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【編集長インタビュー】ジャパネットたかた 取締役副社長髙田旭人

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

立場や役職を超えていつもフェアでいたい

(企業家倶楽部2015年1・2月合併号掲載)

 髙田家に生まれた時から、将来ジャパネットたかたの経営を引き継ぐことは、「自分の運命だと意識していた」と副社長の髙田旭人は言う。日本一テレビに出演し、最も知名度のある経営者である父、髙田明の後を継ぐことは覚悟がいるだろう。顧客と向き合う社風は変えず、やり方は時代の変化に合わせる「不易流行」の経営を目指したいと語る。新社長の経営手腕にジャパネットたかたの未来が掛かっている。(聞き手は本誌編集長 徳永健一)

社長就任の覚悟

問 2015年は会社設立29周年を迎えるそうですね。おめでとうございます。そして、創立日の1月16日に社長就任とのことですが、覚悟のほどはどうでしょうか。

髙田 社長就任は突発的なことではなく、ある意味、生まれた時からその意識はありました。ただ、考えていたよりも少し早いのかなと。この10年間、社長と一緒に仕事をする中でいろんなことを考え、また、理念も聞くこともできました。経営者として根っこの目指しているものには100%共感しています。

 もちろん時には意見がぶつかることもありますし、手順をもっとこうしたらいいかもと思うこともあります。しかし、議論の中で学ぶものもありました。25歳の頃に比べれば成長しましたので、今なら頑張れると思います。

問 社長交代のタイミングが少し早いのではと感じたそうですが、旭人副社長は、何歳くらいがちょうど良いと考えていたのでしょうか。

髙田 漠然とですが、40 歳位かなと考えていました。ただ、社長も現在66歳になり、「自分が元気なうちに社長を交代しよう」と言ってくれましたので、タイミングに関しては結果的には今で良かったと受け入れています。 社長は37歳の時に社長になりました。私も2015年は36歳になりますので、ちょうど良いのではと思います。

V字回復後も増収増益

問 現在の社長と副社長の役割分担はどうしているのでしょうか。

髙田 2014年の10月頃からは業務のほとんどのことを私が判断しています。これまでも商品の決定など、委譲されていました。お金回りのことなど、例えば投資に関することなど、最終的な判断は社長の決済というルートでしたが、現在はお金回りも含め、全権を私に任せてくれています。 今までは社長に相談していましたが、社長も相談を受けると「気になって口出ししてしまうから、もう相談しなくていいよ」と言っています。すでに新しい役員会にも社長は参加しておりません。

問 2013年12月期はV字回復で最高益を達成しましたね。2014年12月期の業績はどうですか。

髙田 増税前の3月までが思いのほか駆け込み需要があり、3月に大きな「貯金」がありました。その後、4月から5月で落ち込んで、夏場に20周年キャンペーンを開催し、盛り返しました。おかげさまで1年のトータルでは昨年より売上も利益も少し上回りそうな見込みでいます。

問 ドル箱だったテレビ需要が終わり、業績が落ち込みました。そこから2013年に背水の陣で挑み見事にV字回復を果たし、続いて2014年も高業績とのことです。成功要因は何だと思いますか。

髙田 今までは制作力が強みでした。商品をどう伝えるか、社長が中心になって作ってきました。そこに商品力という要素が加わり、2つの大きな柱となり成長してきました。

 そして、この2年間は私が担当するチームがこれまで手薄だった企画とマーケティングを強化してきました。1日限定で1商品を徹底的に販売する「チャレンジデー」は、まさに企画の代表格になり、業績回復に貢献しました。

不易流行の経営

問 オフィスの壁に「不易流行」という言葉がありますが、これからも変えないものと変わっていくものは何でしょうか。

髙田 変わらないものは多いです。特に社風は変えたくないですね。お客様のことだけを見てきた社長ですから、お客様のためにならないと思えば、放送直前で商品が並んでいても取り上げないということもありました。顧客と向き合う企業文化はブレずに変えずにいきたいものです。

 変えるべきは、目的に至るまでのやり方です。選択肢は多くあるでしょう。これまでは社長の目が届く範囲のことを一生懸命にしてきたといったイメージです。しかし、これからは私の目が直接届かない実務のところは現場に任さなれければなりません。役員で手分けをして、社員がゴールからずれないようにチェックする役目を私が果たすのが良いと思います。社員皆で面白いことを次々と手掛けるような会社に変えて行きたいです。

