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【創刊から25年間を振り返る】

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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セコム創業者 飯田 亮

セコム創業者 飯田 亮

 安全・安心の代名詞とされる「セコム」セキュリティ事業を中心に、防災、メディカル、保険、BPO・ICT 事業など幅広い分野に進出。「社会システム産業」の構築を加速してきた。創業者の飯田亮は永遠のベンチャーとして君臨。常に革新的なチャレンジを続けてきた。今や連結売上1兆358億円と巨大企業に成長したが、そこには「真っ白なカンバスに線を引く」という飯田亮のチャレンジ魂があった。飯田のどのような考え方、個性がセコムのビジネスモデルを築く礎になったのか。歴史を遡って考察したい。(文中敬称略)

 

 真っ白なカンバスに線を引く

 

 セコムの創業は1962年。飯田亮が29歳の時である。家業の酒問屋で働いていたが、5人兄弟の末っ子でもあり、独立を決意した。どんなビジネスをするかを検討していたとき、友人から「ヨーロッパには警備会社というものがある」と聞き、「これだ!」と直感。その日のうちに事業化を決断した。

 

 普通は前例の会社を視察し、ビジネスの仕組みなどを調べるが、飯田はそれをしなかった。ゼロからすべてを自分で考え、実行したかったのだろう。

 

 これは経営者飯田の特筆すべき特徴である。この個性がセコムのビジネスモデルを生みだしたといえる。前衛画家ミロの情緒を排した作風を愛する飯田は、真っ白なカンバスに、自分の思う通りの線を引くことを好む。セコムは現在も独自性をうたっているが、原点はここからきている。

 

 創業当時、「安全・安心を提供する」サービスは、日本にはなかった。“真っ白なカンバスに思う通りの線を引く”ことができた。

 

 経営モデルも従来の企業にはないものだった。飯田はビジネスデザインを創っていった。

 

 デザインができるまでは人に相談しない。相談すると、自分のイメージが壊れてしまうからだ。一人で沈思黙考し、脳が高速回転を始めてピークに達してから「さらに5分考える」。この方法で次々と新しいアイデアを生み出してきた。

 

 顧客におもねらない

 

 こうして生まれた仕組みの一つが料金の3カ月前払い制度である。創業時のベンチャー企業は例外なく資金がなく、銀行から借りることもできない。急成長したくても、料金後払いでは資金がショートしてしまう。そこで飯田は思った。有益なサービスをしてあげるのに、なぜ後払いなのか。

 

 そう考えて前払い制を決めると、どんな顧客に対してもその方針を貫いた。妥協は一切しない。不公平、不正義を嫌う飯田はどんなに苦しくてもそれをしなかった。だからこそ前例のないモデルも軌道に乗ったのだ。

 

 「顧客におもねらない」のである。

 

 「本当によいサービス、いい仕事をしているなら、顧客におもねる必要はないはずだ」と飯田は語る。

 

 名もない小さな会社だ。当初はまったく相手にされなかった。しかし、本当に必要なサービスであれば、それを理解してくれる先進的な経営者は必ず出てくる。

 

 1962年。高度成長期のはしり。「自分の会社は自分で守ろう」という経営者が増えていった。前金制だから、その需要の拡大にも対応できた。

 

 今のビジネスを分析し、発展させる

 

 こうしてセコムの常駐警備サービスがスタートし、徐々に広まっていった。事業が進展すればするほど、この仕事が社会にとっていかに必要なものかがわかってきた。もっと多くの人にこのサービスを提供できる仕組みをつくるべきと飯田は考えた。

 

 常駐警備は警備員が工場やデパートを巡回し、異常があると駆けつけて対処するというサービスだが、この方式は事業が拡大すればするほど膨大な人件費がかかる。社員の教育も大変である。そこで機械警備という発想が出てくる。お手本があったわけではないからすべてをゼロから考え、形をつくっていった。「真っ白なカンバスに思い通りの線を引く」ようにである。

