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【『論語』を実践に活かす】公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 安岡定子

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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故きを温ねて新しきを知る

(企業家倶楽部2021年5月号掲載

 渋沢栄一氏が一万円札の肖像に決まり、さらに大河ドラマの主人公に取り上げられたことで、『論語』にも興味を持つ方が増えています。経済と道徳とは両方がバランスよく揃っていなければならない、というのが渋沢氏の根本思想です。『論語と算盤』は、まさにその考え方を表している名著です。

 渋沢氏の一貫した行動は、幼いころから慣れ親しんだ『論語』の言葉によって培われたことは間違いありません。東洋の古典に造詣が深い人物は他にもいたと思われますが、実践するところまで徹底していた人物は多くありません。知識として修めて、解説できればそれで満足、というのが一般的な学びの形でしょう。

 『論語』を実践に活かすことは、今こそ重要なことです。

 孔子はなぜ「故きを温ねた」のでしょう。孔子が生まれた春秋時代は、政治が腐敗し始めて、不正をはたらく官僚や政治家が現れました。民の生活は貧しく安定していないのに、自分の地位の安泰と富を築くことに腐心する上層部の横暴が激しくなっていった時代です。青年だった孔子は、何とかいい国造りはできないものかと考えます。

 よい国造りに必要な施策とはどんなことでしょう。徹底的に不正を正す、食物の安定供給、国防の充実、農民を手厚く保護する等々。小・中・高校での授業ではこのような意見が出ます。中には国会を作る、信頼できる国と同盟を結ぶ、というような意見が小学生から出ることもあります。では孔子は何に着目したのでしょう。春秋時代よりも前の夏・殷・周という、よく治まっていた三代を徹底的に学びました。

 過去を学んだ結果、孔子は一つの重要な答えに到達しました。それはリーダーといわれる人物に差があったということです。夏・殷・周時代のリーダーたちは、民のため国のために尽くす人々でした。一方、孔子の生まれた春秋時代では自分の利益を優先する人々がリーダーの地位に就いていました。

 この点によき国造りの本質があることに気づいた孔子は、人物育成・人材育成に力を注ぐことになります。孔子にとっての「新しきこと」はよい国造り。「故きこと」は過去のよき国の姿ということになります。大きなことを成し遂げようとしたら、まず過去を振り返って学んでみようという考え方は、孔子の実体験から生まれています。だからこそ、言葉に説得力があるのです。人生万象の問題の答えは全て過去にあると、私の祖父は言っていました。

 渋沢栄一氏をはじめとする多くの先人が、『論語』の言葉を、組織造り、国造りに活かしてきました。それらの先人の生き様が、私たちにとって見習うべき「故きこと」になります。現代の私たちは、著しい物質的発展を遂げています。常に成果を追い、達成することをゴールとしています。それに伴い人間力も向上しているかといえば、維持すらできず劣化しているかもしれません。たとえば江戸時代の人々と私たちを比べたら、私たちの方がはるかに人間力が勝っているとは、とても思えません。

 技術や知識は、実学といえるでしょう。比較的成果が見えやすいものです。それに対して、志を持つこと、信頼を得ること、正しい判断ができること、責任をとる覚悟があること等々は、人間力や人間学の範疇といえるでしょう。これらは普段は差が見えませんが、ひとたび危機的状況になった時、厳しい選択をしなければならない時に、その人の本当の人間力が見えてきます。短期的に身につくものではなく、日頃の姿勢が大きく影響します。時間をかけて熟成されていくものです。

 人は成果が見えて、評価しやすいものを優先しがちです。確かに技術や知識は必要ですが、それを正しく活かすには道義が必要です。『論語』に「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る。」という章句があります。君子はどれが正しいかで選ぶ、小人はどれが得をするかで選ぶ、という意味です。常に正しいものは何なのかを判断基準に持つことの大切さを説いています。咄嗟の判断が損得ではいけないということです。

 渋沢氏は、義は公の利益、利は個人の利益と解釈しています。物事の判断基準は、まずそれが道理に適っているかどうか、次に社会のためになっているかどうか、最後に自分の利益になるかどうか。この順番は崩さなかったとも言っています。そしてさらに、道義に適っていて、社会貢献になるけれども、自分の利益にはならない場合も遂行したと言っています。常に義を重んじる経営をし続けることは困難です。しかし義があって、その上に利益があるという形を思い起こせたら、たとえその通りにできない場合があっても、次はその理想形になるように軌道修正ができます。

 人は誰でも自分の行いや考え方に自信を持ちたいと思います。経営者であればなおさらです。自身の能力と経験が支えであることは間違いありませんが、そこに揺るがない拠り所があれば、それが精神的支えになるでしょう。多くの先人が求めた拠り所の一つが古典だったことは明らかです。『論語』をはじめとする古典は、原理・原則しか述べていません。どう活かすかは、その人次第です。明確な方法を示してくれるわけではないので、もどかしく感じる人もいるでしょう。読んで何に役立つのかと疑問に思う人もいるでしょう。古典には即効性はありません。しかしその効き目は、あとからじんわりと響いてきます。長い時間をかけて熟成されたものは、簡単には壊れません。困った時のために読むのではなく、人間力を磨くため、自分の内面を豊かにするために日頃から触れておく、それが結果として、困難克服や問題解決につながるのです。

 「徳の修まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能(あた)わざる、不善の改むる能(あた)わざる、是(こ)れ吾が憂いなり。」という章句があります。徳が身につかないこと、学問が深まらないこと、物事の正しい道を聞いても行うことができないこと、悪い行いを改めることができないこと。この4つが常に私の心配事である、という孔子の嘆きです。自ら省みる、という孔子の考え方がよく表れています。先人の行いを学ぶことは、自分の未熟さを認めて素直な気持ちになれるからこそできることです。悩んだり、失敗することを恐れる必要はありませんね。その後の反省や軌道修正が大事です。いつも正しく力強くリーダーシップを発揮できるわけではありません。むしろ失敗や挫折から立ち上がっていく時のリーダーの姿が注目されていることを意識した方がいいでしょう。

 厳しい場面ほど焦らず冷静に、古典の名文・名句に触れてみて下さい。即効性のあるhow-toはなくても、必ず心に響くものはあるはずです。


P r o f i l e 安岡定子 論語塾講師、公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 1960年東京都生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。陽明学者・安岡正篤の孫。現在、「こども論語塾」の講師として全国各地で定例講座を行い、子どもや保護者に論語の魅力を伝えている。また大人向け講座や企業セミナー、講演にも力を注いでいる。『心を育てるこども論語塾』『仕事と人生に効く成果を出す人の実践・論語塾』(以上ポプラ社)、『子や孫に読み聞かせたい論語』(幻冬舎)、『新版 素顔の安岡正篤』『壁を乗り越える論語塾』(ともにPHP 研究所)『ドラえもんはじめての論語』(小学館)など著書多数。

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