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【エンジェル鎌田’s Eye】TomyK Ltd.代表 鎌田富久 & WHILL CEO 杉江 理

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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全ての人の移動を楽しくスマートに

全ての人の移動を楽しくスマートに

左:TomyK Ltd.代表 鎌田富久氏 右:WHILL CEO 杉江 理氏

(企業家倶楽部2019年6月号掲載)

ACCESS 創業者で現在エンジェル投資家の鎌田富久氏が、投資先企業の経営者と対談する「エンジェル鎌田’s Eye」。今回は、車いすのイメージを覆すスタイリッシュなパーソナルモビリティ(移動支援機器)を開発、販売しているWHILL CEOの杉江理氏をゲストに迎えた。昨今注目されているMaaS 事業にも取り組む同社は、どのような未来を見据えているのだろうか。

空港に「WHILL」 が走る

鎌田 目の前に「WHILL」のモデルCをご用意いただきましたが、どのような点がこれまでの車いすと違うのでしょうか。

杉江 一番の特長は前輪です。既存の車いすはキャスターですが、「WHILL」ではタイヤを使用したことで、小回りが利く上に走破性も良くなりました。またデザインにもこだわっており、車いすのイメージを覆すスタイリッシュな仕上がりとなっています。

鎌田 私も体験しましたが、簡単かつ感覚的に操作でき、狭い場所でも向きを変えるのに困りませんでした。見た目も格好良く、電動でスムーズに動きますので、出掛けるのが楽しくなりそうです。現在、注力されている事業はありますか。

杉江 移動を最適化するサービス、いわゆるMaaS事業です。病院、美術館、テーマパーク、ショッピングモールなどに「WHILL」を導入していこうと考えています。中でも、現在実証実験を進めているのが空港です。2020年の実用化を目指して、スキポール空港(オランダ)、ヒースロー空港(イギリス)、ラガーディア空港(アメリカ)などと協議をしています。

鎌田 なぜ最初に空港を選んだのでしょうか。

杉江 明らかなニーズがあるからです。現在の空港では車いすを押す専門の係員が足の不自由な方を車いすに乗せてゲートまで連れて行きます。しかし、近年では高齢化の影響で利用者が増え、コストが上がってしまっているのが現状です。

 ここに「WHILL」を取り入れれば、お客様はスタッフを呼ばずに一人で自由に動けますから、コスト減が見込めます。最終的にはプログラムを組み込んで目的のゲートまで自動運転で行けるようにする予定です。

鎌田 自動運転も可能となれば、「WHILL」に元の収納場所まで自走してもらうことができますので、回収も無人で行えますね。

欲しい人が買えないものは作るな

鎌田 どのような経緯で車いすを作ることになったのでしょうか。

杉江 創業は12年5月ですが、プロジェクト自体は10年から始めています。当時は週末になるとアパートの一室に皆で集まり、様々な製品を作っていました。風を可視化するアートや開けやすいペットボトルの蓋など、作るものは多岐に渡っており、その中の一つが「WHILL」だったのです。

鎌田 なぜ、そこから起業に至ったのでしょうか。

杉江 1年かけて「WHILL」のコンセプトモデルを作り、11年の東京モーターショーで発表したところ、大きな反響がありました。ところがその時、車いすに乗った方が一人近づいてきて私たちに言ったのです。「こういうものを作るのはもう止めろ」と。よくよく話を聞くと、「コンセプトモデルを出して評判になっても、ほとんどのものは買えない。期待するだけ損になるから止めろ」ということでした。

鎌田 それは衝撃的な出来事ですね。

杉江 私は日産出身で、他のメンバーも大企業を経験していた人たちですから、「確かにそうだよな」と納得しました。大企業でも新規事業として色々な製品を作りますが、特許だけ取って製品自体は世に出さないといったことは多々あります。それでは良くないと思い、「欲しい人がいるなら買えるようにしよう」と決意して、12年に起業しました。

ユーザー目線で突き詰める

鎌田 杉江さんと初めてお会いしたのは、13年の終わりでしたね。

杉江 まだまだ創業したばかりで、社員も少なかった頃です。

鎌田 当時の印象としては、「本当に車いすを完成させたい。人の役に立ちたい」という気持ちがかなり強い人だなと思いました。正直モノづくりの分野は開発にお金がかかるし、原価も高い。ベンチャーとしてはハードルの高い部類に入ります。ですが、「この人なら課題を解決して、社会を変えていく存在になる」と思って応援しようと決めました。杉江さんは、ユーザーの気持ちを一番に考えていますよね。

杉江 私自身は足が悪くはないのですが、自分でも実際に「WHILL」に乗って生活していました。その中でどこを改善すべきか、納得するまで突き詰めるのです。

鎌田 初代「WHILL」であるモデルAより、最新版のモデルCの方がスッキリした印象があります。どのような点を改善したのでしょうか。

杉江 一番は分解できるようにしたことです。これはユーザーの声が大きかった部分であり、モデルCでは分解して自動車のトランクに収まるようにしました。他にも電池を少し短くし、パーツをシンプルにするなど性能を簡素化しています。ただ、モデルAもハイエンドモデルとして今でも販売中です。

