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【編集長インタビュー】アルペン 代表取締役社長水野泰三

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

ベンチャースピリットを永遠に持ち続けるアルペン

(企業家倶楽部2012年12月号掲載)

創業から40 年、いまや日本のスポーツ業界に無くてはならない存在となったアルペン。自前主義を掲げ、商品開発力で他社を圧倒している。次なる目標である海外展開に向け、アクセルは全開だ。創業以来、豊かな発想力と俊敏な行動力で同社を強く牽引してきた水野泰三社長は「自社独自のPBを作り上げ、それを広く知させてNB化する」と夢を語った。 (聞き手は企業家ネットワーク社長 徳永卓三)


自力の工夫で資金調達チェーン化へ踏み出す

問 創業期の店舗づくりには苦労されたようですね。

水野 当初は資金も無く、銀行もお金を貸してはくれませんでした。そのため、保証金や礼金が要らず、しかし駐車場があり、売り場も広く、知名度がある。そんな場所を考えてピンと来たのが野球場でした。

 早速大阪球場に赴き、月100万円で3ヶ月借りる契約を結びました。球場側からは「スキーなんて売れっこない」と呆れられましたが、その3ヶ月で12億円を売り上げたのです。これを皮切りに野球場のチェーン化を画策し、ナゴヤ球場や後楽園球場でも同様に成果を上げました。

 また、私は東京・新宿に店舗を出すことに憧れていました。しかし家賃は高く、空き地などありません。その中でもかろうじて空いていた日本生命の土地に目を付けた私は、すぐに本社に赴き、貸してくれるように頼みました。しかし、「超高層ビルを建てる計画がある」と門前払い。それでも毎日通い続け、最終的に相手が根負けして許可をくれました。その代わり、3ヶ月のみの貸し出しで、かつ日本生命の3億円の保険に入るよう言われました。要するに、潰れたら私が人間担保になるということです。そこにプレハブを建て、12億円売りました。

 その折は社員に「あるものは全て売り切れ。何も持ち帰るな」と通達しました。3カ月で閉めてしまう店舗ですが、構える以上は棚などが必要です。そうしたものまで全て売り尽くすように言い含めたのです。そのため最後の広告には、スキー用品店にも関わらず、電卓、スチール棚、蛍光灯などの「商品」が並びました。

問 資金調達の後は、どのように店舗を展開されましたか。

水野 お金ができると、期間限定ではない標準的な店舗を作ることになります。そこで、チェーンストアに関しては100年の歴史を誇るアメリカに赴き、ショッピングセンターを視察しました。

 驚いたのは、周囲には全く家が無いにも関わらず、店舗が多くの人で賑わっていたことです。その理由を探るべく、セスナを借りて上空からショッピングセンターを見下ろしました。すると確かに、ショッピングセンターの立地は何も無い砂漠の真ん中なのですが、店舗を中心に高速道路が広がり、そこに沿って住宅が張り付いていたのです。高速道路によって商圏ができあがる。奇しくも時代はモータリゼーションです。この波に乗るべく、76年12月に愛知・一宮に初の郊外店を作りました。

 一宮の立地は、確かに高速道路を降りた所に位置していましたが、夜は真っ暗で、周りは田んぼばかり。土地を契約したはいいですが、夜中になってみると「こんな所でものが売れるのか」と、社員の不安も募りました。

 従来の通常店は約15坪のところ、一宮店は250坪ですから、15倍もの広さ。不安にもなります。しかし、アメリカで目にした光景がありましたので、必ず成功すると自信を持ち、オープンしました。そして、年間約12 億円を売り上げ、郊外店をチェーン化していくこととなったのです。

目指すは800店舗体制

問 目標とされる店舗数はどのくらいでしょうか。

水野 30万人を一つの商圏と考えていますので、日本の人口を1億2000万人と計算して400店舗は展開できると考えております。アルペンとスポーツデポは似ていますから、2つ合わせて400店。ゴルフは全く別の業態ですから、単体で400店の展開が可能でしょう。どちらも現在の約2倍ということになります。

