トピックス -企業家倶楽部

2019年11月07日

細やかな 気遣いのできる漢/田坂正樹の人的ネットワーク

企業家倶楽部2019年12月号 ピーバンドットコム特集第5部 


美酒を愛し、常に周りを和ませ、さりげない気遣いで場を取りまとめる田坂。彼はその明るく朗らかな人柄から、自然と人脈を広げ、好奇心旺盛に学びを得る。そんな姿勢はビジネスにも活かされていく。(文中敬称略)

 



相手の立場に立ちきる情に厚い男

トレジャー・ファクトリー 社長 野坂英吾 Eigo Nosaka
相手の立場に立ちきる情に厚い男


   トレジャー・ファクトリーを率いる野坂英吾が初めて田坂と出会ったのは、野坂の会社が一番苦しかった時だ。今やリサイクルショップの大手となったトレジャー・ファクトリーだが、店舗を拡大していく中で体制が整わず、業績が厳しい時期があった。

   「このような時は、すごい発想力のある経営者と会って、今までの固定概念に囚われないアイデアで活路を切り拓いていくことが必要なのではないか」


   そう考えた野坂が、経営者たちの集まる場で田坂を紹介してもらったのが、出会いのきっかけである。

   田坂とやりとりをして分かったのは、田坂は自分とは物事の進め方が真逆のタイプだということだ。野坂は計画を立て、道筋をしっかり定めながら取り組むが、田坂は基本的な軸だけを決めて、後は臨機応変に対応していく。

   ピーバンドットコムは、社員が少人数でありながら、きちんと仕組みで回していけるだけのビジネスが確立できている。これは野坂にとって目からウロコだった。出会いの場が泊まりがけの会であったこともあり、次の日もその次の日も、野坂は夜遅くまで田坂と話し合った。

   野坂は「田坂さんには、自身にもトレジャー・ファクトリーにも多大な貢献をしてもらっている」と話す。


   まず、彼との出会いによって、人を受け入れるキャパが広がった。「色々な人の活躍があってこそ会社は大きくなる」とは常々感じていた野坂だが、自分とは真逆のタイプの人や、違う特性を持った人が必要だと気付いてはいても、なかなか許容できなかった。しかし、とにかく顔の広い田坂と行動を共にすることで、様々な人と親しくなり、多様な人を受け入れられるようになった。「これはトレジャー・ファクトリーの組織づくりにおいて、誰に何を任せるのかという人材配置にも良い影響を与えた」と野坂は感謝する。


   さらに、環境変化に合わせて適応していけるようになったのも、田坂と出会えたことが大きい。トレジャー・ファクトリーの上場が決まった時、野坂にとって「これからがスタート」との意識が強かった。しかし、なかなか気持ちが前向きにならず、もどかしさを感じていたところ、田坂は「じゃあマラソン大会があるから一緒に行こう」と提案したのだ。「なぜマラソンなのか」と思ってしまうが、田坂の目的は完走ではない。むしろ、失敗してでも何か新しいことに挑戦するのが目的なのだ。初めて100キロマラソンに挑戦した野坂だったが、今では100キロマラソンを7回完走している。時には、気温33度という灼熱の中を走り抜いた。この経験を通して野坂は、普通ならば無理だと諦めてしまうことでも、「やってみなければ分からない」と思えるようになった。


   このように、田坂から大きな刺激を与えられた野坂は、彼のことを「相手の立場に立ちきる情の厚い男」と評す。田坂は社員に対して「主体性を持つように強いる」のではなく、「いかに自ら主体性を発揮してもらうか」を常に考えている。ピーバンドットコムの強みはそんな田坂の会社づくりにあるのだろう。

   最後に野坂は、今後のピーバンドットコムの活躍に期待を寄せてメッセージを送った。「これからも今までの田坂さんの良さ、ピーバンドットコムの良さを失わず、アイデンティティを持ち続けながら成長していってほしい。そして、引き続き刺激を与え合える関係でいてください」



自然体で歩み続ける経営者


自然体で歩み続ける経営者


   婚活支援事業を手掛けるIBJ社長の石坂茂と田坂の付き合いは四半世紀に渡る。同い年の2人は大学時代、共通の友人を介して知り合った。くだけた席ではあったが、「シャツのボタンをいくつも外し、胸元を大きく開けた田坂への第一印象は決して良いものではなかった」と石坂は苦笑する。

