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【編集長インタビュー】ベステラ 吉野佳秀 社長

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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自ら立てた目標はやり抜く強い意志を持て

自ら立てた目標はやり抜く強い意志を持て

(企業家倶楽部2020年10月号掲載)

 

「社員は代えがたい財産。部下が思い切り仕事が出来るようにすることが社長の仕事」と吉野社長は話す。また、自分が決めた道は文句を言わず、目標に向かって突き進むことを信条とする。円熟期を迎えた企業家にビジネス成功の秘訣と人生哲学を聞いた。( 聞き手は本誌編集長 徳永健一)

還暦前に志を立てる

問 2015年9月2日、目標とされてきた東証マザーズへ株式上場されましたね。念願の夢だったと伺いました。おめでとうございます。

吉野 ありがとうございます。74歳での上場ということで、最年長記録を更新しました。

問 58歳の時に株式上場すると志を立て、苦しい時もあったと思います。16年間という長い間、ブレずに歩んで来られた秘訣はありますか。

吉野 あるとしたら「根性」ですかね(笑)。私は途中で投げ出すのが嫌いです。自分で決めたことは必ず成し遂げます。

 まだ45歳で現場の所長だったとき、朝礼で80人の作業員を前にして、「禁煙する」と宣言しました。すると皆は「所長、それは絶対無理だ」と笑い、誰も本気とは受け取らなかった。そこで私は「分かった、俺が約束を破ったら君たちに一杯酒をおごろう。しかし、もし俺が煙草を吸うのを辞められても、君たちは何もしなくていい」と言ってやりました。もちろん皆は「儲けもんだ」と狂喜しましたが、結局当ては外れました。この日を境に、私が本当にピタッとタバコを断ったからです。

問 「言うは易く行うは難し」と諺でありますが、大変ではなかったのですか。

吉野 プロセスも楽しみの一つです。ゴルフも同様に、「シングルプレイヤーになる」と宣言。それまで25年間続けてきてもなれなかったのに、還暦までの2年間でシングルになってみせました。1年間は毎朝6時に起床して1時間球を打ちました。

 さらに、同じく58歳の折には、マラソンも始め、東京マラソンやホノルルマラソンに出場して5時間を切るタイムを叩き出しました。

問 若い頃から運動が得意だったのですか。

吉野 母のDNAを受け継いだかもしれません。母が亡くなった時、私の知らない方々が大勢手伝いに来てくださいました。30人ほどもいたでしょうか。

「お袋とどういう関係ですか」と尋ねると「私たちはゲートボールの名古屋の代表だ。お母さんは名監督で、ゲートボールがそれは上手だったわよ」ということがありました。問 どれも簡単にクリアできる目標ではありません。一体、58歳の時に何かあったのですか。

吉野 特別に何かがあったわけではありませんが、まもなく還暦を迎えるということで、やり残したことを思い返してみたのです。還暦を迎えるのに、それは一回人間をやめるということですから、それまでに人生で遣り残したことはないだろうかと考えました。後になって、あれだけはやっておけばよかったと後悔したくないと思いました。

 ゴルフとマラソンは自分の努力で達成できますが、株式上場はそういうわけにはいきません。会社の規模を拡大、かつ質を上げなければならず、簡単ではなかったです。

問 リーマンショック後に赤字に転落した時にはあきらめようとは思いませんでしたか。

吉野 思いません。むしろ会社のためには良かったと思いました。少し上手く行き過ぎていて、社員たちも調子づいていました。このまま行ってしまったら、会社が危ないと思っていた矢先のことでしたから。負け惜しみではなく、2、3年、上り階段の踊り場で、やり直しが出来て良かったとつくづく感じています。

夜逃げ同然で上京

問 2017年1月期は増収増益(見込み)ですが、売上げの伸びに比べて利益の伸び率が抑えめですね。理由は先行投資を行なったのですか。

吉野 開発や新規事業です。しかし上場を達成し、これからは間接費が下がりますから売上げと利益はほぼ同じように伸びていきます。ですから今後は積極的に投資していこうと考えています。人材育成、作業費の増加、新規開発、M&Aなどがあるでしょう。

 本音を言うと、あまりM&Aというやり方は好きではありません。良い仲間をどんどん増やしたいのです。会社ごと買うか、株式持合でやるのか今は分かりません。

問 中長期で具体的な数字目標があるのでしょうか。

吉野 目標は、売上高1000億円です。大きな目標を定めたので、それを達成するためにはやるべきことをやらなければ、絶対に結果は得られません。

 マラソンは最低1カ月100キロ、1年間1200キロは走らないと42キロのフルマラソンは5時間以内で走れません。ましてや60歳ですから。さらに速く4時間半で走るためには倍の1カ月200キロ、毎日10キロは走らないと到底無理です。趣味でさえ、それくらいやって初めて結果が出せるのです。

問 最初にゴールを決めることが大切ですね。

吉野 大きな目標を実現させていくことは非常に楽しく、苦しい時代を考えると「道楽」であるとさえ感じます。夜逃げ同然でトラックを運転して上京した当時は、その日をしのぐのが精一杯。40歳から15年間ほど、社員の給料が払えないということも何度もあり、私自身の給料も長い間、無給でした。

