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トピックス -企業家倶楽部

2019年12月13日

時代変化に適応して事業を作り続ける/リネットジャパングループ社長 黒田武志

企業家倶楽部2019年12月号 企業家は語る

ブックオフ坂本孝氏に感銘

 リネットジャパングループは2000年に創業し、16年に東証マザーズ上場。現在は創業期以来の第二成長フェーズに入ったと言えます。

 私が起業を意識したのは、前職のトヨタ時代でした。新規事業に携わり、自ら企画して事業を立ち上げることの面白さに気付いたのです。そして、これを自分でもやってみたいと思うようになりました。

 そのような「起業」への想いが芽生え始めてきた頃、私の人生を変える運命的な出会いがありました。何気なく目を通した雑誌に、ブックオフの創業者である坂本孝さんの記事があり、そこに「ベンチャーを支援したい」と書いてあったのです。これがすごく気になってしまい、坂本さんのオフィスを訪問。実際に坂本さんにお会いすると、とても強いオーラを放っていて、「このような人が企業家なんだな」と感銘を受けました。

 それから「もっと話を聞きたい」と思っていた矢先、坂本さんの講演会が名古屋で開かれることを知り、最前列で講演を聞きました。最終的には坂本さんの秘書の方に講演の日程を聞き、全ての講演会に出席。毎回のように最前列で講演を聞いていると、流石に坂本さんにも顔を覚えていただき、「君、また来てるのか!」と言われるようになりました。



前職のトヨタを味方に付ける

 そのうち私は講演会では飽き足らなくなり、ブックオフの中部地方第一号店である四日市店でアルバイトを始めました。

 当時はまだトヨタで働いていたので、平日はトヨタに勤務し、土日はブックオフでアルバイトという二重生活です。四日市まで往復する高速代、ガソリン代などがかかるため、働けば働くほど赤字でした。しかし、実際にブックオフで働いてみると、店員がモチベーション高くお店を運営していて感動しました。

 アルバイトを始めて10カ月が経過した頃、「あの黒田という男がブックオフでアルバイトをしているらしい」という情報が坂本さんの耳に入りました。そして坂本さんから直々にお電話があり、食事に誘われたのです。

 食事に行くと、坂本さんから「そんなにブックオフをやりたいか」と尋ねられたので、私は「是非やりたいです」と答えました。すると、坂本さんが「のれん分けするから、独立しなさい」と言ってくれたのです。私はその瞬間、ブックオフ四日市店の社長となり、企業家としての人生を歩み始めました。

 こうして四日市店の社長になった私ですが、単にブックオフのフランチャイズ事業を行いたかったわけではありませんでした。当時アメリカでは「これからはインターネットの時代だ」と言われていて、アマゾンが脚光を浴びていました。そこで私は、中古本を扱う日本版のアマゾンを立ち上げようと考えていたのです。

 しかし、当時インターネットはまだ黎明期であり、「インターネット事業で起業する」と言っても、誰も集まりませんでした。そんな時、トヨタ時代の上司と食事に行く機会がありました。その席で「インターネットでチャレンジしたい」と想いを語ると、上司が「うちと一緒にやればいいじゃないか」と、私とトヨタを繋いでくれたのです。


 そこからトントン拍子に話が進み、トヨタから出資を受けてインターネット事業を立ち上げることとなりました。憧れていた坂本さんの応援でFC店舗の社長になり、自分のやりたかったインターネット事業も設立できて、まるで宝くじの1等を2回連続で当てたような心持ちでしたね。 



稲盛和夫氏の言葉が心の支えに

 しかし、人生はそこまで甘くありません。創業してから売上げは右肩上がりでしたが、なかなか利益が出ず、赤字続きでした。00年当時はインターネットバブルの時期でもあったので、「赤字でも売上げを上げていく」という経営スタイルが流行っており、私たちも巨大なセンターを立ち上げるなど、大きな投資を行いました。ただ、6年経っても黒字化の見通しは立ちません。私は修行僧のように商品センターに籠って、「一体どうすれば良いのだろう」とずっと考えていました。

 そんな辛い時期を支えてくれたのは、京セラを創業した稲盛和夫さんの「ダメだという時が仕事の始まりだ」という言葉です。当時はこの言葉を胸に「ここからだぞ」と自分の気持ちを奮い立たせながら仕事をしていました。そして、創業7年目にしてようやく黒字化を達成したのです。



