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トピックス -企業家倶楽部

2020年06月27日

コロナ禍の中、物語コーポレーションのBSE危機突破体験に学ぶ!―――鍵は、なすべきことをなしておくことだった!/物語コーポレーション 社友 臥龍 こと 角田識之

企業家倶楽部2020年8月号


5月26日をもって、コロナウイルス禍の緊急事態宣言がようやく解除された。しかしウイルス自体が消えたわけではない。しばらくは、ニュー・クラスターを伴いながらのウィズ・コロナ(共存)時代の幕開けだ。この前例のない危機に遭遇し、各社それぞれに危機突破を図られてきたことだろう。外食産業の雄・物語コーポレーションが、BSE(牛海綿状脳症・通称:狂牛病)ショックに巻き込まれ、倒産の危機に瀕した時、それをどう切り抜けたのかの事例は、各社の危機突破や危機管理の参考になるはずだ。



外食産業の雄・物語コーポレーション

 1949年創業の物語コーポレーション(以下同社と略す)は、昨年の創業70周年を経て全国に 515店舗、グループ年商589億、総従業員数26000名まで発展してきた。その中では2度、倒産の危機があった。

 一度目は、現特別顧問の小林佳雄が2代目社長に就任後に低迷した時。二度目は、2001年に勃発したBSE問題であるが、後者はタイミングが悪かった。好調な焼肉店での上場を狙い、半年で20店舗もの出店に着手した段階。従業員数も100名から200名規模に倍増したタイミング。小林の「今のコロナショックも大変だが、BSEショックに比べたら全然大丈夫」という言葉を聞いて、20年前の危機の大きさを感じると共に、どうやって未曾有の危機を乗り越えたかを聞きたい。これが取材のきっかけであった。



危機突破の根本は?

 先に結論から書く。こう書くと身も蓋もないかもしれないが、危機突破の根本要因は、日頃からなすべきことをなしておくということだった。偶然の勝利に見えることも、よく見ると必然ということだ。

松下幸之助の不況克服の心得10ヶ条

第10条:日頃からなすべきをなしておく

 不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられるように、日頃からなすべきことをなしていくことが必要である。

 小林が日頃からなしていたこととは、以下の3点であった。

1.ぶれないトップとしての姿勢

2.常に攻めの経営。中でも業態開発

3.活力ある人創りと風土創り、

 一つずつ解説してみたい。


危機突破の根本は?

1.ぶれないトップとしての姿勢

 図1は、小林の心の幸福度グラフだ。第1回目の倒産の危機の時は、幸福度はどん底だったが、それ以上の危機であったBSEの時は、幸福度は絶好調。これは何故か?本人は、「人生はひとりぼっち」ということが胆に落ちたからと言う。

 臥龍が解説したい。臥龍は小中学生を対象とした「志授業」で、「一人ひとりが人生経営の社長。自分の人生は自分で決める」ということを伝えている。人生経営も企業経営も社長が意思決定をする。意思決定したことに責任を取る。これを大変と思うか、ワクワクすると思うか?後者が経営者マインドだ。小林はよく「荒野にすっくと、かつ堂々と一人立つ」という言い方をする。臥龍はそれを「美学」と評した。社長学においてやり方も大事だが、非常時には「美学」が問われる。ロシアと戦った日本海大海戦、敵の砲弾が飛び来る中、艦橋にすっくと立つ連合艦隊司令長官・東郷平八郎の姿を見て、周りは奮い立った。

 危機にあたって、事実は隠さない。しかし、姿勢は堂々としている。小林の、このぶれない姿勢があってこその危機突破であった。逆に、危機に当たってトップがおろおろしていたら、危機が現実化してしまう。普段からどういう「美学」を持っているかが問われるのが、非常時だ。



2.常に攻めの経営、中でも業態開発

 BSEの時、同社を救った一杯のラーメンがある。名前は「肉そば」。焼肉で上場を目指していたが、業態開発の手は緩めていなかった。BSE騒動の3ヶ月前にオープンした丸源ラーメンがバカ当たりした。ラーメン店で月商三千万、ありえない数字!焼肉では銀行が融資をしてくれないということで、契約をしていたFC店オーナーに、「ラーメンに転換して下さい」と口説いて回った。多くのオーナーが合意してくれ、危機を乗り切った。「勝利の女神は常に攻めている者にのみ微笑む」。これは多くの企業の盛衰を見てきた臥龍の実感だ。



3.活力ある人創りと風土創り

 同社の人創りの基本は、「自己開示・意思決定・議論」である。自分自身を堂々と語れること。意思決定の機会から逃げない。意思決定の量稽古により勘が磨かれ、意思決定が外れなくなる。そして議論。課題に対しては、最善の答えが出るまで議論する。

