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【編集長インタビュー】島精機製作所 代表取締役社 長島 正博

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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技術者の情熱が発明の原動力

技術者の情熱が発明の原動力

(企業家倶楽部2015年8月号掲載)

戦後の食べるものも足りない時代。島少年は生きていくため、貧しくもたくましく生きる術を習得していく。お金がないなら、創造力と企画力で勝負。どうやったら少ない労力で最大の結果が得られるか効率性を考えるのが習慣になった。編機の修理工場の手伝いで機械いじりに目覚め、高校では難関と言われた県内工業高校機械科に進学。「無いものは自ら創り出す」という逆転の発想で世界企業へと成長した島精機製作所。発明企業家、島正博社長の生い立ちと経営理念を聞いた。(聞き手は本誌編集長 徳永健一)

無いものは自ら創り出す

問 2015年の企業家大賞受賞おめでとうございます。業績も好調ですね。2015年3月期の売上げが483億5400万円(対前期比19%増)、経常利益が84億7000万円(同比15・2%増)と増収増益でした。経常利益率も17・5%と高い理由を教えて下さい。

島 ありがとうございます。利益率が高い理由は、作り方に無駄がないからです。弊社では、製品の開発から出荷までを予め見込んで作っています。お客様が安く購入出来るように先を読んだ仕事をすることで無駄を省く努力をしています。  

 弊社が独自に開発した裁断・縫製のいらないコンピュータ編機であるホールガーメントは、従来の製法と比べ30%のカットロスを省くことが出来ます。このホールガーメントが誕生してから、今年で20周年になりますが、コンセプトである資源を無駄にしない、時間やお金のロスを省くというのは、何も製品だけではなくて、仕事の進め方全てにおいて無駄が無いように心掛けているからだと思います。

問 製品の開発・組み立てだけでなく、部品から自前で製造していることが特徴ですね。全てを自前で作るようになったのはなぜでしょうか。

島 幼少年時代の経験が関係しているのかもしれません。1945年から55年までは戦後で、食べるものもなく、自分たちで畑を作りました。家族が食べる以上に作ったら、他の人にも買っていただこうと、1年間で100坪の農地を作って、農業を始めました。和歌山で開墾して畑を作ったのは私が初めてだと思います。

 円筒の穴を深く1.5メートル位掘って、瓦礫と砂を入れていく。こうすると野菜がよく育つ。次に鶏も飼って、卵を産ませる。海も近くでしたので、素潜りし貝や魚を捕りました。うなぎを捕るには炭俵に楠の枝を入れるのがコツです。そうすると楠は樟脳(しょうのう)の元ですから人間には分からなくても魚には匂いが分かる。そのままでは浮いてしまうので、石を入れて夜の内に川に沈めておくと、翌朝にはうなぎが50匹から100匹と大漁でした。近くのバラック(仮設の家屋)に配って回ったら喜ばれました。

 生きていくために出来ることは、農業、畜産、水産と何でもやりました。野菜や魚がたくさん取れれば、天ぷらにして売りました。とにかく皆貧しいから考える。少ない資源で効率的にするにはどうしたら良いか常に考えていました。このような体験から企画力が養われました。

 必要な物は自分たちで作るのが当たり前の時代でしたから、その意識は創業前から変わっていません。

魂を込めて開発

問 特徴である自前主義のメリットは何でしょうか。

島 材料を買ってきて自分たちで作ると買うよりも半値以下で出来ます。そこに付加価値が付いてきます。部品一つひとつ、そして製品を日々進化させていくと他社が真似のできない魂の入った機械が出来るのです。「無いものは自ら創り出す」というのが信条です。

問 島精機の製品が素晴らしいと、競合も研究して同様の製品を作ってくるのではないですか。

島 見た目は同じような機械が出来ても、簡単に真似の出来るものではありません。例えばコピーですから値段は半値八掛け位で安価なものを作れたとします。しかし、耐久性は信用できませんね。1年もしたら故障し生産性が落ちます。すると優秀な人を修理に充てないといけません。さらに品質管理、納期管理が出来ないと会社の信用も落ちます。結局、島精機に戻ってきます。

 アウトソーシングがもてはやされていた時代がありましたが、外に開発を出していたら、図面などノウハウが外に漏れてしまうリスクがあります。自分たちで新しい機械を開発するのは大変な労力を使いますが、先に苦労して良いものを作っておくとお客様からの信用も広がっていきます。

 魂を込めて開発を続けているので、他社はなかなか真似は出来ません。目先の利益ではなく相手の立場になって考える。逆転の発想です。

17歳の頃の島社長

発明好きの少年時代

問 どんな子供・青年時代を過ごしたのですか。

島 発明が好きな子供で、とにかく機械いじりが好きでした。当時は中学を出たら就職するのが当たり前の時代で高校に進学する人は少なかった。私も学校から返ってくると隣にある編機の修理工場で手伝いをしてのが嬉しくてね。そこは手回しの靴下編機や手袋編機があり、1日2ダースを編むのは熟練の技術者でないと難しかった。これは面倒だなと思い改良すると、「凄いな。まーちゃん、特許が取れるよ」と褒めてくれる。この程度で特許が取れるなら、毎日でも発明できると思いました。そんな経験があり、機械が面白くなってきたので、中学2年生の時に担任の先生に「高校は機械科に進学したい」と相談したら、「クラスで1番でないと無理だ」と諭された。「君は天ぷら屋を出来るくらいだから、うだ」と提案されたが、機械科以外は興味がありませんでした。

