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トピックス -企業家倶楽部

2020年08月27日

世界を変える「盟友」たち

企業家倶楽部2020年10月号 ユーグレナ特集第4部 ユーグレナを支える仲間


出雲の熱にほだされ集まった仲間たちは皆、それぞれの個性を活かし、補い合うように出雲を支え続ける。出雲の周りにはいつも、出雲がユーグレナに魅了されたように、出雲に魅了され、ユーグレナの先にまっすぐと見据える夢を共に追いかける仲間たちがいた。(文中敬称略)






本田宗一郎を支えた藤沢武夫になりたい/取締役副社長 COO ヘルスケアカンパニー長 リアルテックファンド代表 永田暁彦 Akihiko Nagata

 新卒で元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞が立ち上げたインスパイアに入社した永田暁彦。最初に担当したのがユーグレナの投資案件だった。当時のユーグレナは立ち上げて2年目、協力会社の支援が止まり、崖っぷちの状態だった。

 しかし「ミドリムシで世界を救う」という志を掲げ奔走する出雲は輝いていた。「この人の役に立ちたい」と思った永田は、担当として全力で打ち込んだ。出雲からは「ウチに来ないか」と何度もオファーがあり、社外役員を経て、2010年正式にユーグレナに加わった。

 当時はIT系を選ぶ人が多かった。そんな中、リアルなモノづくりで、世の中に貢献しようとチャレンジするユーグレナに共感できた。技術開発の鈴木健吾も営業の福本拓元も同世代でいいチームだった。出雲に惚れ込み、自分の人生を賭けたということだ。

 12年にマザーズに上場を果たしたが、永田がいなければ成しえなかったであろう。出雲が表でミドリムシの可能性を布教、事業化に邁進するなら、事業戦略、資金調達、広報・IR、管理部門の統括など一切を引き受け、支えてきたのが永田である。実際、永田がいなければこのスピードでここまでの成長はできなかったであろう。

 これまで一番大変だったことを問うと「株式上場して13年ごろ、売上げ十数億円のユーグレナに、時価総額2000億円以上の値がついたとき」という。市場の期待の大きさに責任感をひしひしと感じたと語る。「出雲は天才」といってはばからない永田。「出雲が今の自分を創った」と語る。

 わが社の強みはユーグレナの組織と強調する永田、社会課題解決という目標を最上位に掲げ、頑張れる組織こそが最大の強みなのだと。

 課題は「ここ2、3年は大人の会社になってしまった。出雲の野性味が無くなってきたこと」そこで2年前に『出雲の野生化プロジェクト』を宣言、実践した。半年で止めたが、最近は当初の頃の野性味が戻ってきたと笑顔を向ける。

 出雲には高い視座から社会の課題解決に、突っ走って欲しい。数値目標や利益追求型では他の会社と同じ。ユーグレナにしかできない独自性でチャレンジし続けなければ、この会社にいる意味がないときっぱり。

 今はまだミドリムシの便益認知が低いと語る永田。ヤクルトやカルピスのように多くの人がその価値を想起できるまで行っていない。名前は知っているが・・・というのが現状だ。もっとミドリムシの便益認知を高めることが必要と。そのための手は着々と打っている。目指すは独自の技術や商品で、世界に貢献するグローバル企業、ヤクルトや味の素のような会社である。

 本田宗一郎という天才を支え続けた藤沢武夫のようになりたいと語る永田。「出雲は世界一の経営者になると信じている。自分が追い付いていない時はいつでも振り落として下さい」と。そこには出雲を生涯支え続けていくという強い覚悟が見てとれた。出雲40歳、永田37歳とまだ若い。この異能のコンビでどこまでいくか、楽しみだ。







面白い宿題や課題をくれるパートナー/執行役員 研究開発担当 鈴木健吾 Kengo Suzuki

 鈴木と出雲の出会いは1999年4月。東京大学でのビジネスコンクールを運営するサークル活動だった。社会を良くしたいという思いを抱きながら、学生生活そのものも奮闘している出雲の姿に強い意志を見た。出雲と共に行動することで鈴木自身にも変化が起こり、それを興味深く観察していたのはいかにも技術畑の鈴木らしい。

