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【創刊から25年間を振り返る】

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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ジャパネットたかた 創業者 髙田 明

ジャパネットたかた 創業者 髙田 明

 通販大手のジャパネットホールディングス(以下、ジャパネット)は、偉大なカリスマ創業者が退任してから6年が経つが勢いを失わず成長を続けている。2020年12月期の連結売上高は前期比15.8%増の2405億円と過去最高を記録し、8年連続の増収となった。コロナ禍による巣ごもり需要の高まりを掴み、生活家電の販売を伸ばした。また、高級な肉や海鮮など全国の旬な食材が毎月届く「グルメ定期便」やミネラルウォーター・サーバーの販売など新しい事業を次々と立ち上げている。髙田旭人体制になった今も不屈の企業家髙田 明のチャレンジ精神が脈々と受け継がれている。( 文中敬称略)

 

 テレビショッピングでおなじみのジャパネットたかたの創業者髙田 明は、1948年長崎県平戸市生まれで現在72歳になる。惜しまれながら社長を退任したのが2015年1月。その後、1年間だけは髙田のテレビ番組制作の神髄を伝授するために番組に出演し続けたが、経営には一切口出ししていないというから驚きだ。

 

 後を継いだのは、当時の副社長であり長男の髙田旭人である。旭人社長が率いる新体制になってからも右肩上がりで順調に業績を伸ばしている。ジャパネットの世代交代は、潔すぎる社長交代の成功例として、後世まで語り継がれることだろう。

 

 佐世保のカメラ店からスタート

 

 高校を卒業した髙田は地元の長崎を離れ大阪の大学に進学した。英語が得意で将来は英語を活かした仕事をするのが夢であった。大学を卒業後、機械メーカーに勤め、ヨーロッパに赴任し営業していたこともあった。

 

 日本に帰国し数年が経った頃、友人から「翻訳ビジネスをしよう」と誘われ退職したが、いつしかその話は立ち消えになってしまった。仕事がなくなってしまった髙田は地元に戻り、父親が経営するカメラ販売店を手伝うことにした。団体旅行客を相手に観光写真を撮る仕事にのめり込んでいった。やることさえ決まれば夢中になるのが髙田の性格であった。

 

 集合写真では大勢の人々の意識をカメラのレンズに集中させなくてはならない。全員の目線がピタッと合っていれば良い写真になる。笑顔を撮れれば、客も喜び写真も売れた。髙田は必死に話術を磨いた。カメラの仕事を通して客を惹きつける術を学んでいったのだ。

 

 「この頃に培われた経験がテレビショッピングのMCでも活きている」と髙田は言う。

 

 86年に父親のカメラ店から分離独立する形で佐世保の店舗を引き継いだ。これがジャパネットの始まりである。転機が訪れたのは90年、地元長崎のラジオ放送局からの誘いを受け初めてラジオショッピングを試してみると、僅か5分間髙田が宣伝しただけで、数万円するカメラが1日で50台も売れたのだ。

 

 「これは行ける!」、磨いて生きたトーク力でラジオショッピングの金脈を開いた。94年にさらなる顧客開拓のため、テレビショッピングへ進出し、番組制作を開始した。95年には、通販カタログと新聞折り込みチラシを発行し、紙媒体も始め本格的に通販事業へ参入した。

 

 ジャパネットの挑戦は止まることを知らず、2000年に入り、インターネットサイトを開設。2001年には、地上波テレビで「生放送ショッピング」を実施した。今日ではテレビでジャパネットの番組を見ない日はない。

 

 経営危機を乗り越える

 

 テレビ通販を始めた94年から10年間で売上高は43億円から16倍の705億円へ増え、長崎を代表する企業へと成長。2004年はジャパネットがテレビ通販に参入してから節目の10周年ということもあり、10億円以上をかけた記念のキャンペーンを企画していた。

 

 「さあ、これから!」という矢先に危機は突如として現れた。04年3月、新聞社の記者から「御社の顧客情報が洩れている。確認して欲しい」と50人ほどの個人情報が載った資料と共に問い合わせがあった。まさかそんなことはないと信じていたが、よく調べてみると自社の顧客情報と重なっていた。しかし、どこから流出したのか皆目見当もつかなかった。

 

 理由はどうであれ通販会社にとって顧客情報は生命線である。このまま放置していたら信頼関係が足元から崩れてしまう。髙田は即座に問題解明と再発防止策の整備に尽力することを心に誓った。

 

 早速、社内調査委員会とセキュリティ委員会を設立し、髙田自ら情報セキュリティ最高責任者に就任し陣頭指揮をとった。セキュリティ強化のため、監視カメラの設置やICカードによる入退室のチェック、携帯電話の持ち込み禁止など厳格な管理体制を整えた。

 

 さらにセキュリティ関連の試験制度も作り、全社員にテストを課した。試験の結果も社内で張り出し、合格点に達しない者は追加試験を受けなければならなかった。厳しいチェックは正しく仕事をしている社員を守るためでもあるのだ。

 

 準備していたテレビ通販10周年の特別キャンペーンもすべて中止し、問題が発覚した日から営業も自粛した。結局、営業自粛期間は約2カ月間に渡り、その影響で150億円の減収になった。

 