   しかし、多摩大学で当時は珍しかった起業家育成ゼミを専攻し、「就職はあくまで起業のための準備」と豪語する田坂らはまぶしい存在だった。バブルの頃までは銀行か商社への就職がエリートの進む道で、東京大学に在学していた石坂もそれが当然だと思っていたからだ。


   石坂は日本興業銀行を経て2001年に起業。現在、田坂とは経営者の集まりなどでも顔を合わせるようになった。社長同士、似たような課題や悩みを持っており、酒を酌み交わしながら経営の話をする。事業が重なっていないため、純粋に友人として刺激を与え合える存在だ。


   仕組みで儲ける「自動販売機のような会社」を目指している田坂。市場が停滞気味で採用が難しい時代に、少数精鋭で企業の成長を実現していく経営手法は「今のトレンド」と石坂は説く。限られた人数で1人当たりの生産性を上げているピーバンドットコムの経営からは、学ぶところが大きい。

   さらに同社の強みは、事業がシンプルであること。一見、模倣されやすそうに感じるが、企業との繋がりや人的ネットワークなどの先行者メリットを生かし、新たなマーケットを開拓しているため、後発にあまり脅かされていないのだ。

   オフの田坂は大好きな酒を大いに楽しみ、豪快なエピソードが尽きないが、仕事となると一転、几帳面に経営に取り組む。どんな逆境でも笑い話に変えながら乗り越えていき、一度やると決めれば素早く無駄なく遂行するのが田坂流。「ポジティブで明るいから運がついてくる」と石坂は評す。相手がどんな人間でも柔軟に受け入れるので人に好かれ、自ずとネットワークが広くなるのも田坂の特長だ。

   アジアを中心に海外事業も手掛ける田坂には「国境という意識が感じられない」と石坂。彼がウクライナでのビジネスプランを話すと、田坂は「現地にツテがある」と応じ、現地のビジネスパートナーを紹介してくれたばかりか、自らアポイントまで手配し、石坂に同行した。現地2泊の短い出張とはいえ、カバン一つで空港に現れた田坂のフットワークの軽さには舌を巻いた。


   IBJ は12年に上場。共通の友人である野坂英吾が経営するトレジャー・ファクトリーも上場企業だ。元々田坂は上場には興味が無いと思われたが、「2人が上場しているなら、自分も負けたくない」とふざけた調子で口にした。これをいつもの軽口と受け止めていると、17年にはピーバンドットコムも見事に上場を果たす。同じ経営者として、学生時代からの仲間の躍進に刺激を受けたことは想像に難くない。


   田坂は起業を夢見ていた当時から現在まで、常に肩の力を抜き、オンとオフを切り替えて、夢を一歩ずつ実現させてきた。石坂は「そんな自然体が羨ましい」としながらも、「海外でも通用する人材ですから、これまで通りオフを充実させながら、大業を成し遂げてもらいたいですね」と朋友にエールを送った。



否定的なことは一切言わない

岡野 社長 岡野博一 Hirokazu Okano
否定的なことは一切言わない


   福岡県で120年以上続く博多織の織元を継いだ5代目社長の岡野博一と田坂の出会いは古く、二人が学生だった頃まで遡る。金型部品の専門商社ミスミが起業家志望の学生向けに主催していた「イノベータースクール」で知り合う。出身大学はバラバラだったが、チャレンジ精神旺盛な学生が40人ほど受講しており、平日の夜に企業経営者の話を聞き、刺激を受けあっていた。あれから25年が経過した今でも定期的に同窓会があり、お互いの近況を報告しあう。同期の桜の友情は続いている。

   講義が終わると気の合うメンバーが10名ほど集まり、食事に行くのが常だった。話は尽きず二次会、三次会と深酒になることも度々あったが、田坂と岡野の二人は毎回最後まで付き合った。


   「カジュアルで堅苦しくなく、場を和ませるタイプ。さりげなくお店を予約していたり、人が気付かないところでも率先して段取りをするなど、リーダーシップを取っていた」と岡野は当時の田坂の印象を語る。


   前にしゃしゃり出てメンバーを引っ張っていくようなタイプではない。次はどこ行こうかと皆の意見がまとまらないときや誰もリーダーシップを取らないときなど、皆の意見を代弁し臨機応変に代替案を示す。自然とメンバーはそれに従う。困ったときに頼れる男といった感じだろうか。仲間からの人望が厚かった。そして、甘いマスクに優しい性格ときたから、とにかく女性からモテたがここでは割愛しよう。