6度目16年越しの挑戦

 リネットジャパングループは16年、東証マザーズに上場しましたが、そこまでの道のりも長く険しいものでした。

 一番初めのIPO挑戦は創業1年目です。01年はEコマースが脚光を浴びている時期で、私たちも上場すれば、少なくとも300億円の時価総額がつくだろうと証券会社から言われ、急いで上場の準備をしたのです。しかし、上場のタイミングでネットバブルが弾け、この話は潰えてしまいました。

 そこから数年後、第二次ネットバブルのタイミングで再度上場準備を始めました。しかし08年のリーマンショックのあおりを受け、また上場には漕ぎ着けられませんでした。

 そして3回目は、第二次安倍晋三内閣が発足し、日銀総裁が黒田東彦さんに変わって「金融緩和」への期待が高まった12年です。そこから準備して、15年6月には東証の審査を通過し、あと少しというところで問題が起きます。

 株価が値崩れしないように一定期間株を売らないという「ロックアップ」の契約の際、VCと証券会社との間で契約が難航したのです。私たちとしては「最終的にはどちらかが折れるだろう」と見ていたのですが、結局はどちらも折れず、上場が延期になりました。

 それでも諦めきれませんので、証券会社からの「経営計画をもう少し上方修正しましょう」との提案を受け、再度上場審査に挑みました。しかし、証券会社からの提案で行った計画変更にも関わらず、次の審査でなぜか「その計画では認められない」という話になり、更に2回の延期を経ることとなったのです。

 5回に渡る挫折を経験しても諦めなかった私たちは、主幹事をSBI証券に変えて上場に挑み、16年12月、ついに株式上場を果たしました。1回目の準備から苦節16年、5度の失敗を経て上場を果たし、セレモニーで鐘を鳴らした時は、男冥利に尽きる思いでしたね。



宅配サービスで都市鉱山を掘り起こす

 私たちは16年の上場前後から、新規事業に挑戦することになりました。廃棄されたPC、携帯電話、家電製品の中に含まれるレアメタル、いわゆる「都市鉱山」のリサイクルです。

 日本の都市鉱山は、有数の資源国並みの埋蔵量を誇ります。例えば金は、約6800トンで全世界の埋蔵量の16%、銀は6万トンで全世界の埋蔵量の22%に相当する量が日本国内に眠っているのです。

 私たちは元々、本やCDを宅配で買い取って売る事業を展開していたので、この物流を応用し、小型家電を回収して都市鉱山を掘り起こせるのではないかと考えました。そうすれば資源不足の日本に貢献できると思ったのです。その構想を考えていた折に、小型家電リサイクル法が成立し、小型家電のリサイクルは許認可事業になりました。

 実は「ネットと宅配を使ったリサイクル」の許認可は私たちしか持っていません。なぜなら、元々小型家電リサイクル法は宅配で回収することを想定しておらず、回収ボックスで集めるという仕組みだったからです。

 しかし私は「回収ボックスに頼っていては、リサイクルは進まない。自宅から集める仕組みを作らなければならない」と考えていました。私はこの考えを環境省や経済産業省に直接説明に行き、粘り強く交渉した結果、理解を得て、インターネットと宅配を使った形で許認可を得ることができたのです。

 現在は全国14の政令市を含む202の自治体と連携して、小型家電リサイクルを推進しています。カバーしている人口は4300万人以上。具体的には、各自治体で配られるゴミの分別表に、私たちの回収サービスが掲載される形です。「月曜日は可燃ごみ、火曜日は不燃ごみ」などという中に、「小型家電回収にはリネットジャパンの宅配便サービスを」と告知してもらっているのはありがたいですね。


 リサイクル事業には「障がい者雇用の創出」という側面もあります。回収した家電を分解する作業は、障がい者の方に向いているのです。リサイクルの推進に加え、障がい者の方の雇用も創造していくために、1000坪のリサイクルセンターを立ち上げました。これから多くの方が働く場所になっていくでしょう。



東京五輪の金メダルを作る

 私たちはこのように、都市鉱山のリサイクルを「インターネットと宅配」を駆使して効率的に行えるのですが、なかなか認知度が高まりませんでした。そこで私は、都市鉱山リサイクルの認知度を上げる方法として、東京オリンピック・パラリンピックと絡めて「都市鉱山から金メダルを作る」というプロジェクトを企画しました。

 このプロジェクトが生まれたきっかけは、私たちの本社がある愛知県大府市が「金メダルの町」と呼ばれていたためです。大府市には、吉田沙保里さんを始めとした女子レスリング選手を数多く輩出している至学館大学や、柔道の吉田秀彦選手を育てた大石道場があり、市内からは20個以上の金メダルが出ています。