問 理想とする組織や経営形態はありますか。

髙田 以前、テレビでサッカーの元日本代表の岡田監督が言われていた言葉が記憶に残っています。

 「監督が優秀だから優勝したと言われるより、監督は何もしていないけどチームが強くなってラッキーだねと言われる監督になりたい」と岡田さんが話をしていて、共感しました。

 創業者は企業の顔として自ら牽引したからこそ、今の会社があるわけです。それは偉大なことだと思います。そして、創業期はそうあるべきだと思います。しかし、2代目である私が同じ真似は出来ませんし、やり方は違ってもよいと思います。 社員も社長が私に変わっても、私の顔色を伺うのではなく、現場の役員や部長と想いを共有して仕事に取り組んで欲しいと思います。最後の守るべきところを守るのが私の役目です。

フェアであること

問 旭人副社長は人に任せることが得意でさらに大胆にやると髙田明社長が話していましたが、ご自身ではどう思いますか。

髙田 仕事を現場に任せながら、こっそりチェックしている感じです(笑)。

問 それはご自身の性格ですか。

髙田 そうですね。仕事をしている人は自分の意思で動かないと面白くないですよね。会社にもステージがあり、創業期だと、一致団結して社長が引っ張る感じだと思います。しかし、今は会社も知名度も上がりましたし、組織の規模も大きくなりましたので、社長一人が引っ張るやり方にも限界があるのかなと思います。

 やはり当事者意識を持ち仕事に当たる人を増やすには、ある程度権限を渡していかないと人は育たないと思います。権限委譲とチェックのバランスが難しいので、チェックはこっそりやろうかなと考えています。

問 旭人さんが経営する上で大切にしている想いは何ですか。

髙田 社長と副社長では立ち位置が違いますので、実際に経営に当たるのはこれからだと思っています。いざ社長になるとなれば、こんなに大変なんだって思います。正直、経営に関して方針や理念を語れるほどの経験がまだありません。

 しかし、社員にはフェアでありたいと話しています。立場が上だから、声が大きいからといって、間違っていても話が通るような会社にはしたくありません。

 役職や権限というのは、意思決定の範囲であって、正しさの軸を変えるものではないと思います。立場が上の人が右と言ったら、左だと思っていても右ですという感じでは、会社がおかしくなってしまいます。公平であることは重要だと思います。

 自分自身も徐々に立場ができると、周りの人も意見を言いにくくなると思います。例えば、以前は新入社員と一緒に食事に行った際でも皆笑っていましたが、今は声を掛けると緊張して顔がこわばっている新人もいます。社長がもともとフランクな人柄でしたので、そういう文化は変わらず続けていきたいです。

求める人物像

問 「企業は人なり」と言います。ジャパネットたかたの求める理想の社員像はいかがですか。

髙田 求める人物像は、「夢を想いに、想いを言葉に、言葉を実践し、感動できる人」です。社長がよく、内に秘めた想いも言葉に出さなければ意味がないと話しています。「実は想いがあるのですが」と言いながら言葉にせず、実践もせずに、終わってしまう人はいます。だから、しっかり夢を言葉にして表現をして、行動をおこし、喜べる人がいいですね。

問 言葉にすることは大切ですね。また、「感動できる人」というのがユニークですね。やはりジャパネットの通販番組を見ていると出演者は明るく、楽しそうですよね。

髙田 テレビショッピングでいつもより社長のテンションが上がり、はじけている日があります。商品の良さやショッピングの楽しさを明るさを通して、お客様に伝えたいと思っているからです。明るいところに人は集まりますよね。だから、テレビでも楽しい番組作りを続けていきたいと考えています。


二人の髙田の違い

問 ちなみに社長と副社長の意見が食い違う場面はどんな時でしょうか。

髙田 社長の心の内もよく分かるのですが、従来の方法を変えたいと思った時ですかね。おそらく社長も変えようと考えたが、それをしなかった理由があったのだと思います。

 しかし、私は先々があるから、まずはやってみて失敗すれば、そこで学ぶことも出来ると考えます。でも社長は失敗する可能性のあるのだったら、今は他に集中することがあるのだから、未来の可能性を探って無謀にチャレンジをするべきではないというシーンがあります。

 まさに、「チャレンジデー」を提案した際には議論がありました。最後は社長が折れて、自由にやらせてくれたおかげで、成功した事例です。もちろん逆に失敗した例もあります。

