品の専門商社ミスミという会社に興味を持った。学生向けに「ミスミイノベータースクール」というセミナーを開講しており、就職のための登竜門だという。内容は、企業経営者の講義を受け、学生同士でグループワークをするのだが、受講費は無料であった。田坂は第3期生として個性豊かな40人ほどの学生とともに学んだ。

 卒業後は念願だったミスミに入社した。

「ミスミは変わった会社で営業マンがいません。また、自分で配属先を選べました。私は事業立ち上げを経験したかったので新規プロジェクトを選びました」、自由闊達な雰囲気は肌に合った。

 工場などで使用するため多少の埃があっても動くような耐久性の高いPCをカタログにして販売する新規事業の立ち上げに加わった。そこで初めてインターネットに出会う。田坂は予算を取り、自らプログラムを勉強しホームページを作成した。この新規プロジェクトは数年で黒字化し、チームリーダーには1億円の報酬が支払われた。

「当時社内では1億円の報酬に賛否両論ありましたが、約束したことはちゃんと守るフェアな会社だと思った」と田坂は言う。

 インターネットが出始めてまだ間もない1997年頃、ミスミはホームページ上に購入する部品の仕様書をオープンにした。画期的な試みであったため新聞記事の一面を飾ると株価はストップ高になった。常識にとらわれず新しいことにチャレンジするミスミのカルチャーは田坂の仕事観のベースになっている。

「これからインターネットの時代が来る」と田坂は感じていた。ミスミでのこの2つの体験が後に起業へ至るべく、大きく影響していることは間違いない。


とび職のアルバイト

前職社長交代が転機

「ミスミは自由な企業文化があり、さらに高給と条件の良い会社で居心地がよく、このまま居たら辞められなくなる」と田坂は焦りにも近い感情を持ち始めていた。90年代後半、企業家精神旺盛な同世代の友人たちは独立し、VCから資金調達してベンチャーを始めていた。

「自分だけスタート地点にすら立っていない」

 何か具体的に起業する訳でもなく、27歳の時に退職し、フリーランスになった。ネット立ち上げの経験があったおかげで、「役員や顧問といった肩書で手伝って欲しい」というオファーが絶えなかった。むしろ収入はサラリーマン時より2倍以上増えた。

 自由気ままなフリーランスも2、3年すると飽きてきた。プロジェクトを立ち上げたら終わる短期的な仕事をこのまま30代も続けていけるだろうかとふと不安になる夜もあった。

「他人の神輿を担ぐのではなく、人を育てたり、仕組みを作るというストック型のビジネスに自分の人生の時間を使いたいと思うようになった」と田坂は心境の変化を語る。

 そんな折、前職の同僚から連絡が入った。

「ミスミの社長が交代する。新社長の方針は原点回帰で主力事業以外は撤退することになった」

 田坂は退職した後もプロジェクト単位で報酬をもらっていた。気前よく業績がいい時にはボーナスまで出してくれるなど交流が続いていたのだ。

 将来的にはミスミの中でプリント基板をネット通販する案があったが、新社長は一切やらないと判断を下した。



元同僚と起業

「ミスミでしないなら、自分たちでやろう!」と仕事がなくなってしまった元同僚二人を誘い三人で会社を設立した。

 起業の経緯は十人十色。田坂の場合は想定外の外的要因がきっかけとなったが、前職の事業を引き継ぐという形になり、ある意味必然であったのかもしれない。気心も知れている元同僚とチームを組むという幸運にも恵まれた。

 ミスミという東証一部上場企業でブラッシュアップされたビジネスモデルがあり、今度は商材をプリント基板に変えて田坂が得意とするネット販売をする。前途洋々の門出に思えた。

 しかし、すぐに現実はそう甘くないと知る。

「数年で売上げ100億円を想定していましたが、実際はその十分の一でした」、と見通しの甘さを実感した。創業したばかりのベンチャーと東証一部上場企業の知名度と信用度には雲泥の差があった。思っていたように客数が増えない。単価を安く設定していたため7倍の集客が必要だった。

 さらに追い打ちをかけるようにシステム開発が思うように進まず、資金繰りに苦労した。前職時代の上司に2200万円出資してもらえることになり、資本金を1200万円から3400万円に増資することで「死の谷」を越えることが出来た。「お金が出来たら株はすぐ買い戻せるだろう」と安易に考えていた田坂であった。

 とにかく事業を軌道に乗せなければ株を買い戻す原資もない。がむしゃらに働いた。毎週土曜になると車で成田まで荷物を受け取りに行き、基板を検品したら、梱包し、夜9時までに配送センターへ持ち込むという生活を創業から3年間繰り返した。



