• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2020年03月13日

第21回企業家大賞受賞スピーチ「生活者に寄り添い商品を開発する」/アイリスオーヤマ会長 大山健太郎

企業家倶楽部2020年4月号 アイリスオーヤマ特集第2部 編集長インタビュー1




ピンチをチャンスに変えて飛躍

   私は19歳の時に父親を亡くし、創業6年目に家業を継承しました。当時は本社が東大阪にあり、年商500万円、社員5名の零細企業でした。しかしそんなピンチの中、「一生を下請けで終えたくない」という高い志がありました。
 そこで22歳の時、ガラス製に代わる、軽くて壊れにくいプラスチック製のブイを自社商品化しました。また、田植えの際に使う育苗のためのプラスチック箱を作り、農業・水産関係の産業資材メーカーとして大きな飛躍を遂げることができました。
   私の20代は下請けメーカーからそれなりの産業資材メーカーへと跳躍し、順風満帆に思われました。しかし、オイルショックにより、倒産寸前という厳しい環境に立たされました。ただ、振り返ると、このピンチ無しでは今のアイリスオーヤマはなかったと思います。私はお客様のお客様、つまり消費者に目線を向けて事業を営んでいく手法に切り換えました。しかし、マーケットが無いので、自ら事業創造するしか方法はありません。
   そこで消費者の潜在ニーズをいかに顕在化するかに着目しました。ユーザーインのビジネスは市場経済による供給過剰にも影響されません。このビジネスチャンスで収益性を高くし、自社の強みを生かして、なおかつ将来性の高い技術を持つこと。これを課題に掲げて必死に企業調査を行いました。140万社のデータベースを買い、そこから調べ上げました。
   その結果、唯一私たちの条件を満たすビジネスだと思われたのは園芸業のマーケットでした。当時、40数年前の日本の園芸は、家庭の庭で素焼き鉢が利用されていました。素焼き鉢は通気性や保水性を兼ね備えているので植物に好環境を与える一方で、重くて壊れやすいのが難点です。それに対してプラスチックの鉢は通気性や保水性に関しては劣るものの、手頃でカラフル、かつ使いやすい。
   農家は育苗が成功するか否かで種の出来が決まるので、育苗箱は重要です。そこで私たちは植物の生育環境を考慮しながら、プラスチックの育苗箱の形状を考え、特許を取り、育苗箱のナンバーワンメーカーとしての技術を持ちました。
   こうしたユーザーインを行う上での信念は、常に私自身が1人の消費者、生活者の代弁者として不満や不便を解決していくことです。私は自分の家庭で家内や子どもと一緒に園芸をし、潜在ニーズを顕在化させました。
   単にアイデアだけでは駄目なのです。コンセプトや主役を考えなければなりません。この場合ならば、人間ではなく植物に適した園芸をするということです。
   さらに植物を「育てる」園芸から「飾る」園芸にコンセプトを変えたところ、90年代のガーデニングブームが生まれました。



「しまう」から「探す」へ

   また、当社はグローバル企業にもなりました。グローバルに進出するきっかけとなったのは、30年前に起こった私自身の家庭での出来事です。
   ゴールデンウィーク中の早朝、5月にも関わらず山瀬で冷え込み、セーターが着たくなりました。しかし冬物は既にしまっているうえに、収納を把握している家内はまだ寝ています。そこで衣装ケースを5、6個順に開けていくと、最後の箱からようやく見つかりました。
   この経験から、ものを探すのに便利なクリア収納容器を作ろうという発想に至りました。主婦にとって、衣類の収納は大きな課題です。それまでの収納のコンセプトはいかに上手にしまうか、長持ちさせるかでした。この「しまう」という考えを、私は「探す」に変えたのです。
   しかし当時のプラスチックは、ポリエチレンやポリプロピレンという中身が見えづらい不透明なものでした。そこで原料メーカーに2年かけて原料を開発してもらいました。汎用原料より価格が高く、商品は1500円から2000円くらいになりました。
   低価格な商品が優位な過当競争では、高い商品をチラシに載せても効果は出ないので、小売店舗のバイヤーには売れるはずがありません。そこで売り場の一画だけ貸てもらったところ、2週間後には売上げが上しました。結局、バイヤーは過去のデータを見たり、競合との比較をしたりして購買しているので、消費者のニーズを考慮していません。そんな中で当社はユーザーインによる商品開発から、全国に大規模な工場を作ることができました。



最後発からナンバーワンに

   2000年前後、家庭の庭で夜に楽しむイミネーションが流行りました。ただ、当時は豆電球を使っていて、500個も一気につけるとブレーカーが落ちてしまいました。
   そんな中、私はある機会にLEDのイルミネーションを見せてもらい、半導体が光るということを知りました。こうしてLEDのイルミネーションを新たに売り始めたのですが、数年するとイルミネーションを鑑賞する家が少なくなりました。
   そこで残っていたLEDの製造設備を利用して、LED電球を作りました。他社が5000円〜1万円で売る中、当社は2000円の値を付けました。決して安く作ったわけではありません。2000円で売っても利益を出そうと考えた結果、知恵が出たのです。
   私たちが取り組んだのは内製でした。家電業界というのは組み立て型産業です。半導体の場合、ほとんど電子部品は調達しますが、徐々に内製率を上げ、仕立てもプレスも社にしました。結果、2000年に最後発であった当社が、翌年にはトップシェアを誇りました。これは競争価格を推し量るのではなく、常に「消費者がいくらなら買ってくれるか」を念頭に置くべきだということです。
   そんな中で東日本大震災を機に計画停電が始まりました。ここでは何よりも節電重視です。消費者は電気料金が上がっても、元の電気代の中で収めようとします。そこで、供給側ではなく需要側の気持ちになって物事を考えました。すると、電球でナンバーワンになり、続いてシーリングライトと直管でも最後発ながらナンバーワン企業となれたのです。
   4年連続で省エネ大賞を受賞。7年前に照明の2分の1だったLEDの節電率は、そこからさらに2分の1になりました。原発事故がなければ、ここまで大きくLEDビジネスを手掛けることはありません。





コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top