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【創刊から25年間を振り返る】

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

ソフトバンクグループ社長 孫 正義

ソフトバンクグループ社長 孫 正義

 「これからは『スマボ』( スマートロボット) が日本の労働力不足を救う」、ソフトバンクワールド2021のリモート記念講演で、総帥の孫正義は声高らかに宣言した。そしてスマボが導く未来を熱く語った。

 

 キャリアを含む時価総額18兆円というソフトバンクグループを率いる孫正義。「私にもし才能があるとしたら少し先を見る先見性」と語り、この先の未来を描いてみせた。そしてAI革命の資本家として世界の先端企業300社に投資していることを強調した。

 

 「次は何をやらかすか」と注目を浴びる孫だが、最初からそうだったわけではない。1994年株式上場益を元に、コムデックスを買収したときから、その才能が開花した。

 

 21世紀の幕開けとなる2000年前夜、孫が何を考え何をしていたのか。時代を遡ってみたい。300年先の未来を見つめ果敢にM&A を仕掛けてきた孫だが、一貫して掲げていたのはデジタル情報革命であった。( 文中敬称略)



 私と組めばナスダック・ジャパンを実現できる

 

 「われわれはナスダックをぜひアジアで展開したいと考えている。候補地は香港もしくは日本、日本は閉鎖的で難しそうだが、ミスター孫、あなたはどう思うか」

 

 「おっしゃる通り、日本の株式市場システムは未だ旧態然としている。が、不可能ではありません。日本で成功するただ一つの方法があります」

 

 「どんな方法ですか」

 

 「それは私と手を組むことです。私と一緒に日本の株式上場システムに風穴をあけましょう」

 

 1999年、ソフトバンクの社長室では3人の男が密かにこんな会話を交していた。3人のうち2人は全米証券業協会副社長のジョン・ヒリーと国際担当のジョン・オールである。もう一人はソフトバンク社長の孫正義だ。この時日本の株式市場に黒船到来と震撼させたナスダック・ジャパン構想の火種が灯された。

 

 米NASD の店頭市場(ナスダック)はマイクロソフトやインテルなど世界をリードするハイテク企業が株式を登録する最もエキサイティングな店頭市場である。当時、世界戦略としてヨーロッパとアジア進出を狙っていた。 ヨーロッパはロンドン、アジアは香港か日本。日本は株式市場の長期低迷やシステムの遅れから、主力候補を香港に絞り込んでいた。しかし、孫の「私と一緒に」の一言で、ナスダック・ジャパン構想が現実となったのだ。

 

 この意義は大きかった。日本の株式市場に、アメリカで最も元気な企業が集まるナスダックが、しかもソフトバンクの導きで上陸しようというのだから関係者が慌てたのも無理はない。おかげで東証は遅々として進まなかった「マザーズ」を予定より数段早めて、99年11月に開設するなど、大変な騒ぎとなった。

 

 またしても孫が日本に黒船を呼び込んだ。そう思った向きも少なくなかった。3年前、世界のメディア王ルパード・マードックと組んでデジタル衛星放送「JスカイB」開設を発表し、世間をアッと言わせたのも記憶に新しい。結果はソニーやフジテレビなどに主導権を奪われたが、日本のテレビ界に激震を興したことは事実である。

 

 今回も同じやり口といえる。株式市場に一石を投じ、100年の歴史に揺さぶりをかける孫は「日本にはベンチャーが使いやすい株式市場がないから自分で作るまで」と、冷静だ。

 

 大胆なM&Aで世界へと駆け上った孫正義

 

 今でこそグループ120社、時価総額8兆円企業のトップとして君臨する孫だが、とんとん拍子にここまできたわけではない。その軌跡には多くの試練もあった。

 

 1995年11月18日午前9時、ラスベガスのアラジンホール、孫は晴れやかな顔で会場を埋め尽くした5000人の聴衆に語り掛けた。

 

