MAGAZINE マガジン

【私の宝箱】ランクアップ 社長 岩崎裕美子

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

「50歳で100億円企業」と記したメモ/ランクアップ 社長 岩崎裕美子

「50歳で100億円企業」と記したメモ/ランクアップ 社長 岩崎裕美子

 ランクアップを起業する前の話です。私が30歳の頃、小さな広告代理店で取締役をしていました。社員は15 名で年商は15 億円ほどでしたが、クライアント企業の売上げに貢献し、そして自分たちの会社も大きくしたいと、がむしゃらに働いていました。

 企業経営は「有言実行」です。未来の計画を立てることが重要だと思い、「売上げ100億円企業にする」と決めました。100億円を達成するためには、広告代理店事業の他に、自社のオリジナルのメディアを作り、さらに通販も始める計画を立てました。

 振り返れば、何年後に「英語の資格TOEICで何点取る」や「ゴルフのスコアで100切りをする」など、自分が何歳の時までに何をするのか目標を決め、逆算して挑戦することが以前から好きでした。

 結局、その広告代理店では社員20名年商20億円までは出来たのですが、社長と経営方針が合わなくなり、退職して別の道を進むことにしました。長時間労働が当たり前の社風で提案しましたが変わりませんでした。。女性は結婚や出産するとどうしても長時間労働が出来なくなります。そこで、一生活躍できる会社を作りたいと思いランクアップを起業しました。

 2年ほど前に荷物を整理していたら、偶然に古いノートを見付けました。「独立」とだけタイトルがあり、ページを開くと1枚目に「人生の目標 29歳 創業、50歳 100億円企業」と殴り書きされてありました。今の会社を創業し、目標であった50歳を1年前倒しして49歳の時に売上げ100億円を達成できていました。その時に、「描いた夢は叶っていた」と感動しました。

 お客様に本当に良いものだけを届けたいと作った化粧品メーカーなので、以前の広告代理店のように前年比何割増といったような売上目標は立てていませんでした。堅実に積み上げていければいいと考えていました。その結果が100億円でした。メモを記した時と会社は変わりましたが、目標としていた企業規模になっていました。改めて、書いたことは実現するのだと驚くと共に嬉しく思っています。

 なぜ将来の目標を立てるようになったのかというと、22歳の時に地元が同じ中学校の先輩が突然、高級なオープンカーで私の職場に現れました。彼は起業し大成功を収めていました。身近な人が、誰にでも出来ることを誰も真似できないくらい回数をこなしていたのを知っていました。コツコツと地味な積み上げが成功に繋がるのです。その時に、私は羨ましいのに努力するのを諦めていたことに気付いたのです。どうせ出来ないと言い訳をするのではなく、「私も挑戦したい!」と強く思いました。チャンスは誰にでもあるのです。

 売上げが80億、90億と目標にしていた100億に近づいてくると、数字は通過点になりました。現在は、さらなる将来の大きな目標が見えてきました。私たちのミッションは、「たった一人の悩みを解決することで、世界中の人たちの幸せに貢献する。」ことです。

(企業家倶楽部2021年9月号掲載)

一覧を見る