会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2020年1・2月合併号掲載)
キネコ国際映画祭 フェスティバル・ディレクター2019年11月1日、第27回キネコ国際映画祭が華やかに開幕した。会場のニ子玉川エリアにはたくさんの子供たちの笑顔が溢れた。仕掛人の田平美津夫氏は、第1回目から獅子奮迅の努力を重ねてきた過去を振り返り、胸を熱くした。ここに至るまで言葉にできない苦闘もあった。キネコ国際映画祭に命を賭ける田平氏にその本音をうかがった。
問 まずはキネコ国際映画祭、盛会おめでとうございます。たくさんの方々に喜んでいただけましたね。
田平 今年で27回目ですが、約18万人の方々に来ていただきました。
問 27回目ということですが何時からスタートしたのですか。
田平 1992年からです。
問 どんなきっかけで児童映画に取り組むことに。
田平 映画が好きで高校時代から8ミリ映画を作っていました。ある映画監督とプロデューサーから子供映画祭をやってはどうかと。映画に関わることは私の夢でしたので、92年東京都児童会館で第1回を開催しました。お客さんは全く来なくて、600人の会場にたった5人でした。
児童映画はヨーロッパが進んでいる
問 残念な結果でしたね。当時はバブルで世の中的にはお金はあったんでしょうけど。
田平 ヨーロッパが子供映画に関しては盛んで、スウェーデンやドイツ、オランダ、チェコスロバキアは子供向けの映画がたくさんあります。それらの素晴らしいところは、普段親子で会話しづらいようなテーマをピックアップした内容で、観終わった後に、親子や先生、皆で話し合う教材になっていることです。クオリティが高く、見応えもありますし、エンターテインメント性もあります。未だに日本はこういうものが作られていません。
問 ヨーロッパは進んでいるのですね。
田平 子どもを育てるという意味で進んでいると感じます。
問 日本は寂しい限りですね。
田平 2年目も駄目でした。皆辞めていって、5年目、6年目で私一人になってしまいました。
子供たちの喜ぶ姿が原動力
問 よく続けてこられましたね。
田平 3年目くらいから私が作品も集める様になって、早くお客様で溢れる映画祭にしたいと、作品を選ぶ目、観せる工夫、日本人の親子が何を望んでいるかを考えました。
問 日本のお母さん方は何を望んでいますか。
田平 子どもたちが喜んで楽しむことと、賢くなることだと思います。
問 日本らしいですね。楽しいだけではなくて、賢くなる要素も必要だと。
田平 日本の映画業界は子供にアニメを見せることで盛り上がっていますが、賢くなる映画を親子で見に行く機会はありません。この映画祭を続けることは本当に大変でした。
問 よく27回も続けてこられました。田平さんを突き動かす原動力は何でしょう。
田平 いくつも理由があります。自分も小さい時に映画に救われて、映画に育てられましたし、自分が集めた作品を子供たちが食いつくように観ていると、やりがいがあります。自分の好きな映画に関わりながら社会貢献できているということがエネルギーになっていますね。
問 満席になって、来られた方が喜んでいるというのが1番の励みということですね。
田平 作っている時間や期間中は大変ですが、終わった後にアンケートを読むと「ありがとう」という言葉がいっぱいあって、それを見ると来年もっと良くしようと強く思いますね。
問 今や沢山応援する方がいて、戸田恵子さんらタレントの方が応援して下さっていますね。
田平 戸田さんは15、6年前から応援してくれています。最近は中山秀征さんや高橋克典さんら、色々な方が応援してくれています。
問 今年の上映作品で、お薦めはどれですか。
田平「テディとアニー」という作品です。25分の作品ですけど、音楽もストーリーも良くて、親子で涙する。0歳児も1歳児も良い映画はストーリーの意味が分からなくても、25分間見入っちゃう。それを知ってから、選ぶポイントが分かってきました。
問 選ぶポイントは何ですか。
田平 音楽、テンポ、描写など、完成度が高い映画は0歳児から観られる良い映画と気付きました。この作品をキンダ―フェストベルリンというドイツの映画祭で見て感動、日本での上映を交渉しました。
