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トピックス -企業家倶楽部

2020年04月27日

M&Aを通して社会の持続的発展に貢献する

企業家倶楽部2020年6月号 ストライク特集第1部 ストライクの未来戦略





M&AはMergers(合併)and Acquisitions(買収)の略である。会社と会社の経営統合や、事業の買収を指すのだが、何も大企業だけが活用する手段ではない。国内にはおよそ400万社あると言われているが、そのほとんどは中小企業である。「M&Aは事業を承継するだけでなく、中小企業の生産性を上げ、競争力を持つことにも有効である」とストライク社長の荒井邦彦は本質論で語る。今後もM&Aの重要度が増えることはあっても減ることはない。2016年に東証マザーズに株式上場を果たすと、わずか1年後の2017年には東証一部に市場変更し、一代で国内大手に成長。「M&Aで幸せになる人を増やしたい」と使命感に溢れる稀代の企業家の挑戦に迫る。(文中敬称略)

M&Aに対するイメージの変化

「会社を創業した20年前とは『時代の変化』を感じます」

 荒井がストライクを起業したのは、1997年。当時のM&Aといえば欧米企業では当たり前になっていたが、国内ではまだ一部の大企業がするものという認識であった。倒産しそうな企業の身売りや資金力に物言わせて乗っ取るといったネガティブなイメージが大半で、「敵対的買収」や「外資系ハゲタカファンド」といった血の通わない言葉だけがメディアで踊っていた。

 しかし、この10年でイメージも様変わりしている。M&Aは大企業間だけのものではなく、中小企業でも事業を継続する手段として活用できるという認識に変わってきたのだ。「以前なら営業がコンタクトを取ろうとすると、『M&Aの話はうちには関係ない』と見向きもされなかったが、近年では『話くらいなら聞いてみようか』と経営判断の一つの選択肢として検討されるようになった」と最前線で現場を見てきた荒井は言う。

 ビジネスの世界は刻々と変化している。ネットの普及や消費者のトレンドの移り変わりなど、時代の変化のスピードに対応するのは至難の業である。企業経営はますます難しくなり、将来に不安を感じている経者は多くいる。

 さらに、深刻なのは経営者の高齢化に伴う「後継者問題」である。少子高齢化社会を迎えた日本市場において「事業承継」は、もはや社会問題となっており、M&A市場にとっては追い風となっている。

 経済産業省の調べでは、2025年に70歳を超える中小企業の経営者は245万に達し、その内の半数の127万社で後継者未定というから、見過ごせない大問題である。もしそのまま後継者が見つからず廃業となると、650万人の雇用が喪失し、GDP(国内総生産)22兆円分が消えると試算されている。

「2025年問題」はもはや誰にとっても対岸の火事ではないのだ。この近い将来に切実に迫りくる後継者問題の解決手段として、今、M&Aに注目が集まっている。

 つい買収金額や企業の栄枯盛衰に目が行ってしまうが、 M&Aの本質的な目的は、事業の継続であり、雇用を守り、顧客にサービスを提供し続けるということである。そこには血の通った人の営みが存在している。「価値あるM&Aを多く手掛け、社会の持続可能な成長に貢献したい」と荒井は自らの使命について語る。

 ちなみに社名の「ストライク」は、小細工はせずに常に直球勝負をするという意味を込めて付けた。



会社間の結婚の仲人役

 経営者ならば誰しも事業の継続性を願うものだ。「ゴーイングコンサーン(継続企業の前提)」があるから、財務諸表を作り、企業は取引ができ事業活動が続けられる。そして事業を継続するために、「後継者問題」はいつかは解決しなければならない経営課題である。

「重要度」が高いことは理解されつつも、5年後、10年後となると「緊急性」が低く、これまで後回しにされてきた。社長が高齢になったり、健康状態に不安を感じるなど実際に問題が顕在化してはじめて、親族内承継にするか、社員の昇格か、はたまた外部から招へいするかと議題に上がる。

 しかし、社長を務められる人材はどこも不足しているため、どの方法も簡単ではない。かといって無策でやり過ごすと大廃業時代を迎えることになるのは間違いない。M&A仲介業を営むストライクの社会的使命は大きいと言えよう。

 ではM&A仲介業とはどんなビジネスなのだろうか。ここに従業員を抱え、顧客もいて、事業を継続したいが後継者がいないA社があるとしよう。一方で事業を拡大したい、新規事業を始めたいがノウハウがないというB社がいた場合、A社の経営者は、B社に会社を売却して事業を継続することが可能になる。ストライクは、譲渡先Aと買収先Bの中間に立ち、双方の意向(条件)を調整し、合意に至るまでサポートする。条件に折り合いが付けば、「成約」となり報酬を得る。直近の1年間で新規受託件数は289社あり、成約組数は104社に上る。

