会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
吉野佳秀(左)と邉龍雄氏(右)
(企業家倶楽部2020年4月号掲載)
今から約50年程前の話です。私が30歳の頃に上京し、お金がなく貧しかったので岩手県盛岡出身の友人と大森のアパートを借りました。彼は銀行勤めをしていましたが、どうしても税理士の資格を取りたいというので「それなら東京に出てきたらいい」と私が声を掛けました。
男二人だけで何にもない寂しい部屋です。あるとき朝日新聞の日曜版に「幼い少女の絵」が載っているのを見つけました。岩手県盛岡市を拠点に創作活動をした画家、藤井勉さんの絵でした。同居人の彼と同郷である盛岡にゆかりのある画家だったので、新聞から切り抜き、部屋の壁に貼って眺めていました。
「いつかこんな絵を持ちたいね」と二人で夢を語りあっていましたが、当時はとても高価で絵を買うことは叶いませんでした。
藤井勉さんの絵は、郷里東北の大自然の中で成長する愛娘の姿を描いた油彩作品で知られています。確か3人の娘さんがいたはずです。
東京での同居生活も2年7カ月経った頃、その同居人の父親が病で倒れたと知らせがありました。田舎に帰ろうか悩んでいる彼に「何している。今すぐ帰りなさい」と諭しました。
彼は真面目な性格です。税理士になりたいという夢をあきらめ15年ほど家業を手伝っていましたが、「先輩、相談がある」と連絡がありました。
「冷麺屋を始めたい」というのです。東京暮らしの際も炊事担当は私でした。料理をしなかった彼に美味しい冷麺が作れるのか心配で「おい、命がけだぞ」と覚悟があるのか確認しましたが、「やりたい」という。
それでも気になり彼が作る冷麺の味を確かめに年に数回は盛岡を訪ね、他の店と食べ比べてはダメ出しをして帰ってきました。
しかし、3年ほどたったある日、改良を重ねた冷麺を食べてみると格段に美味しくなっていました。
「おいおい遂にできたじゃないか!やったぞ!」、彼の頑張りを認めてあげたかったので少し芝居がかっていましたが大きな身振りで褒めました。たまたまその日は、地元のテレビ局の取材が入っていたものだから、今でも彼の店の新入社員研修で、その時の動画が使われているそうです。
今では盛岡を代表する繁盛店になった冷麺屋「ぴょんぴょん舎」は私が若かりし頃、上京して同居人だった邉龍雄さんが開業しました。現在では、銀座の一等地に出店する人気店になっています。
邉社長がまた「先輩、相談がある」というので話を聞くと、「盛岡の本店の隣にギャラリーを作りたい」という。
邉社長も私も藤井勉さんの絵を数枚ずつ所有しているので、「今度は新聞の切り抜きではなく、本物の絵を飾ろう」と二人で話しています。
まだ若かりし頃、「いつかこんな絵を持ちたいね」と希望を語っていましたが、二人で夢を叶えられました。