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2019年11月25日

世界大恐慌から最初に脱出した国・日本を演出したダルマ蔵相・高橋是清の胆力経営に学ぶ! 上

企業家倶楽部2019年12月号 伸びる企業家は歴史や偉人に学ぶ 第17回

●奴隷から内閣総理大臣

 テレビ番組などでも「波乱万丈な人生」がよく語られますが、谷の深さと山の頂の落差で、奴隷から内閣総理大臣という高橋是清の右に出る者はいないでしょう。谷を幾つか拾ってみましょう。1854年(嘉永7年)に私生児として誕生。横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾・ヘボン塾(現・明治学院大学)で学び、1867年(慶応3年)、13歳で仙台藩の藩命によりアメリカへ留学。ところが、アメリカ人の貿易商に学費や渡航費を着服され無一文。更には、ホームステイ先である彼の両親に騙され年季奉公の契約書にサインさせられ、他家に売られ、約1年間、牧場やブドウ園で奴隷同然の生活を強いられます。

 明治元年に帰国後、官僚や教職の道を順調に歩むも、1889年(明治22年)、舞い込んできた銀山の投資話で周りから団長に祭り上げられ、36歳の是清はペルーに渡ります。が、山は既に廃坑のペテンで全財産を失い、帰国するも世間の批判中傷を浴び、ホームレス寸前になります。ここで引きこもってしまえば、後の内閣総理大臣、更には7回の大蔵大臣という天職には至りません。後に「七転び八起きのダルマ蔵相」と言われた是清には、不思議な人徳があり、ピンチには必ず救いの手が現れました。




高橋是清(国会図書館ウェブサイトから転載)

● 人は聞いた言葉で心が創られ   語った言葉で未来が創られる

 何故、救いの手が来たかといえば、是清自身が「自分は幸運な男」と信じ切っていたことがあります。私生児で生まれた是清は、仙台藩の武士・高橋寛治是忠の家に預けられます。2歳になった頃、高橋家の知り合いの菓子屋から養子にもらいたいという申し出があります。一度決まりかけた話に義祖母の喜代子が大反対し、高橋家の養子になります。その後も、喜代子の愛情を一杯受け取った是清には劣等感や暗さが微塵もなく、思ったことはストレートに口にするも、いつもニコニコしていて欲がなく、ものごとにこだわらない性格で、憎めない漢(おとこ)に育っていきます。

 幼少期にちょっとした出来事があります。3歳のとき、住まい近くの神社に、藩主の奥方がお供を連れて参詣しに来ます。そこに是清がとことこと来て、奥方の美しい着物を手に「おばさん、いいべべだ」と言ってしまったのです。周囲は凍りつきます。ところが奥方は「どこの子だか、可愛い子だね」と頭をなでます。供の者が「これは高橋という者の子供です」と言っている間に、是清は奥方の膝の上にはい上がってしまいます。夜に「明日あの子を連れて奥方のところに来い」というお沙汰があり、養父母は「もしやおとがめでは」と戦々恐々。とにかくはと衣服を整え奥方に参じたところ、奥方は上機嫌で色々な物を是清にくれます。足軽の子が奥方に呼ばれるなどということは例にないことから、周りから「高橋の子は幸せ者よ」と大変に羨ましがられ、「幸福者だ、幸福者だ」という声は、幼い是清の心に刻まれていきます。


 5歳のとき、是清は大名行列を見学していて、道路の真ん中で転んでしまいます。そこに行列の先駆けの二人の武士が疾風のごとく馬を飛ばして来て、是清をその馬蹄で踏んでしまいます。ところが是清は無傷で、羽織に馬の足跡が着いただけでした。騎馬武者の馬術が巧みだったからかもしれませんが、またも「高橋の子供は幸せ者だ」と評判になり、是清の心に刻まれていきました。 臥龍は、常に「人は食べたもので身体がつくられ、聞いた言葉で心がつくられ、語った言葉で未来がつくられる」とお話しています。是清も、自伝の中で次のように書いています。「そういうわけで私は子供の時から、自分は幸福者だ、運がいい者だということを深く思い込んでおった。それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつか良い運が転換してくるものだと、一心になって努力した。今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめたる原因じゃないかと思う」。



● 起こった出来事の意味は 自分で決められる

 臥龍はまた「起こった出来事は変えられないが、起こった出来事の意味は自分で決められる。過去の出来事は変えられないが、起こった出来事の意味は自分で決められる。要は、人生は思った通りになるものだ」ともお伝えしています。日露戦争の折、50歳の是清は、日銀副総裁として、戦費調達の戦時外債公募のため、同盟国のイギリスに入ります。投資家たちは兵力差による日本敗北予想、日本政府の支払い能力懸念、中立国であるイギリスが公債引受では中立違反の懸念があると、マイナス材料をあげつらえます。それに対し是清は、この戦争は自衛のためやむを得ず始めたものであり、日本は万世一系の皇室の下で一致団結し、最後の一人まで闘い抜く所存。支払い能力は関税収入を見れば分かる。中立問題についてはアメリカの南北戦争時に中立国が公債を引き受けた事例があると反論。関税担保においてイギリス人を派遣して税関管理する案に対しては「日本国は過去に外債・内国債で一度も利払いを遅延したことがない」と拒絶。交渉の結果、公債募集を成功させ、戦費調達を実現します。これが無ければ、もしかすると日本はロシアに負けていたかもしれません。この交渉力は、13歳のときにアメリカでの奴隷生活で身に着けた「活きた英語」、そこから抜け出すための「タフな交渉術」で体得したものでした。


 事業家人生、想定外、まさかという坂も出てきます。神様でもない人間が運命は左右できません。しかし自分の心の持ちようで、立命は立てていくことはできます。スティーブ・ジョブズも言っています。「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います」。



p r o f i l e

臥龍(がりゅう:wolong ウォロン)こと角田識之(すみだのりゆき Sumida Noriyuki)

APRA(エープラ)議長&一般社団法人「志授業」推進協議会・理事長

「坂の上の雲」の故郷、愛媛県・松山市生まれ。23歳のときに「竜馬がゆく」を読み、「世界の海援隊」を創ることを志す。人の幸福を主軸とする「人本主義思想」の素晴らしさを経営の場で実証推進する和僑(日本)と華僑(台湾・上海)合同の勉強会「APRA(エープラ)」を設立し、日本全国そしてアジア太平洋各国を東奔西走中。最近では、一般社団法人「志授業」推進協議会の理事長として、小中学生の大志確立を支援する「志授業」の普及、民族肯定観を上げるための「歴史・偉人」の講話にも注力中。詳細は「志授業」でご検索ください。



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