 それまで魅力的な人物とは、才能や容姿であると思っていた鈴木。出雲を見て人間の魅力とは多様なものだと気づかされたという。

「話していると惹きつけられる。この人なら社会を変えるのではないかという期待ができる。出雲との出会いで、人を見ることの視野が広がりましたね」

 在学中の2002年に出雲からミドリムシの大量培養で産業利用の話がもちかけられる。ビタミンAが不足しているバングラデシュの子供たちを見た出雲が、なんとかしたいというのだ。ふたりで取り組み、石垣島で世界初のミドリムシ大量培養を05年に成功。その後、業界を牽引し続けているのは周知のとおりだ。

 鈴木は「面白い宿題や課題をくれる人」と出雲を評する。無理難題を丸投げされているのではなく、正解への道筋が不明の中、一緒に解決していこうと思わせてくれる。必要な足りないものは出雲が調達してくるし、仮説と検証、そこから導き出される可能性と提案は鈴木が行う。文字通り未開の分野を開拓してきたふたり。さぞかし熱くぶつかりあったのかと思うと「ケンカはしません。私は20代の頃から怒った記憶がないんです。怒ることで状況が良くなることってないですよね」と淡々と語る。熱意をもって淡々と語る鈴木は、出雲とはまた違うタイプの破天荒さであり、天才なのだ。ふたりの天才が異なる視点で、課題に真摯に果敢に取り組む。その姿は何かに夢中になっている少年のようだ。解決が導き出されないわけはない。

 ミドリムシの可能性はまだ終わらない。

「私が会社からもらっている報酬はおカネだけではなくて。ミドリムシは人にとって有用な素材ですが、ミドリムシにとらわれすぎず。それが真の報酬なんです」

 ミドリムシは59種類もの栄養素を含み、エネルギーとなる油を蓄えることができ、細胞の増殖促進や活性化の効果もある。見据える市場はヘルスケアだけでも巨大だ。

「自分たちにしかできない手法、新しい技術で、社会を良くし、一緒に向上心と好奇心を満たしていく。そんな関係が続くことを願っています」と出雲へのメッセージ。

 出会った頃から、出雲という価値ある人間の時間を分けてもらうには、自分も提供できるものがあるように、ギブアンドテイクを心がけている。

「お互いを理解しあえて、パフォーマンスの高い状態を維持できる人が一番です。私は出雲の知恵袋という一番面白いところのパートナーをやらせてもらっています」







芯のぶれない真の企業家/執行役員 ヘルスケアカンパニー営業担当 福本拓元 Takuyuki Fukumoto 

「今後、この人とは付き合うことはないだろう」。出雲と初めて会った時、福本はそう思った。今でも忘れられないほど強烈な初対面となったのは、2004年7月、日本の青年会議所と中国の青島市政府、経済団体が共催する会議の場であった。

 運命としか言いようがない。その夜に開催された会食の席で偶然にも二人は隣り合わせに座ることになった。「会議には遅れてくるし、生意気なことを言うし、態度はでかい。なんて人だ」と思いながらも、福本は出雲と名刺交換をした。

 当時、福本は母親が経営するクロレラを使った健康食品会社の専務取締役という立場だった。名刺を見た出雲は、「クロレラですか。私がミドリムシの培養に成功したら、クロレラなんて一瞬でなくなってしまいますよ」と言い放ったのである。しかし、2次会の席で出雲への印象がガラッと変わった。

 それは、出雲の夢を聞いた時だ。

「30歳までにミドリムシで宇宙に行くことです」。こう、真面目に話す出雲を「ひょっとしたら偉人かもしれない」と思った。

 出雲自身も、福本の圧倒的な「人に入り込む力」に魅せられていた。出雲は創業企画書に、福本の名前を役員の欄に、母親の会社は株主の欄にそれぞれ入れて作り、福本に提示したのだ。

 福本は驚きながらも、「何か面白いことができるかもしれない」と、出雲と一緒に事業を始める決意を固めた。

 創業以来、営業面全般を担ってきた福本。ここに至るまでは、きつい時期もあったという。資金がショートしかけて、「3カ月間で黒字化できなければ、会社を辞める」と宣言し、出雲や周囲を驚かせたこともあった。「自分を追い込むためだった」と振り返る。