   同窓会に懐かしい卒業文集のコピーを持参するなど、マメな一面もあると岡野は言う。


   大学を卒業し、それぞれの進路に進み以前ほど顔を合わせる機会は減ったが、最近はフェイスブックなどSNSの普及で気軽にコミュニケーションが取れるようになった。


   「田坂は学生の頃から、『本気で起業したい!』と話していた。卒業後、一旦はミスミに入社し経営を学んでから、独立し起業の道を選んだ。有言実行の人」と岡野は田坂に一目置いている。


   前職のミスミで学び、ビジネスを仕組み化するのは田坂の得意とすることだろう。一度、商品が売れる仕組みを作ってしまえば、後はチャリンチャリンと現金が入ってくるようになる。そのためにピーバンドットコムのビジネスモデルはじっくり考えてあると岡野は強みについて話す。


   「田坂が否定的なことを言った姿を見たことがない。誰に対してもネガティブなことは言わず、よく話を聞いてどうしたら出来るかしか話さない。いつも前向きな姿勢は見習いたい」と岡野は田坂を評価している。


   ある時、何気ない話の中で「あの人に会ってみたい」というと、「友人で知ってるから会ってみたらいい」とその場で連絡をしてアポイントを入れてくれたことがあった。その日は先約があり田坂は同席できなかったが、先方には岡野との関係性や面談の目的などを事前に伝えてくれていた。


   東証マザーズに株式上場し、多忙を極める田坂だが、岡野が新規事業の件で相談すると「資本政策など何でも聞いてくれ。この俺にも出来たのだからお前も必ず出来る」と勇気づけてくれるという。


   「最後までしっかり面倒をみてくれて義理堅い男。彼だったらもっと大きなビジョンを描けるはず。今後の活躍が楽しみで、まだまだ化けると信じている」とエールを送った。



独特な哲学を持った頼りになる先輩

FISM CEO 銭本紀洋 Kihiro Zenimoto


独特な哲学を持った頼りになる先輩


   「僕の人生を語る上で、確実に登場する方」と田坂について語る男がいる。現在インフルエンサーマーケティング事業を手掛けるFISMのCEO、銭本紀洋だ。二人が出会ったのは10数年前、東京・秋葉原で開かれた、エンジニアの集まる「オフ会」でのことだった。

   銭本は当時、立命館大学に在籍しながら、弱冠20歳で起業を志していた。会社を起こす前に様々なビジネス交流会やSNSコミュニティに顔を出していた彼は、その日もはるばる滋賀から、オフ会のために夜行バスで上京していたのだ。

   そんな銭本に、会が終わった後の帰り道で「今日はこの後どうするんですか」と尋ねてきたのが田坂だった。正直に「お金が無いので、漫画喫茶にでも行って泊まろうかと思っています」と返すと、田坂は初対面の彼を「じゃあ、うちに来なよ」と快く自宅に招待したのである。


   「そうして、そのまま田坂さんに宅に泊めてもらうことになりました」と笑う銭本。田坂の自宅に着くと、「チューハイか缶ビールでも飲む?」と聞かれ、ライチまで出してもらい、お洒落なテラスで夜景を楽しみながら語り合った。銭本が、その頃強く抱いていた起業への想いを田坂にぶつけると、彼は「すごいね」と受け止め、今でも印象に残っているアドバイスを託した。


   「金に色は付いていないという人は多い。でも、その金がなぜ自分のところにあるか、自分だけは知っているから、あまり気持ちの悪いお金は手にしたくないよね」


   真っ当に努力して稼いだお金こそ、何の後ろめたさも無く使うことができる。その大義を重んじる言葉は、10年以上経った今でも銭本の心に残り続けている。


   「すごく哲学がある人という印象でした。一言で表すのは難しいですが、とにかく表現がカッコ良い。安心感があって、本当に優しい方ですね」


   その一晩での交流をきっかけに、田坂とは現在に至るまで、たびたび会って相談をする仲となっている。


   「前例が無いということと、できないということは全然違う」との言葉も、銭本の心に強く響いた。ピーバンドットコムは上場の際に社外取締役を置かなかったが、それは前例の無いことであった。ただ、法的に問題が無いにも関わらず、前例や慣習に縛られて本質を見失うことがなかったからこそ、田坂は最小限の人数で上場を実現できたのだろう。


