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【編集長インタビュー】代表取締役会長兼CEO 北村正志

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

すべてのひとを、写真の未来へ

(企業家倶楽部2009年6月号掲載)

700日戦争の火蓋を切ったキタムラ。「カメラのキタムラ」、「カメラのきむら」、「SNAPS!」の3ブランド統一を発表し、新生キタムラは新しい可能性に向けて奔り始めた。その類まれな決断力で、映像・写真のSPA(製造小売業)への転身を目指す北村正志会長は「変化を先取りして新しい戦場をつくる」と映像・写真ライフの未来像を明らかにした。(聞き手は本誌編集長 徳永卓三)

10倍になったシャッター回数

問 2008年9月のリーマン・ショック以来、小売業の前線で大きな変化はありましたか。

北村 小売業は産業界の賃金と、それによる消費に影響を受けますので、一気に影響は来ないと思います。しかし、雇用や賃金の問題は無視できず、対前年比で約5%は下落します。ただ、カメラを販売する我々にとっては、不況よりもデジタル化の方がはるかに影響があります。フィルム市場は2000年の5億本から3000万本にまで落ち込み、フィルムカメラの販売はほぼゼロになっています。

問 当時、国内で50万台程度だったデジタルカメラ(デジカメ)が、今では年間約1200万台生産されていると言われていますね。

北村 はい。ただ、デジカメは売れ過ぎです。フィルムカメラの全盛期が450万台でした。デジカメになれば一人1台、場合によっては一人2台もあり得ます。しかし今は消費意欲が落ち込んでいますし、製品の技術も成熟段階に達しています。つまり、画素数などが必要以上の水準まで高まっているのです。デジカメについては、日本の人口から試算すると7?800万台が妥当な数だと思います。

問 800万台になった場合、御社のデジカメのシェアはどうなると見ていますか。

北村 キタムラはデジカメを年間130万台売っています。トップがヤマダ電機で180?200万台ほどです。我々は2番手ですが、ヨドバシカメラなどもほぼ同じ水準です。デジカメ市場は数社による寡占状態と言えます。

問 携帯カメラの画素数も非常に良くなってきていますよね。

北村 はい。そのため、全シャッター回数は携帯を含めると以前の約10倍になっています。しかし、その中のごく一部しか写真屋で現像されません。自宅と写真店でのプリント枚数がほぼ同じになり、写真がパソコンの中で永遠に眠っているケースも非常に多くなっています。

ひるまずなすべきことを全てやる

問 これからキタムラは、どんな写真チェーン店になっていくのでしょうか。

北村 そうですね。写真はみるみる変化していますが、人には写真や映像による「感動」「思い出」「きずな」絶対に必要です。だからひるまず、なすべきことを全てやろうと考えています。

問 フィルムカメラが少なくなっても、映像や写真の価値はますます高まり、あらゆるところに溢れています。そのニーズを上手く汲み取れば飛躍すると思います。

北村 キタムラは、2002年から現在まで約350億円かけてデジタル対応に変えています。まず1台1000万円以上するデジタル対応ミニラボ「フロンティア」を約500台、デジタルプリントのセルフ注文機器「オーダーキャッチャー」を約5000台導入しました。また、首都圏にセンターラボ(生産工場)を設置し、光回線でキタムラの1049店を結ぶことで、店頭でプリントするモノとセンターラボに送られるモノが自由自在に行き来しています。

問 センターラボでプリントした方が、品質が良いのですか。

北村 品質というより、作るモノが違います。センターラボに送るのはフォトブック関連です。そこでキタムラは今後の方針として、プリントの50%以上をフォトブックとすることを掲げました。フォトブック以外のプリントは自宅で行えます。我々のビジネスではプリントアウトする時しか付加価値がありません。そのためには、センターラボが必要なのです。
 2番目の方針が、プリントの50%以上をネットで受けることです。今はまだ20%程度ですが、ネットを使えばフォトブックを編集する楽しさも提供できます。
 3番目が、写真館の近代化と撮影事業の強化です。写真館「スタジオマリオ」を「カメラのキタムラ」に出店させ、撮影スタジオを300店体制にしようと思っています。国内では中途採用などを含め年間500万人が就職しています。そのため、証明写真の需要が多いのです。現在、最も安い証明写真が500円前後で、高価格帯だと伊勢丹写真室の4~5000円があります。そこで我々は、その中間の価格設定で高水準の撮影サービス「プレミアム証明写真」を手掛けようとしています。  4番目が、NPO法人「フォトカルチャー倶楽部」の応援です。本当に写真が好きなアマチュアが日本には何十万人もいますので、我々はこの方々を商売ではなく、NPO活動で応援したいと思っています。年間1億円ほど掛かりますが、こういう活動を通して写真文化を守っていきたいと思っています。


