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2020年01月29日

2020年、時代はデジタルからクオンタムへ 米中が「量子覇権」争い、日加も参戦

企業家倶楽部2020年1/2月合併号 【GLOBAL WATCH】29 





2020年、ハイテク覇権を巡る米中の争いはますます深化する。にわかにクローズアップされてきたのが量子(クオンタム)コンピューターの開発競争だ。19 年は「5G」や「スマートシティ」などデジタル経済のインフラ整備への関心が高まった。時代は今や0か1の「デジタル」から、0でもあり1でもある「クオンタム」へ。カナダや日本も巻き込み、「量子覇権」を争う時代に突入する。




   量子コンピューターは既存のコンピューターではできないことをできるーー。これを「量子超越性」というが、19年10月23日、米グーグルはそれを実証したと発表した。グーグルは自社開発したチップ「シカモア」を使って、「乱数生成に関連するタスク」を200秒で解いたと主張。古典的スーパーコンピューター(米IBM製)では1万年かかり、事実上解けない問題なのだという。「ここまで来るのに13年かかった。量子コンピューティング実現に向けて最も意味あるマイルストーン。初めて地球の重力圏外に出たロケットの成果に相当する」とスンダル・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は自画自賛する。

   これに対してIBMは「古典的なコンピューターで控え目に言っても2日半で解ける問題。『量子超越性』の条件を満たしていない」と公然と批判した。IBMも量子コンピューターの開発に取り組んでおり、16年から「IBM Q」としてクラウドベースでその計算能力を外部に提供している。19年9月にはニューヨークに量子計算センターを開設し、グーグル「シカモア」と同レベルの処理能力を提供するとしていた。もっともグーグルの成果は権威のある科学誌「ネイチャー」に掲載され、米マサチューセッツ工科大学のウィリアム・オリバー教授によって「コンピューティングの世界ではライト兄弟の初飛行に匹敵する成果」とのお墨付きを得ている。

   グーグルとIBMの戦いを、おそらく中国のテック企業もじっと見ているだろう。阿里巴巴集団(アリババ)は傘下の阿里雲(アリババクラウド)が、15年7月に中国科学院と「量子信息与量子科技創新研究院(量子情報・量子技術イノベーションセンター)」を上海に設置し、量子コンピューターの開発を始めた。さらに両者は18年3月、「IBM Q」には性能的に劣るが、同様のサービスをクラウドベースで提供を開始している。アリババは基礎研究所「達磨院(アリババ・ダモ・アカデミー)」の量子ラボのヘッドに、米ミシガン大学の施堯耘(シー・ヤオユン)教授を引き抜くなど、外部人材を登用して研究開発力を短期間で高めてきた。

   グーグルの今回の発表は、実はアリババの研究能力の高さをも実証する結果となった。グーグルは18年3月、「ブリストルコーン」というチップで量子超越性を実証すると発表していた。しかしアリババの研究グループが複数のサーバーをつなぎ合わせて、このチップの性能を評価したところ、量子超越性を証明するには能力不足であると結論付けた。実際、グーグルは「ブリストルコーン」ではなく、「シカモア」という別のチップを使って量子超越性を実証したのだった。

   グーグルの発表が実際にどれほどの意味があるのか素人には分からない面もあるが、世間の関心を量子コンピューターに向けたのは確かだ。



クオンタム経済の広い裾野

 量子コンピューターは「量子力学」の原理を応用したコンピューターだ。原子や電子といった「量子」の世界では分子と違って、一つのものがIBMの量子コンピューター「IBM Q」(cIBM)同時に複数の場所に存在するという「重ね合わせ」の現象が起きる。これまでのコンピューターは素子の状態が0か1かで論理計算しているが、量子コンピューターは0でもあり1でもある状態を取れる「量子ビット」を使う。2量子ビットならば4つの状態(0と0、0と1、1と0、1と1)を同時に表現でき、3量子ビットなら2の3乗の状態を表現できる。N量子ビットなら2のN乗の状態が取れるので、Nが1つ増えるごとに指数関数的に計算処理速度が速くなる。ちなみにグーグルのチップは53量子ビット、アリババの量子クラウドは11量子ビットだ。

