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【名著発掘】マーちゃん ―世界一を極めた発明王―/山本 優 著

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【名著発掘】

【名著発掘】

マーちゃん ―世界一を極めた発明王―/山本 優 著

(企業家倶楽部2017年6月号掲載)

◆和歌山に偉人あり

 今般、編み機で世界シェア60%を誇る島精機製作所島正博社長のノンフィクション「マーちゃん」が発刊された。著者は脚本家、小説家で知られる山本優氏である。和歌山に生まれ育ち、戦後の混乱期から「日本の発明王」として、ニット編み機のトップメーカーに上り詰めた“マーちゃん”こと島社長の生きざまが、生き生きと描かれている。そこには涙あり、笑いあり。波乱万丈の人生を駆け抜けてきた主人公に思わず引きずり込まれる。

 480ページもの長編だが、一気に読み終える。そしてこんなに素晴らしいサムライが日本に存在していることを誇りに思う。

 どんな内容なのか、少し紹介しよう。

◆紀州のサバイバル少年は人気者

 深夜。

 石垣をよじ登る少年が一人。

 背後は空襲で一面焼け野原と化していた。

 ・・・・・・

 いまよじ登っている石垣の上から向こうは墓地

 ・・・・・

 雲間がくれの月明りの墓地で少年は建築資材を物色した。

 空襲で焼き出された家族のためにバラックを建てようと、墓地の角材や卒塔婆を拝借したマーちゃん。まだ8歳の少年だったが、歩測で測量、家の設計図を頭に描いていた。

 戦時中の混乱の中、荒地を開墾、野菜をつくって売るが、天ぷらにして売ると飛ぶように売れた。魚や貝はかき揚げにして売った。貧しかったからこその工夫である。戦死した父親に代わり、奮闘する母親を助け、大黒柱として頼りにされていたのだ。生きるための創意工夫がマーちゃんの日常に組み込まれていた。極貧の少年時代を過ごしたマーちゃんだったが、悲壮感は全くない。明るく前向き。負けず嫌いの少年だった。

◆けんかマサは負けず嫌い

 マーちゃんは砂山国民学校の3年生になっていた。

 ・・・・・

 夜。貧しくてラジオもないバラック・・・・。眠れない夜を過ごしているマーちゃんは南無阿弥陀仏の書かれた大黒柱を見ていたが、目を窓に転じた。

 蜘蛛の巣の中で蜘蛛が獲物を獲って動いている。

 ・・・・・

 蜘蛛はいつも巣の中央に陣取り、獲物がかかると巣を伝って遠征する。

 ところが必ず巣の中央に戻ってくる。・・・・・

 どこに餌が来ても真ん中に戻るのが一番の近道。この観察から必ず原点に戻ることの大切さを発見した。このときの体験は後に社業を拡大していく中で、大きなヒントとなる、「蜘蛛の巣の教え」である。

 県立和歌山工業高校定時制に進学したマーちゃんは「けんかマサ」の勇名で、武勇伝を残す。その一方、さまざまな発明に明け暮れた。最初の実用新案は16歳の時に発明した、「二重環かがりミシン」であった。これを機にシマ少年は次々と発明を生み出していく。

 得意分野に絞った方が良いとの高校教師からの忠告に、「まだ誰も目をつけていない分野で技術革新が遅れている業種」として選んだのが「編み機」であった。

「それならビリでも一番になれるかもしれない・・・」。人と同じ方向を見ていたらなかなか追いつけないが、逆を向いたら一番になれる。まさに逆転の発想である。

 そして後にマーちゃんの奥さんとなる和代さんと出会い、結婚。夫婦二人三脚の人生を歩むこととなる。そして1962年、全自動手袋編機の開発に成功、24歳で会社を立ち上げることとなる。
 
◆聖夜のサンタクロース

 その後の人生も決して順風満帆とはいかなかった。ペテン師に騙されたり試練が続いた。 64年11月末、初期の機械の売れ行き不振で赤字がかさみ、倒産寸前に追い込まれた。「島精機は潰れる」との風評が広がり銀行も取引を停止、もはやこれまで、というところまで追い込まれた。

 そのマーちゃんを救ってくれたのは同郷のカミサコ・トシオという人だった。「シマ・マサヒロは和歌山の宝や。僕は必ず世界一の発明王になる逸材だと信じている。和歌山のためにも、日本のためにも気張ってや」。そして100万円入った風呂敷包をさし出し、名前も告げずに去ったのだ。後に名前を知ることになるが、その時の恩は生涯忘れない。こうして九死に一生を得たマーちゃんは、前に進むことができたのである。

 66年、29歳になったマーちゃんは業績が安定したこともあり、次なる構想を実行に移す。

 アイデアセンターの発足である。既に特許類は300を超えていた。次の柱となる横編み機の開発である。この時マーちゃんには全自動で編み上がるセーターの光景が見えていた。そして翌年スイスで開催される繊維業界のオリンピックといわれるITMA67(国際繊維機械見本市)に出品するという夢に向かって走りだした。

 そして9月末のITMA67の前に日本で、世界初の「全自動フルファッション襟編機」を完成・披露、集まった人々を驚かせた。その武器を持ってスイスに乗り込み、世界の賞賛を浴びる。

◆東洋のマジックホールガーメントの誕生

 90年には新社屋が完成、大証一部に株式上場を果たした。マーちゃんの発明意欲はますます強くなり、次々と新技術を開発。英国クランフィールド工科大学から名誉工学博士号を贈られた。95年には完全無縫製型コンピュータ横編み機(ホールガーメント)を発表、10月にミラノで開催された「ITMA95」では「東洋のマジック」と称賛を浴びた。30分ほどで一枚のセーターが自動で編み上がる奇跡を目の当たりにした来場者は驚嘆。世界初を連発する島精機は編み機でダントツナンバーワン企業へと発展を遂げる。

 しかし、2013年、一心同体で支え合ってきた妻の和代さんが亡くなった。マーちゃんの悲しみは計り知れない。しかしマーちゃんの開発にかける気力・体力が衰えることはなかった。

 15年島正博社長は企業家ネットワークが主宰する第17回企業家大賞を受賞した。これは過去にエイチ・アイ・エスの澤田秀雄社長、ファーストリテイリング柳井正社長、ソフトバンクの孫正義社長ら錚々たる経営者が受賞した栄えある賞である。壇上で受賞の喜びを語る島社長は輝いていた。

 そして今、マーちゃんとシマセイキは2019年にバルセロナで開催されるITMAに向けて、最新鋭機の開発に余念がない。

 前人未踏の荒野に挑み続けるマーちゃんは79歳。

 マーちゃんの前に道はなく、マーちゃんの後ろに道はできる。(つづく)

 お金も学歴もない島社長がどのようにして発明王となったのか。この本には世界初に挑み続け、世界のファッション界を革新する島社長の全てが網羅されている。最後が“つづく”としているところが面白い。80歳にならんとする島社長のますますの活躍を期待するばかりだ。

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