写真のSPAとなる

問 キタムラの創業期についてお聞かせ下さい。

北村 私は高知県にあるカメラ屋の息子でした。大学は卒業せず、26歳から父親の会社で働いていました。その時、父親に多店舗化を提案したのです。当時のカメラ屋は街中に多かったので、郊外のロードサイドに作ろうと考えました。そして、店舗のカウンターをスーパーマーケットのようなセミセルフサービスにしたかったのです。お客様は商品を買わずに店から出ていきやすくなりますが、逆に「気軽に入店できる」という作りにしました。

 それでも、最初の100店になるまでは何十年もかかりました。1999年頃になって土台ができたと思い、01年までの3年間で350店出店し、全部で550店になりました。しかし、そこにデジカメが出てきたのです。もう顔が青ざめました。日本で写真が生まれてから100年以上の歴史があるのに、わずか2?3年でフィルムがなくなりましたからね。デジタルに変わる予兆は、1980年代からありました。しかしデジタルは名前だけが一人歩きし、まだマイクロチップの技術が進んでいなかったのです。

 他にも、色々な失敗をしました。例えば、カメラ屋以外に洋服屋をやったこともあります。あるいは、アメリカで最もDP(現像・焼き付け)が多いのがドラッグストアなので、写真の一貫としてドラッグストア事業も行いました。数店舗つくりましたが、これも途中で頓挫しました。さらにレンタルビデオ屋もやりましたが、結局TSUTAYAのノウハウに勝てる力がなく、TSUTAYAのFC傘下となりました。

問 なぜ写真屋としては、ここまで成長できたのでしょうか。

北村 写真屋は業態ではなく業種です。つまり、富士フイルムの護送船の中で、ローコストで真面目にやれば生きてこられました。しかし、これからは違います。今、キタムラは写真のSPA(製造小売業)になることを目指しています。これを可能にするために、技術に詳しい武川泉を社長にしたのです。

問 その武川社長が79年に入社した時、「将来売り上げを3000億円にする」と言われたそうですね。現在の売り上げは、どのくらいになりますか。

北村 グループ全体の売上高が約1600億円で、そのうちネットでの売り上げが147億円です。ネットでは主にデジカメとレンズ、プリントが売れていますが、売り上げの構成比から見るとキタムラはDP屋と言えます。家電量販店もデジカメを大量に販売していますが、我々とは業態が全く違います。

タブーをなくす

問 私はキタムラの皆さんは非常に明るいなと感じています。「明るく朗らかに」というのが、北村会長の一つの信念だと思うのですが、北村会長はどの様な経営を心がけていますか。

北村 情報の共有に力を入れています。松下幸之助は「企業は社会の公器」と言っていますが、私もその通りだと思います。ですから公私混同を絶し、就業規則に注力しました。おそらくキタムラは、労働基準法をきちんと守り、残業代も出した最初のカメラ屋ではないでしょうか。やはり儲けると同時に、社員にやりがいを持たせるという両輪を強く意識することが大切です。社員の満足を抜きにして顧客の満足はありえません。詰まる所、タブーのない会社にしていくことに尽きます。

問 タブーをなくすことで情報も滞りなく流れますね。

北村 職場もフリーアドレスで、個人の机というのが存在しません。パソコンはロッカーに入れておき、必要であれば机まで持ってきて、無線LANでインターネットを利用します。

問 会長席もないのでしょうか。

北村 09年から別室に設けました。やはり68歳で100人と10時間過ごすのは疲れてしまいます。だから、一日2時間ほどはその部屋に逃げ込みますが、その他の6?8時間は皆と大部屋にいます。

問 大部屋方式のメリット・デメリットはありますか。

北村 デメリットは疲れることだけですが、メリットは沢山あります。まずミーティングがその場でできるとか、情報の伝達と共有が非常に容易にできることです。また、M&Aで買収した会社の社長のために、新たに個室を用意する必要もありません。

問 キタムラの一日はどう始まるのですか。

北村 業務は店に合わせて10時からスタートします。危機が起きた2002年頃からは、取締役は9時頃出社し、毎日朝ミーティングを行います。その時は、とにかく自分が一番嫌な早起きをすることで、危機を乗り越える気概を持とうとしました。

問 朝のミーティングまでには、前日の1049店舗の情報が入ってくるのですね。

北村 はい。毎朝ミーティングをすることで問題に早く対応できます。ネットで全店を繋げているので、情報の伝達が容易にできます。そして、私からも月に2回、会長メッセージを送ることで、理念の共有を徹底しています。