 「私がこの世界に身を投じたのは、コンピューターのマイクロチップに未来を発見したからです。私はデジタル情報社会のインフラ作りに命を賭け、未来を創造したい」

 

 聴衆は世界最大のコンピューター見本市コムデックスの新しいオーナーとなった日本人の話にじっと聞き入った。

 

 溯ること一時間前の朝8時、ラスベガスの巨大ホールはまだ静けさに包まれていた。最前列で、一人の男が真剣な眼差しでメモを見つめてはしきりと口を動かしていた。コムデックスの新オーナーとなった孫であった。密かにスピーチの練習をしていたのだ。

 

 初めて世界のひのき舞台に立ったあの日から5年、孫は自ら予言したとおり、壮大なビジョンを掲げ、矢継ぎ早のM&Aを繰り返し、あっという間に世界企業へと駆け上がった。

 

 少しその軌跡を振り返ってみよう。94年7月、店頭公開を果たした孫は、公開資金をもとに、米インターフェイスグループの展示会部門を買収、コムデックスのオーナーとなった。そこはマイクロソフトのビル・ゲイツをはじめ、インテルのアンドリュー・グローブ等、世界最先端のハイテク企業トップの商談の場である。

 

 ここでの人脈を手に96年1月にはヤフーに投資。2月には一度失敗した世界最大のパソコン関連出版社であるジフデービス・パブリッシングを21億ドルで手に入れた。そして6月には豪ニューズコーポレーションと合弁で、テレビ朝日の株21%を取得。12月には豪ニューズと折半で「JスカイB」を設立、デジタル衛星放送に参入した。

 

 97年は孫にとっては試練の年であった。テレビ朝日の株を全て売却。心無い元社員の告発本や世間の風評で株価は1800円台にまで落ち込み、危機説まで飛び交った。しかし孫はどん底にあっても世間の風評には全く臆さず、次世代のスターとなるネット企業を発掘、せっせと投資を続けていた。

 

 そして99年、インターネットが一気にブームとなり、株価が跳ね上がるとともに、投資したネット関連企業の株価高で、時価総額8兆企業にのし上がった。

 

 インターネットに特化、世界最大のネット財閥に

 

 孫がインターネットの凄さに気づいたのは95年のコムデックスのときである。投資先としてヤフーを紹介された孫は、コムデックスが終わるやいなや、ヤフーの創始者ジェリー・ヤンを口説き、株の30%を取得、筆頭株主となった。その先見性、その嗅覚が今のソフトバンクの最大の強みとなり、価値を生み出している。あの時ヤフーに投資していなければ、今のソフトバンクの繁栄はなかったといっても過言ではない。

 

 孫は三日三晩口説き続け、半ば略奪結婚ともいえる強引さで、ヤフーの筆頭株主に食い込んだ。

 

 なぜか。この時孫は次の時代を制するのはインターネットであることを予見したからである。そうと決断したら孫の行動は早いネット関連以外は全て切り捨て、ネットに全力を集中しだした。

 

 孫は得意げに語った。「21世紀最大の産業となるインターネット業界で世界のトップ10のうち、既にわが社が半分以上を押さえている」

 

 その後の孫のネットへの集中ぶりは目をみはるほどだ。特に1999年になってからの動きは激しい。関連のジョイント・ベンチャーは、5月のイー・ローン、6月ナスダック・ジャパン・プランニング、9月には東京電力、マイクロソフトと合弁でスピードネットを設立、通信業界にも進出した。

 

 そしてこれらがマスコミで報道される度に株価が吊り上り、時価総額は益々膨れ上がっていった。

 

 まれにみる戦略家

 

 孫はまれにみる戦略家である。インターネットに集中するといってもやみくもに投資しているわけではない。孫は「手を打つ順番と分野が重要」と明言する。

 

 まずはインターネットの玄関口、次は金融関係、そしてE-コマースの順だ。しかしここにも明快な論理がある。ネットと相性が合う分野に特化するということである。金融はネットとの相性が抜群というわけだ。従っていち早くE-トレードに出資、証券、保険、そしてついに銀行業にまで乗り出した。

