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【緑の地平】

寄稿コラム

Vol.62 科学的知見を「オオカミ少年」扱いしてきた日本

人間活動が原因、「 疑う余地なし」

 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が8月に公表した地球温暖化に関する報告書は、予想されたこととはいえショッキングな内容だった。産業革命前と比べた世界の気温上昇が「2021~40年」に1.5度に達すると予測した。前回18年の報告書では「30~52年」に達すると見ていたが、予測モデルを改良し、最近の山火事や豪雨、北極圏の氷河溶解などの変化を取り込んだ結果、10年程早まった。温暖化防止のための国際条約、パリ協定では「50年炭素ゼロ」を目指して取り組んできたが取組みの前倒しが改めて求められるだろう。

 IPCCの今回の報告書は冒頭で「人間の影響が大気、海洋、および陸域を温暖化させてきたのは疑う余地がない」と断定している。

 今年に入ってからでもカナダ、米西海岸の熱波、ドイツや中国・河南省での洪水、アルジェリア、ブラジル、ギリシャやトルコの山火事などの気象災害が各地で頻発している。日本でもこの数年、集中豪雨、それに伴う洪水、土石流などの被害が日常化している。

 IPCCは世界の気候変動にかかわる様々な分野の専門家が最新の知見を出し合い、コンピュータを駆使して精緻な分析をしており、その結果は数年に一度報告書の形で公表される。科学的知見に裏付けられた最も信頼性の高い報告になっている。

 地球温暖化が人間活動に由来していることは、これまでも様々な研究機関が指摘してきたが、今回IPCCが世界の科学者、専門家の英知を結集して断定した「人間犯人説」を私たち日本人は特に重く受け止めるべきだろう。

 地球温暖化対策へのこれまでの日本の取組みは欧米先進国との比較で見る限り決して褒められる内容ではなかった。特にEU(欧州連合)加盟国と比べると、炭素税やCO2排出量取引制度の導入、ガソリン車の販売禁止時期や電気自動車(EV)の導入計画、「炭素排出ゼロ」の達成日程などで、日本は周回遅れの状態にある。

 なぜ、日本の温暖化対策への取組みが遅れてしまったのかを考えてみると、「科学的知見」の評価に大きな違いがあるように思われる。

 イギリスなど欧米諸国は科学的知見に敏感で、政治家も経営者も気候変動リスクが指摘されると、直ちに中長期の対策を作成、実施する。これに対し、日本の場合は、科学的知見を「オオカミ少年」と受け流す傾向が強かった。地球温暖化などの気候変動リスクは、今日、明日のリスクではない。ゆっくり進行しながらリスクを蓄積し、50年後、100年後に突然暴発し取り返しのつかない大災害を引き起こすタイプが多い。このため政治家も経営者も足元の景気対策や利益追求に目を奪われ、気候変動リスクへの対応を先送りしてきた。

経営層も科学的知見を軽視しがち

 新聞社に在籍中の1990年代初め、科学雑誌「日経サイエンス」の編集長を務めたことがある。アメリカの科学雑誌「サイエンティフィックアメリカ」の日本語版だ。

 同誌はドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語など各国語に翻訳されている。各国語版の編集長がスイスのジュネーブで意見交換する機会があった。筆者が販売部数3万部達成に苦労していると報告したところ、各国版編集長から怪訝な顔をされた。ドイツ語版は30万部近く、フランス語、イタリア語、スペイン語版も15~20万部の販売部数だった。日本版の発売部数のあまりの少なさに驚いたようだった。人口数ではこれらの国より多く、高学歴者も欧米並みだし、自然科学分野でノーベル賞受賞者を多く輩出している日本でなぜ、販売部数が少ないのか理解できなかったようだ。

 欧米の場合、科学雑誌の読者は一般読者に加えて、経営者層の読者が多い。ビジネス雑誌を差し置いて「経営トップのデスク上には本誌が鎮座している」とアメリカの編集長は得意げに語った。科学雑誌はやり手の経営者のステータスシンボルの地位を占めている。日本の場合は逆だ。ビジネス雑誌は読まれても「日経サイエンス」を愛読する経営者はほとんどいない。この傾向は政治の世界でも同じだろう。日本の経営者や政治家に理系出身者が極端に少ないことも影響しているのかも知れない。

 日本の企業では、科学的知見に基づき中長期の環境リスク対策に取り組もうとすれば、「金食い虫のプロジェクト」として嫌われがちだ。立法、行政などの世界でも科学的知見を邪魔者扱いする傾向が見られる。東電の福島原発事故も、予想される最悪の津波に耐えられる頑丈な防波堤を造っておけば、被害は防げたはずだが、コストの関係で見送られた。猛威を振う新型コロナウイルスの感染対策も、科学的知見を軽視し、その場しのぎで対応してきたため、増加する感染者にお手上げ状態だった。

 今度のIPCCの報告書を機に、日本は科学的知見を「オオカミ少年」などと切り捨てずに、真正面から受け止め、中長期的視点に立って本腰で取り組まなければならない。

「人新世」時代 の生き方

 それともう一つ大切なことは、長い歴史の中で環境破壊が急激に進んだ「現代」をどう位置づけるか、という視点が必要だ。この点に関して「人新世」(ひとしんせい)というニューワードが注目されている。地球46億年の歴史を地質学は地層に残る化石などを調べて区分している。人類が地球を支配し、環境破壊などの形で地球の表面を覆い尽くした現代を特別に「人新世」と名付けよう、という提案が一部の地質学者から出されている。

 昨年9月出版された斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書)の中で、このニューワードが紹介された。同書は短期間にベストセラーになった。著者の斎藤氏は若手経済学者(経済思想史専攻)。破壊された地球環境を復元するためには、脱成長経済への転換が必要だとし、国連の提唱する「SDGs」(持続可能な開発目標)程度では気候変動は止められないと切って捨てる。過激な主張に戸惑う向きも多いが、論旨は一貫しており説得力ある。

 IPCC報告書も、「人新世」も人間活動が地球温暖化を加速させ、環境破壊の元凶であるとの認識では共通している。

一つの地球で生きる知恵

 別の言い方をすれば、世界の人々が欧米先進国のような生活を求めれば、地球は一つでは足りず、あと4つか5つ必要になる。しかし地球は一つしかない。一つの地球と寄り添い、破壊された地球を回復させるためには、地球に住む私たち一人一人が環境破壊型の意識、行動を本気で転換させる以外に選択肢は残されていない。


profile 三橋規宏 (みつはし ただひろ)
経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010年4月から同大学大学院客員教授。名誉教授。専門は環境経済学、環境経営論。主な著書に「ローカーボングロウス」(編著、海象社)、「ゼミナール日本経済入門25版」(日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「環境経済入門第4版」(日経文庫)など多数。中央環境審議会臨時委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など兼任。

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