 金メダルの町から「都市鉱山で金メダルを作るプロジェクト」を立ち上げようということで、大府市長、吉田沙保里さんと記者会見を開きました。徐々にこのプロジェクトへの関心が高まり、環境省や協力してくれる企業からの後押しもあって、正式に立ち上げが決まりました。

 そして19年3月、無事に東京オリンピック・パラリンピック全てのメダルに必要な資源が集まりました。あとは東京オリンピックで選手たちに渡されるのを待つのみです。



カンボジアで3つのビジネスを展開

 そして今、毎年前年比500%以上の成長を遂げているのがカンボジア事業です。現地では主に自動車、金融、人材という3つの領域でビジネスを展開しており、5社の現地法人を合わせて350人の社員が働いています。売上げ、社員数共に日本よりもカンボジアの方が多いため、今ではカンボジアの会社になりつつあります。

 1つずつ事業を説明していきましょう。まずは金融です。金融といっても貧しい人々向けに小口の融資や貯蓄などの金融サービスを提供するマイクロファイナンスに特化しています。フランスのNGOが設立したチャムロン社を買収し、貧困の問題を金融の力で解決することを目的に事業を進めています。

 次に自動車です。カンボジアの自動車市場は中古車が90%を占め、年間3万台の市場規模に成長していますが、リースの普及はまだこれからです。そこでリネットジャパングループとSBIホールディングスでジョイント・ベンチャーを立ち上げ、リース事業を展開しています。


 最後に人材育成です。カンボジア政府と提携し、国内最大の職業訓練校で日本語の教育や自動車整備士育成を行い、日本に送り出す事業を展開しています。昨年入管法が改正され、日本政府は5年間で35万人の外国人を受け入れる方針を掲げました。こうした追い風があるので、今は「人材」の分野に注力しています。



時代の潮流と許認可事業を意識

リネットジャパンの新規事業の戦略には、大きく2つあります。

 まずは時代の潮流に乗り、確実に伸びる市場に参入すること。カンボジアはASEANで最も経済の伸び率が高く、国の成長に付随して伸びる分野が「自動車」と「金融」ですので、その2つの領域に着目しました。

 また日本で入管法が改正され、外国人労働者が必要となることは確実なので、「人材」の領域にも事業を拡大しました。追い風を受けることで努力以上の結果を出すことができます。


 そして、許認可事業を意識しています。小型家電のリサイクルには環境省の認定が要りますし、カンボジアの金融、人材事業も現地のライセンスが必要です。このように許認可があることで参入障壁が高まり、競争相手を少なくできます。競合が多くいる事業で勝負してしまうと、私たちのようなベンチャーは勝てないのです。



ビジネスを通じて「偉大な作品」を作る

 リネットジャパンには「変わらないこと/変わっていくこと」というDNAがあります。変わらないのは「経営理念」であり、これがブレてはいけません。反対に変わっていくのは「業態」で、こちらは時代の変化に合わせて適応せねばならない。

 リネットジャパンの経営理念は「ビジネスを通じて『偉大な作品』を作る」というものです。ここで言う「作品」とは利益を上げる本業の中に社会貢献を組み込んだ志の高い仕組みのことを指します。

 例えば、私たちはリサイクル事業によって利益を上げながら、多くの家電を集めることで、それを処理する障がい者の方の雇用を増やしています。このように、本業を頑張ることによって、結果として社会貢献ができるという仕組みをこれからも作っていきます。


 私たちは、創業時はネット中古書店でしたが、そこから都市鉱山事業を始め、今ではカンボジア事業を行っています。ダーウィンが「唯一生き残るのは変化できる者だ」と述べているように、私たちは今後も時代と共に変化を続け、スペインのサグラダ・ファミリアのような傑作を生み出し続けていきたいと思います。



Profile

黒田武志(くろだ・たけし)

1965年大阪府生まれ。1989年トヨタ自動車(株)に入社し、国内・海外のアフターマーケット部門の企画業務に従事。1998 年同社を退職後、ブックオフコーポレーション(株)起業家支援制度の第1 号として(株)ブックオフウェーブを設立。2000年には(株)イーブックオフを設立し、2005年にネットオフ(株)に社名変更する。2013年リネットジャパン(株)を設立し、ネットリサイクル事業を開始。「宅配リサイクルで世界を変える会社」を目指し、世界に類を見ないユニークなビジネスモデルを日々進化させている。最近はカンボジアで中古車販売、リース事業を展開、成功させている。



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