すべての人を、写真の未来へ

問 これからはウェブ上で映像ライフを楽しむ人が増えます。ストレージへの投資など、ウェブ化への対応にも注力されていますね。

北村 ストレージは、ウェブ上にある画像の銀行というイメージです。富士フイルムと進めていて、09年6月に稼働予定です。ストレージがセンターラボとオンラインで結ばれれば、自分の写真アルバムがネット上に持て、お金さえ払えば一生分貯めることも可能です。それを自分の好きな時に取り出せば、プリントされたものを「カメラのキタムラ」で受け取ることも可能です。この事業には力を入れています。そして、センターラボとストレージ、さらにリアルの1049店舗を全て光回線で結ぶ。これこそがデジタル時代のキタムラを追求した策なのです。

 ただ、これらを実現するにはボリュームが必要なので、M&Aを積極的に行いました。一つは、全国408店舗の「SNAPS!」を展開するジャスフォートの買収です。また、首都圏のフランチャイズ強化のため「カメラのきむら」も買収しました。累積で約400億円掛かりましたが、キタムラは写真屋なので、写真事業を何とか残したいと思っているのです。

問 この資金はどうやって調達されたのですか。

北村 全て借金です。それによって自己資本比率も25%まで落ち込みましたが、これから改めて自己資本を強化していきたいと考えています。これだけのことをしなければ生き残れません。まるで産業革命が起こったようです。

問 既存の主力市場が縮小している中で決断を下したのですね。

北村 結局、私の信念は「人間が映像を捨てることはない」だけです。だから、ひるまずに信じることをやろうと決心しました。店をたたむか、やるか。それしかなかったのです。

問 「イメージングコミュニケーションの文化を変える」が、これからのキタムラのメッセージなのでしょうか。

北村 はい。それを噛み砕いたのが「すべての人を、写真の未来へ」です。09年4月から順次、キタムラはM&Aで得た基盤をブランド統合し、全てのブランドの看板をキタムラに塗り替えます。3社統合は、会社の一生に一回のことです。これだけで110億円投資したため、今期は苦しいかもしれません。しかし、一気にやっていくしかありません。2期連続の赤字は許されないけど、1期の赤字は覚悟しなくてはならないと言っています。

700日戦争が始まった

問 それでは、09年は大勝負の年になりますね。

北村 デジタル時代に突入した02年頃、私は社長を辞めました。60代の私がデジタルの指導をできるはずないと思ったのです。対して、現社長の武川はプリントのマーチャンダイザー(商品化計画の担当者)だったので、ストレージやデジタルネットワークなどを詳しく理解しています。私も色々間違いをおかしましたが、武川を社長にしたことに間違いはなかった。後継者作りは非常に難しいですが、武川に点数をつけるとするなら、これはもう100点でしょう。

問 キタムラは今まさに新しく生まれ変わろうとしているのですね。

北村 もう以前のような「追いつけ追い越せ」の競争ではありません。今は足元が大きく変化しています。その変化を自ら作り、変化を獲得することによって、生き残る必要があるのです。だから先回りして、戦場を決めないといけません。

問 これから何年かけて、新たな戦場を作り上げて行くおつもりですか。

北村 私は「700日戦争」と言っています。つまり、2期経ったら結果が出るということです。これからは人との競争ではなく、変化との競争です。変化を先回りしなければなりません。09年4月から700日戦争の戦線の火蓋が切って落とされました。フォトブック売り上げに関しては今年40億円、来年100億円、再来年300億円と強気の計画を立てています。欧米のフォトブックは2?3年先を歩んで成功しています。ですから、きっと上手くいくだろうと思っています。

問 海外展開も計画されていますか。

北村 今はありませんが、キタムラの1049店舗はカメラ・プリント専門店として世界一です。厳密に言うと、DPで世界最大の販売量をあげているのはウォルマートですが、これは専門店とは言えません。販売量はキタムラの数倍ですが、アメリカの人口は日本と全然違います。ただ、日本人は写真が好きなので、工夫次第では市場拡大も見込めます。

 キタムラの特長は直営であることですが、これは同時に弱みでもあります。約1万人も雇っているので、コストが掛かるのです。しかし、生粋のカメラ専門店で全国展開しているのはキタムラしかありません。キタムラが消えれば、人々は長時間かけて写真屋に行かなければなりません。キタムラはないと困る存在になっているのです。デジタルで痛い思いをしましたが、ここからはデジタルを追い風に巻き返します。

P r o f i l e
北村 正志(きたむら まさし)
1941年生まれ。64年、早稲田大学第一政治経済学部を中退し、翌年浅沼商会入社。67年、キタムラへ入社。85年、社長に就任。先代の北村政喜氏が1934 年高知市に開業したキタムラ写真機店を引き継ぎ、売上高1500億円を超える上場企業に成長させた。2002年、第4回企業家賞「快適映像ライフ提案賞」を受賞。

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