トピックス -企業家倶楽部

2019年12月27日

人生百年時代に寄り添い社会に貢献したい/ニチイ学館 創業者 寺田明彦 Akihiko Terada

企業家倶楽部2020年1/2月合併号 ニチイ学館特集第1部 ニチイ学館の未来戦略





日本の医療現場・介護の現場を支えるニチイ学館。総帥の寺田明彦が1968年に創業、医療関連サービスからスタートした。1997年には介護事業に参入、戦略的に全国展開を果たし、「医療も介護もニチイがいなければ始まらない」と言われるまでに成長した。しかしその道のりは平たんではなかった。寺田がいかにして日本の医療・介護市場を切り拓いてきたのか。その真髄を説き明かす。




挨拶する寺田明彦氏


企業家特別賞受賞

 19年7月11日、日比谷のプレスセンターには多くの人々が詰めかけていた。いつもは記者会見が行われる10階の会場には約300人が集結、華やいだ空気がっていた。企業家倶楽部主催の「第21回企業家賞授賞式」が始まるのだ。


 第21回の企業家大賞はアイリスオーヤマの大山健太郎会長が、企業家特別賞にはニチイ学館の寺田明彦会長が受賞した。そしてコシダカホールディングス腰高博社長ら、7社、8名の創業経営者が受賞した。

 中でも今年83歳になる寺田は歴代でも最高齢。しかしそんなことはみじんも感じさせず、颯爽と壇上に登場した。

「企業家特別賞 高齢社会支援ビジネス創造賞 ニチイ学館会長 寺田明彦殿・・・」

 賞状を読み上げる審査委員長のジャパネットたかた創業者の髙田明の声が会場に響き渡る。

 やや緊張した面持ちの寺田は、髙田から賞状とトロフィーを受け取ると、きりりとした表情を見せた。そして2人揃っての記念撮影で、ようやく穏やかな笑みを浮かべた。

 会社を創業して半世紀、医療、介護、教育の世界で走り続けてきたが、こうした晴れがましい表彰を受けることが無かった・・・。寺田の脳裏にはそんな思いがよぎった。そして受賞者席に戻ると、若い企業家に惜しみない拍手を贈った。

 次は受賞者の喜びの挨拶である。

 再び登壇した寺田は、舞台中央のマイクに歩みよると野太い声で語りだした。

 「このたびは企業家特別賞という栄えある賞を受賞できましたことを大変嬉しく思います。 私たちは医療・介護・保育を軸としたサービスを提供しています。今回は介護事業について評価いただきましたが、いち早く全国展開できたのは、医療関係の拠点があったからなのです。せっかくの機会ですので、ここでは私たちの創業の話をしたいと思います」。

 寺田の真剣な様子に会場は静まりかえり寺田の次の言葉を待つ。寺田が語りだした。

「私たちニチイ学館が創業するきっかけとなったのは、1961年に始まった医療保険制度です。この制度によって、保険証を持っていれば日本中どこでも、安心して診断・治療を受けることが可能となりました。制度が認知され、医療機関を受診する患者さんが急増していた当時、私は知り合いの病院を訪問しまた。すると入り口に『本日と明日は休診』との貼り紙が。裏の勝手口から入り、様子をうかがうと院内で医師、看護師、事務員の3人が、何やらせっせと書類を作成していたのです。よく見ると『診療報酬請求明細書』を作っていました。

 診療報酬請求明細書とは、医療機関が健康保険組合に医療費を請求するため、患者さんに対して行った処置や使用した薬剤等を記載した明細書のことです。

 医療保険制度において、患者は全治療費の数割を負担して病院に支払います。医療機関が残りの医療費を請求するためには診療報酬請求明細書が必要で、一人ひとりの明細書を毎月作成しなければなりませんでした。当時の病院には平均で月に約400人の患者さんがいたので、作成する明細書の量も膨大です。

 明細書の作成には専門知識を要するため、熟練の方でも1時間5~6枚が限度でした。明細書には提出期限があり、これに遅れるとお金が振り込まれるのが1カ月延びてしまいます。 日々の診療業務を行いながらでは診療報酬請求明細書の作成ができない以上、病院は月に2~3日休診してまでも、この明細書を作成せざるを得ない状況にあったのです」