鎌田 モデルAは99万5000円、モデルCは45万円と、価格もかなり違いますね。

杉江 保険も付きますし、45万円ならば一般的な車いすと比べても購入しやすい価格かと思います。

目の前の人が満足する製品を

鎌田 最初にアメリカで展開したのはなぜですか。

杉江 マーケットが小さく、日本では資金調達ができませんでした。そのため世界を見据えたところ、最も市場が大きかったアメリカを選びました。

鎌田 新しい製品を作るのはかなり大変だったかと思います。

杉江 どのようなニーズがあるのか分からず、ネットワークも無かったので、とりあえず最初は話を聞きました。スタンフォード大学の近くにあるショッピングセンターにずっと立ち、実際にパーソナルモビリティを使っている人やお金を持っている人など、300人ほどにひたすらインタビューしました。

最新版のモデルC

 その後は「150万円で購入する」と書かれた契約書にサインしてくれた5人の意見を投影した製品を作っていきました。高い値段でも買う人にはどのようなニーズがあるのかを調べたのです。

鎌田 お金を出してでも製品が欲しいという人の要望を聞いたわけですね。テレビや冷蔵庫のような誰もが想像できる製品に新しい機能を追加する場合は、幅広いマーケットリサーチが重要だと思います。しかし、「WHILL」は全くの新しい製品ですから、プロダクトを待ち望んでいる目の前の人の意見を最優先で聞いていくやり方は正解でしょう。

着実に量産体制を固める

鎌田 現在、「WHILL」は量産できるのでしょうか。

杉江 1万台までの生産ラインは持っています。私たちはステップに応じて場所と生産方法を変えてきました。最初の50台は工場の跡地を借りて、自分たちの手で組み立てました。次は500台。これは台湾の工場で作ってもらいました。

鎌田 500台というのは、10万や100万という部品を作る工場側からしてみればかなり少ない数ですよね。引き受けてくれる工場を探すのは大変だったのではないでしょうか。

杉江 その通りです。とにかく、工場の方と関係を築くことに注力しました。毎日16時から2時間のミーティングを設定し、18時になったら一緒にご飯を食べに行く。お酒を交わしながら仲良くなり、結果2つの工場が契約してくれました。

鎌田 国を超えているわけですから、とにかく話して相手に信頼してもらうことが重要だったと思います。杉江 実は、しばらくしてそのうちの1社からいきなり契約を解除されてしまったのですが、もう1つの工場に生産ラインを統一し、何とか500台を作ることができました。その工場にはメディカルデバイス市場に進出するという目標があったようで、私たちと組むことでwin-winの関係になれたのです。

移動の際の障害がなくなる世界へ

鎌田 実際に「WHILL」を使われた方の反応はいかがでしょうか。

杉江 時折ユーザーの方々が集まる会を開くのですが、多くの喜びの声を伺います。例えば、早くから私たちを応援して下さった老夫婦のお二人。奥様が「WHILL」のユーザーで、我が社のイメージビデオにもご夫婦で出演いただいています。マンションの上階に住んでいるため、奥様は毎日1階のポストまで行くのが大変だったそうですが、「WHILL」が来てから「毎日郵便物を取りに1階まで降りるのが楽しくなった」と喜んでくださいました。

鎌田 それは素敵なお話ですね。今後もそういったユーザーの方が増えていくのではないでしょうか。杉江さんはどのような未来を作っていきたいとお考えですか。

杉江 全ての人の移動を楽しくスマートにしていきたいです。3年ほど前からMaaSの流れは絶対に来ると見ていましたが、その予想は当たっているでしょう。今後はMaaS事業をより拡大し、ユーザーが行ける場所を増やしていこうと思います。「WHILL」が交通機関と連携して、人を呼ばなくても電車やバスに乗れたり、オフィスのセキュリティと連動して自動ドアが開いたり、刻々と変化する周囲の環境に対してシームレスに繋がるようにしたいですね。現在は「WHILL」を使った事業に取り組んでいますが、そもそもハードウェアに囚われる必要はありません。最終的には「移動の際の障害がなくなる世界」を目指していきます。

鎌田 杉江さんたちを応援している人は沢山いますので、全ての環境がシームレスに繋がる社会を実現し、未来を作っていって欲しいです。御社の皆さんは私の好きな「良い意味で諦めの悪い人たち」ですから、必ず成し遂げてくれると信じています。

Profile

杉江 理(すぎえ・さとし)

1982年生まれ。静岡県浜松市出身。日産自動車開発本部を経て、1 年間中国南京にて日本語教師に従事。その後2 年間世界各地に滞在し、新規プロダクト開発に携わる。元世界経済フォーラム(ダボス会議)GSC30 歳以下日本代表。Silicon ValleyBusiness Journal’s 2017 が選ぶ40歳以下の経営者40人の一人に選出。

鎌田富久(かまだ・とみひさ)

1961年、愛知県生まれ。東京大学大学院の理学系研究科にて情報科学博士課程を修了。理学博士。1984年、東京大学の学生時代に、情報家電・携帯電話向けソフトウェアを手がけるベンチャー企業ACCESSを荒川亨氏と共同で創業。iモードなどのモバイルインターネットの技術革新を牽引する。2001年、東証マザーズ上場を果たし、グローバルに積極的に事業を展開した。2011 年に退任すると、2012 年4 月より、これまでの経験を活かし、TomyK Ltd. にて革新技術で日本を元気にするベンチャー支援の活動を開始した。

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