 今後、15万人の商圏でも成り立つ仕組みを作れば、計算上は800店まで拡大できます。ただ、少子高齢化で人口が減っていきますし、スポーツ用品は全ての人が日常的に使うわけではありませんので難しいところです。それでも、Tシャツや靴など、誰もが毎日使う商品を増やすように努力しています。

問 御社のライバルはどこですか。

水野 同業者は無論、それ以外のアパレル企業も含まれます。弊社の商品は半分がアパレルなのです。

 ゴルフをする人だけがゴルフウェアを買うとは限りません。ゴルフ5に来たついでに、普段着としてポロシャツや靴下を買う方もいらっしゃいます。ただ裏を返せば、他の衣料品店で買ったチノパンとポロシャツでゴルフに行く方もいらっしゃるわけです。厳しい競争時代になりました。

中国はもはや購買市場生産は東南アジアへ

問 海外展開についてお聞かせください。

水野 以前より工場は中国・無錫、オフィスは上海にありましたが、店舗はありませんでした。しかし、来年4月には上海に1号店をオープンする予定です。売り場の広さは1000坪。800坪がスポーツデポ、200坪がゴルフ5となっております。

問 中国についてどのように評価されますか。

水野 もはや中国は人件費が高騰しており、生産拠点というより購買市場として考えた方が適切でしょう。生産拠点は東南アジアに移転をしなければなりません。現時点では、中国と東南アジアの労賃に大差はありませんが、中国はどんどん経済成長しておりますので、5年もすれば相当な差が付くと思います。今度カンボジアに工場を建設する背景には、そうした事情があります。

問 カンボジア進出の状況をお教え下さい。

水野 カンボジア工場の稼動も、来春の予定です。従業員数は数百人規模となるでしょう。まずは簡単な製品から作り、徐々に無錫工場から難しい製品を移行していきます。

 以前、無錫工場を建てた折も、何も無い状態からのスタートでした。しかし、今や日本企業が中国に現地法人を作って進出しております。カンボジアも同様に、徐々に日本企業が進出していくでしょう。ただ、大多数の企業と共に行くのではもう手遅れですので、早めに対応しているのです。

時代の変化に即応スポーツ用品全般を扱う

問 スキーを始めたきっかけは何でしたか。

水野 私がスキーを始めたのは小学校6年の時です。当時はクラスでスキーをやっている人など皆無でしたが、私の姉が学校行事でスキー旅行に行き、その虜になって帰ってきた影響が大きかったですね。

問 その後スキー全盛時代が到来しましたが、現在はまたウィンタースポーツが下火になりつつあります。

水野 残念ながらその通りです。最盛期は、スノーボードの登場以前にも関わらず、ウィンタースポーツ関連商品だけで約930億円の売り上げがありました。ところが現在は、200億円を切っております。

問 なぜそこまで売り上げが落ち込んだのでしょう。

水野 スキーヤーが減少しました。以前は冬のスポーツと言うとスキーしかありませんでした。1000万人スキーヤーと言われ、10人に1人はスキーをやっていたのです。しかし、近年では趣味が多様化し、海外旅行や携帯ゲームにお金を使うようになりました。

 そうした時代の変化に対応して、私たちも扱う商品を変えてきました。最初はスキーの専門店として誕生しましたが、スキー全盛時代の終息を感じて新たに展開したのが、幅広いスポーツ用品を扱うスポーツデポです。実はこれも、アメリカの大型スポーツ専門店「スポーツオーソリティー」を視察して触発されました。スポーツオーソリティーに商標料金を払ってブランドの名を借りるという選択肢もありましたが、私たちは自前主義ですので独自に作り上げたのです。

問 現在はゴルフも主力商品の一つとなっておりますね。

水野 ゴルフ5の展開はスポーツデポより15年ほど歴史を遡ります。ただ、スキーに次ぐビジネスチャンスを掴むという戦略的な意図は変わりません。それまでもゴルフはアルペン内で売っていたのですが、一つの事業としてアルペングループの支柱にしようと考えました。