 会場はシーンと静まりかえり寺田の話に聞き入る。そして医療事務がそんな面倒なことになっているとは知らなかったというばかりに寺田の顔を見つめる。

「こうした経緯で、私は診療報酬請求業務のお手伝いをすることになりました。3カ月ほどで明細書作成の要領を把握すると、院長から診療報酬請求業務を一任されました。そうなると一人ではさばけませんので、友人や知人を連れてきて業務を行ないました。

 ある時、病院の先生から『同窓生に寺田君の話をしたら、ぜひうちの分も作成して欲しいと言われた。ぜひ手伝ってくれないか』と頼まれ、別の病院の診療報酬請求業務も引き受けました。それがまた評判を呼び、合計で5件くらいの業務を担当。最終的には東北から九州まで全国から仕事の依頼が舞い込むようになったのです。

 これは全国的なニーズがあると気付いた私は会社を辞め、計画的に人材を育成して全国の仕事を引き受けることにしました。このようにして医療関連サービスからニチイ学館が誕生したのです。

 日本全国からの業務依頼に対応し、事業を拡大していくには、各地域ごとに事業拠点を作らなくてはなりません。そのため創業から10年かけて全国に組織網をつくりました。これが今のニチイ学館の強みになっており、今後も大きな優位性を生んでいくことは間違いないでしょう」


企業家特別賞受賞


中央右が寺田明彦氏


企業組織網が介護事業も強くした

「このように医療事業からスタートした私たちですが、今回企業家特別賞で評価いただいた介護事業を始めたのは1997年でした。

 2000年に介護保険制度が始まることが決まったため、大勢の介護人材が必要になるだろうと予測し、制度施行の3年前から介護人材の育成を始めました。東京を皮切りに、順次47都道府県で研修会を開催して、制度開始前に10万人以上の介護人材を育成しました。

 2000年4月1日の介護保障制度開始と同時に、47都道府県で一斉に介護サービスを展開しました。介護事業を全国規模に広げるのは非常に難しいことですが、すでに私たちが持っていた企業組織網が介護の全国展開、人材育成を可能にしたのです」

 場内は身じろぎもせずじっと寺田の話に聞き入る。医療事務関係の全国組織網が出来ていたからこそ、介護事業を全国展開できたという事実を伝えなければという寺田の強い意志が会場に伝わってきた。

「現在、日本は本格的な人口減少の時代に入っています。現役世代がどんどん減っていく一方、高齢者は増えるばかりで、2040年には1.5人で一人の高齢者を支えなくてはなりません。介護業界においては人材不足が著しく、2025年には55万人が不足すると言われています。そして、東京への一極集中が若者だけではなく、高齢者にもおきています。ずっと地方に住んでいたものの、周りに人がいなくなり、東京にいる息子を頼って上京する。このような高齢者が実際に多くいるのです。こうした流れは今後ますます加速するでしょう。

 ただ私は、このような社会の転換期は、ビジネスにとって絶好の機会であると思っています。こうした状況だからこそ、私たちの強みである医療・介護・保育を軸に全国の企業組織網を強化・拡充し、各地域で雇用を創出して、未来を明るいものにしたい。人生100年時代、これからが第二の創業と捉え、より一層頑張っていきたいと思います」

 23分に亘り自分の考えをとうとうと述べた寺田の顔はすっきりと輝いていた。会場は寺田の話に圧倒され、大きな拍手が沸き起こった。そして実直な寺田の人生を思い、尊敬の眼差しで見つめなおした。そして会場にいる人誰もが思った。

「寺田会長がいたからこそ、日本の医療、介護が成り立っている。本当にありがたい限りだ」

 寺田の説得力のある話は、会場を圧倒した。医療と介護という最もデリケートで大変な事業領域にくさびを打ち、50年間コツコツと実践してきたのはまさに賞に相応しい。

 審査委員長の髙田は「寺田会長がおられるので安心して歳がとれる。私も40年後にぜひお世話になりたい。世のため人のためますますのご活躍を期待しております」と語った。

 そして最後に髙田や名誉審査委員長のエイチ・アイ・エス会長兼社長澤田秀雄ら受賞者・審査委員揃っての記念撮影に臨んだ寺田は、とびっきりの笑顔を見せた。



ニチイ学館という会社

 ところでニチイ学館という会社をご存知だろうか。病院や介護にあまり縁がないという向きに少し説明しよう。

 創業は1968年。61年に施行された健康保険法により、患者が増加、診療明細請求書作成代行からスタートした。その潜在ニーズを察知した寺田は、いち早く専門知識を指導する研修会を実施、全国に拠点を作っていった。その先見性と組織化が後のニチイ学館成長の礎となった。