 2019年8月期の売上高は50億7700万円(前期比35・6%増)、営業利益18億8600万円(同39・5%増)と5期連続の増収増益を達成し、過去最高の業績を残した。

 2020年8月期は、売上高62億7500万円(前期比23・6%増)、営業利益22億3700万円(同18・6%増)と増収増益を見込んでいる。

「1年後の2021年には、年間成約組数を現在の倍の200組、2年後には250組を目標としています」と更なる成長を目指している。


会社間の結婚の仲人役

社長になるために会計士を選択

 中堅中小企業のM&A仲介を主力事業に業績を伸ばしているストライク。創業者で社長を務める荒井とはどのような人物であろうか。

「真面目で頭脳明晰。頭の良さなら私が会った経営者の中で5本の指に入る」と同世代の友人でもある弁護士の大村健は荒井の印象について語る。

「誠実そのもの。天性の爺殺しだ」と荒井より22歳年上で現在同社の副社長を務める鈴木伸雄は、息子ほどの年の差がある荒井の人柄にほれ込んだ一人である。銀行やベンチャーキャピタルなど金融業界で30年のキャリアがあり、多くの経営者と会ってきた。2003年にストライクに入社以降17年間、荒井を支えてきた鈴木が「経営者の顔を見れば分かる。紹介者との関係性や視線の動かし方で信頼度が透けて見えた」と太鼓判を押すほどだ。成功する企業家は年上から可愛がられる人が多いが、荒井もご多分に漏れず良い意味で「人たらし」の才を持っている。

 実際に起業を意識したのは大学に入ってからである。日本がバブル経済のピークであった1989年に一橋大学商学部に入学。当時の4年生は売り手市場で就職活動中に浮かれていたが、僅か4年後の93年はバブル崩壊後で、厳しい就職活動に入らなければならなかった。数年の違いで売り手市場から買い手市場に様変わりし、多くの学生たちも戸惑っていた。企業に取り繕おうとする学生たちの雰囲気に「違和感があった」と荒井は当時を振り返る。

 そんな折にふと小学校の卒業文集の将来の夢というページに『社長になる』と記したことを思い出した。しかし、いきなり社長になる自信がなく、経験を積むにはどこに行ったらいいか進路につ いて思案中に大学の生協でたまたま会計士の予備校のパンフレットが目に留まった。気になって調べてみると、会計士は企業の財務のドクター役で、企業経営に必要な専門知識が習得できるとあった。いずれ社長になるなら、財務やお金の流れを分かっておいた方が役に立つだろうと考え、資格取得を目指すことにした。

「さらに収入もいいとあり、直感で会計士になると決めました。迷いはありませんでした」と荒井は進路決定の経緯について語る。


 社長になるために会計士を選択


小学校の卒業文集



創業経営者に魅了される

 普段は温厚で紳士で知られる荒井だが、意外な一面を垣間見られる、就職先を決める際の エピソードを紹介しよう。希望通りに会計士試験に合格した荒井青年。当時大手監査法人は6社あり、合格者のもとには監査法人の方からリクルーティングの連絡があるのが習わしだった。しかし、5社からは連絡があったが1社だけなしのつぶてであった。

「当時の太田昭和監査法人だけ電話をくれなかったので、悔しくて『絶対ここに行ってやる!』と決めました」と反骨心のある意外な一面を見せる。

「試験に合格したが連絡がなかったのですが、」と荒井が電話すると、「合格おめでとうございます。残り2枠あるので急いできてください」と素っ気ない返事であった。慌てて霞が関まで出向き面談を受け、晴れて太田昭和監査法人(現EY新日本有限責任監査法人)に入所することになった。大手6社に業務の違いはなく、どこに入ってもよかったという荒井だが、連絡をくれなかったから、そこに決めたとは信じ難いが本当の話である。

 しかし、この時の選択がその後、荒井の企業家人生に大きな影響を与えることになるとは当時の荒井も知る由もない。

 監査法人で働き始めた荒井は、国内企業の監査部門に配属された。たまたま担当先は株式上場の準備をしている中小企業が多く、創業オーナーと顔を合わせる機会が多かった。

「隣の部署は年商1兆円規模の大企業の担当で、監査法人ではそちらが花形と言われていましたが、株式上場を控えたベンチャー企業の創業オーナーは皆魅力的でした。私財を投じ、新規事業にチャレンジしていく勇気と発想力があり、刺激を受けました。いずれ起業しようと考えていた私にとっては大企業の担当になるより逆にラッキーでした」と荒井は新入社員時代の思い出について話す。

