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【編集長インタビュー】GMOインターネット 熊谷正寿

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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大失敗を経て真の経営者になれた

大失敗を経て真の経営者になれた

(2017年12月号掲載)

ネットバブルの90年代後半、数多のIT企業が東京・渋谷で創業し、姿を消していった。GMOはその激動を見事に生き抜き、今やインターネット業界の雄として名を馳せている。その成功の秘訣と、同社の今後の展望について、グループを率いる熊谷正寿代表に聞いた。(聞き手は本誌編集長 徳永健一)

命を懸ける事業に出会った

問 90年代初頭にインターネットと出会った時の印象はどうでしたか。

熊谷 昔から新しい産業や事業を調べており、命を懸けるなら隙間産業ではなく、王道の事業と考えていました。1992年頃に日経流通新聞(現日経MJ)の記事でインターネットを知り、秋葉原でネットデモを実体験した時、そうした事業になる予感がしましたね。

問 91年にインターキューを創業後、ビジネスチャンスの波が来るのを待っていたわけですね。

熊谷 当時は「マルチメディア」と盛んに言われて「これが世の中を変えるんだ」という風潮でした。ですから、事業を探し求めていたというのが正直なところです。

問 しかし、ネットには懐疑的な方が多かった。

熊谷 インターネット自体が広がるかどうか、様々な意見がありましたね。しかし、図書館などからしか得られなかった情報が、世界中からあっという間に取れるようになっていく様子は、未来を感じさせました。

 プロバイダーから事業を始めて、サーバー、ドメインの領域に入っていきました。コンテンツビジネスではなく、インターネットの基盤となるサービスインフラを手掛けることで、自動的にお金が入って来る収益モデルを構築。それを続けていたら、現在のGMOのインフラ事業になってきたというのが、これまでの21年間の軌跡です。

問 20年前にそのようにビジネスを組み立てようと思われたのはなぜですか。

熊谷 本が好きで、20代前半の頃から財閥系企業などの発展の歴史、成功や失敗の事例をよく調べていました。そこから、「成功する事業はインフラかつストック型」との結論に行き着いたのです。

グループ成功の法則

問 会社が成長するにはどこがセンターピンになるのでしょうか。

熊谷 難しいご質問です。会社がなぜ成長し続けるのかは一言では言えませんが、「そのビジネスが人の役に立って求められていく」のが一番の理由ですね。一番喜んでいただけるプロダクトを作って提供し続けるのが、商売のシンプルな側面と言えます。

 そして、会社は一人では出来ません。私は「パートナー」や「仲間」と呼んでいますが、多くのスタッフが集まって運営しています。その人たちが誇りを持てる状態を作り続けていくことがとても大事です。サービスの側面、精神的な側面など様々なことが上手く全て組み合わさった時、初めて続く会社が生まれてくるのでしょう。それはある意味、芸術作品のようなものかもしれません。

問 グループ会社も沢山ありますが、経営で意識していることはありますか。

熊谷 現在、上場企業9社を含め、グループ全体で102社ありますが、皆が自主的に動けるように一定のガイドラインと成功の法則を伝授して、後は任せるやり方を取っています。したがって、「グループ運営規則」などは一切なく、「グループ成功の法則」だけがあります。規則のようなものも多少はありますが、要はポジティブにグループの成長を願って、成功するためのルールや法則など、これまでのノウハウが全部書いてあるというものです。

問 具体的には、どのようなノウハウでしょうか。

熊谷 ビジョナリーなことから、実務的なことまで書いてあります。実務的なところは面白いですよ。例えば、賃貸不動産契約についてです。ベンチャーは成功するのも早いですが、失敗したら凋落も早い。このビルには15年入居していますが、私たちは空きが出た時には必ず最初に連絡をいただける優先権を持っています。ですから、業績が良くなれば、空いたフロアは全部自分たちのものになっていく。逆に解約予告期間を短く設定していますから、早めに撤退できます。

