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【編集長インタビュー】農業総合研究所 代表取締役社長 及川智正

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

消費者の「ありがとう」を農家に届けたい

(企業家倶楽部2017年8月号掲載)

農業はベンチャー企業が誕生しにくいと言われて久しい。既得権益というハードルが高いことがその理由だ。難しいと言われる業界に果敢にチャレンジする農業ベンチャーが現れた。ITを活用しながらも、消費者の「ありがとう」という感謝の気持ちが鍵だと及川社長は言う。自ら「泥臭いITベンチャー」と語る挑戦者に農業革新のポイントを聞いた。(聞き手は本誌編集長 徳永健一)

感謝の言葉が仕事のやりがい

問 及川社長は起業する前に農家で修行をしたそうですね。それはなぜですか。

及川 農業で何が一番問題なのかと思ったときに、おそらく今の農業の仕組みが悪いのではと考えました。仕組みといってもまずは現場で農業を見ないと、もしくは学ばないと分からないことが沢山あるはずだから、まずは現場だと思いました。

 たまたま奥さんの実家がきゅうり農家でした。弟子入りということで、義理の父の元で一年間きゅうり農家をしました。色んな意見があると思いますが、私が一年間農家をやってみた感想は「つまらない」でした。

問 「つまらない」と感じた理由は何ですか。

及川 農業を始める以前に仕事をしてきて何が楽しかったのかと言いますと、アルバイトもサラリーマンも同じですが、お客様から「土日なのに悪いね。ありがとう、助かったよ」と感謝されたからだと思います。その言葉で仕事のモチベーションが上がりました。

 しかし、私が1年修行したきゅうり農家は100%農協出荷でした。きゅうりを作り農協へ持って行き、伝票をもらって終わりです。

 この伝票には「及川さん、美味しかったよ」と書いてありません。何が書いてあったかというと「まっすぐなきゅうりは100本、曲がったきゅうりが50本、合計150本」のみ。これが365日続いたらメゲます。

「一体誰が私の育てたきゅうりを食べているんだ」

「美味しかったよ、ありがとう」という声が聞こえて来ませんでした。私は仕事のモチベーションをどこに持っていけば良いのか全く分からなくなり、「元々外から来た人間だから、2年目から自由にやらせてもらおうかな」と思いました。

 自分で作って自分で売ろう。2年目からはビニールハウスを借り、全部自分で作って自分で販売するところまでやってみました。すると農業はそんなに甘くない。1年しかきゅうりを作ったことがないから、きゅうりが曲がる曲がる。まっすぐなきゅうりが出来ない。もう1つびっくりしたのは、きゅうりをどこに持って行けば買ってくれるのか知りませんでした。スーパーに売ってるからスーパーに持っていったら買ってくれるのかなとドアノック営業してみました。その結果、2年目の年収が僅か40万円でした。

問 何か転機になることがありましたか。

及川 3年目になると2年間営業したスーパーから自動的に注文が入るようになりました。

「去年のきゅうり、なかなか評判が良かったよ。きゅうりだけじゃなくて、ナスやトマトも持ってきて」と声が掛かるようになりました。

「きゅうりを漬物やサラダにして持ってきてよ」という話もありました。「私は農家なんですけど」と言ったら、「それでは漬物工場とカット工場を紹介するから加工して持ってきてよ」という感じで取引が大きくなっていきました。

 2年目は自分のきゅうりしか売れませんでしたが、3年目からは友達の野菜と果物、加工したきゅうりが売れました。おそらく地元の農家さんより、手取りが1.5倍くらいに増えたと思います。

「これだ!」と思いました。こういうふうに農業もちゃんと自分でマーケットに営業していって、お客様の要望に応えたものを提供できれば、「ありがとう」と言ってもらえると思いました。私がしたかったのはきゅうり農家で儲けることではなく、農業の仕組みを変えたかったのです。もしかしたら、和歌山県の美浜町というところから日本の農業を変えられるかもしれないと思いました。

問 その後は順調だったのでしょうか。起業のきっかけについて教えてください。

及川 一農家として儲けることが出来ても、日本の農家の仕組みを変えていくというのは非常に大変だと思いました。なかなか生産現場が変えられないのであれば、販売現場から日本の農業の仕組みを変えてみようということで、3年間自分で農業を経験した後、大阪で八百屋を始めました。

 農家から野菜果物を仕入れて販売するという八百屋です。これはどの業界でも同じことだと思いますが、作っているときは1円でも高く売りたいと値上げをしていきます。しかし、仕入れる側になると利益を出したいので、農家を叩く。私は農家をやったことがあるのに、立場が変わると農家を叩いている。まるで水と油の関係だと感じました。

 これは両方を経験した人間でないとコーディネートは難しいと思いました。生産と販売の水と油が交わるところ、流通という部分をコーディネートしないかぎり、日本の農業は良くならないと思い、一年で八百屋を辞めて、和歌山に戻ってきて設立したのが農業総合研究所です。

問 農家は自分が売りたい分だけ集荷場に持っていき、自分で販売価格も決める、この今のビジネスモデルを思い付いたのはいつ頃ですか。

及川 自分で全て考えたのではありません。「道の駅」が少しずつ増えていき、農家が主体的に考える下地が育ってきていました。道の駅や農協の良いところと悪いところを、私は現場で農業をした経験から理解出来ました。これをカバーするような流通ができないか考えていました。

 会社の理念は「日本から世界から農業が衰退しない仕組みを作る」です。これを実現するためには、農家のレベルアップなくしては絶対叶いません。外野が「ああしろ。こうしろ」と指図して伸びるものではありません。農家の方が自らメーカーポジションで仕事が出来る仕組みを作り、努力した人が報われる産業にしたい。