 その中でも特に印象に残っているのが、ある臨床検査事業大手が年に1、2社をM&Aで買収し、ダイナミックに事業拡大をしていく様だった。大手銀行が案件を持ち込み、会社ごと買収するような大きな取引を目の当たりにし、その迫力に魅了された。その時にM&Aの仕掛け人の存在を知った。

 会計士である荒井は、当然学問的にM&Aの知識はあったが、実際に経営統合や事業買収の現場を見て、M&A後に会社が変わっていく様子を直に肌で感じ、心が躍るのを抑えられなかった。そして、M&Aの報酬の高さにも驚いた。

 M&A仲介は凄い仕事だ。自分が起業するときはこれをしたい」、企業家荒井のミッションが決まった瞬間だ。



自作のサイトオープン

 本の虫とはいわないが、自然とホンダ創業者の本田宗一郎やパナソニック創業者の松下幸之助、その他にもソニー共同創業者の盛田昭夫らの自叙伝を手に取り、彼らの世界観や新しいことに挑戦する企業家精神に共感した。

 社長になる夢を持ち、監査法人で社会人をスタートしたが、漠然と30歳までに起業しようと考えていた。憧れる企業家たちは皆20代で会社を興していたからだ。公認会計士の試験にも受かり、思い残すことはない。1997年7月、26歳の時に会社を設立したのだが、直属の上司から引き留めに合い、最終的に退所するのは1年後の98年12月になった。

 本格的な活動は年が明けた99年1月からで、営業経験のない荒井はM&A仲介業をやると決めたはいいが、どこから始めたらいいかノウハウがなかった。知人からM&A先進国のアメリカでは90年代後半からインターネットが普及し、ネットを活用して会社の売買情報を掲載しているとアドバイスをもらった。

 資金は自分で貯めた400万円と親から借りた600万の計1000万円だけであった。外部に依頼すると会社設立もホームページ開設も資本を減らしてしまうので、自ら法務局を訪ね会社登記もすれば、本屋に行きHTMLの書き方という本を購入し、自社ホームページのプログラムを打ってみた。ストライクの記念すべき最初のサイトは創業者荒井の自作であった

「何かが欠けているのは良い事だと思います。それで一生懸命工夫しようとするでしょう」

 企業家とは逞しいものだ。ゼロから一を創り出す苦労を楽しめることが企業家の条件なのかもしれない。



最初のクライアントから学ぶ

 サイトをオープンして半年後、1通のメールが届いた。首都圏郊外のビルメンテナンスを手掛ける中小企業の経営者からだった。早速会いに行くと、初老の夫婦が出迎えてくれた。話を聞くと社長である夫の方は障害を抱え余命宣告を受けているという。後継者候補に当たったが全て断れてしまい、困っているという。年齢を聞くと60歳で荒井の父親と同い年であった。たまたまその社長の息子も30歳で荒井と同い年という共通点があり、「何とかしてあげたい」と親近感を覚えた。

 譲渡側の意向を聞き、良い買い手を見付けようとしたが現在の様に企業情報が豊富にある訳ではなかった。大企業から回ってみたり、随分と遠回りをしてしまい、相手先が決まるまでに1年半を費やしてしまった。「今なら同じ案件を3カ月でまとめられるでしょう。最初のクライアントから多くのことを学ばせていただきました」と荒井は謙虚に語る。

 成約時に依頼主が涙を流して喜ぶ姿を見て、大切に育ててきた会社の事業を継続する目的のためにM&Aを手段として活用する社会的意義を知る体験をした。最初の案件で人の大切な想いを繋ぐという「M&Aの本質」に触れた荒井は目から鱗が落ちる思いであった。

 この話には後日談がある。成約してからも最初のクライアントとの交流は年賀状を通して続けられた。そして、5年後に旦那様が亡くなったとの連絡があり、線香をあげに再び訪ねると、奥様から会社売却後に悩みから解放されて喜んでいたことを教えてもらった。

「相談を受けた時の悲壮感と売却後の笑顔のコントラストが忘れられません。M&Aを通して、会社を存続させ、余生を豊かに過ごすという目的を果たせてよかった」

「スケールの大きな仕事がしたいと始めたが、人から感謝される社会貢献度の極めて高い仕事だと再認識できた」。荒井は初めてのクライアントと真摯に向き合うことで、M&A仲介者としてブレない信念を持つことができた。



M&Aを世に問う株式上場へ

 最初の案件を成約すると、時代のニーズもあり順調にクライアントが増え、2012年には大阪・札幌・仙台・福岡・高松の5拠点を一気に開設。翌13年1月に名古屋オフィスを開設し、東京本社に加え主要6都市に活動拠点を展開し全国を対象とした営業基盤を確立した。