   これまでのコンピューターの処理能力は半導体チップの集積度に依存していた。集積度は1年半ごとに倍になって処理速度も倍になるという「ムーアの法則」が成り立ってきたが、もはや回路の線幅が原子レベルに近づき、同法則の限界が見え始めている。そこで量子コンピューターといった動作原理がまったく違う方法ならば、ムーアの法則の限界も超えられるとの期待がある。

   量子コンピューターが活かされる「クオンタム経済」の裾野は広い。米ボストン・コンサルティング・グループによれば、量子コンピューターは次の4つの問題を解くのに優れているという。1つは「組合せ最適化問題」。スマートシティの重要な要素である公共交通の効率的な運用、工場の中ならば搬送車の最適なルートの算出、さらに金融資産の最適なポートフォリオの構築といった問題だ。実際、デンソーは工場の搬送車の稼働率を15%改善できたとする。米JPモルガンはIBMと共同で「オプション取引」の将来価格をシミュレートした。

   2つ目は「微分方程式」。これは航空機の設計に使われる流体計算や、医薬品や素材開発に使われる分子シミュレーションなどに使われる。三菱ケミカルは有機材料の光学特性の研究に応用している。3つ目はクラスタリングやパターンマッチングなどの「線形代数」。遺伝子配列や顧客の効率的な分類に応用できる。リクルートコミュニケーションズが広告配信のマーケティングへの応用を研究している。

   そして最後が「因数分解」。軍事的にも重要なのが暗号解読だ。桁数の大きな素数の積である合成数を使った暗号化技術が安全であるとされて広く使われている。しかし量子コンピューターを使えば、もとの素数を簡単に求めることができ、暗号を無効化できる。改ざんできないとされるブロックチェーンの暗号も解かれてしまい、その安全性が脅かされるかもしれない。逆に耐量子コンピューター暗号の研究も活発になっている。



中国「量子の父」、渡米できず

 国の安全保障にも関わるだけに、各国は国の存亡をかけて量子コンピューターの研究に取り組んでいる。科学技術振興機構研究開発戦略センターが19年1月に公表したレポートによれば、1990年以降に公開された「量子技術」の特許は全世界で4088件。最も多かったのが中国で全体の34%。2位の米国は23%だった。特許を詳しく見てゆくと、量子コンピューターの特許は米国が他国を上回っているが、量子暗号化技術では中国が圧倒的。安全保障に直結する分野で、米国が「5G」の時のように中国を警戒しているのが分かる。科学技術の振興にはそれほど熱心ではないトランプ大統領が18年12月、「国家量子イニシアチブ法」に署名し、今後5年間で量子関連の活動に12億ドルを投じることを決めた。

   中国で量子暗号化を含めて量子コンピューター研究の旗振りをしている人物がいる。中国では「量子の父」と呼ばれる潘建偉(パン・ジエンウェイ)氏だ。世界初の量子科学実験衛星「墨子号」のプロジェクトリーダーだ。潘氏らのチームは17年1月、約1200キロ離れた青海省と雲南省の2地点で、量子化技術で暗号化した信号の送受信に成功した。光子を使って信号を暗号化して送信し、受信側も光子で解読する仕組みで、盗聴しようとすると光子の性質が変わるため、そうした行為を検知できる。

   潘氏は米中ハイテク摩擦の渦に巻き込まれている。19年2月、潘氏の米入国ビザが下りず、全米科学振興協会(AAAS)の授賞式に出席できなかったことが、中国による米国の知的財産の「窃盗」への警戒感を象徴する事件として報道された。AAASは科学誌「サイエンス」を発行し、同誌に掲載された論文の中から最優秀論文を選び、毎年「ニューコーム・クリーブランド賞」を執筆者に贈っている。18年はまさに1200キロの2地点間の量子暗号化通信についての潘氏らの論文が選ばれ、潘氏が授賞式で講演をする予定だった。