 もっとも、ゴルフ専門店を出そうと決したのには理由があります。ゴルフが卓越して売れていたアルペン相模原店の業績が、ある日急落しました。不審に思い現地に飛ぶと、すぐ向かいにゴルフ専門店が出来ていたのです。私たちは150坪のアルペンの一角に40?50坪構えている程度なのに対し、相手は150坪のゴルフ専門店。3分の1の敷地では到底太刀打ちできません。帰りの新幹線で危機感を募らせ、ゴルフの専門店を作ろうと決意したのです。

問 ゴルフ5の名の由来は何でしょう。

水野 実のところ、これといった由来はありません。

 当初、企業のイメージ戦略を行う会社に大金を払って、意識調査やロゴのデザインなどを頼みました。命名に関しても、彼らがアイデアを200個程出し、それを最終的に社員が3?5個に絞り込み、私のところへ上げてくるわけです。

 私は候補となる名前に目を通しましたが、全く印象に残りません。イメージ戦略のプロたちは、あまりに簡単な名前ではお金を取れないという事情もあるのでしょう。ややこしい名前が並んでおりました。しかし、今後ゴルフ専門店を展開していくことを真剣に考えている私ですら印象に残らないということは、お客様の印象にも残らないのではないかと思いました。

 そこで結局、私の独断と偏見で決めることにしました。ゴルフ専門店ですから、「ゴルフ」という言葉は付けようと思い、あとは私の好きな数字である3、5、9の中から真ん中の5を取って、ゴルフ5と命名したのが真相です。

 もちろん、「アルペンゴルフ」と名付けてアルペンとのシナジー効果を狙うことも考えました。ただ、ある程度の規模を展開すればブランドイメージも高まるでしょうし、専門店であることを意識して、全く別の名前を付けたのです。

商品開発力が強み

問 2013 年6 月期には売上2000億円を達成すると発表されております。ここまで伸びてきた一番の要因は何でしょうか。

水野 商品開発力です。現在よく売れているランニングマシーン「トレッドミル」や、電動アシスト自転車のような商品は、私たちが独自に開発しました。今まで作っていた商品よりも幅の広い、日用品に近いものをたくさん開発して、それが売れています。

 当初より、私はスキー板を最も作りたいと考えていました。しかし、約2年かけて開発を重ねましたが、すぐに折れてしまうなど売り物になりませんでした。そこで私は、一計を案じました。

 私たちはメーカーと小売の両側面を持っています。とあるメーカーに技術者を連れていく時は、店長の名刺を作り、小売りの顔をして行くのです。すると、モノづくりのノウハウを色々と教えてくれます。そうして学んだ知識を全て控え、私たちの手で作るのです。そうした方法で、他社が5年かかった開発を半分の時間で成し遂げてきました。

問 商品開発の上で意識されていることは何でしょう。

水野 開発したものをきちっと市場調査しなければなりません。私たちはナショナルブランド(NB)も扱っていますので、市場調査はNBを利用て行いました。

 すなわち、ある商品がお客様に売れるようになる価格帯を探すのです。まずは1万円、8000円、5000円と徐々に価格を下げていきます。5000円で飛ぶように売れたならば、その商品は5000円の値で必ず売れるわけです。ということは、少なくとも50%の利益を出すためには2500円で製造しなければなりません。あとは、原価を度外視して開発費を下げていきます。

 製品が出来上がると、必ず試売をします。開発コストは割高となりますが、何個か試作品を作り、どのような型や色に人気が出るのかを調査するのです。大量生産できるまでには時間がかかってしまいますが、確実に売れるものを作りたい。

 憶測や個人的な感覚で商品を一気に生産する方法は、ギャンブルと同じです。最終的には損をする可能性の方が高い。昔は私も社長命令で一度に生産を行い、イメージと全く異なる商品が大量に届いて大きな損失を抱えたこともありました。高い授業料を払って得た経験を無駄にはしません。

