会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
中国の習近平政権がテック企業への締め付けを強めている。螞蟻集団(アント・グループ)の上場延期から始まった動きは、阿里巴巴集集団(アリババ・グループ)以外、ゲーム、ライドシェアリング、そして教育系企業にも広がっている。米中対立ですでに逆風が吹き始めていたテック企業だが、今度は国内という背中から弾が飛んできた。習近平国家主席は「共同富裕」を掲げ、富裕層から貧困層への富の再配分を進めようとしている。「テック弾圧(クラックダウン)」は共産主義への回帰なのか、それとも資本主義の一時の調整なのか。
水に落ちた犬は叩け――。道義の通じない犬はずぶ濡れになっても刃向かってくる。手加減しないで止めを刺せ。中国の小説家・魯迅は昔のことわざを逆さにして新しい警句を作った。今の中国で水に落ちた犬はアリババ、そしてその創業者の馬雲(ジャック・マー)氏だろう。
アリババ集団系の金融会社アント・グループは2020年11月に上海、香港市場での株式公開を予定していたが、金融当局により上場延期に追い込まれた。3兆円以上を調達する世界最大の上場と期待されていた。上場直前の上海での金融セミナーで馬氏が金融当局に批判的な発言をしたためではないかと噂された。
その後、アリババ集団への中国政府の締め付けは手を変え品を変えて続いている。21年4月10日には独占禁止法に違反したとして約3000億円の罰金が科せられた。過去最大の独禁法関連の罰金で、本業の電子商取引で、取引先に対して競合には商品を供給しないよう圧力をかけたためという。21年7月には企業の買収について、当局に許可申請をしなかったことが独禁法違反だとして罰金約850万円を取られた。貧富の差を是正する「共同富裕」実現のため、アリババは25年までに1兆7000億円を拠出することを21年9月に表明。罰金支払いに加えて自発的な寄付までして、政府に恭順の意を示す。
スマホ決済市場を寡占しているアントについては中国人民銀行が監督対象となる金融持ち株会社への移行を21年4月に指示し、決済サービス「支付宝(アリペイ)」、消費者ローン、クレジットサービスの「不適切な」関係を止めるよう指導。マネー・マーケット・ファンド「余額宝」の規模縮小も求めた。いずれも「アリペイ」の決済データに基づいた信用情報がサービス基盤となっており、信用情報事業を分社化し、そこに国有企業が出資するとの報道もある。
消費者ローンについてもアリペイから分社化する方針と伝えられる。21年9月からはフードデリバリー、チケット販売などアリババ系サービスでも、騰訊控股(テンセント)の「微信支付(ウィーチャットペイ)」で支払えるようにするなど、アントの支配力は着実に弱まっている。
中国当局はアリババ帝国そのものの解体を狙っているのかもしれない。アリババが保有するメディア事業についても売却するよう圧力をかけており、15年に買収した香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストもその対象になっているという。21年9月にはアリババが、テレビ通販・娯楽の芒果超媒の全保有株式5%を売却する方針であると伝えられた。馬氏は自身が保有するアントの株式の売却も検討しているとの話しも出ている。
馬氏自身にも影が忍び寄っている。2015年に個人的に杭州市内に設立したビジネススクール「湖畔大学」は学生の新規募集を停止し、馬氏は学長を辞任したという。馬氏と親しくしていた杭州市のトップ、周江勇・中国共産党杭州市委員会書記は21年8月、「重大な規律違反の疑い」で突然、身柄を拘束された。ほぼ同時期、映画「レッドクリフ」に出演した有名女優、趙薇(ヴィッキー・チャオ)もネット上でその作品が消された。馬氏との関係が取りざたされている。
テンセントも独禁法調査の対象
アリババほど激しくはないが、テンセントも締め付けの対象となっている。独禁法監督当局は20年12月、テンセントが出資する子会社に過去の買収案件の報告を怠ったとして罰金を課すとともに、テンセント傘下の動画の配信サイト「闘魚」と「虎牙」の合併について調査を開始。21年7月に合併を認めないことを決定し、評価額1兆円を超える企業の誕生はご破算となった。続いて16年の音楽配信サービスの買収について問題視し、独占的配信権を停止するよう要求するとともに、罰金850万円の支払いを命じた。
21年8月3日には国営新華社通信系の経済参考報がテンセントの人気ゲーム「王者栄耀」を例に挙げ、「オンラインゲームは精神的なアヘン」であるとの批判記事を掲載。テンセントは「王者栄耀」の未成年者の利用時間を平日は1時間、休日は2時間に制限すると即座に発表した。その後、8月30日にメディアを統轄する政府部門が、18歳未満の未成年者へのオンラインゲームの提供を週末1時間に限るようゲーム会社に通達した。畳みかけるような政府の揺さぶりに震え上がった馬化騰(ポニー・マー)会長兼CEOは21年8月、「共同富裕」への協力金として8000億円を超える寄付をする考えを示した。
次はどこか。テック企業は戦々恐々だ。アリババに巨額の罰金を科した3日後の21年4月13日、中国当局は34社を呼びつけ、反競争的なビジネス慣行を1カ月以内に改めるよう行政指導した。アリババ、テンセントのほか、中国版GAFAM「BAT」の一角である百度(バイドゥ)、BATに次ぐ新テック御三家「TMD」の字節跳動(バイトダンス)、美団(メイトゥアン)、滴滴出行(ディディチューシン)が含まれている。電子商取引大手の京東集団(JDドットコム)と拼多多(ピンドゥオドゥオ)、中国版ユーチューブの嗶哩嗶哩(ビリビリ)や、快手(クワイショウ)、中国版ツイッターの微博(ウェイボ)、さらには不動産仲介サイトの貝殻找房(KE ホールディングス)や旅行サイトの携程集団(シートリップ)の名前もあった。
