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トピックス -企業家倶楽部

2019年12月27日

世界大恐慌から最初に脱出した国・日本を演出したダルマ蔵相・高橋是清の胆力経営に学ぶ!下/臥龍

企業家倶楽部2020年1/2月合併号 【第18回伸びる企業家は歴史や偉人に学ぶ】





高橋是清(国会図書館ウェブサイトから転載)


本稿を執筆中に訃報が入りました。2019年11月29日、中曽根康弘元総理が101歳で亡くなったとの報は、昭和時代の終わりを強く実感させるものでした。当時84歳の土光敏夫翁を臨時行政調査会、通称臨調の会長に引っ張り出したのは中曽根氏と言われています。土光氏が提言した国鉄などの民営化は、中曽根総理の時代に形になりました。土光氏が臨調会長を引き受けるに当り出した条件の一つに「増税なき財政再建」があります。

胆力ある即断即決が国難を救う!

 高橋是清は1913年(大正2年)、60歳で政界入り、ある意味遅咲きでしたが、1936年(昭和11年)に暗殺されるまでの23年間で5度も大蔵大臣を務めています。余程の技量だったのでしょう。

 実は是清は一度政界を引退しています。1927年(昭和2年)4月、田中義一首相に請われて74歳で三度目の大蔵大臣を引き受けます。第一次世界大戦による空前の好景気は冷え込み、関東大震災によってさらに悪化、震災手形が膨大な不良債権と化し、銀行経営を圧迫、この年の3月以降、預金者が銀行に殺到して引き出しを迫る取り付け騒ぎが発生します。金融恐慌です。早急に手を打たないと取り付け騒ぎが暴動に発展し、最悪過半数の銀行が破綻すると言われた状況です。

 是清の大臣在職は、4月20日から6月2日までの40日強という短期間。この間の是清の決断と行動は迅速でした。4月20日に皇居で新任式を終えた是清は、全国の銀行に22日~23日を一斉休業するように要請。その直後から三週間は法令により銀行預金などすべての債務の支払いを一定期間猶予する「モラトリアム」を実施する緊急勅令案を上奏し、裁可されます。通常営業の平日でのモラトリアムは経済活動に与える影響が大きく、世界的にも前例がない中、是清は尋常ならざる胆力でこれを断行します。

 また取り付け騒ぎでの大量の預金引き出しにより、各銀行の保有紙幣が枯渇し、日銀の印刷も間に合わないと知るや、是清はとんでもない奇策に出ます。片面白紙の200円札を大量に刷らせ、これを各銀行の店頭に山と積ませます。安心の見える化で、国民の心を静めたのです。これも前号で触れた若き頃の苦境脱出体験、下層生活で得た生活者体験が下地にあると思われます。

 いづれにしても意思決定の遅れが致命傷になる非常時において、大衆心理(マーケット)を見ての即断即決の見事さは、経営においても十二分に参考になるものです。これ程の大手柄を立てた是清ですが、事態の沈静化を見届けると、6月2日には在野に引き上げます。地位にしがみつかない見事な引き際です。翌3日、昭和天皇は侍従長珍田捨巳を呼び、是清の働きを賞せよと伝える程の国難回避でした。



天下分け目では戦力の一機投入が大原則

 金融恐慌から4年、1931年(昭和6年)、犬養毅首相に再び請われ、四度目の大蔵大臣就任となります。今回は1929年(昭和4年) 10月24日の「暗黒の木曜日」と呼ばれたウォール街における株の大暴落に端を発した世界恐慌、その津波が押し寄せた日本恐慌からの脱出がミッションでした。背景には世界恐慌の中、前任者である井上準之助による金本位制復帰による為替レートの円高予想、そこから発した10%を超える大きなデフレ転化がありました。

 1931年(昭和6年)から1934年(昭和9年)までの三年間、是清の財政政策、金融政策は、これまた思い切ったものでした。金本位制の停止、積極的な政府支出による需要の下支え、赤字国債の発行とその日銀引受による金融緩和と矢継ぎ早に手を打ち、10%を超えるようなデフレから一気にインフレへと構造を転換していきます。つまり日本は、世界最速で世界恐慌から脱した国となったのです。

 こうすれば良かったと安易には言えませんが、戦力の逐次投下は兵法上では愚策と言われます。天下分け目の関ヶ原の戦いは、一気呵成が大原則です。今の日本もここ20年間、デフレ脱出が命題でしたが、積極的な政府支出、インフラ投資が疎かでした。OECD主要国における一般政府公的固定資産形成(インフラ投資)は全て増加傾向にある中、日本はこの15年間で半減し、自然災害発生の要因の一つともなっています。国民心理を転換するにしても、消費税増税を教育費の無償化などの目的税にして、安心の見える化を図るのも一手でしょう。是清の片面印刷の200円札山積みが、そう教えてくれています。



職務と同化しなくて成功はない!

 財政政策と金融政策の掛け算効果で、国民のデフレ心理をインフレ心理に転換させた是清でしたが、これ以上の日銀による国債引受はハイパー・インフレの恐れありと、歳出削減と日銀の国債引き受け中止に舵を切ります。これが軍関連支出の増加を要求する軍部の反感を買い、1936年(昭和11年)2月26日、世にいう「二・二六事件」で6発の凶弾に倒れます。その時々の経済危機に見事なリリーフ登板を遂げた「七転び八起きのダルマ蔵相」と呼ばれた是清、享年81歳でした。

 是清の言葉です。「その職務は運命によって授かったものと観念し、精神をこめ誠心誠意をもってその職務に向かって奮戦激闘しなければならぬ。いやいやながら従事するようでは到底成功するものではない。その職務と同化し一生懸命に真剣になって奮闘努力することで、はじめてそこに輝ける成功を望み得るのである」。行革に命を懸けた土光先生も89歳まで職務を全うされました。中曽根康弘元総理の死が昭和時代の終わりだけでなく、大義と胆力ある「気骨ある政財界人」の終わりでないことを切に願うものです。



p r o f i l e 臥龍(がりゅう:wolong ウォロン)こと角田識之(すみだのりゆき Sumida Noriyuki)

APRA(エープラ)議長&一般社団法人「志授業」推進協議会・理事長

「坂の上の雲」の故郷、愛媛県・松山市生まれ。23歳のときに「竜馬がゆく」を読み、「世界の海援隊」を創ることを志す。人の幸福を主軸とする「人本主義思想」の素晴らしさを経営の場で実証推進する和僑(日本)と華僑(台湾・上海)合同の勉強会「APRA(エープラ)」を設立し、日本全国そしてアジア太平洋各国を東奔西走中。最近では、一般社団法人「志授業」推進協議会の理事長として、小中学生の大志確立を支援する「志授業」の普及、民族肯定観を上げるための「歴史・偉人」の講話にも注力中。詳細は「志授業」でご検索ください。



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