 メガバンクが融資を引く中、検討してくれたのが地銀や信金だった。それでも二の足を踏む。小林は、「どうか弊社の社内会議を見てください」と、銀行マンを自社の経営会議や店長会議に誘い、オブザーバーとして出席してもらった。銀行マンは驚いた。特に店長のような現場の方々の意思決定の強さと議論の活発さを目の当たりにして、「この会社は大丈夫だ」と確信したそうだ。社内会議を見学させたことが融資の決め手とは実に珍しいが、これも「日頃からなすべきことをなしておく」ことの一つだろう。


3.活力ある人創りと風土創り

平時の備え「危機予測会議」

 BSEショックもあって、同社が力を入れているのが「危機予測会議」だ。これは毎月開催され、出席者は約30名。出席者は固定されていない。各人が事前に、「これは放置しておくと危険だな」「ちょっと気になる。引っかかる」という気掛かりリストを提出する。

 図2に見る通り、事柄には四つある。AC業務:重要で緊急なこと。AD業務:重要で緊急でないこと。BC業務:重要でないが緊急なこと。BD業務:重要でも緊急でもないこと。会社が大きくなると、決める事柄も多くなる。会議が報連相と承認になりがちだ。しかし本来本当に重要なことはAD業務、未来に起こりそうな危機を芽の内に摘むことだ。今は繁盛しているけど、この業態って劣化が始まっているのじゃないか。最近、ある店のアルバイトの元気がないなど、あらゆる潜在的な危機を拾い出す。

 この会議で重要なのは量。小林は、「量を出さないやつは出席するな」と言うくらいだ。量を出そうという意識が、潜在的な危険まであぶり出すからだ。この集まったリストの中から、「重要で緊急でないもの」を選ぶ。更に討議の優先順位付けをして、会議当日を迎える。

 そして、会議の場で重要なことは越境行為だ。よく何々業の常識は世間の非常識、灯台もと暗しといわれる。本来、管轄外の部署だから、“あれ、これおかしいな”とか“もっとこうしたらいいのでは”は、よく見えるものだ。しかし一般的に、日本の企業では、「よく分からん奴が口を出すな」「他の部署に直言して嫌われても損」という空気感がある。が、同社には、部署を超えた越境行為こそ大事という社風がある。これも「自己開示」により、お互いの違った価値観を認め合う体質が根底にあるから可能なのだ。

 危機管理の定石として、「たまごは一つの籠に盛るな!」がある。臥龍の顧問先でも、コロナ禍のダメージが比較的少ないのは、都市型と郊外型に店舗がある、店頭と通販がある、BtoB業務とBtoC業務があるなど、分散が出来ている企業だ。同社も、BSE危機の後、業態の多角化を積極的に推し進めてきた。



動乱期のほめ言葉は「狂気」

 最後に、日本の歴史を振り返れば三度の動乱期があり、新しいタイプの勝者が生まれた。例えば戦国時代の織田信長、幕末維新の高杉晋作、戦後復興期の本田宗一郎。共通しているのは常に攻めの姿勢。守りに入ると消えていくのが動乱期だ。織田信長、二千の軍で三万の今川義元に挑んだ。高杉晋作、徳川幕府に帰順しようという萩の主流派二千に対して、下関で一人立った。浜松の町工場同然のオートバイ屋が、当時世界最高峰のイギリス・マン島のTTレースに挑む。無謀と言われた本田宗一郎、「やってみもせんで何が分かる!」と切りかえし、7年目には完全優勝を果たす。仮に今回を四回目の動乱期としたとき、「狂気」をほめ言葉に変えた企業家が台頭するだろう。温故知新、動乱期にV字回復した集団、それを率いたリーダー像は、今を生きるテキストになる。本誌で、「伸びる企業家は、歴史や偉人に学ぶ」を連載している臥龍としては、歴史には学ぶ価値ありとお伝えしたい。

 最後に、臥龍の心に残った正直な吐露がある。小林の言葉だ。「BSEのとき、頭では分かっていても、自分に出来なかった大きなことがある。それは固定費の削減、中でも人の問題。数字を見ていたら手を付けなくてはいけない。しかし、元の平常時に戻ったとき、人を大切にというのは同社の一番大切なコンセプト、その神話の崩壊。これにビビった。しかし、それを先にやってくれた部下がいた・・・」。そのときの小林の遠くを見る目、それは、“あれは想定外でしたという言い訳を絶対にしない経営をする”という決意のときを、改めて想起する目に思えた。縁ある皆さまが、今回のコロナ禍を経て、更に強くV字回復されることを祈念したい。

「自分に克つから環境に勝つ」臥龍



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