 多くの方には「農業は儲からないのでは」というイメージがあるかもしれません。ただ実際は、年収5000万円超えの農家もあるくらい儲かっている人はいます。そういう人たちにもっとスポットライトが当たり、公平に自由競争できる環境を整備すると農業はもっと伸びます。

お客様の声が直接届くプラットフォーム

問 既存の仕組みを変えるのは大変ではなかったですか。

及川 創業当時は事業内容を理解してもらうのも大変でした。今は全国に道の駅が出来たので、消費者は、うちの商品を見ただけで、「これは道の駅と同じで、新鮮で美味しい」と理解していただけるようになりました。

 先日スーパーの社長から連絡がありました。呼び出しがある時は怒られることが多いので今度は何だろうと伺うと「どこどこの店舗で、『最近、木村さんの大根を見ない。木村さんは病気なのか』という問い合わせがあった」と言うのです。今までスーパーで野菜を買っていた人は誰が作っているかなんて想像もしていなかったでしょうが、今は生産者の名前が貼ってあるので、美味しかったらファンになっているのですね。気に入って買っていたら、売り場にないと気になって仕方がないという。

 今までは問い合わせ先がないので、スーパーに連絡がいき、それがクレームになってうちに連絡が来ました。それはクレームではなくてリクエストだったのです。生産者の人にそのことを伝えたら、「リクエストがあるなら畑を大きくしてもっと出荷するよ」と喜んでいました。これまでにはなかった情報の交流が可能になりました。

問 及川社長の経営者としての心構えについて聞かせてください。

及川  「持続可能な農環境を実現して生活者を豊かにする」を経営目標 に掲げています。

 私は農家を経験し、農協にも市場にも行きました。農業に携わる人は皆、「野菜や果物は儲からない。農業は儲からない」と言います。皆が言うように本当に儲からないのであれば、資本主義の世界なのですから、なくなればいいと思います。それは感謝されていないということですから。

 しかし、農業はなくなっていいビジネスではないと思っています。世界の人々の胃袋と心を満たす産業が農業だと思っています。ビジネスとして魅力ある農業を作ることによって、日本からそして世界から農業がなくならない仕組み、未来永劫農業が持続する仕組みを構築することが使命です。

 そのために重要なことは、有能な人材を農業の現場に入れることです。生産現場だけではなくて、流通や販売現場もあります。農業は野菜・米・花を作る仕事といわれるが、トヨタも車を作る会社ではなく、車を作り人々に乗っていただいて快適な生活を送ってもらうことが目的です。農業も作るだけではなくて、私たちは消費者に食べてもらうまでをコーディネートすることが農業の仕事であり、使命だと思っています。

 その中で一番ハードルが高いのが消費者に「買っていただく」ことだと思います。私たちは生産者と一丸となって取り組む会社を作っていきます。

 最近では、うちの集荷場の近くで農業をやりたいという声を頂くようになりました。とてもありがたいです。一方で、以前は働かないニートが多いと社会問題になり、ニートを農業に活用できないかという議論がありましたが、働く意志のない人には農業に入ってきてもらいたくない。もっと熱い想いを持ったギラギラした人材に農業の世界に入ってきてもらいたい。そのために私たちが今しなければならないことは、農業をもっと魅力ある仕事にすることです。魅力とは、お金と成長が得られる産業にしていくことです。

問 そのための課題は何でしょうか。

及川 現在の農業を発展させるには、農家がもっと多くの収益を上げるような仕組みを作ることです。同時に農業に携わる人間の成長が得られるような仕組みを作る、この2点です。うちの仕組みを使うと新たな販路が開拓でき収益が増えます。もう一つの人間的成長の部分は、農作物と向き合うだけなく、他人との交流が必要です。そこで、他の生産者、他の農業以外の業界の人とも情報交換ができるようなプラットフォームを今後作っていきたいと考えています。

問 具体的にはどんなことでしょうか。

及川 農家は弱い立場で守るべき立場の人ではありません。他の産業と同じだと思います。人間との対話が成長に一番大事なので、そういう場や機会を作っていきます。

 農業にもイノベーションが必要と考え、「農業の産業化」、「農業の構造改革」、「農業の流通革命」という3つのことに取り組んでいきます。

 農業の産業化とは、公平で自由に競争できる環境を整え、普通のビジネスと同じ様な仕事にしていきましょうということです。頑張った人が伸びていき、頑張らない人はやめないといけない仕組みをつくっていきます。そうすることで、農業の発展に貢献していきます。

 農業の構造改革とは、消費者の「ありがとう」という言葉が生産者へ届く構造にすることです。人から感謝されると仕事へのモチベーションが違います。

 農業の流通革命とは、既存の限られた流通形態のみでなく、生産者が自立し、時代にマッチした様々な流通チャネルを作り、選択できる仕組みを構築することです。

問 それで、農業総合研究所という社名を付けたのですね。及川 農業ベンチャーには、カタカナで「○○アグリ」という名が多いのですが、私は漢字で「農業」と入れたかったのです。会社名を見ていただいて、どの業界で仕事をやっている会社か直ぐに分かる社名にしたかった。そして、農業は作るだけが仕事ではなくて、消費者に食べていただくまで全て総合的に研究できる会社にしたいと名付けました。

p r o f i l e

及川智正(おいかわ・ともまさ)

1975年生まれ。1997年東京農業大学農学部農業経済学科卒業後、巴商会入社 宇都宮営業所転属。2003 年和歌山県にて新規就農。2006 年エフ・アグリシステムズ(現フードディスカバリー野菜のソムリエ協会)関西支社長に就任。野菜ソムリエの店エフ千里中央店開設、スタッフへ譲渡。2007 年農業総合研究所を設立し、代表取締役就任。

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