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【私のターニングポイント】ジャパネットホールディングス社長兼CEO 髙田旭人

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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社長を継ぐ覚悟が出来た瞬間

社長を継ぐ覚悟が出来た瞬間

(企業家倶楽部2018年8月号掲載)

 私のターニングポイントは、創業者であり父である明前社長から社長を引き継いだときです。本部長、専務、副社長、グループ会社の社長を務めてきましたが、その過程で何度も父と衝突してきました。会社の経営をしていたら意見の食い違いがあるのは、何も特別なことではありません。特に社長就任前の3年間は自分の意志を持って発言するよう心掛けていましたので、よくぶつかりました。

 意見がぶつかりながらも父からは「後継者はお前だよ」と言われてきました。あるとき、激しく意見が割れたことがありました。それこそ週に何度も親子の衝突はありましたから、何が原因だったか詳細は覚えていないほどです。

「そこまで言うなら自分でやってみたらいいじゃないか」と言われ、私も「分かった」と受けてしまいました。それまでも何度か社長交代について話をされていましたが、その時は少し違った感覚が残りました。私も「受ける」と言った以上、それではいつにしようと二人で話をしたのを記憶しています。

 私は以前から父が作った会社ですから、父が納得しないような状態で自分が奪い取るような真似はしたくないと思っていました。父がしてきたことに共感し、敬意を払い、いつかは自分が社長になると考えていました。

 しかし、あの時は「社員のことを考えたら、これからは自分が社長として社員を牽引しなくては」と覚悟が決まった瞬間だったと思います。

 例えば3年経てば、誰が見ても社長交代の時期が来るというものでもありません。どこかで自分が社長になるという「覚悟」を決めなければいけないと思っていました。当時、私はまだ35歳でしたが、年齢は関係なく自然に受け入れることが出来ました。

 ジャパネットには「覚悟の年」と呼び、最高益を出さなければ父が社長を辞めると宣言した年がありました。お陰様で公言した通り最高益を達成出来たのですが、その年の望年会(注)で「やっぱり2年後に社長を辞める」と発表しました。その半年後にどこかの講演会場で社長交代をさらに「1年前倒しする」と発言し、それがネットニュースに載りました。ネットで社長交代を知り、驚いた社員も多かったと思います。

 実際に社長になり3年半が過ぎましたが、経営に対する考え方の根っこは全て父から学んだと思います。社員に対する考え方やお客様に対する考え方は、幼い頃から父の背中を見てきました。「社長は社員数×5人の人生を背負っているんだよ」、「儲かるからやるのではない、人々が幸せになることをしよう」が父の口癖で、最も影響を受けています。

 父と私の両方をよく知る社員からは、これだけ意見の衝突があったり、仕事のやり方に違いがあっても、不思議と「よく似ている」と言われます。プロセスが違っても、ゴールが同じであるからでしょうか。目指しているところが一緒でも、親子では通る道が違うのは仕方のないことだと受け入れています。これまで私はお客様に対してこの判断が正しいか、社員のためになるかと「正しさの追求」を判断の軸にしてきました。

 しかし、創業者はまた違った視点を持っているようです。周りの人の表情だとか、目の前の一事象だけにとらわれず、その人は納得感を得られているのかなど、言葉にするのは難しいのですが独特な感覚があります。だからこそ、新しいものを創り、会社を発展させられるのだと思います。最近は、父が大切にしている価値観が少し分かるような気がします。正しさを超えた何かがあるように思います。

(注)ジャパネットホールディングスでは忘年会のことを「望年会」と呼ぶ

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