困難さんと解決君はセット

「プリント基板という特殊な商材で、検品という特殊な作業のため、電気系の知識のない素人には出来ない仕事と決めつけていた」

 ところが思いがけないことからその問題は解決した。専門知識などまったく持っていないパートで派遣されてきた主婦が検品作業をマニュアル化してしまった。作業手順を絵にして確認するように置き換えたのだ。誰でも出来る仕事になり、作業効率が格段に上がった。彼女の夫が画家で、絵心があり、検品のポイントをビジュアル化して、電気系統の専門知識がない素人でもできる仕事に咀嚼してくれたのだ。

 ある著名な企業家の金言がある。ビジネスをしているとトラブルは日常茶飯事である。一つ問題が片付くとまたどこかで問題が発生するものだ。

 しかし、社長は嘆いていても仕方がない。どれどれ問題の本質はどこにあるかと逃げずに正面から受け止めると、必ず知恵が湧くものだ。社員も壁や逆境があるとそれを解決するために創意工夫をする。

「困難さんは一人ではやって来ない。必ず解決君を連れてくる。この順番が逆にならないのがミソである。必ず先に困難さんが来て、次に解決君がやって来る」

 倒産するほどのピンチを乗り越え、その後は逆にその会社の強みに変えている例はいくらでもある。逆境の時にリーダーは何を考え、どう行動するのかでその後の企業の在り方は変わるのだ。



最短でIPOを目指す

「自分の人生を考えたときに、40代の大切な時間を雇われ社長の身で過ごしたくないと思いました」と株式上場を目指すようになったきっかけについて語る。

 田坂も土俵際ギリギリで持ちこたえた。経営権を取り戻すチャンス到来である。

 目標が決まれば、行動力は人一倍ある田坂である。普段からの人脈の広さが役に立った。上場企業の友人たちにどうしたら最短で株式上場を果たせるかリサーチを始めた。普段から義理人情に厚い田坂の頼みとあって友人たちは皆親身になって相談に乗ってくれた。株式上場の方法論から、上場申請に必要な主幹事証券や監査役の選定方法など、IPOに長けた優秀な人材を紹介してくれたのだ。

 全国400万社ある中、上場企業は約3700社。ゼロから企業を立ち上げ株式上場を経験した創業者となると更に少ない。一生に一回しか経験できないため、「親の葬式」のようだと例えられる。つまり初めてのことで気が動顛し、冷静な判断が出来ないため、葬儀屋の言いなりになり高い費用を払うことになる。

 そのことに後で気付き、もう一度、株式上場をすることがあるなら、主幹事証券の選定や公募価格の設定など、やり直したいと感じている社長は多い。


最短でIPOを目指す

少数精鋭の経営

 一般的には社内に株式上場を経験している財務担当者はいないため、金融業界から年収1500万円程度の高給を払い、CFOを雇うことになる。しかし、田坂はそうしなかった。ピーバンドットコムは少数精鋭の経営を標榜し、株式上場時も社員17名と異彩を放った。この5年間、離職者はゼロ。そんな企業文化のところに外部から共通言語を持たない異質なプロフェッショナル人材が入ってきたら、ハレーションを起こすに違いない。それでは人材の無駄遣いになってしまう。

 「社内でエクセルを一番使いこなせる人をCFOにしよう」、ここでも細やかな田坂の配慮がうかがえる。さすがに無茶ぶりで本人が委縮してはいけないと、IPOの経験豊富な人材を指導役に付けて脇を固めることも忘れない。

 そうして株式上場を目標にしてから、2年間という最短で東証マザーズに見事株式上場をやってのけた。

 「うちのCFOはシンデレラボーイと呼ばれています。上場セレモニーで東証の鐘を突くときに隣にいた彼に『本当に出来たね』と喜びを分かち合いました。何かを成し遂げるときには、根拠のない思い込みや熱量が必要です」と田坂は語る。


少数精鋭の経営

さらなる飛躍を目指して

 開発担当者から絶大な支持を得て、「プリント基板のネット通販」で国内シェア最大手に成長したピーバンドットコム。さらなる飛躍を求め、田坂が次の成長エンジンに狙いを定めたのはEMS(電子機器製造受託サービス)事業である。

 創業から17年間に渡り積み上げてきた実績から、プリント基板の製造までで終わるのではなく、完成品製造までの依頼が拡大してきたのだ。そこで、IT機器開発・製造会社と業務提携し、基板設計・製造から完成品製造まで一気通貫で請け負う体制を整えた。

 大きな資本を持たない中小企業や個人のユーザーは、自分たちが得意である新製品の企画と仕様を決めることに集中できる。製造はピーバンドットコムに任せればいいのだ。

 「電子機器開発行程の最初から最後までサポートすることで、ハードウェアベンチャーの開発環境をイノベーションしたい」と田坂は力強く夢を語った。



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