 さらに14年には税理士協同組合、15年に大同生命保険、16年に公認会計士協同組合と次々と業務提携を結び、人材交流を進め、譲渡先や買い手情報の収集を強化している。

 競合他社が株式上場していき、ストライクも上場させるかどうか迷っていた荒井は、高校時代からの友人である油井に相談した。油井はベンチャーキャピタル最大手のジャフコ出身で株式上場関連に明るく、経営者同士でもある。

 IPOの専門家である彼から、「上場するかどうか迷わずに上場したらいい。M&Aは意義のある仕事であると世に問うべきだ」と強く励まされた。信頼する友人から背中を押され、一念発起した荒井は最短で株式上場を目指すことを決断した。

 14年に同門の太田監査法人出身の公認会計士中村康一をCFOに招き入れ、公開準備室担当に任命し、宣言通り、16年に東証マザーズへ株式上場した。その勢いは収まらず、僅か1年後の17年に東証一部へ市場変更を果たした。

「上場のメリットは採用面に表れています。現在は120名となりました。2022年までに200人体制に持っていき、成約組数250組を目標にしています」と鼻息も荒い。

 コンサルタント一人ひとりの生産性を高めることでこの目標の達成は決して高くないと述べる荒井。今後は、知名度向上の上場メリットを生かし、多くのコンサルタントを採用し育成できるかどうかが課題となろう。



スタートアップのM&A

「M&Aといったらストライクだよねと1番に言われる会社になりたい」と荒井は今後の夢を語る。

 先述の「2025年問題」が示す通り、今後も国内M&A市場は事業承継案件の増加が見込まれる。さらなるシェア増大は至上命題だが、現在は、事業承継以外のスタートアップ企業の株式上場に代わる出口戦略としてM&A市場の開拓にも注力している。

 日本は少子高齢化で国内市場が萎んでくると閉塞感が漂ってしまう。そうしないためにも新産業が生まれてこなければならない。その担い手は既存企業ではなく、スタートアップ企業が主役になるだろう。

 日本も起業のハードルは下がってきたが、株式上場のハードルはまだ高い。ベンチャーの出口戦略の幅を持たせ、ハードルを下げることができたら、さらなる新陳代謝を促し、新しい企業が生まれる土壌ができるであろう。

「風と一緒で出口が広くないと入り口から入って来ない。スタートアップのM&Aを数多く手掛け、全体量が増えることで質に代わっていく。日本からグーグルやフェイスブックが出てくるように貢献したい」と荒井は目を輝かせて語った。

 今、新型コロナ感染症が猛威を振るい世界経済を停滞させている。しかし、巣篭り需要でアマゾンなどネット通販が伸びている。企業も販売方法など環境に合わせて変わらないとこれからは生き残れない時代だ。中小企業もデジタルトランスフォームするチャンスととらえる企業が伸びるに違いない。新しい領域に手を伸ばす際にM&Aが積極的に活用されることだろう。ストライクの今後の活躍から目が離せない。

「M&Aといったらストライクだよねと1番に言われる会社になりたい」と荒井は今後の夢を語る。

 先述の「2025年問題」が示す通り、今後も国内M&A市場は事業承継案件の増加が見込まれる。さらなるシェア増大は至上命題だが、現在は、事業承継以外のスタートアップ企業の株式上場に代わる出口戦略としてM&A市場の開拓にも注力している。

 日本は少子高齢化で国内市場が萎んでくると閉塞感が漂ってしまう。そうしないためにも新産業が生まれてこなければならない。その担い手は既存企業ではなく、スタートアップ企業が主役になるだろう。

 日本も起業のハードルは下がってきたが、株式上場のハードルはまだ高い。ベンチャーの出口戦略の幅を持たせ、ハードルを下げることができたら、さらなる新陳代謝を促し、新しい企業が生まれる土壌ができるであろう。

「風と一緒で出口が広くないと入り口から入って来ない。スタートアップのM&Aを数多く手掛け、全体量が増えることで質に代わっていく。日本からグーグルやフェイスブックが出てくるように貢献したい」と荒井は目を輝かせて語った。

 今、新型コロナ感染症が猛威を振るい世界経済を停滞させている。しかし、巣篭り需要でアマゾンなどネット通販が伸びている。企業も販売方法など環境に合わせて変わらないとこれからは生き残れない時代だ。中小企業もデジタルトランスフォームするチャンスととらえる企業が伸びるに違いない。新しい領域に手を伸ばす際にM&Aが積極的に活用されることだろう。ストライクの今後の活躍から目が離せない。



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