会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
東大発の数理系ベンチャー
最近、「AI(人工知能)」という言葉をよく耳にする。iPhoneの「Siri」や、グーグルを含む各社が販売している「AIスピーカー」、エアコンなどの家電にも当たり前のように搭載されている。ユーザーの好みの傾向を把握し、より最適なサービスを提供してくれる。
東京大学の数理系分野では初となるベンチャーとして、2016年に設立されたArithmer(以下アリスマー)。「Arithmetic(算術、数学)」の造語が社名の由来になっているとおり、現代数学を応用し、「AI」を使った新しいシステムを開発。それらを様々な企業に導入し運用する、B2Bのビジネスを展開する。社長兼CEOで、東京大学大学院の特任教授も務める大田佳宏は、30年間AIを研究し続けている第一人者だ。
もともと、AI自体の研究は50年以上前から行われていた。POSデータを基にした商品陳列などの「データマイニング」は、ビッグデータの先駆けとも言える。スーパーマーケットでオムツの横にビールを陳列すると売上げが伸びるというエピソードは有名だ。週末に買い物を頼まれた父親が、自分のご褒美にビールも買ってしまうという。
近年、コンピュータの性能が向上し、アルゴリズムや数学を駆使したソフトウェアがきちんと動作するようになったことも、「AI」を耳にする機会が増えた一因である。
社会的意義のあるサービス展開
アリスマーの展開する開発システムの中から、いくつか事例を挙げよう。
まず3Dモデル技術を導入したモデリング事業では、人体の細部まで表現することに成功した。紳士服販売のコナカと提携し、ワイシャツやスーツをオーダーメイドできるサービスを発表している。
利用者は専用アプリをダウンロードし、身長、体重などの基本情報を入力。そして、人型の枠に収まるよう、前後左右の四方向から全身を撮影する。登録されたデータから、AIが数千人分の体型 データを基に、ミリ単位で肩幅や腕周りなどを計測するので、自分にぴったりの服を注文できる。撮影は普段着のままで行えるので、基本情報の入力から撮影まで、数分で終えられることも利点の一つだ。
次に画像解析事業では、静止画を活用したシステムを開発。三井住友海上火災保険では、事故画像に写っている自動車の損傷部分を認識し、最短一秒で修理費用を見積もってくれるサービスがある。また、飲料メーカー大手キリンビールの工場では、この画像解析システムを搭載したロボットが製品の品質管理を行う。このように、コスト削減や生産性の向上につながっている。
そして動画解析事業では、自動車の危険運転を抽出できるサービスを展開する。専用アプリをダウンロードしたら、自動車にスマホを取り付け、運転を録画する。AIが信号や標識を認識するので、信号無視や一時不停止、急なハンドル操作などの危険な運転をリアルタイムで診断。その瞬間の映像だけが抽出され、スマホに保存されるので、自身の運転を振り返ったり、タクシー会社や運送会社では、ドライバーへの安全指導に役立てられている。これが実用化されれば、近年増加傾向の、高齢者による事故の低減も期待される。
他にも、銀行などで活用されている光学文字認識システム(OCR)がある。他社のOCRの精度が5、6割なのに対し、アリスマーのOCRは独自の領域抽出、テキスト認識、文字分割を行い、8割以上の認識率を誇っている。最終的には、こうした全てのシステムを搭載したAIスマートロボットの開発を目指す。
アリスマーは現在、大塚製薬と提携し、糖尿病を治療する新薬の開発も進めている。薬の開発には、「神の手」と呼ばれる専門家が携わっているが、その技術の後継者がおらず、大量生産も難しいため、専門機関から認可されづらい現状がある。そこで、その技術者の動きをAIによってロボット化することで、「神の手」を再現。これにより、薬の大量生産が可能になり、今後FDA(米国食品医薬品局)に認可されれば、世界中への販売を実現できる。
情報の「量」より「質」を重視
こうしたサービスでは、AIに大量のデータを学習させる必要がある。ただ数が多ければどんなデータでも良いわけではなく、「質」が大切になる。例えば運転動画分析では、晴れ、曇り、雨などの天候で状況は変わってくる。様々な環境に応じたデータをまんべんなく学習させないと、偏りが出てしまうのだ。
どのようなデータを学習させるかを決めるのも、人とは限らない。人間だと、どうしても先入観や直感、その人の経験からしか判断することができないため、新しい選択が生まれにくい。「AIが掲示するのは、数値的に確証を持った選択。人からは生まれないものが出てくるのがAIの醍醐味です」と大田は言う。
現代数学をいち早くサービスに実装する
日本の科学技術の基礎は数学。しかし、数学は「理解ができない」と子どもにも敬遠されがちである。大田は、「その中で、数学が実際にビジネスやシステムを作るのに役立つことを見せたかった」と話す。
また、今当たり前のように使われているGPS機能は、アインシュタインの相対性理論やリーマン幾何学などの100年前の数学が応用されて作られたもの。ということは、このまま放っておけば、今研究が進んでいる現代数学が応用されるのは、100年先の未来になってしまう。「せっかく現代数学の分かる人がそろっているのだから、企業として立ち上げることで、いち早くAIの社会実装を実現できるのではないか」といった目的でアリスマーは設立された。
社員は現在50名程度。課題を与えるのではなく、「楽しく、やりがいをもつ」という風土の中で、自主的に勉強会を開いたり、学会に積極的に参加する社員も多い。大田は、「研究者・科学者だからこそできることに取り組みたい」と語る。
すでに国内外の有名企業などからは業務提携や出資の申し入れが殺到している。創業から3年未満のベンチャーとして極めて異例だ。この流れに乗り、数年内の株式上場を視野に入れている。
AIと言うと、「人間の仕事が盗られるのでは」という議論が出ることもある。結論から言えば、その心配をする必要はなさそうだ。どこにいてもAIが仕事をしてくれるので、会社の業績は上がる。そうすると、より会社の規模を大きくするために、企業は人員を削減するのではなく、創造的な仕事に人を充てようとする。
今後、日本は少子高齢化で労働力が減少することは必至だろう。AIに任せられるところは任せ、より人間らしい仕事を人間が担う。
「産業革命の時も自動化が進み、そういった議論もありましたが、結果的に仕事は増えました。その時のように、AI革命でも今はない新しい職種が増えていくと思います」と大田。小説や漫画などで夢見た「ロボットと人間が共存する未来」は近いかもしれない。
(企業家倶楽部2019年2月号掲載)