 福本をそこまで動かしたのは、出雲を世界一の社長にしたい。ユーグレナを世界一の会社にしたいという思いだけだ。

 2年前からは執行役員という立ち位置でヘルスケアカンパニーの営業全般を任されている。会社全体がいま一度、同社の創業の精神に立ち返り、再度、アクセルを踏み込む時期であると認識している。あの創業企画書にあった栄養問題と環境問題を真正面から見据え、取り組んでいく意気込みが福本の言葉に込められていた。

 創業以来、出雲をずっとそばで見ている福本は、出雲とソフトバンクグループ会長の孫正義と重なるときがあるという。誰もが無理だと思っていることや、可能性が低いと思っていることを、100%できると思ってやる気満々で本気で言っている。純粋な少年が夢を語るようにストレートに発する言葉は、いつしか周りを巻き込んで、一つひとつ実現していっている。こういう人が世の中を変えると実感した福本。

 東証一部上場を果たした時、出雲、鈴木、永田との食事の席で話した夢を忘れていない。「人々にミドリムシの良さを伝え、ヘルスケアカンパニーとして1兆円を超えたい」。コミュニケーション力と営業力で道を切り拓いてきた福本もまた、少年のような瞳で大きな夢を語る。







貧困をなくすという同じ想いを持った同志/執行役員 海外事業開発担当 佐竹右行 Yukoh Satake

「役員も社員も皆で止めたが聞かないくらい強い想いがある。普通ならリスクを考え上場企業の社長が治安の悪い難民キャンプには行きません。現地でも暑いのにいつも緑のネクタイとスーツを着て、ユーグレナ入りクッキーの段ボールの荷下ろしを率先して何時間もしていました」と海外事業開発担当の執行役員佐竹右行は真っ黒に日焼けした笑顔で出雲とのエピソードを語る。

 ユーグレナは食品から化粧品、バイオジェット燃料の開発など研究者も多く、実に多種多様な経歴を持つ社員が存在する。その中でもユニークなキャリアを持っているのが佐竹だ。

 もともとはバリバリの証券マンとして19年間野村證券に勤務後、2社の株式上場に携わった。ある意味、人が羨むような資本主義の恩恵を授かった訳だが、佐竹にはどうしても腑に落ちないことがあった。世界でもトップの頭脳を持つ金融業界の先鋭たちが考えた最新の金融工学をもってしても、定期的な恐慌を止められない。その度に公的資金を使って再建し、高給をもらっている。そんな業界に身を置きながら、「何かがおかしい」と感じていた。

 一方で貧困の国バングラデシュで無担保で数千から数万円融資をして、回収率は97%ととても信じられないことを実現している人物がいた。貧しい人々に無担保で少額の融資を行うマイクロファイナンスの実態を見たくなり現地に飛んだのが10年前。一時的な援助ではなく、自立を促すための援助はよく「魚を与えるよりも釣竿を」と例えられるが、それを信じて地道に継続することでムハマド・ユヌス氏はグラミン銀行を成功へと導いた。

 佐竹は食品メーカーに身を投じ、バングラデシュで、もやしの種子(緑豆)を栽培する新規事業を立ち上げ、グラミン銀行と合弁会社を設立し、農民の所得向上と生活改善を目指し奔走してきた。

 しかし、勤めていた食品メーカーの株主が変わり海外事業から撤退しなければならなくなった。目の前に貧困で困っている人がいる。さらに多くの協力者の期待を裏切ることはできない。そこで、佐竹は「何があってもバングラデシュでの緑豆事業は止める訳にはいかない」と協力を求めたのが、同じバングラデシュで小学生にユーグレナ入りクッキーを配布していた出雲であった。

「すぐに私たちを受け入れることを決断してくれた経営陣に感謝しています。チャンスをもらえたことが嬉しかった」と佐竹は入社の経緯について語る。

 長期にわたるバングラデシュでの事業立ち上げやグラミン銀行との提携など豊富な経験と人脈を持つ佐竹がユーグレナに加わったことで、「貧困をこの世からなくす」という出雲が学生の時に描いた夢の実現に向け加速している。

