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トピックス -企業家倶楽部

2020年03月18日

独立ベンチャーキャピタリストの活動 驚きの松田修一賞を受賞して

企業家倶楽部2020年4月号【日の丸キャピタリスト風雲録第71回】

驚きの松田修一賞受賞と理由

 2019年12月7日広島において、ベンチャー学会から松田修一賞を受賞した。私は61歳であり、ベンチャーキャピタル投資を始めて36年が経過している。誰よりも長期に渡り多くの経験をして来たために、私が賞を差し上げることはあっても、まさか私が誰かから賞を受けることは全く想像していなかった。こんな賞をこんなタイミングで受けられることが、素直に大変うれしかった。 

 推薦をしてくれた秦信行さんも、松田修一先生も、私が三十歳位から、何かのことでお世話になっている、ベンチャー支援の世界の先輩方である。私の活動を理解できないだろう人からの表彰なら私も辞退しただろう。ほかならぬ、私の活動を、長期で気にかけてくれてよく知っているお二人から賞をもらえるのであれば、それは大変嬉しい事である。

 受賞の理由は、次の3つであった。

1.日本にベンチャーキャピタリストと言う職業を、契約面税制面から再定義し、確立した功績。

2.多くの若手キャピタリストの独立を啓蒙し、積極的に支援した功績。

3.起業体験プログラムで、20 年に渡り、多くの中高大学生青少年等の自立起業教育に尽力して来た功績。



日本初の個人GPという構造

 ベンチャーキャピタリストと言う職業を制度税制面から再定義した功績について、日本のベンチャーキャピタルの世界に革命を起こすことが出来たのは、振り返れば1998年と06年と2年の出来事を振り返ればよい。

 まず98年11月2日朝8時40分、東京の大手町法務局において、独立ベンチャーキャピタリスト個人(村口)が主人公つまり業務執行組合員(GP)になる構造の投資事業組合(NTVPi-1号)を、日本で初めて法務局に登記成立した。歴史的な瞬間だった。その夜仲間と六本木のタトゥー東京二階でお祝いした。

 
 それまでの日本のベンチャーキャピタル(VC)は、ジャフコモデルと言って、「株式会社を、VC投資事業組合の業務執行組合員GPとする」のが業界の常識であった。これはやや歴史的経緯があって、80年頃金融機関の当時グループ企業であるジャフコが日本に翻訳(意訳)して輸入した結果であった。そもそも本場のシリコンバレーのVC(KPCBやセコイア)が運用する投資事業組合(LPS)は、GPを個人(ジョンドアやマイケルモリッツ)のパートナーのチーム(多くはLLC)にしているから、誤訳と言っても言い過ぎではない。なぜ日本でそうなってしまったのか?個人を責任者にしたのでは、人事異動が出来ないからだ。わざわざGPを株式会社にして、VC投資をサラリーマン組織でも運営が出来る組織にしたのだ。そのために、VC株式会社には、投資営業部、審査部、組合業務部、コンサルティング部と言った風に、分業組織が置かれ、担当取締役、部長、課長と階層組織にした。そんな事情で、シリコンバレーのGPパートナー制を、日本の株式会社組織に意訳したのだった(私はそれをVC1.0と呼ぶ)。
 
 私はジャフコの投資営業の社員として、84年から98年までサラリーマンキャピタリストとして、アインファーマシーズ、PALTEKをはじめとして多くの投資とIPOを成功させてきた。当時その話をシリコンバレーのキャピタリストたちに説明して祝福を受けた後で、彼らから必ず言われることがあった。「You are NOT venture cap italist!」所詮、組織の職務権限の中でオペレーションをするサラリーマンだからだった。当時は意味が分からず、理解するのに数年かかった。
 
 98年11月に設立したNTVPi-1号投資事業組合では、キャピタリストと言う職業のプロフェッショナル個人が、日本で初めてVC投資事業組合の運営責任を、契約上一身に背負う構造にした。それは一見過酷なようだが、株式会社においても誠実責任を負っているのは取締役という個人である。(考えてみれば個人が責任を負うべき投資事業組合の責任を、人事異動が可能な株式会社で背負うという方が、無責任である。)
 
 こういう構造にして始めて見ると、良いことがすぐに分かった。新しい個人GP構造の投資組合においては、個人がGPになるため、意思決定が投資委員会などで統一的に行われ、右往左往するということがなくなったのだ。VC1.0の世界では、投資を検討する過程で、組織の中で審査部と投資部が意思決定のプロセスでもめて、何か月も結論が出せないと言うことがよくあった。組織都合の迷惑を起業家に押し付けていたのだ。重要な変化は、意思決定スピードだけではなかった。組織が求めるエビデンスが乏しい早すぎる段階である会社の立ち上げ期(シード期)への投資が飛躍的にしやすくなったことだ。99 年シード(創業)期のアステリアや、DeNAに思い切った投資をすることが出来るようになった。GPが会社であるVC1.0の構造ではこうは、スムーズに投資の意思決定が出来なかっただろう。
 
 さらに、DeNAの立ち上げ時に陥ったシステムトラブル直面への迅速な対応(南場さんの「不格好経営」参照)は、NTVPのGP構造が個人を基盤としたシンプルな構造だったから行えた対応だったことは間違いない。


日本初の個人GPという構造

個人GPに税務調査はいる!