 

 警備中に異常が発生した場合、人間でないとできない場面は、24時間中、30分しかないことがわかった。とすると、あとの23時間30分は機械に置き換えられる。そうすれば人件費は30分ですむ。ではどんな機械、どんな仕組みが必要か。

 

 そのための方法論も機械もカメラも何もなかった時代だ、真っ白なカンバスに線を引くごとく、飯田は考えた。

 

 異常があった場合、通報するには通信回線が必要だ。そこで電電公社(現NTT)に電話回線の使用を頼むと「電話というものは話すためにあるので、他の仕事のためには使えません」

 

 規制を変えるのが企業家の仕事

 

 ここで諦めたら企業家ではない。数々の規制を一つひとつ崩していくことでセコムのビジネスモデルは構築されたのである。

 

 「規制というのは社会の一員である人間がつくったもの。社会がよくなるために必要なことを阻止し続けられるはずがない」と飯田は言っている。

 

 その言葉の通り規制はクリアされ、電話回線が使えるようになった。

 

 センサーも既製品は、国内はもとより海外にもなかった。メーカーに相談すると一流メーカーが興味を示した。顧客から前払いでもらっていたから支払も現金でできた。その結果メーカーの信用を得て、研究開発もスムーズに進んだ。

 

 愚痴や批判を口にする前に、まず自分が徹底的に努力をする。それが飯田流である。自分で納得できないこと、わからないことは一切やらなかった。

 

 安楽な道を選ばない

 

 こうして創業4年後の1966年、機械警備システム「SP(セキュリティ・パトロール)アラーム」を導入した。この際に飯田は機器を売り切りにするか、レンタルにするかの選択を迫られた。売ってしまった方が楽だが、思うように整備したりアップグレードすることができなくなる。

 

 セコムの仕事は安全を売ることであり、機械を売ることではないから、機器はセコムの資産として、レンタル方式で提供するのがふさわしい、と飯田は考えた。 熟慮に熟慮を重ね、レンタル方式という結論に達した。

 

 飯田は契約件数ごとの必要資金、経費、減価償却費など、あらゆる数字を綿密に計算し、36カ月で資金回収が可能になるレンタルの価格体系をひねり出した。結果、3年後の資金繰りはこの計算とほぼ一致、事業は軌道に乗っていった。

 

 創造的破壊をする

 

 そして4年後の70年、最初は13件だった機械警備の顧客も500件程度まで増えた。とはいえ創業時からの人間による巡回警備がまだ主力事業で2000件を超えていた。

 

 しかし、飯田は機械警備の可能性に確かな手応えを感じていた。

 

 「これは大変なビジネスになるかもしれない」

 

 なぜなら、機械警備は初期投資は大変だが、顧客数が損益分岐点を超えれば、増えれば増えるほど利益率が上がっていくからだ。

 

 飯田は幹部会議で宣言した。

 

 「これからは巡回警備をやめて、機械警備に切り替えていく」

 

 主力部門を止めるというのだから、全員が反対した。

 

 しかし、飯田の決意は揺るがなかった。「全員が反対ならなおのこと機械警備だ。みんなと同じことをしていたら会社は伸びないからね。 こうして、巡回警備の顧客を一軒一軒回り、機械警備に切り替えてもらうことになった。現場は混乱し、不平も出た。しかし、この時の決断こそ、その後セコムが景気の波にも左右されず30年以上増収増益を続ける決め手になった。まさに「創造的破壊」の決断であった。

 

 機械警備への全面移行と機器のレンタル方式という選択が利益の収穫逓増モデルを生み出したのだ。5年契約で3カ月ごとの前金制(法人向けオンラインセキュリティサービス)である。一度契約すれば5年後まで売り上げが計算できる。一回売れば終わりというビジネスではないから、新規契約をとり続けさえすれば売り上げは積み重なっていく。

 

 正しさ、公正さを追求

 

