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トピックス -企業家倶楽部

2020年02月27日

CSRの先人・大原孫三郎から学ぶ 先見と信念の経営

企業家倶楽部2020年4月号 【第19回伸びる企業家は歴史や偉人に学ぶ】


岡山を旅する方々が最も立ち寄る観光地ベスト5は、1位倉敷美観地区、2位岡山後楽園、3位岡山城、4位大原美術館本館、5位倉敷アイビースクエアですが、1位、4位、5位は実質同じ観光地です。この年間350万人が訪れる倉敷美観地区を遺した経済人が大原孫三郎ですが、彼の先見性と社会活動の広がりは、現代においてもその輝きを失わないものです。

● 出会いが人生を変える

孫三郎は、倉敷市の大地主で倉敷紡績(現・クラボウ)を営む大原孝四郎の三男として生まれます。東京専門学校(後の早稲田大学)に入学しますが、彼の懐を頼った悪友に連れ回され放蕩三昧、資金が尽きれば高利貸にまで手を染め、作った借金は1万5千円(現在の金額で1億円)!父親に、東京専門学校を中退させられ、倉敷での謹慎処分。トホホなスタートラインです。

   この謹慎中に、石井十次と知り合います。児童福祉制度などなかった明治時代において、児童救済に力を尽くした石井十次は、「児童福祉の父」と呼ばれています。実業で多忙になる前、感性多感な頃に石井十次と深く心を通わせたことが、その後の経営と福祉を一体化させた「経福一体の道」に繋がっていくのでした。

● 明治・大正時代に ES(従業員満足度)優先の経営

父の跡を継ぎ、若干27歳で倉敷紡績の社長となった孫三郎がまず行ったのが、工員の労働環境の改善でした。住み込みが基本の時代、工員の食事や日用品は「飯場」という外注業者が賄っていましたが、その品質は劣悪でした。その制度を廃止し、従業員の確保、食事の手当、日用品の販売を会社が運営するよう改めます。工員の住居も大部屋から社宅に近い状態に改め、駐在医師や託児所まで完備。幸い就任初年度から増益でしたが、孫三郎は役員報酬と配当は減らし、工員の生活改善の基金に充当します。

   また、工員が初等教育すら受けていないことに驚いた孫三は、工場内に尋常小学校を設立。更には、倉敷商業補習学(現在の倉敷商業高校)を設立し、働きながら学ぶ工員をし、学びたくても学資のない地元の子弟のために大原奨学会開設。今でいうところのES(従業員満足度)優先の経営に激奮起した工員の頑張りで、会社は順調に発展していきす。

   自社の発展を基盤として、中堅紡績会社・吉備紡績の買収、工場を蒸気による動力から電気動力への転換を図り中国水力電気会社(現在の中国電力)の設立、中国合同銀行(現在の中国銀行)の頭取就任、国産レーヨン製造販売のために倉敷絹織(現在のクラレ)を設立と、M&Aや新規事業開発にも積的に乗り出し、倉敷を代表する財界人となります。

   人事では実力主義を取り、若い学卒者の採用、彼らと将来ビジョンを討議・共有し、仕事を任せていきます古株の役員、幹部からの怨嗟、従業員優先に対する株主からの抗議、それらを「わしの眼は十年先が見える」、「十人の人間の中、五人が賛成するようなことは、たいてい手おくれだ。七、八人がいいと言ったら、もうやめた方がいい。二、三人ぐらいがいいという間に、仕事はやるべきものだ」という言葉で押し切っていきます。



● 未来価値を遺す

   臥龍は、倉敷の記念館を訪ねたときに、「親父の財産は減らさない。が、自分が増やしたものは全て従業員と市民に還元する」という孫三郎の言葉が心にズシリときました。しかも安易な寄付活動ではなく、視点は常に十年、二十年先でした。例えば、倉敷中央病院の開設にあたっては、「治療本位(研究目的でない、真に患者のための治療)」「病院くさくない明るい病院」「東洋一の理想的な病院」という3つの設計理念を掲げています。病院らしくないデザインの中、最新の医療機器と優れた人材を揃えた病院は、倉敷のみならず広域の医療環境改善を成し遂げます。2001年4月には、台湾の李登輝総統が総統退任後の初来日で、心臓カテーテル治療の第一人者だった光藤和明医師によりカテーテル手術を受けています。

   また、岡山観光の目玉・倉敷美観地区ですが、最初に訪れるきっかけが大原美術館だったという方は多いものです。今でも年間入館数30万人、臥龍もエル・グレコの「受胎告知」、クロード・モネの「睡蓮」、ポール・ゴーギャンの「かぐわき大地」などに触れたことで、西洋美術に興味を持ち、ヨーロッパの美術館に出かけるようになった一人です。

   今でこそ、毎年30億円の経済効果を発揮する大原美術館ですが、開館が1930年(昭和5年)、ニューヨーク近代美術館の開館が1929年ですから、当然、日本初の西洋美術館です。洋画家・児島虎次郎に託した買い付けは、まさに天文学的な投資でしたが、昭和5年といえば関東大震災の復興からようやく立ち直った年、俗にいう衣食住も不十分な時代です。周りからは道楽が過ぎると揶揄されます。が、孫三郎は「物足りて、必ず心の豊かさを求める時代が来る」と予見します。日、大原美術館だけで年間30億円、10年で300億円の経効果を倉敷にもたらしていると言われています。 

   臥龍は先日、大原美術館を訪ねた際、隣接する立派な日本家屋と庭園「新渓園」を鑑賞しました。会館の方から、「この家屋と庭園は1922年(大正11年)に孫三郎さんから寄贈されたものですが、寄贈と同時に何十年か分の庭園のメンテンナンス費用もいただいたのですよ」とお聞きして、思わず「う〜ん」と唸ってしまいました。今でこそ、企業の社会的責任・CSRが当たり前の時代になっていますが、100年前から強烈な信念で実行された孫三郎の業績を今に伝えるべく、臥龍は岡山の子ども達に、「志授業」の一環として伝承しています。



p r o f i l e

臥龍(がりゅう:wolong ウォロン)こと角田識之(すみだのりゆき)

APRA(エープラ)議長&一般社団法人「志授業」推進協議会・理事長

「坂の上の雲」の故郷、愛媛県・松山市生まれ。23歳のときに「竜馬がゆく」を読み、「世界の海援隊」を創ることを志す。人の幸福を主軸とする「人本主義思想」の素晴らしさを経営の場で実証推進する和僑(日本)と華僑(台湾・上海)合同の勉強会「APRA(エープラ)」を設立し、日本全国そしてアジア太平洋各国を東奔西走中。最近では、一般社団法人「志授業」推進協議会の理事長として、小中学生の大志確立を支援する「志授業」の普及、民族肯定観を上げるための「歴史・偉人」の講話にも注力中。詳細は「志授業」でご検索ください。



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