TMDは実際に目をつけられている。バイトダンスに関しては、中国子会社の株式1%を、国有企業傘下の投資会社が21年4月に取得したことが明らかになっている。3席ある取締役のイスも1つ確保したという。同子会社は短編動画アプリ「ティックトック」の中国版「抖音(ドウイン)」やニュースサイト「今日頭条(ジンリートウティアオ)」を運営する。同様に微博にも政府が1%出資し、取締役1人を送り込む権利を取得した。影響力のあるソーシャルメディアは国の「接収」対象だ。
フードデリバリー市場で7割近いシェアがあるとされる美団もアリババ同様に巨額の罰金を科されるとの観測が出ている。独禁法当局は美団がレストランなどにライバルの宅配会社との取引をしないよう圧力をかけたとの疑いで21年4月から調査を開始。近く1100億円近い罰金の支払いを命じられるとの情報だ。同社はまた配達員の待遇を改善するように当局から指導も受けている。配達員は正規な労働者ではなく、その都度、配達の仕事を請け負う「ギグワーカー」で、給与や労働環境などで不利な立場に置かれている。創業者の王興CEOは21年6月に株式2500億円相当を慈善団体に寄付するなどイメージ向上を図ったが、あまり効果は出ていない。
アント上場延期に匹敵する「事件」に見舞われたのは、ライドシェア市場の9割を握るとされる滴滴出行だ。滴滴は21年6月30日、ニューヨーク証券取引所に上場し約4900億円を調達したが、その直後の7月4日に中国当局が個人情報の収集・利用に関する重大な法律違反の調査を開始。アプリもダウンロードできなくなった。当局は上場前に警告していたが、滴滴は投資家に押されて上場を強行した。同社の大株主はソフトバンク・グループ、ウーバー・テクノロジーズという中国にとって外資だ。滴滴の株価は急落し、9月末時点での時価総額は公開初日の半分ほどの4兆円に縮小した。滴滴は情報開示を怠ったとして株主からの集団訴訟にも直面している。
滴滴の場合はこれまでの独禁法による揺さぶりではなく、国家安全法及びデータセキュリティ法に基づく措置で、国家安全保障に関わるという意味でより深刻だ。滴滴が収集している乗客のデータから軍事関係の施設が特定される可能性も指摘されており、上場を通じてデータが米国政府・企業に渡ることを中国政府は恐れているという。
中国政府の規制対象は教育産業にも及ぶ。小中学校における宿題を減らし、学外教育の負担も減らすという「双減」と呼ばれる政策を21年7月に発表。過剰な受験競争を抑制し、家庭の教育負担を削減する狙い。学外教育削減では学習塾の新設を認めず、既存の学習塾は非営利組織への転換までも求めている。教育関連企業は上場することも許されない。これも「共同富裕」の一貫で、非富裕層の子供にかける負担を減らし出生率を引き上げる狙いもある。
双減政策の導入で、すでに上場している学習塾2大大手の新東方教育科技集団(ニューオリエンタル・エデュケーション・アンド・テクノロジー)と好未来(TAL エデュケーション・グループ)、そしてネット教育大手の高途(カオトゥ)の株価が暴落した。ネット教育系ユニコーンで、テンセントなどが出資する猿補導(ユエンフータオ)、ソフトバンク・グループやアリババなどが出資する作業幇(ツオイエパン)も上場による出口戦略が不可能になった。
中国のテック企業弾圧に対し、世界の投資家は警戒を強めている。「習氏は全ての中国企業を一党独裁国家の道具とみなしている」。米著名投資家のジョージ・ソロス氏は英紙への寄稿で激しく批難した。「習氏は毛沢東氏が築いた政党を現代流に導入しようとしている。不都合な真実が、突如として中国株の投資家の前に姿を現すことになるだろう」と中国への投資に警告を発している。テック企業への積極的な投資で知られる、アーク・インベストメント・マネジメントは7月に中国株を買却した。キャシー・ウッドCEOは中国政府によるテック企業の締め付けは「世界で最も革新的な国になりたいという望みに逆行する」と語る。アリババを初め中国テック企業に多数投資しているソフトバンク・グループの孫正義氏は8月の決算会見で、中国への投資は当面様子見と語った。「1年2年すれば新たなルールのもと、新たな秩序がもう一度しっかり構築されると信じている」との希望的観測を述べる。
一方、世界最大級の資産運用会社ブラックロックは2021年後半の投資環境見通しの中で、一連の中国政府の動きを「成長の質の改善を目指す中国の取り組みの重要な側面とみられる」と前向きに評価する。同社は21年6月には外資で初めて完全子会社による投資信託ビジネスを始める認可を得ており、ややポジション・トーク気味だ。ソロス氏は米紙への寄稿で「中国に今、数十億ドル投じるのは悲劇的な過ち」「顧客が資金を失うだけでなく、米国を含む民主主義国家の安全保障上の利益にダメージを与える」と批判する。
中国は21年7月に「共産党創立100周年」を迎え、22年秋の党大会で新指導体制を決める予定。習政権は3期目に突入するとみられているが、新体制が固まるまではテック弾圧の流れは続くと見るのが自然だろう。
Profile 梅上零史(うめがみ・れいじ)
大手新聞社の元記者。「アジア」「ハイテク」「ハイタッチ」をテーマに、日本を含むアジアのネット企業の最新の動き、各国のハイテク産業振興策、娯楽ビジネスの動向などを追いかけている。最近は金融やマクロ経済にも関心を広げ、株式、為替、国債などマーケットの動きもウォッチしている。
(企業家倶楽部2021年11月号掲載)