 セコムという企業に飯田のパーソナリティーがいかに深く関わっているか。ホンダが本田宗一郎の個性が結実した作品であるように、セコムは飯田亮の作品であると言える。

 

 飯田の特徴は何事においても「筋を通す」ことである。「汚いことをやるな。いやしいことをやるな」と常に言い続けた。汚いこと、卑しい行為は飯田の美学に最も反することなのだ。

 

 その姿勢は創業時から一貫していた。「それは、おかしいよ」がロ癖であった。まっとうに考えて、筋が通らないことは一切認めなかった。常に正しさを追求した。その正しさの基準は、自分や組織に対してではなく、社会に対してであった。

 

 「セコム憲法」の冒頭には、事業の選択を行う際には「社会に有益な事業を行う」という基本理念から、いささかも逸脱してはならない、と書かれている。

 

 革新性も創造的破壊も高い利益と成長性も、この大前提に則しているからこそ評価されるのであって、そうでなければ存在しない方がましだ、というのが飯田の基本姿勢である。正しさの追求と公正さは、セコムにとって一本の太い軸である。どんな些細なことでも妥協しない。

 

 卓越性の追求

 

 卓越性とは、極めて優れていること、普通の人が及びもつかないほど優れていることを言う。 ビジネスの分野で、これを追求するのがセコムの姿勢である。並みのサービスではなく卓越したサービスを提供しなければならない。そのためには、これまでのやり方を漫然と踏襲し続けることは許されない。常に「このやり方でいいのか」と問い続け、智恵を出し、改革すべきことは既成概念に囚われず実行することが求められる。そのための必要なのは現状打破の精神だ。

 

 「あと5分考えろ」と飯田はよく言う。考え抜いて行き詰まった時、そこでやめてしまうのでなく、あと5分考える。そうすると脳が高速回転を始めて、思いもよらなかったアイデアが生まれる。この考えが若手研究者や開発者の現場でも生かされ、ユニークな商品やサービスを生み出す原動力となっている。

 

 常に革新的であり続ける

 

 常に革新的であり続けることは、セコム憲法にも明記されている。すなわち革新的でなければセコムでないのである。

 

 「常に革新的であれ、現状を否定せよ」と飯田はロを酸っぱくして言い続けてきた。なぜなら、人間は本性として変化を好まないことを知っていたからである。

 

 革新的に考え、実行するにはエネルギーを必要とする。手慣れたこと、同じことをやっていた方が楽である。しかし、社会は常に進歩し変化している。人間の本性のままに楽な方へ楽な方へと流れてしまえば、その変化を先取りし、対応するどころか、おいて行かれてしまう。その結果、経営不振に陥り、消えていった企業がどれほどあったか。飯田はそれをよく知っているから「楽な方法、安易な問題解決は、100%誤った問題解決である」と憲法の解説で明記している。

 

 諮達(闊達)の精神

 

 飯田そしてセコムの組織風土を一言で言い表す言葉として「諮達(闊達)」がある。86年、飯田が中国を訪問した時、中国の書家から「飯田さん、あなたのことです」と渡されたのが「諮達(フータ)」という書であった。明るく大らかに目的を達成する、という意味である。まさに飯田の個性とセコムの組織風土を言い表している。

 

 2004年の新入社員歓迎パーティーにも社風である諮達(フータ)な雰囲気が表れていた。入社式と呼ばず、整列もしない。自由奔放、放任とは違う。仕事の性質上、厳しさが求められる組織である。しかし、だからこそ、権威によって上から押さえつけるような堅苦しいことが嫌いなのだ。

 

 それではフータではない。明るく大らかに、正しさを追求し、厳しい仕事にチャレンジし、革新的であり続ける。歓迎パーティーの壇上には誇らしげに、こう記されていた。

 

 「We are SECOM」

 

 セコムパーソンがこのコピーに誇りを感じ続ける限り、セコムは進化し続けるであろう。

(企業家倶楽部2021年11月号掲載)

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