 また、東京進出の際には「やってみろ」と快く送り出してくれました。

問 本社のある長崎・佐世保と東京では物理的に離れていますが、不便に感じたことはありませんか。

髙田 今後は佐世保だけでなく、営業拠点が5、6拠点になります。社長の場合は週末もテレビに出演し、なかなか移動時間が取れませんでした。しかし、私は全拠点のメンバーと顔を合わせる時間を増やしていこうと思っています。

 佐世保に関しては、本社が佐世保というのは変わらないので、テレビとか紙媒体・ラジオという主要の事業部は佐世保にいます。そこでテクニカルな工夫としては、テレビ会議のクオリティを上げるようにしています。

 また、佐世保のスタジオで放送事前にリハーサルをやるところに東京のバイヤーは今まで行けませんでした。そこで、最近作ろうとしているのは、佐世保に行かなくてもスタジオにバイヤーがいるように見えるような会議室を作ろうと計画しています。

 その他にも、それこそ今風ではないと思われるかもしれませんが、飲みニケーションも増やしたいと思います。

髙田明社長の今後

問 髙田明社長が退いたその後の二人の関係はどうでしょう。

髙田 私は現在、35歳ですが、この35年間は父親というよりも社長としての要素の方が大きかったので、どうなるのだろうとは思います。社長から社長と呼ばれるのも照れくさいです。

問 社長を交代し、テレビやラジオにも約1年限定で出演とのことです。その後のことはお二人で話をしていますか。

髙田 あまり先のことは話さないですね。聞いても社長自身が今を目一杯という人なので、来年のことを聞いても「特に何も決めてないけど何かあるよ」としか聞いていません。私としては、自由な時間が出来るので、両親が好きな旅行をして欲しいです。

問 正直なところ、髙田明社長が役職に就かないことについてはどう思っているのでしょうか。

髙田 ゼロか100かという話ではないでしょう。実際、社長は今日このあと北海道に発ちます。明日は旬を迎えた蟹を取材するために明朝5時から市場に行くそうです。「北海道から特産物を巡って南に降りてきたら、それだけで1年間位かかるかもしれないね」と話していました。それもいいなと思います。社長が1年かけて好きなことを企画して、それに合わせて私たちはショッピングを組むのも面白い企画になりそうです。

 逆に私が心配しているのは、仕事人間が引退すると老け込むのではないかと。冗談でそんな話をすると、「そんなことは無いから大丈夫」と笑っていました。先がどうなるのかは、誰も分かりません(笑)。

今後のジャパネットたかた

問 新規事業など、今後進出したい分野はありますか。

髙田 旅行や不動産物件も候補に考えています。例えばマンションの1棟をジャパネットがカメラ持って最上階から部屋を見て行き、近所にはどういう店があるとか、大家さんはどんな人柄で、近隣にはどんな人たちが住んでいるのか分かったら面白くないですか。

 旅館だって、女将さんがどんな人で料理はどうでとか、温泉もどんな感じなのかを30分番組を作ってみたら関心を持ってもらえないでしょうか。

 しかも旅行の場合は繁忙期が混み合っているのですが、ジャパネットのお客様は比較的年齢が高いので、自由な時間が多い。例えば、繁忙期を外せば料金は3割安いというストーリーまでしっかりと伝えれば、可能性はあると思っています。

問 最後に髙田明社長に対するメッセージをお願いします。

髙田 今、社長は人生で一番我慢をしているのではないでしょうか。創業者は自分が興した会社が気になるのは当然です。言ってみれば会社も従業員も自分の子供のような存在です。それだけ愛情を注いできて、30歳も年齢が若い息子に任せるといってもやはり気になるし、社員が私と話していると寂しいだろうと思います。

 しかし、社外にも宣言して、自ら元気な内に世代交代をするとスイッチを切り替えています。私はその期待に応えないといけません。正直、社長と議論していた時よりも今の方がプレッシャーがあります。辛抱強く見守ってくれて、感謝しています。

p r o f i l e

髙田旭人(たかた・あきと)

1979年長崎県生まれ。東京大学卒業後、証券会社へ入社。その後、ジャパネットたかたへ入社。販売推進統括本部、商品開発推進本部の本部長などを経て、2010年に総合顧客コンタクト本部本部長及び配送管理を行う商品管理部部長を兼任。同年、ジャパネットコミュニケーションズ設立時の代表取締役となる。2012年にジャパネットたかた取締役副社長兼ジャパネットコミュニケーションズ取締役に就任。

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