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【緑の地平vol.18】 三橋規宏 千葉商科大学名誉教授

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

「原発ゼロでも日本は発展できる」小泉語録を検証する

(企業家倶楽部2014年4月号掲載)

3・11 から3年目の今 どの道を選択するか

 先日行われた東京都知事選に元首相の細川護熙氏が立候補を表明した際、同じ元首相の小泉純一郎氏が支援に回り、「原発ゼロでも日本は発展できる」と述べ、今度の都知事選は「原発なくして発展できない」というグループとの争いだ、と啖呵を切った。

 一方安倍晋三首相は「原発ゼロは無責任」との立場で、トルコを含む中東諸国などと原子力協定を結び、原発輸出のトップセールスに精力的に取り組んでいる。

 福島原発事故から早くも3年目になる。丸3年が過ぎようとしているにもかかわらず、汚染地域の除染作業は大幅に遅れ、事故現場の汚染水対策や廃炉作業も遅々として進んでいない。溜まる一方の高濃度の放射性物質、「核のごみ」も今の科学的知見では適正な処理方法が見いだせない状態だ。

 3・11・3年目を直前にした今、あらためて「原発ゼロでも日本は発展できる」のか、「原発なくして、日本は発展できない」のかを検証し、いずれが日本の将来にとって望ましいかを選択し、日本の針路を明確に打ち出す時期が来ている。

 「原発なくして、日本は発展しない」のグループも決して内実は一枚岩ではない。積極的推進派は、日本の将来のエネルギー戦略として、原発事故以前の原発依存路線への復帰を目指している。事故の反省をしっかりし、世界一安全な原発をつくり、安全管理を徹底させれば問題はないとするかつてきた道と同じ考え方だ。多少のリスクは残るが、深刻な事故はゼロに近い状態まで抑え込むことができる。エネルギー資源の乏しい日本が発展するためにはこの道しかない。自然エネルギーの普及には限界がある。「人のうわさも75日」というが、日が経てば、原発の負の部分が忘れ去られ、電気のありがたさが再認識され、原発アレルギーも減少してくるだろう。「原発安全神話の復活」は、日本の将来のために必要だという立場だ。

原発推進派は事故前への復帰が目標

 事故前、日本の発電電力量に占める原発の割合は約26%。さすがにこの水準まではムリだとしても、15%程度を原発に依存しないと、石油や天然ガスなどの輸入価格上昇←発電コストの上昇←電力料金の引き上げの悪循環に陥り、日本産業の国際競争力は大幅に低下し、国民も電力料金の引き上げで家計を圧迫されてしまう。

 原発事故が起こる前の歴代政府は、日本のエネルギー政策を支える重要な柱として原発を位置付けてきた。事故直前に作成された政府のエネルギー基本計画(10年6月作成)では、30年までに14基以上の原発を新増設し、発電電力量の約半分を原発で賄う計画だった。事故後、この計画は白紙に戻ったものの積極的推進派は密かに計画の復活を目指している。

 一方、原発縮小が望ましいとしても、直ちに原発ゼロを実施すれば、産業や国民生活に与える影響が大き過ぎる、という立場が穏健派である。穏健派は、積極的推進派ほどではないが、「最低限度の原発は今の日本には必要だ」との認識である。

 積極的推進派にせよ、穏健派にせよ、「原発なくして、日本の発展はない」という立場は同じである。原発依存を前提とした日本のエネルギー戦略を推進するためには、事故前のエネルギー基本計画へ戻ればよいわけで、産業構造や消費者行動、政治や社会の仕組みも大きく変える必要はないという結論になる。この路線では、経済は活性化しないだろう。

 他方、原発ゼロでも、日本は発展できる、という立場から、将来のエネルギー戦略を考える場合は、これまでのエネルギー構成や産業構造、消費者行動、政治や社会システムなどを大胆に転換させていかなくてはならない。この転換、別の言葉でいえば、原発ゼロ革命を成功させるためには、日本人の本気度が問われるわけだが、小泉元首相は、「総理が決断すればできる」と指摘している。

原発稼働ゼロで3年間問題はなかった

 3・11から丸3年。原発ゼロ革命の条件は、今の日本にどれだけ整っているのだろうか。事故前と事故後で比較すると原発ゼロ革命を可能にさせる条件が3年の間に急速に整備されてきた。この現実を直視しなければならない。

 第一に指摘できることはこの3年間、日本の原発稼働率はゼロ状態を続けていることだ。事故後の12 年7月に大飯原発3、4号基(福井県)が一時的に再稼働したが、13年9月に定期検査に入り、両基とも稼働を停止した。現在、稼働可能な原発50基すべてが運転を停止している。3年間、原発ゼロでも、経済活動や国民生活にそれほど大きな支障が出ていない。3年間原発ゼロでやってこられたということは、今後5年先、10年先、さらにその先も原発ゼロでやっていけると考えてもなんら不思議ではない。

 第二に太陽光や風力を活用した再生可能エネルギーの利活用が急速に普及してきたことだ。再生可能エネルギーを生産者に有利な価格で買い取る固定価格買取制度が12年7月からスタートした。この結果、現在までに経産省が買い取りを認定した太陽光発電所の出力は、合計すると2000万kwを超える。原発1基の出力を100万kwとすれば、原発20基分に相当する。もっとも、2000万kwのうち、実際に稼働したのは1割強と少ないなど問題はあるが、太陽光発電だけでも、20基の原発を代替できる可能性が出てきたことは画期的なことである。事故前は想像もできなかった。今後、大型の洋上風力発電などが加わってくれば、再生可能エネルギーだけでも、かなりの数の原発に置き換わることが可能になる。

 第三は、事故後、製造部門の省エネ化、省エネ型のオフィスビル、エコハウスなどが急速に進行している。3・11事故が起こった年の夏場7、8月の2カ月間、東京電力管内の電力消費量は、企業、個人の節電努力によって、約1000万kwも削減できた。原発10基分だ。この1、2年、新設のオフィスビルや工場での省エネ化が著しき進み、従来の建造物と比べ、消費電力量を半減させるケースが目立つ。節電効果によって原発20~30基分を代替させる可能性も高まっている。

退路を断つことでイノベーション旋風が起こる

 事故後3年、再生可能エネルギーと大幅節電によって、日本は原発ゼロでも発展できる条件を急速に整えてきている。この動きをさらに加速させ、発展させていくためには、既存のエネルギー構成、産業構造、消費者行動、政治や社会システムなどを大胆に転換させていくためのイノベーションが求められる。時代を変えるイノベーション旋風を巻き起こすためには、脱原発を大きく国家目標として掲げ、原発への未練を断つことが肝心だ。その一助として、すでに脱原発に向けて踏み出したドイツの経験から学ぶため、「ドイツ脱原発倫理委員会報告」(大月書店)の一読をお薦めする。

プロフィール 

三橋規宏 (みつはし ただひろ)

千葉商科大学名誉教授

1964 年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010 年4月から同大学大学院客員教授。名誉教授。専門は環境経済学、環境経営論。主な著書に「ローカーボングロウス」(編著、海象社)、「ゼミナール日本経済入門24版」(日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「環境経済入門第3版」(日経文庫)など多数。中央環境審議会臨時委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など兼任。

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