会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
『変わり続ける』出井伸之 著 ダイヤモンド社 (1500円+税)
(企業家倶楽部2016年10月号掲載)
ソニーで初めて新卒から社長の座まで登りつめた出井伸之氏。彼が人生において重要視していた「リポジショニング戦略」を解き明かす。仕事だけでなく、人間関係の築き方や時間の使い方まで様々なアドバイスをくれる1冊。現在行き詰まっている方にも、新しい挑戦をしたい方にも是非読んでいただきたい。
「安定」の時代は終わった
問 今回のご著書『変わり続ける』では人生を豊かにするコツを書かれているそうですが、本書を出版された理由を教えて下さい。
出井 日本人が危機感を感じていないことを不安に思いました。今後どのような変化が起こるか分からないにもかかわらず、自身がどの程度の市場価値を持っているのか深く考えている人は稀ではないでしょうか。多くの人が会社という器に入っていることで安心してしまうのです。
逆説的ですが、正社員の方が自分の価値について考えていないかもしれません。日本の雇用システムは、終身雇用で年功序列型でした。定年まで働き、ような時代は終わりました。
問 確かに、今や転職も当たり前になりました。しかし、「個人の価値」という見えないものを意識するのは難しくありませんか。
出井 私は「自分自身も一つの会社だと考えなさい」と言ってきました。そう考えると、月収を売上げだとすれば、個人価値に値するのは株価。通常企業では、どちらも見なければいけません。売上げが同じ会社であっても、株価が異なることは多いでしょう。
問 出井さんがソニーをされているのは、個人価値を高められてこられたからですね。ソニーに入社した当時は、どのようなお考えをお持ちでしたか。
出井 私が入社した1960年時点のソニーは売上げ100億円のベンチャー企業。私はこれから伸びていく会社の成長に絶対負けまいと思っていました。それ以上に、この会社を引っ張っていこうという気持ちもありました。
問 そのような当事者意識が大事だと思います。
出井 企業の寿命は短くなっています。会社の旬は18・1年というデータもあるほどです。一方、人間に目を向けると、寿命だけでなくビジネスマンとしての時間も伸びている。したがって、会社より自分の命の方が長いことになります。「会社に入ればそれで安泰」と思うのは大きな間違いです。
若いうちはその時のことで精一杯でしょう。18歳になったら10年後のこと考えるように孫に言いましたが、「青春を謳歌しているのにそんな先のことを考える余裕など無い」と返されてしまいました。しかし、それでも若い頃から考えることに意味があります。
問 ただ、大企業に入った若者の中には、やっと安定したと考える人も多いかもしれません。
出井 「安定」というものは無い世の中になりました。たとえ名だたる大企業に入社しても突然大変な事実が発覚してしまうこともあります。
21世紀に入ってからは大きな変化の連続です。例えば、たくさんあった銀行も、今や3メガバンクに吸収・合併され、業界の再編成が行われました。これはどの業界でも同じでしょう。
「一度入社したからと言って安心ではない」ということに気付かなくてはなりません。大手ほど社内での評価や勢力争いがあると思いますが、それは全て内向けのもの。その会社の所属から外れれば、意味がなくなってしまいます。一方、他人と異なる強みを持つことができれば、社外からも必要とされる人材になれるのです。
いかなる仕事にも意味を見出す
問 著書の中で、同じ仕事を繰り返していくのがワーキングクラス、新しい価値を生み出すのがクリエイティブクラスだとおっしゃっていましたね。その転換のためには何が必要ですか。
出井 自分の仕事が繰り返しだと思わないことです。若い頃は書類の整理や上司の雑務などが多く、繰り返しの仕事をしていると感じるかもしれません。しかし、本当にそれは繰り返しでしょうか。
例えば、レストランの給仕。毎日料理を運んでいるだけだと考える人もいれば、動線上のお客のグラスが空いていないか確認したり、常連の名前や好みを覚えようとしたりする人もいる。仕事自体は繰り返しでも、どのように捉えるかは自分次第。そして後者の考え方でいればクリエイティブな仕事をできるようになるでしょう。
問 出井さんにも、そんな経験がありましたか。
出井 私は33歳の時に、物流センターに配属されました。大手メーカーの本社の企画スタッフにとっては左遷と言われてしかるべき部署です。しかし、裏側からソニーを見ることができたことは後のキャリアで役に立ちました。
また、ソニーで初めてコンピュータが導入されたのは物流センターでした。プログラミングも実際にやってみて、コンピュータを使えば様々なことが出来ると気付きました。後に、コンピュータ事業部の部長を務めることになりましたが、現場に出たことで最先端の技術に出会えたのです。
ポジティブに生きる
問 本書の中で最も伝えたいことをご紹介下さい。
出井 生き方の4つの法則を紹介していますが、中でも特に伝えたいのは法則2の「ポジティブに捉える」です。失敗しても危機ではなく、次のチャンスだと考える。ネガティブに捉えて悪い方向に進むのと、どちらが良いかは明らかでしょう。
問 そのようにお考えになるようになったきっかけはありますか。
出井 母の影響だと思います。母は明治生まれで、終戦後に経済学者の職を失った父の代わりに働き、生計を立てていました。まさに精神的にも経済的にも自立した女性でした。父には学者の道を期待されていましたが私はソニという会社に行きたかった。その時に、母は「好きな道を進みなさい」と背中を押してくれました。
問 ポジティブで芯の強い方だったのですね。
出井 フランス人の先輩経営者の一言にも、はっとさせられました。「頭が良いのになぜネガティブなことばかり言うのか。逆に物事を良い方向に考えてみたら世の中が変わる」と言われました。
人は本能として批判的な言葉ばかり目につくのかもしれません。しかし、それを口に出してしまったら、コミュニケーションが始まらない。例えば、プレゼンをされた時には、まずは良いところを伝える。気になる点があれば、指摘はその後でもいい。そうすれば相手も気持ち良く聞いてくれますよ。
問 人間関係を円滑にするコツかもしれませんね。他に心がけられていることはありますか。
出井 リーダーでありながら、必要な時には良いフォロワーに徹することが出来るのが良いリーダーだと思います。頼むことと頼まれることのバランスも大切ですね。
問 最後に出井さんの夢を教えて下さい。
出井 私はロボットではないので、持っているノウハウや知識を他の誰かに100%引き継ぐことはできません。このように本を書いても、実は思っていることの100分の1も伝えられてはいない。しかし、AI(人工知能)の技術も発達してきましたから、私の考えや価値観を反映させ、私の代わりに質問に答えられるような「出井ロボット」を作りたいですね。