 人々と社会に貢献する企業であり続けたいという想いから、社是は「誠意・誇り・情熱」と定めている。

 介護の分野では、介護保険法が施行される3年前の97年から、医療事務で整備した拠点を中心に人の確保に努めた。介護はヒトが勝負、いい人材確保は必須だ。「研修会で熱心な人を口説き、その人を中心に拠点を拡大していった」と寺田。

 当時コムスンが介護拠点を全国に急拡大、行き過ぎが嵩じて市場から消えるという事件があった。そのコムスンの拠点と人のほとんどを引き受けたのがニチイ学館である。寺田はことのほか人の育成と拠点網づくりに熱心だった。医療関係も介護もヒトがいなければ始まらないからだ。そして今やまさに「医療も介護もニチイがいなければ」と言われるまでに成長した。

 2020年3月期売上予想は2896億円、営業利益133億円、経常利益87億円を見込む。まさに業界のリーディングカンパニーとして君臨する。

 医療事業に於いては、当初は医療事務だけだったが、今や病院の受付などのフロント業務一切を受託、その受託先は8300件に及ぶ。

 東京都立某病院には300人、また奈良県立医科大学付属病院には230人のスタッフを送り出している。受託先は公立の病院が多いが、今はクリニックにも展開、まさにニチイが医療機関を支えているといっても過言ではない。

 介護の分野でもいち早く在宅介護の必要性を唱え、介護人を育成・実現したのは寺田その人である。寺田の先見性とチャレンジ精神があったればこそ、この難しい分野を革新し続け、今の体制に導いていった。

 それを可能にしたのは寺田の徹底力と実行力である。

 2017年には「ビジョン実現推進プロジェクト(VIPRO)」を策定、現場主体の事業改革を進めている。そして中期経営計画「VISION2025」では、25年3月期には、連結売上5000億円以上、営業利益率10%以上を目指す。


ニチイ学館という会社


2017年VIPRO(ビプロ)委員会にて





強みは現場力

 50年以上にわたり、日本の医療現場を支え続けているニチイの医療関連事業だが、その土台となっているのがQCサークル活動だ。毎年開催される「QCサークル事例発表会」は、医療関係に携わる人々の甲子園だ。こうした大会に寺田は社長を森信介に譲るまで自らが駆けつけた。

 ニチイの医療事業は医療機関からの受託である。従って改善を思いついてもすぐに実行できるわけではない。患者の現状の不便さを病院側に提案、病院を巻き込んで改善を実施、評価を得なければならない。受託ではあるが互いに努力し合い、ウィン・ウィン関係に持っていくことで次の受託契約に繋がっていく。今日のニチイがここまで成長しているのも、この現場力の強さの賜物といえる。

 介護事業もそうだ。

 待ったなしで日本全体を覆い尽くす超高齢化の波。これに敢然と立ち向かい、一緒に寄り添ってくれるのがニチイの介護サービスだ。在宅介護、ケアハウスなど形態はさまざまあれど、その人らしく最後まで人生を全うできるようにと、日々研鑽を積み、支援してくれる介護人の存在はありがたい。97年から介護事業に取り組んできた寺田のまっすぐな志、ノウハウが蓄積され、ニチイの介護事業の根幹を支えている。その現場力の強さは介護研究大会でさらに強固なものになっている。

 こうしたニチイの全社員そしてスタッフ全員の根底にあるのは、「やさしさを私たちの強さにしたい」というスローガンである。対する相手が人であればこそ、難しい場面もある。ストレスもたまる。そうした時にスタッフの心を支えるのがこのスローガンだ。これを心の奥に握りしめ、日々笑顔で仕事に励む現場スタッフこそがニチイの最大の強みなのである。


強みは現場力


2018年サニーメイドサービス研修を視察する寺田明彦氏


最後までチャレンジャー

 その寺田が19年9月28日83歳の生涯を閉じた。アイリスとバラの花を愛した稀代の名君が逝ってしまった。その訃報を知った人は誰もが驚き、その事実を悼んだ。2か月前の企業家賞の場では、あれだけ力強く語っていたのに・・・である。