 営業を自粛している間、事業部ごとに仕事の見直しと強化に努めた結果、社内の結束力が以前より高まった。髙田は顧客に迷惑をかけた以上、知っていることは隠さず全て話し、不安にさせてしまった社員に対しても現状を報告するように努めた。

 

 こういった徹底した問題解明の取り組みや営業自粛といった真摯な姿勢が顧客や取引先に伝わり、営業再開後はこれまで以上に業績を伸ばすことになった。情報漏洩事件が起きた04年の売上高は663億円と減収になったかが翌年の05年には売上高906億円と240億円の増収となり、減収分を取り返した。06年には売上高1080億円と伸ばし、長崎県内で初の1000億円企業となった。

 

 自ら変化を創り出す

 

 ジャパネットの最大の看板商品は創業者の髙田明そのものであろう。1986年に37歳の時に独立・創業し、94年からはテレビ通販を開始してからは常に画面に登場し、文字通り先頭に立ってきた。その髙田が2012年12月、社員の間で恒例となっている大忘年会で覚悟の爆弾発言を行った。

 

 数百人の社員が一堂に会し、一年の労をねぎらう華やいだ雰囲気の中、挨拶に立った髙田から思いも寄らぬ言葉が飛び出した。

 

 「テレビ販売の特需が終わり2011年、2012年と2期続けて収益が半減している。このままではこの会社の未来はない。来期一年間で2010年に達成した過去最高益136億円を超えなければ、私は社長を辞める」

 

 社長の突然の宣言にその場にいた誰もが我が耳を疑った。2010年に売上高1759億円という過去最高を達成したが、その後は1540億円、1170億円と2期連続の減収となり、ピーク時から売上高が3分の2に下がってしまった。利益も半減していた。現状を打破し、社員を鼓舞するための社内向けの発言であったが、いつの間にか社外にも広まっていた。

 

 エコポイントなどでテレビ特需があったが、いつかは終わる。この現状を受け入れ、テレビ以外の商品に目を向け、ジャパネットの代名詞となる布団クリーナー「レイコップ」は累計100万台を超える大ヒット商品となった。

 

 「業績が悪い時こそどんどん前に進め。後ろ向きになるな」と髙田は攻めの経営で社員たちに檄を飛ばした。

 

 社員たちも「社長を辞めさせる訳にはいかない!」と必死になり、1日24時間限定で1品を徹底的に販売する「チャレンジデー」という新しい企画を実施し、大成功を収めた。この発案者が旭人であった。

 

 そして、2013年12月の忘年会で最高益を更新するという目標が達成できたことを発表すると、会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。中には感情が爆発し、泣き出す者もいた。1年間の緊張感の中で全力を出し切った社員たちは一回り大きく成長していた。あえて自ら試練を作り、それを乗り越えることで組織として自信も付いた。社長の座を守れたことよりも、社員が団結して高い目標にチャレンジし、目標を達成できたことが何よりも嬉しかった。2013年12月期の売上高は1423億円、利益は150億円となり見事Ⅴ字回復を成し遂げたのだ。

 

 「現状を受け入れ、必ずやれると信じること。社会の変化の方が早いので、自ら変化を創り出すことが生き残るためには必要」と髙田は言う。

 

 「不易流行」の経営

 

 2014年7月、髙田は弊社主催の第16回企業家大賞を受賞し、記念講演の冒頭に晴れやかな表情で語りだした。

 

 「2015年1月に社長を退任することを決意しました。この1年間の副社長の成長ぶりに、若い力に任せてみようと思いました」、突然の宣言に会場は静まり返った。

 

 社長を退任後は会長にも顧問にもならず、役職には一切就かないという。

 

 「もし私が役員に残れば社員も気を遣い、仕事がしにくくなるでしょう。全権を託し任せた方がいいと考えた」と髙田は達観している。

 

 一方の社長就任を託された旭人は、「社長交代は突発的なことではなく、ある意味、自分の運命だと意識してきました。この10年間を一緒に仕事をする中で理念も共有でき、経営者として目指しているものは100%共感しています」と覚悟を語る。

 

 創業者である髙田は企業の顔として自ら先頭に立ち社員をけん引していく経営スタイルであったが、2代目旭人は「顧客と向き合うジャパネットの社風は変えず、そのやり方は時代に合わせて変えていってもいい。仕事は自分事にしないと面白くありません。権限を与え、現場に任せ、チェックは私がする。組織の力で経営していきたい」と意気込みを語った。

 

 髙田明は講演の場ではよく「先のことを考えても仕方がない。今を懸命に生きること」と信条を語る。カメラ店から始まり、目の前の顧客を笑顔にし、喜んでもらうことに集中してきたからこそ、テレビ通販番組で20年間MCを務め、ライブで臨場感のある番組を作り、一代で通販大手に育て上げることができた。

 

 創業から35年の間には、情報漏洩事件やリーマンショック、消費増税など経営の危機も何度もあった。しかし、逆境から決して逃げず、現状を受け止め、悪い時にも挑戦を続ける姿勢で難題を乗り越えてきた。その真摯な姿勢にユーザーは信頼感を持ち、ジャパネットが勧めるものは安心だと信用し購入する。創業者髙田明のDNAが今も脈々と流れているのだ。

 

(企業家倶楽部2021年11月号掲載)

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