 これは小さなことのように思えますが、影響はすごく大きい。賃貸不動産が原因で、成長しているベンチャーは失敗しやすいのです。なぜなら、人数が満杯では成長が止まってしまうし、オフィスを二箇所に分けるとコミュニケーションコストがかかる。ならばと良いビルに一斉に移転すれば、引っ越し貧乏になってしまいます。

問 御社の入るセルリアンタワーは大きな看板もあり、いつのまにかGMOのビルのようになりました。

熊谷 ありがとうございます。そのように見えるのも、全てノウハウなのです。

 また、これも小さな話ですが、「成功の法則」には金庫の管理の仕方も書いてあります。どのメーカーの金庫が良いとか、さらには事故防止のために4人で管理することなど。一人が鍵を持ち、三人がダイヤルのナンバーを一つずつ知っていて、合計4人いないとGMOの金庫は開きません。

問 それらはご自身の経験から来ているのですか。

熊谷 そうです。それを一冊にまとめています。グループ会社が100社を超えてくると、こうしたことを成功のノウハウとして共有することが結構大事だと思います。ただし命令ではなくて、「成功の鍵はここにあるから、皆で共有しよう」というスタンスの集団指導体制です。

多彩な人材が組織を強くする

問 仲間とはノウハウだけでなく感動や成功も分かち合うのですね。非常に仲間を大事にしておられますが、その仲間にはどういう資質を求めていますか。

熊谷 「55カ年計画」や「スピリットベンチャー宣言」を共有できる会社、経営者の方が仲間になっていただくための資質だと思います。

問 GMOの社員の方の特徴はどんなカラーですか。

熊谷 そういうご質問は初めてです(笑)。一色ではなく、バラバラの方が良いと思います。種々雑多な人がいてくれた方が組織として強くなれる。画一的だと言われるようになるとリスクですね。本当に色んな方が思い思いに活躍できる場を作りたいと思っています。

 ナンバーワンのものを作れるような方は、少しぶっ飛んでいるところのある方が多い。発想も行動も違う、ぶっ飛んだエンジニアやクリエイターの方にぜひお越しいただきたいですね。

捉え方で仕事は変わる

問 IT企業は十数年経つと、すっかり役員が変わっていることがほとんどですが、副社長のお二人とは15年以上も共に歩んでこられました。何か秘訣はありますか。

熊谷 誇りを持てる仕事を構築してきたからでしょうか。そこは大変意識をしているところで、それぞれ自分の仕事に誇りを持って、自ら動く仕組みづくりをしています。

問 言うは易しですが、具体的にはどのような施策を取られてきたのですか。

熊谷 モノの見方が非常に大切です。私たちの仕事を、「ドメインを売っている」「サーバーを売っている」と感じるのか、「インターネットの情報を増やし、世の中を便利にしている」と感じるのかで、働く際の意識は随分変わってくるでしょう。要はモノの捉え方なのです。幹部全員が仕事の本質的な内容をきちんと理解できるように説明しています。

問 熊谷代表が幹部に常に語っているのですか。

熊谷 初期の頃は、ずっと私が語っていました。今では私が語らずとも、自ら動く組織になっています。

問 「スピリットベンチャー宣言」も、これだけ大きなIT企業が、実際に唱和するのは信じられないと思いました。この習慣をずっと作り続けてきたということですね。

熊谷 おそらくそこが、弊社の本当の強みでしょうね。

問 ベンチャー企業は創業経営者の方が強力なリーダーシップで引っ張っていくイメージが強いですが、自走式の組織を作るというお考えは当初からのものでしょうか。

熊谷 はい。私にも寿命がありますから、会社を100年単位で動かそうと思ったら、勝手に動く仕組みを作らなければなりません。経営者がいなくなっても、その想いが生き続けて、成長を続ける会社こそが優秀な会社であり、そうした組織を作れる経営者こそが優秀な経営者だと思います。

問 御社に加わられた多くの経営者をいかに説得されているのですか。

熊谷 インターネットの創世記にはそのすごさを理解していない人が大半でした。ですから自分なりに感じていることを語ってきました。今も仮想通貨とブロックチェーンによる革命が起こっていますが、これこそ現代の金であり、世の中や経済活動がこれによって随分影響されると確信しています。私たちも自ら参入していくつもりです。