 しかし一番無念だったのは寺田本人であろう。100歳まで現役で指揮を執り、日本の医療、介護の未来を革新し続け、第二の創業を自ら実践したかったことだろう。

 気丈夫な寺田は死の間際、「最後のメッセージ」を残した。そこには周りの人々に対する感謝の言葉が満ち溢れ、ニチイグループの行く末を託す熱い想いが綴られていた。

 寺田の最後メッセージを紹介しよう。




【ニチイ グループ 社員皆さん へ】

 皆さんがこのメッセージを読む頃、私はもう、この世には居ないかもしれません。

【現況報告】

 実は、本年7月末に「すい臓がん」が見つかり、余命2ヵ月を宣告され、以降、自宅にて執務を続けておりました。 私の命があとどれだけもつか、正確には分かりませんが、もう余り時間が無いことは自覚できます。 私は、ニチイ学館の創業から50年、医療・介護分野での事業展開を通じ、社会に、そして皆様の生活に貢献したい、その一心で、ニチイの発展に心血を注いでまいりました。全国にサービスネットワークを張り巡らせ、無我夢中で走り続けた。そんな、50年でありました。

 これまで、強い使命感に駆り立てられながら、社会の発展に貢献できるよう努めてきたつもりでした。しかし、私自身が、サービスを受ける立場となった今、これまでに感じたことがないほど、医療・介護の重要性、ありがたみを痛感しております。

中略

 感謝の気持ちと、この幸せを噛み締めるときに、同時に脳裏に浮かんだのは、「もし、近くに病院やクリニックがなかったら」「もし、近くに介護拠点がなかったら」「もし、苦しみを和らげてくれるクスリや医療機器がなかったら」、そして何より「それらを支える、医師や看護師、介護スタッフがいなかったら・・・」。そんな、悲惨な状況でありました。最後のメッセージで、少し、暗い話になることを許してください。


 中略


【最後のお願い】

 皆さんは、私のように療養が必要な人々やその家族にとって、本当に必要な存在であり、社会にとって、不可欠な存在なのです。これを読んだ幹部の皆さんは、そのことを現場社員まで、しっかりと伝えてください。現場社員が心からそう思える環境を作りあげていってください。皆さんには、自身の仕事、自身の役割に「誇り」をもってもらいたい。この国の「医療と介護」を支えていく覚悟をもってもらいたい。皆さんは今、この国の「未来」を変えるチャンスを手にしています。大げさな話ではありません。各地で雇用を生み、社会インフラを支える、当社独自のネットワークを活用すれば、地方の未来を、そして日本の未来を変えることができるはずです。互いの力をあわせて、とことん挑戦してほしいと思います。皆さんに言えることは、唯一つ。やるべきときは、徹底的にやる。生半可な気持ちでは、何も成し遂げられません。苦悩して苦悩して、ようやく一筋の光明が見える、その先で、光が閉ざされようとも、それでもやり続ける。それが覚悟というものです。そうしてはじめて、一つの可能性が開けるのです。この国の未来を変えられるのは、皆さんをおいて他にはいない。皆さんなら、必ずや成し遂げられる。そして、自分自身の大いなる存在価値を見出してくれる。そう信じています。 最後に、皆さんと共に仕事ができたこと、大変うれしく、光栄に思っています。本当にありがとうございました。皆さんが、健康で一層活躍されることを願っています。 2019年9月24日(火) 14時 自宅にて




二人の息子と共に


寺田イズムを継いで

 今、ニチイグループは社長の森信介が引き継いでいる。既に森は2017年に社長に就任、寺田と共に会社運営を切り盛りしてきたから心配はない。創業者である寺田のカリスマ性にはかなわないが、ニチイには寺田の薫陶を受けた素晴らしい人材が育っている。副社長を務める息子の寺田大輔、共に戦ってきた常務の井出貴子、取締役の黒木悦子もいる。人材の層が厚いのだ。これがニチイの大きな強みといえる。

 50年間全身全霊で挑んできた寺田のDNAは寺田イズムとして全社員に浸透している。

 ニチイの社内だけではない、多くの関係者の心にも宿る。「これからの日本の医療と介護はニチイの手にかかっている」といっても過言ではない。寺田イズムとこれまで培ったノウハウを武器に、第二創業をどこまで発展させられるか。世の中に貢献できるか。ニチイグループ9万6000人がその鍵を握っている。その一人ひとりの行動を寺田が見守っていよう。



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