 

 今やこのネット金融がソフトバンクの大きな事業母体となっている。金融と相性抜群とあれば、ここに力を入れるのは当然だが、何よりの強みは野村證券から引き抜いたこの道のプロ、北尾吉孝がいることだ。

 

 99年9月、孫は東京電力、マイクロソフトと合弁で「スピードネット」を設立、光ファイバーと無線を使った高速通信システムに乗り出した。高すぎるインターネット料金を安くし、ネットの普及を一気に拡大しようという考えからだ。これにはNTTも仰天、定額化を前倒しで実施するなど、業界に与えた影響は計りしれない。

 

 米西海岸の使い放題17ドルには及ばぬが、月額5000円程度の定額ということになれば、インターネット利用にはずみがつく。ネット人口が増えればそこに事業を集中するソフトバンクの価値は益々拡大することになる。

 

 ナスダック・ジャパン創設構想もネットのインフラづくりである。ここにネット関連企業が集まれば、ソフトバンクにとって価値増大の源泉となる。

 

 銀河系型組織経営で時価総額を拡大

 

 ソフトバンクが店頭公開してわずか5年、その間にここまで巨大化した企業は例がない。そしてこれほど株価が話題になる企業も少ない。97年に1800円台にまで落ちこんだ株価は、米国のネット株のブームに乗って上昇、今や7万円を超えた。そして今やインターネットに特化した、ベンチャーキャピタル的色合いを強めながらも、さらにその価値を極大化している。

 

 ただしその価値はグループ企業の高株価に支えられた仮想の価値ともいえ、株価が下落すれば、たちまち縮小するという危険性をはらんでいる。しかし、「インターネットの可能性は無限大」と孫は自信をみせる。

 

 1999年10月、ソフトバンクは純粋持ち株会社となり、実際の事業は中間持ち株会社と、その下に連なるオペーレーティング会社の手に委ねた。

 

「私の仕事は会社のビジョンを示すことと、勝つための戦略づくりの2つ、実際の事業は各中間持ち株会社が自らの責任で産み育てる」と明言する。ネット社会のスピードで会社が成長していくには、太陽系のように強いものに引かれるのではなく、それぞれが独立した個体として輝き、絶妙な均衡を保ちながら存在する銀河系型組織が理想と判断したからだ。これは今の群戦略に繋がっている。

 

 ネット関連で世界最大の企業集団となったソフトバンクは、孫流の新しい企業組織体系を目指し、価値の最大化を加速している。

 

 孫は5年後の目標をグループ企業780社と掲げた。現行120社であることを考えると途方もない数だが、孫には、5年後の姿が明快に見えているのであろう。

 

 インターネットを制するものが世界を制す

 

 壮大なビジョンとそれを具現化する独創的戦略、そして動物的勘と嗅覚で、孫は21世紀情報化社会のリーダーとして世界に羽ばたこうとしている。

 

「一切コントロールしない、それぞれが自分たちの責任で発展する」という孫流銀河系組織とはいかなるものなのか。純粋持ち株会社を真ん中に、中間持ち株会社、周りに120もの衛星を連ね、新しいネット型銀河系組織体創りに挑む。

 

 中央集権型経営に慣れた我々には理解しにくい。が、しかしいずれにしても日本が産んだ常識破りの革命家、孫正義の宇宙的経営の行方を見守り、夢を託そうではないか。

 

 弱冠20歳で起業、唯我独尊とも思える独自の経営手法を貫き、世界企業へ駆け上がった孫正義。その壮大なビジョンと大胆な戦略はまさに宇宙規模といえる。常に常識を打ち破り、未来に挑む革命家は、デジタル情報社会の水先案内人として300年先を見つめ、人々を未来へと導く。

 

(企業家倶楽部2021年11月号掲載)

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