 さて、GPが投資組合から受け取る報酬は、シリコンバレーではキャリードインタレストと呼ばれ、組合の投資成果のキャピタルゲインの一定割合の分配である。VC1.0のジャフコモデルでは、キャリーは成功報酬と意訳(誤訳)され、GPであるVC株式会社の売上に計上され法人税が課された。それに対し、シリコンバレーのキャピタリスト個人GPのキャリーは、キャピタルゲイン分配の割増し割合分(20~30%)が上乗せされる構造のため、キャピタリストGP個人としては、その受け取ったキャリーをキャピタルゲインとして確定申告できる。したがって、通常税率20%(税引き後手取り80%)となり、法人税の構造よりもはるかに有利なのである(これが大きい)。日本のベンチャーキャピタル産業は、すべてジャフコモデルで運営されてきたために、同じ投資成功に対して構造が違うために、多額の法人税を納めてきたが、元々何と半分で良かったのだ。
 
 この驚くべき事実を知ったのは、98年4月ジャフコを独立し、5月下旬シリコンバレーを訪問し、新しい投資事業組合を創設しようと現地のあらゆる契約を牛耳っているWSGR法律事務所の日本担当チーム(森濱田松本から出向の棚橋先生らがいた)を訪問した時だった。しかもWSGRによると日本では出来ないはずだと言う。ほんとにがっくりして日本に戻って研究してみると、実は日本の方が規制らしい規制がなく、自由であることを知って二度びっくりした。分配割合をキーワードにすればキャピタルゲイン税として認めて貰えそうなこともいろいろ勉強していて発見した。半年後に堀場製作所の創業者堀場雅夫さんや、PALTEK高橋さんに出資してもらって、GPを私個人にしてキャリーを分配割合として契約を明確化し、作ったのがNTVPi-1号投資事業組合だったのだった。
 
 この個人GPの税金問題がはっきりして確立した年が、もう一つの日本のVC業界にとって革命の年、2006年だ!ちょうどその前の年05年DeNAがIPO成功し、NTVPi-1号投資組合の投資収益によるGPにキャリーが発生した翌年だ。GPの私が、3月にキャリーをキャピタルゲインとして確定申告したのある。仲間の間にも、通る訳がないと言う悲観論者がむしろ多かった。所得税の確定申告から半年たった「06年9月13日午後一時」、いよいよ三税務署が十人のチームを組んで、NTVP事務所に税務調査で押し寄せて来た(アポイントを取ってだが)。
 
 ポイントはキャリーに当たる組合で生じたDeNAの投資収益をGPにキャリー分上乗せして分配したものが、事業所得(累進課税)ではなくてキャピタルゲイン(税率が安い)として認められるかどうかの、解釈の問題だった。NTVPの組合が、ジャフコ(VC1.0)と同じ構造であるならば、成功報酬なんだから事業所得税じゃないか、と言う質問が、何度も何度も税務調査の担当者から時間を変えて、日を変えて、担当者を変えて繰り返し質問してくる。私はそのたびに、「私の組合は、日本の従来の投資事業組合と根本的に構造が異なる。これは報酬ではなくて、シリコンバレーで言う所のキャリー、日本で言えば分配割合に基づいて分配されたキャピタルゲインである」と言う説明を、何か月も断続的に繰り返した。最後は、国税庁から呼ばれ、やたら広い部屋で国税課長二人の前で説明させられ、ほどなくキャリーは事業所得税ではなくて、キャピタルゲイン税で申告したGPである私の確定申告で間違いないことが、認められた。ここに初めて、ベンチャーキャピタリストが職業人として、いかに税務申告して社会の中で生きていくか、歴史的日本の事例が作られたのである。これでようやくシリコンバレーのキャピタリストと肩を並べて戦える制度的基盤が歴史的に確立されたのだ。



2006年独立キャピタリスト時代の到来

 06年、独立個人キャピタリストの制度的な背景が確立して、私は安心して、若手のキャピタリストを目指す学生たちに、明るい気持ちで声を掛けられるようになった。06年以前と以降は、VC産業の景色が全く違うのだ。ここから新しい独立キャピタリストが活躍するスタートアップの時代が到来するはずだ! 
 
 ところが、その後ホリエモン事件やリーマンショックによって日本のIPOは5年に渡る氷河期に突入してしまうことになる。証券取引所や証券会社は、06年にVC産業が新しい時代に突入したことなど知る由もない。それがようやく13年頃からIPOに少し明るさが戻って来つつある。今こそ、独立キャピタリストとスタートアップの日本における発展期に入ったと考えている。残念ながらと言うべきだと思うが、日本は世界の中でも早い時期からVCの重要性に注目して導入しておきながら中国に追い越され、ようやく今頃VC本格的発展期に入るのだが、発展を祈らずにはいられない。

 また授賞の理由にもなっているが、NTVPでは98年の創業期から、VC投資だけではなく、ゼロからの起業社会を育てる社会貢献活動に注力してきた。具体的には、若手のキャピタリストを育てるVC塾や、青少年向け起業体験プログラムを開催して、既に20年が経過する。その学生時代の参加者の中から、知っているだけでも若手キャピタリストとして活躍している、佐俣アンリ君、木下慶彦君、藤田英輝君、菅原康之君ら最前線で活躍する人が登場してきているのは、嬉しい事である。 

 起業体験プログラムは、東京証券取引所(JPX)の社会貢献活動や、慶應義塾大学、九州大学、品川女子学院、郁文館夢学園などが導入するなど、あちこちに広がって発展してきている。カリキュラムの厳格な教育界で、独立自由な経済活動を青少年に体験させてあげられるユニークなプログラムとして、ますます注目されている。




著者略歴

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール非常勤講師。19年松田修一賞受賞。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、PTP、モーデック、IPS、グラフ、電脳交通等がある。



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