問 言葉に関係なく良い映画は世界共通なんですね。
田平 1歳、0歳の子どもが最後まで観たということに親ごさんが驚きます。
100年続く映画祭に
問 映画の力ってすごいですね。そういうことがあるから、田平さんも頑張ってこられたのですね。将来やってみたいことはありますが。
田平 この映画祭が50年、100年続くことですね。もっと大きくしようとか、タレントさんをたくさん呼ぼうとかと言うよりも、映画祭のファンの方が増えて、映画祭を運営する地域の方が増えるということが大切です。ベルリンやヨーロッパの映画祭のように歴史ある映画祭として育っていってもらいたい。
問 まだこの存在を知らない方が多いのでは。
田平 今年は戸田恵子さん始め、タレントの皆さんがメディアなどに働きかけて下さり、驚くほどたくさんのメディアで紹介されました。やっと子供映画部門が認知されてきたと。東京国際映画祭の中にも子供部門が出来ました。
問 小さな子供にいいものを見せることは人間形成にも重要ですね。感動する何かに出会えるというのは大きいですよね。
田平 中には少し毒があったりします。楽しいだけじゃないんです。生きていくうえで必要な色んな経験を映画から学んでもらえるストーリーがたくさん詰まっています。プログラムに、1歳からとか3歳からとか書いていますが、うちの子供はこれで賢くなったと思えるくらい、メッセージの強い作品が多いですね。
問 メッセージ性は重要ですね。
田平 今年はドイツ、イタリア、フランスなどを回りましたが日本では見ることが出来ない作品を沢山目にします。日本では親子で観られる短編が上映されることがあまりありません。
問 それが日本の監督さんが児童映画をつくらない理由でしょうか。
田平 韓国ではたくさん作られていて、将来有名な映画監督への登竜門となっています。日本は遅れている。そこでキネコで日本の映画監督を育てようと取り組んでいます。キネコ映画祭に応募すると、世界へのネットワークが広がりますよと。世界に飛び出していけるきっかけを提供できたらと思います。
問 素晴らしいことですね。アニメだけでなく子供向け作品を観たいですね。
田平 子供を連れてくる大人にこの映画祭のファンになってもらい、大人が見てクオリティの高さに感動する作品を集めています。
問 ヨーロッパはそういうチャンスも多いし歴史があるのでしょうね。
田平 ベルリンは60年。チェコのグリーンという映画祭が60年やっていますね。
多くのサポートに感謝
問 これまで1番苦しかったことは。
田平 第5回目くらいから今日まで、24時間映画祭のことを考えていますが、続けていくために、資金集めに苦労しました。
問 それでも続けてきたからこそ今がありますね。
田平 最近は沢山の方に応援していただけるようになりましたが、ここ3年間は悪夢のようでした。渋谷で初めて、どの自治体からの応援も、助成金もなく、自主開催しましたが、資金で苦労しました。東急レクリエーションに救われました。
問 こういうイベントは資金で苦労しますね。二子玉川での開催は何時から。
田平 3年前からですね。セコムさんはじめ多くの方々にサポートしていただきました。毎年救いの神が現れ、それが繋がり1つの組織的な輪になって、点が線になっていく。
問 それは頑張ってきたことに対するご褒美ですね。
田平 経験できないことをさせてもらっていると感じています。早く次の世代にバトンタッチしたいと思いますが。完成できるところまではやらないと。
問 課題はありますか。
田平 儲からないということです。この映画祭がブランドを持つイベントとして完成されれば、もっとスポンサーもつくと思うので、まずはクオリティの高い映画祭としてのブランドを作っていくことです。それには国際交流や日本作品の発信、メディア向けのユニークなプログラムとか教育的要素、地域連携などいろんなことがあります。それを毎年上げていかないと成功できない。
問 これから50年100年続けていくために、1番大事なことは。
田平 後継者作りです。1つ1つのスペシャリストを育て、スペシャリストが揃った時には本当に素晴らしい映画祭ができると思っています。