   潘氏は中国科学技術大学の教授兼副学長を務めている。同大学があるのは、安徽省合肥という海外ではあまり知られていない場所。同大学は清華大学と並ぶ、中国の代表的な理工系大学。中国科学院が北京に設置した大学だったが、中ソ対立が激化した69年、最高権力者・毛沢東が中ソ国境から遠い合肥に避難させた。軍事に絡む研究も手掛け、国策を推進する役目も果たす。この合肥に20年にも完成するのが量子信息科学国家実験室(量子情報科学研究所)。5年間で1000億元(1兆5千億円)を投じる計画という。



カナダにクオンタム・バレー

   量子コンピューターに力を入れているのは米中だけではない。企業別に量子技術特許数を見ると2位にNTT、3位に東芝、5位に日立製作所、6位にNECが入るなど、日本企業も健闘している。日本政府は19年中に「量子イノベーション技術戦略」をまとめる予定で、5年間に国内5カ所以上に拠点を設置する、総額1000億円規模の研究制度を設けるなどの施策を盛り込む方針。10年以内に量子スタートアップを10社以上育成するなどの目標も掲げる見通しだ。

   スタートアップで無視できないのがカナダ勢だ。特許1位に君臨するのはカナダのDウェーブ・システムズ。大手が開発でしのぎを削る「量子ゲート方式」の汎用量子コンピューターではなく、「量子アニーリング方式」と呼ばれる種類を開発する。組合せ最適化問題を解くのに特化した量子コンピューターだ。Dウェーブはバンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学発のスタートアップで、学生だったジョーディー・ローズ、投資家のハイグ・ファリスらが99年に設立した。量子コンピューターを世界で初めて商用化し、その計算能力をグーグルを初め多くの企業に提供してきた。

   実はカナダは米国に次ぐ量子コンピューター関連のスタートアップが集積しており、日本企業も接近し始めている。富士通はバンクーバーにある同コンピューター向けソフト開発の1Q(ワンキュー)ビット・インフォメーション・テクノロジーズに出資し、顧客が抱える問題解決のためのアプリケーションソフトを共同で開発している。豊田通商、フィックスターズ、デンソーなどDウェーブと協業する企業も多い。

   トロント近郊のウォータールー。スマホの先駆け「ブラックベリー」を開発した会社を生んだ場所だが、その創業者マイク・ラザリディス氏がクオンタム・バレー・インベストメンツを13年に設立し、量子コンピューター関連企業への投資を進めている。セキュリティ関連のイサラなど地元企業に出資するとともに、ウォータールー大学の中に量子コンピューティング研究所を設立するなど基礎研究も支援。地元を「クオンタム・バレー」にする構想を進めている。

   実はこのウォータールー大学は代表的ブロックチェーン「イーサリアム」を生み出したヴィタリック・ブテリン氏の出身母校でもある。ウォータールー大出身でブロックチェーンに関わっている技術者は多い。トロントにもイーサリアム創設者の1人、アンソニー・ディ・イオリオ氏がアクセラレーターを設置し、関連スタートアップの育成に乗り出している。

   米IDCによれば、19年に27億ドルと見積もられる世界のブロックチェーン関連市場は年平均60%で成長し、23年には159億ドルに達するとされる。それに比べると量子コンピューターはまだまだだが、米ボストン・コンサルティング・グループは量子コンピューター市場が24年までには20~50億ドルになるとする。そして技術革新が進めば50年には100倍以上の4500億~8500億ドルに拡大するとみる。

   量子コンピューターとブロックチェーン。暗号解読、暗号化技術で結びつく両者が今後、どのように発展していくのか。ブロックチェーンの安全性を量子コンピューターが脅かすのか、それとも量子コンピューターでも破れない高度な暗号化技術が登場するのか。新しいイノベーションの萌芽として、この2つの領域は米中覇権争いとも絡んで2020年の重要なテーマとなりそうだ。



P r o f i l e  梅上零史(うめがみ・れいじ)

大手新聞社の元記者。「アジア」「ハイテク」「ハイタッチ」をテーマに、日本を含むアジアのネット企業の最新の動き、各国のハイテク産業振興策、娯楽ビジネスの動向などを追いかけている。最近は金融やマクロ経済にも関心を広げ、株式、為替、国債などマーケットの動きもウォッチしている。

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