挑戦をやめてはいけない

問 一番悔しかった体験は何でしたか。

水野 多くの失敗を経てきましたが、最も難しかったのはスキーの靴を板に取り付けるためのビンディングです。これを独自に開発すべく、工場の中に専用スペースを設け、社員2名に「今日からビンディングのことだけ考えろ」と言い渡しました。世界中の金具を分解して、様々なテストを行うのです。すると、模倣品は意外に容易にできます。ところがビンディングは特許の塊で、それが崩せません。そもそも、世界の競合は生産台数が桁違いでした。悔しいが到底太刀打ちできないと判断し、それだけは諦めました。

 そこへスノーボードが登場しました。これにもやはりビンディングが必要です。そして、スノーボードに関しては、競合他社共々ゼロからのスタートです。これならば勝てる。すぐ工場へ向かうと、従業員を集めて速やかなスノーボードのビンディング開発を指示し、ゼロの状態から2年で開発しました。それが好調な売れ行きで、特許も取っております。

 海外の競合他社が苦戦する中、私たちは開発に成功したのです。これこそベンチャースピリットの賜であり、技術者たちの自信になっています。

問 ベンチャースピリットを持ち続けるための妙案はありますか。

水野 新しい商品を一品一品地道に作り出すことです。それが社員の自信にもなります。例えば、私たちは電機製品に関しては全くの素人でしたが、社員が勉強して電動自転車を開発しました。そうして蓄積されたノウハウから、「トレッドミル」のスピード調整技術も生まれています。こうした現象はベンチャーらしさの象徴です。全く新しいものへの挑戦を積み重ねることで、会社全体にベンチャースピリットが形成されるのではないかと思います。

問 経営者としての40年間を振り返って、感じることはありますか。

水野 創業したのが昨日のことのようです。若さだけにはかないません。20代の時にインタビューを受け、「若さだけは絶対にお金で買えない」と言ったことがあります。それを今の自分自身が一番身に染みて感じますね。

 昔は様々な発想が浮かんできて、すぐ行動を起こしていました。例えば、スキーの靴は輸入すると30%近い関税がかかってしまいます。これを何とか崩したいと考え、部品で仕入れるようにしたのです。スキー靴は大きく分けると4つの構成要素でできており、それを個別に輸入したのです。すると、それぞれ8%ずつの関税しかかかりません。あとは、私たちの工場で組み立てることで、実質的に30%の関税を8%まで下げ、安価な商品を提供することができるようになったのです。

 いかに原価を引き下げ、コスト競争力を付けるか、必死で考えていました。私たちがスキー靴の高関税を事実上取り払った折も、他社は指をくわえて見ているだけで真似できませんでしたので、それが差別化になりました。

 ただ、現在は上場しているため、証券会社からリスク管理を最優先に言われますので、考え過ぎるようになってしまった感はあります。しかし私たちは、当時果敢に挑戦し、それによって技術力が向上したことが、現在の開発力にも繋がっているという事実を忘れてはならないのです。

問 最後に、御社の将来像について伺わせて下さい。水野 チェーンストアは意外とシステムで動かしていく要素が多いと思います。そのため、社員の能力やモチベーションに頼りきらず、誰が運営してもきちんと動くシステムを構築する必要があります。優秀な人材でなければ動かせないような組織体系ではいけません。

 また、企業家としての私の夢は、まずNBに頼らない独自のPB商品を生み出し、その後自前で作り上げたPBをNBと化すことです。私たちの製品を使った多くの選手が大会などで良い成績を収め、幅広い方々にNBとして認知していただける日がくれば本望です。

P r o f i l e

水野泰三(みずの・たいぞう)

1948年名古屋市生まれ。スポーツ小売店勤務を経て、72年15坪のスキーショップとしてアルペンを創業。83 年にはゴルフ専門店「ゴルフ5」、97年には大型スポーツ用品店「スポーツデポ」の運営を開始する。06年には東証一部に上場を果たし、2012年6月現在、売上高1960 億円、経常利益124億円、合計店舗数375 店を誇るなど、名実共に同社を一代でスポーツ業界を牽引する企業へと育て上げた。

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