   銭本は、先輩経営者として尊敬する田坂の言葉や姿勢から貪欲に学び、彼から得たコメントを自社の社員や後輩に向けたアドバイスとして活用することもしばしばだ。


   銭本が会社を立ち上げ、資金集めを考えている時に意見を求めたのも田坂だった。ただ、彼は出資を受けるか否かの判断について多くは語らず、「株の一滴は血の一滴。大事なことだから、よく考えなよ」と助言。本質論を語り、決して意見を押し付けないのが田坂らしい。


   「起業する前からの知り合いはごくわずかしかおらず、田坂さんは僕にとって大きな存在です。田坂さんがくれた言葉に出会わなければ、別の方向性の企業家になっていたかもしれない」と微笑む銭本。「お世話になりっぱなしですが、これからもよろしくお願い致します」と締め括った。



気遣いができ貪欲に学べる人

寺田倉庫 社長 CEO 寺田航平 Kohei Terada
気遣いができ貪欲に学べる人


   文化創造企業として、記憶媒体からワインまで幅広く預かる倉庫事業などを手掛ける寺田倉庫。同社社長の寺田と田坂の出会いは2002年、とある経営者達の集まりだった。

   田坂と初めて会った時の印象について「本当に真面目で、素直で、人柄の良い人物」と語る寺田。創業して間もない中、右も左も分からないであろう田坂が、キラキラとした目で「自分たちのテスト基板を通じて世の中に様々な製品が出ていく。モノづくりの一番初めの取っ掛かりを創る事業を目指したい」と語っていたのを覚えている。

   寺田は経営者の集いなどを通じて月に1度のペースで田坂と会う。そうした会合のみならず、お互いの誕生日会も開くほど親交は深い。


   寺田は田坂を潤滑油に例える。田坂と一緒に1週間、アルゼンチンへ出張した時のことだ。田坂は現地情報を細かく調べており、旅行をアレンジして寺田を案内したという。事前準備を怠らず、同行する人への気遣いも忘れない。「グイグイと前に出て目立つタイプの人間ではないが、常に周りのことを考え、スムーズに行動できる人」というのが寺田の田坂評。田坂がいることで、出張自体が楽しかったという。


   そんな田坂について、寺田は「感動への共感性が強い」とも語る。寺田は田坂が感動して涙を流す場面を数多く見てきた。「周りを思いやれる人だからこそ、人と人とを繋げていけるのだと思います」と付け加えた。


   寺田は、田坂が創業してから現在まで全く変わらない部分として、貪欲に学ぶ姿勢と吸収力を挙げる。アルゼンチン出張の際も、プライベートより仕事の話題の方が自然と多くなり、「インターネットが急速に広がるブラジルでのIoTについて」「マーケットの大きい中国をどれだけ取り込めるか」といった話をしたという。経営者同士の勉強会における田坂を見るに「相手から何か新たな学びを得ると同時に、学びを与える人だ」と寺田は評する。


   また、田坂の特長として広い交友関係も挙げた。彼の付き合いは、経営者ばかりにとどまらない。「画家、歌手、酒造屋、学者など、各領域のプロフェッショナルとの交友が多い」と寺田。経営だけに軸を定めず、外の世界とふれあう経験が、自分を豊かにしていくことを田坂は直感的に知っているのだろう。


   「田坂さんは普通の人より広い世界観を持っている。次の世界を切り拓くことのできる数少ない人間として、これからが楽しみです」


   田坂のビジネスについて、オーダーメイドのプリント基板生産というニッチな業界においてトップであることを「強みでも弱みでもある」と説く寺田。「日本には存在しないビジネスである反面、市場規模が小さい。ただ、産業発展の激しい中国を中心に回っている業界に食い込んでいるのは強みの1つですね」と分析する。

   また、今後のビジネスモデルの展開についても、「現時点で誰も手を付けていない領域まで深掘りしている。この先、クラウドファンディングなどで資金を確保し、アイデアマンと手を組んで自ら製品を出す。もしくは、誰もが気軽に製品を世に送り出せる環境を創り出す。そこまでできたら面白い」と微笑んだ。


   「起業して20年弱で蓄積してきた様々な人脈や知識は、これからの田坂さんの人生を最も豊かにしてくれる要素です。そして、それらはおそらく今後の仕事にも活かされるでしょう。これまで培ってきたものが開花していくところを見たい。きっと大きく成長できると信じています。頑張ってください」



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