問 一番苦しかった時はいつですか。

吉野 母親の葬式代がなかった時が辛かった。10万円がないのです。どうしようもありませんでした。関東はマーケットが大きいからきっと良くなるだろうという希望だけで、えいやっと名古屋から来てしまいましたが、当てがないのですから仕事があるわけがない。上京後、1週間経っても電話の1本すら鳴りませんでした。

 借金は自宅を担保にして4000万円くらいありました。他に借りられるなら何とかなるのですが、どこにも借りられないのですから、お先真っ暗でした。

問 厳しい状況から事業が好転したきっかけは何でしょうか。

吉野 やはり「リンゴ皮むき工法」の誕生です。この工法を思いついた時、無神論者であるはずの私が思わず神に感謝したほどです。

工事の安全確保が最重要

問 現場の工事は解体施工会社に外注するとのことですが、コミュニケーションはどのように構築されてきたのですか。

吉野 外注にはメリットとデメリットがありますが、何と言っても、工事の安全が最重要です。工事の安全を確保するために、現場の教育も必要です。同様に協力会社の社長の方々にも、同じように安全意識を持っていただかなければならないと、年に1、2回、協力会社の経営者を集めて安全大会を開いています。

 経営者の言葉が社員にちゃんと伝わっているか、実感されているかどうか、経営者が伝える努力をしているかどうかが大切です。ですから、

「安全意識は自分の言葉で、自分の意識で社員に伝えてください」と訴えます。なぜなら協力会社と我々は同じ船に乗っているのです。助け合わないと目標にたどり着きません。

 また、ベステラの社員には社員総会を年に2回行なっています。安全について、毎朝のミーティングで大きな声で話してくださいと強調しています。

社長の仕事

問 若くて優秀な人材が集まってきていますね。将棋でいうところの飛車角が揃っているなという印象を受けます。

吉野 社員はわが社の代えがたい財産です。経営者はゴルフクラブで例えるならばシャフト(本体)です。シャフトがやたら動くとスイングにならない。クラブヘッドが思い切り仕事が出来るようにするためにそれぞれ役割があります。専務、部長、課長など役職がありますが、部下が精一杯仕事を出来るようにすることが社長の仕事です。最終的には現場の営業マンが思い切り動けるようにしてやるのが経営者です。

問 今後、どんな会社にしていきたいですか。

吉野 愚直に、やらなければいけないことを、手間暇を惜しまずに全部行なっていく会社です。

 一番の基本は不正のない会社です。企業統治をきちんとやり、税金もきちんと払い、約束事をきちんと守る。誰が見ても、どこから見ても自分たちが誇りを持てるような会社を作っていくことです。

 今回の上場で社員、特に古株は金持ちになりました。若い人が大金をつかむと仕事なんてする気が無くなり、辞める者がいるかもしれないと思っていましたが、1人もいませんでした。それが本当に嬉しい。どんな会社でも必ず上場した時に役員が抜けますが、専務は銀行に借金をして税金を払っている。トップがそうしているから、社員たちも生活を変えません。心から良い社員だと思っています。

問 将来展望を聞かせてください。

吉野 成長の基盤がようやく整ったと思います。そして何より我々にはリスクがありません。数十億の受注残があり、次年の決算を約束しているようなものです。今後の受注はこの上に積み上げますから、当分の間、余程のことがない限り我々の基盤は、20%ずつ成長していきます。

 さらにこれから2本目の柱、3本目の柱が育っていけば大きな塊ができるでしょう。

誰にも負けない努力で目標に突き進め

問 ビジネスの成功の秘訣は何だと思いますか。若い企業家にメッセージをお願いします。

吉野 ビジネスの世界では生き残るのではなく、勝ち残らなければいけません。そのためにはただ努力するだけでは足りず、勝つための「武器」を持たなければならない。他社にない差別化できる独自の技術なり、サービスを持たなければ勝ち残れないでしょう。新しい成長路線を自分で発見し、ビジネスモデルをどう作るかです。どんな隙間であろうと、何であろうと、見つけたらそれをとことんやり抜く強い意志が必要です。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うこと勿れ」

 これは言志四録の私が好きな句ですが、「自分が決めた道なのだから、周りが暗闇であろうと文句を言うものではない」という意味です。自分が決めた目標に向かって突き進み、誰にも負けない努力をしなければ勝てません。

 運で勝てたとしても、運で得たものはまた失います。運、不運はあざなえる縄のごとく、順に出てくるものだからです。したがって、たとえコインの裏が出ても勝ち抜いていけるだけのものを自分で作らなければならないのです。

 数ある会社の中で、株式上場できるのはひとかけらの人たちです。ですから企業家は普通の人ではいけません。1年365日考え続ける人でなければいけない。人知れぬ所で努力し続けてこそ、最後に神様が背中を押してくれ、初めて成功できるのです。


profile 吉野佳秀(よしの・よしひで)1941年、愛知県名古屋市生まれ。1974年にベステラの前身である組織を法人化し、プラント解体事業に特化したベステラを設立。当時は名古屋を拠点としていたが、現在は東京にて事業を行う。設立以来、同社の取締役社長として経営に携わる。2015 年9月、東証マザーズ上場。第18回企業家賞ベンチャー賞受賞。

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