問 創業前から発明をしていたのですね。それで、希望の機械課には進学できなかったのですか。

島 「それだったらやめます」と受験を断念したら、先生が自費で参考書を買ってくれました。3日間丸暗記して受験すると1番で合格。先生からは「落ちると言って失礼した」と言われましたが先生の応援がなければ、受かっていなかったでしょうから感謝しています。

 高校へは1番で入学したので信用がありました。授業も試験も遅れて行き、早く教室を出てきた学生に「どんな問題が出た?」と聞いてから試験を受けたので成績は良かった。

 先生や工場の職人さんなど話の相手をしてくれるのはいつも自分よりも年上の大人でした。当時は道の舗装率が低く、不便なことも多かったので、自転車の泥除けや自動車のヘッドライト、方向指示器など実用的なものを発明しました。

 車もあまった部品を集めて作りました。和歌山県に自動車が100台もない時代で、16歳になり免許を取りに行ったら、運転が上手すぎて、教官が驚いていました。自分は機械の構造も分かっており、車の運転も朝飯前でした。

時代の先を読む

問 根っから機械が好きな発明少年だったのですね。発明の原点は何だったのでしょうか。

島 機関車や船はどうして動くのかなど、機械の構造やメカニズムを観察するのが好きな子供でした。幼い時から修理工場に出入りしていたので、工具はいつも手の届くところにあった。時計でも何でも分解してはまた組み立てるような、機械いじりのすきな子供でした。

 今日発明したものを明日もう一度見直してみる。するとここを反対にした方が良いかなと改善点が出てくる。お金がなかったから、いろんなことを試してみると、力の伝わり方など原理が分かったので、その時に必要なものを時代に合わせて作っていくのが好きでした。分からないことがあると専門書を買って来て勉強し、作っては改良し、観察を続ける。担任の先生が特許・実用新案の出願方法を教えてくれ、発明ラッシュに繋がりました。

問 90年代にはインターネットなど新しい技術が出てきて、ビジネスの世界も様変わりしています。やはりITにも関心がありますか。

島 インターネットが誕生する前からコンピュータグラフィックスには関心がありました。もちろんアップルのiPadが発売された際には、すぐに100台まとめて購入した位です。ファッションの世界は6シーズン制なので、大量のサンプルを作っていては間に合いません。そこで、CGで映像を作ってお客様に提案します。

 最初のコンピュータグラフィックスとの関わりは、1979年に米国のNASAが土星探索機ボイジャーのグラフィックボードを払い下げると聞き、日本の商社を通して購入したことです。なんとボード3枚の内、一枚はアップルの故スティーブ・ジョブズ氏が手に入れたようです。1枚1500万円しましたが、画像処理のコンピュータを一から開発するよりは時間を買おうと決め購入しました。

 編機の自動化など、常に時代の先を読んでいましたが、走りながら、平行してまた先のことを見据え、島精機では技術者を育てています。だから、人員整理なんて考えたことありませんし、一度もしたことありません。

仕事を愛しなさい

問 求める社員像について、教えて下さい。

島 仕事は「やる氣」があるかどうかです。学校で勉強できなかった人でも、良い仕事が出来ます。しかし、勉強が出来ても「やる氣」がないと、できない証明が上手になるだけでいけません。一所懸命に仕事をして、好きになったら、情熱が湧いてきます。すると、「こうしたら早くなる」とかアイデアが出てきて、仕事のやり方が変わってきます。特にモノづくりは学歴は関係ありません。むしろ、学歴があるとズル賢い発想が働き、仕事が遅い傾向がある人もいるほどです。会社のエントランスにロダンの考える人と大きな手の彫刻が飾ってあるのですが、「考えているだけではいけない、すぐに手を動かしなさい」という社員へのメッセージです。(笑)

 私は社員には、「仕事を愛しなさい」とよく話しています。仕事を愛したら、必ず向上心が芽生えてきます。すると、創造性がわいてくる。ここに新しい方法が浮かんでくると、発明ができるようになってくる。発明が出来る人は仕事を愛している人で、情熱を燃やしている人です。

問 若い人へのアドバイスをお願いします。

島 若い人たちには情熱を持って仕事をして欲しいと願っています。ビジネスでお金を儲けようと思っても、景気の波は読めません。突然、バブルがはじけたり、リーマン・ショックのような金融危機が訪れたり、予期せぬことが起こります。ですから、金儲けよりも、自分が情熱を燃やし続けられることを大切にして下さい。その方が会社も永続的に発展していけるでしょう。お客様の立場になって考え、喜んでもらえる事業をしていれば、企業も成長し社員も幸せに出来ます。すると国も栄え、三方良しとなります。

profile 

島 正博(しま・まさひろ)

1937年、和歌山県出身。県立和歌山工業高校卒。1962年、手袋編機の自動化という課題を掲げ、島精機製作所を設立し、社長就任。同社のコンピュータ横編機は世界で60%以上のシェアを誇る。600を超える特許を取得。90年大証二部に株式上場、96年東証一部に指定替え。2015 年「第17 回企業家大賞」受賞。

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