 2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行創始者のユヌス氏は、出雲にとって学生の頃からの憧れの存在である。10年前からユヌス氏と共同事業を立ち上げてきた佐竹はユヌス氏が来日した際に出雲との面会をセッティングした。

「社長はユヌスさんとの思い出のTシャツを今でも持っています。それを見るとユヌスさんがノーベル平和賞を受賞するまでの苦労を思い出し、何があっても乗り越えられる気がすると言っています」と出雲の変わらぬ純粋さに感心するという佐竹。

「親子ほど年齢差はあるがそれはまったく気にならない。貧困をなくすという同じ想いを持ったもの同志だと感じています」







常に覚悟を決め切る先覚者/執行役員 バイオインフォマティクス事業担当 ジーンクエスト代表取締役 高橋祥子 Shoko Takahashi

「会う前の印象は堅い人だと思っていましたが、話してみると柔軟で面白い人でした」。そう微笑みながら話す高橋はユーグレナ執行役員だけでなく自ら起業したジーンクエストの社長を務める。

 出雲との出会いは高橋が学生の頃、出雲が講演に訪れた東京大学の学園祭。その場では挨拶程度であったが、その後、ユーグレナの顧問も務めたリバネス代表の丸幸広が出雲と高橋を改めて引き合わせたのだった。

 東京大学大学院で遺伝子解析を活用した研究をしていた高橋は「研究成果を社会に持続可能な形で発展させられる仕組みをつくりたい」と考え、2013年、25歳の若さでジーンクエストを起業。出雲と出会ったのは14年、起業して間もない頃であった。就職経験もなく在学中に起業した高橋。出雲をはじめ、同じく丸に紹介されたユーグレナ副社長の永田など、先輩経営者に相談しながら、ベンチャー企業の舵取りをしてきた。

 ジーンクエストのサービスは遺伝子解析サービスの提供であるが「まだ世の中に浸透していない遺伝子検査というものを広げていくためにはどうしたらいいのか」と高橋は悩んでいた。社外の講演会などでユーグレナの役員と顔を合わせることが多かった高橋は、ユーグレナが健康志向の高い顧客に対して新しいものを提供しようと考えているとの話を聞いた。

 ユーグレナとは、「研究も大切にしつつ、サイエンスの力でこれまで世になかったものを社会に出していく」という共通点があったこともあり、17年、高橋はジーンクエストとともにユーグレナグループの一員となることを決めた。「誰でもいいわけではなく、想いが一緒で信頼できる経営者の仲間が増えたのは大きいです」と高橋はグループの一員となった喜びを語る。

 経営者として様々な困難に遭遇し、悩むことも多かった高橋。ある時、「葛藤は無いのですか」と出雲に聞くと「葛藤なんてない」という答えが返ってきたという。

「『これをやりきるまでは悩まない』と先に決めている。つまり覚悟を持っている」と高橋は出雲がそう思うに至った背景を読み取る。出雲がやりきるまで迷いを持たないことを無意識に先に決め切っていると気づき、そこから悩むことがなくなった高橋。「本当に良いのかと悩んでいたのですが、そんな悩みは無意味だとわかりました」。先に自分がやりきると決め、良い未来に対して覚悟を持つことを出雲から学んだ。「例えば今日が人生最後の日となったら、色んなことを考えて全身全霊で臨むと思うのです。でも、ありきたりな毎日だとそんなに何も意識せずに過ごす人の方が多い中で、一つひとつに覚悟を持っていく習慣づけをしようと思ったのは出雲がきっかけです」。

 18年よりジーンクエストとユーグレナはオフィスを共にするが、社内より社外で出雲と仕事をすることが多い高橋。ユーグレナの一員となり「言いたいことを言えなかったら」という不安を抱いていたという。その不安は必要ないどころか、「私みたいに出雲にも永田にもずかずか言うと普通の会社だったらクビになってしまうかもしれません」と高橋は笑いながら話す。出会った当初、ジーンクエスト創業間もない、8歳年下の高橋にも先輩面をせず、いい意味で対等に話してくれた出雲。そんな出雲に高橋は「今後偉くなっても、今のように柔軟でいてほしい」とメッセージを送った。



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