成長事業を見分けるのが社長の素質

問 55カ年計画のゴールは2051年、売上げ10兆円、経常利益1兆円だそうですね。

熊谷 現在でもトヨタ自動車などは達成しています。あくまで会社の目標値であり、個人の目標ではありませんが、見届けたいと思っています。51年と言うと私は80代ですが、「元気だから自分でやる」のでは後が育ちません。優秀な後継者が達成してくれれば嬉しいです。

問 91年に創業し、99年に上場。その後も数々のグループ会社をIPOさせてきましたが、株式上場に対するお考えをお聞かせください。

熊谷 上場する価値のある事業、すなわち事業内容に成長性があり、世のため人のためになるのであれば、上場しても良いと思います。メリットは一言では言い表せません。資金調達だけでなく、人材の成長や獲得に繋がりますし、競合に対する競争力も付くでしょう。生き残るためには、上場していることがすごくパワーになります。

問 逆にデメリットはいかがでしょうか。

熊谷 情報開示義務があるので経営状態は丸裸ですし、上場企業は有形無形のコストがかかります。ですから、上場する価値の無い事業にもかかわらず上場してしまうと、かえってマイナスになって会社が続かないケースもあります。何が何でも上場するという考えは間違っています。

問 若手の企業家に伝えることはありますか。

熊谷 成長する事業と成長出来ない事業は最初から決まっています。それに気付くのも社長の素質で、その後は経営者の手腕です。

問 成長する事業としない事業の違いは何ですか。

熊谷 成長しやすいか否かです。例えば構造体ですが、どんなに良い内容のビジネスでも、スポット型とストック型の事業を比べると、スポット型はなかなか成長しません。また、良い商売は限られていて、誰もがそこに群がりますが、誰よりも良いサービスを作らなければなりません。見つける能力と一番お客さんに喜んでもらう能力、この両方が経営者には必要です。

危機突破で真の経営者になれた

問 2005年に買収した消費者金融で莫大な負債を負い、あわや倒産という危機がありました。その時、外資系コンサルから500億円を積まれても、踏み止まったのはなぜでしょうか。

熊谷 極端に単純化すると「金に魂を売って企業家を辞めますか、どうしますか」という選択でした。お金で魂を売りたくなかったし、私を信じてくれた仲間が大勢いたわけです。それに企業家を辞めるような年齢でもありませんでした。

問 買収して1年に満たないのに、過去10年分の引当金200億を背負いました。

熊谷 人間だから人のせいにしたいけれど、そんな暇はありませんでした。そんなことをしていたら、多分会社が潰れていたでしょう。それよりも生き延びるために頭を全部使わなければならなかった。底なし沼で、首の皮一枚で繋がっていた。背水の陣というのはまさにあのことです。同じ経験はもう嫌ですね(笑)。

 当時、東証一部上場を目前にして、上場審査があったために1年間何も出来なかった。他のIT企業が猛烈に攻めているのを横目に我慢していたので、溜まっていたものがポーンと出てしまったのです。やはり身の丈を考えず、無理をしてはいけないということでしょうね。しかし、その後で猛勉強して、あの出来事をきっかけに本当の経営者になれた気もします。

問 最後に夢をお聞かせ下さい。

熊谷 私の夢は皆が幸せになることですし、皆が成功することです。その幸せや成功の定義は、物と心が共に豊かで周り人のためになりながら、自分の思った通りの人生を全うすることです。



profile 熊谷正寿(くまがい・まさとし)1963年長野県生まれ。東証一部上場企業グループのGMOインターネットグループを率いる。「すべての人にインターネット」を合言葉に、WEBインフラ・EC 事業、インターネットメディア事業、インターネット証券事業、ソーシャル・スマートフォン関連事業を展開。04年第6回企業家賞受賞。17年第19回企業家賞大賞受賞。

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