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【編集長インタビュー】柿安本店 代表取締役社長 赤塚保正

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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宝ものの従業員を鼓舞し共に柿安らしさを追求したい

宝ものの従業員を鼓舞し共に柿安らしさを追求したい

(企業家倶楽部2009年4月号掲載)

精肉店の「柿安精肉」、惣菜の「柿安ダイニング」、ビュッフェレストランの「三尺三寸箸」など、内食、中食、外食産業と幅広く事業を展開、138年の歴史をつむぐ柿安本店。BSE(牛海綿状脳症)の危機をチャンスに変え、成長を遂げてきた。6代目の舵取りを任された赤塚保正社長は、先代の知恵と持ち前の誠実さを武器に和菓子の口福堂、ハンバーグレストラン、高級牛肉レストランと新しいフォーマットにチャレンジし続ける。その根底にあるのは“柿安らしさ”の追求である。従業員を宝として育成、共に手を携え「おいしいものをお値打ちで」の理念を貫く。100年に一度といわれる荒波をどう乗りきっていくのか、その極意を聞いた。(聞き手は本誌編集長 徳永卓三)

生活防衛で百貨店や外食の売上ダウン

問 2008年9月15日のリーマンショック以来、産業界は大不況に突入し、特に自動車などの輸出産業が大きな打撃を受けています。柿安本店(以下柿安)はどんな状況ですか。

赤塚 現在、売り上げの70%前後が百貨店経由ですが、リーマンショック前の昨夏から、百貨店の環境が厳しくなり、大きな影響が出ました。当社は9月決算で前期は増収増益でしたが、7月ごろから悪くなり、百貨店の影響がそのまま響いた感じです。特にギフト関係が厳しかったですね。私どもは外食としてのレストラン、中食として惣菜、内食として精肉部門を持っていますが、中でも一番影響が出ているのが外食です。一番ダウンしております。これは生活防衛ということだと思います。

問 年末商戦の10〜12月は一番かき入れ時だと思いますが、いかがでしたか。

赤塚 前期の第1四半期(07年10月〜12月)は既存店でも対前年比103%でしたが、今期の第1四半期(08年10月〜12月)は外食事業が足を引っ張って、1ポイントほど落ち込んでいます。前期の103と比較して今期の99という数字はまずまずではないかと思っています。全社的な売上高の31%、利益の34%が第1四半期で稼ぎますから、ここでいいスタートが切れれば、その蓄えで第4四半期まで引っ張ることが出来ます。

問 外食関係はみんな厳しいですね。

赤塚 特に高級業態は厳しいですね。私どもの料亭や、最近オープンした東京・銀座の高級牛肉レストランは09年1月になって極端に厳しくなっております。中部圏は肉の消費量が多く、特に名古屋や三重では正月はお節を食べるようにすき焼きを食べる習慣があります。但し今年は客単価が落ちています。ロース肉を半分にしてその分細切れにするとか、消費者の生活防衛意識の一環ではないかと思っています。

安心感というおいしさを追求

問 昨年、一昨年辺りから食品業界には毒入り餃子や肉の偽装、老舗料亭の不祥事などが相次ぎ、消費者の安全・安心に対する要求が高まっていますが、柿安ではどのような対応策を取っておられますか。

赤塚 食の安心・安全は、人材育成と並んで私どもの二つの優先する経営課題です。「おいしいものをお値打ちに提供する」というのが当社の経営理念で、これは初代の赤塚安次郎から6代目の私まで今年で138年、ずっと引き継いできた不変の考え方です。これをきちっと守ってきたからおかげさまで6代まで商売させていただいたと思います。よく社員に、おいしさとは何かを言います。これは時代の流れを考えると、先代までは舌で味わう味覚だけだったと思います。しかし最近はもう一つの要素がないとおいしいとお客様に言っていただけない。それが食の安心・安全です。お客様が安心して食べられる味というのが二つ目の要素であると。ですから味覚でいう味と、心の部分で感じる安心感というおいしさ、この二つの要素が兼ね備わらないと柿安では美味しいという表現は使いません。

問 心で感じるおいしさはなかなか難しいと思います。具体的にはどのように伝えているのですか。

赤塚 食の安心はおいしいものを提供する大事な要素だということを、社長就任以来言っています。取り組みとして仕組みの部分と啓蒙の部分と二つの要素でやっています。啓蒙ではなぜ我 は食の安心・安全に取り組まなければいけないのか、そういう問題が起こったときには社会的な制裁を受けて柿安自体がどうなっていくか、ということを常に言っております。特に年に4回の全店長・料理長会議の中で意識付けをしております。仕組みという部分では取締役で構成する安全委員会がありまして、新しい機械を導入するなど、さまざまな面での安全・安心を確保できる仕組み作りを検討・実施しています。同族経営は良きに働き、悪しきに働くときがありますし、私もまだ若いですから外部の有識者の方に当社の顧問になっていただきアドバイスを頂いております。

問 外部の方というのはどんな方がいらっしゃるのですか。

赤塚 法的な顧問弁護士の先生、会計士の先生、警察のOBの方、食品関係で保健所のOBの方、そういう方に社外から別の角度で見て頂いております。

問 それにしても日本の消費者というのはあまりにも潔癖になりすぎていると思います。例えば賞味期限の問題でもずいぶん無駄をしていると思います。本当に食べられるものだったら少し賞味期限を延ばして食べようとか、そうしないと地球は限りがありますから。食料の安全保障という点からももう少しマスコミの方も考えないと、食品業界のみなさんに無理を強いているような感じがします。

赤塚 不況の一環はコンプライアンス不況というぐらいですからね。会社のコストに跳ね返ってしまいますと、最終的には消費者に跳ね返ります。どこの企業でもきちっとした適正な利益をとっていかなくてはいけません。過大な利益を取ろうと思うから、あのような偽装問題が起こると思います。我々ももっと工夫が必要ですし、それを取り巻く方々にもご理解とご協力をいただいて最終的にはお客様に喜んでいただけることをしていかなくてはいけません。

問 この前、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長がお話をされていましたけれど、人口が減らない限り経済は発展していくそうです。私もその通りだと思います。自動車などのニーズが落ちていますが、消費者がいなくなったわけではありませんし、ものを食べなくなったわけではありません。あまり慌てないことが必要ではないかと思います。

赤塚 同感です。目先のことを考えすぎると物事はうまくいかないと思います。無駄はさせないが社員に無理をさせてはいけません。

柿安を継ぐのは君しかいない

問 ところで入社のきっかけですが、大学を出て2年ほどアメリカに留学されて柿安に入社されましたね。柿安に入社して社長を継がなければならないと、いつごろ意識をされ始めましたか。

赤塚 実は学生時代は柿安に入るつもりは全くありませんでした。父の姿を見て、一から十まで商売、ご飯を家族で食べていても商売なんですね。いわゆる公と私がまったくないのです。こういう生活は自分には合わないと感じていました。しかし4代目社長の伯父がニューヨークまで来て「将来は社長になって引き継いでほしい」と、言われたんです。そこまで言われた以上は赤塚家の伝統を守っていくのが年齢からいっても私しかいないと思いました。

問 それまでは全く考えていなかったのですか。

赤塚 全くないです。アメリカの外資系金融会社に入りたかったですね。

問 そのときの一番心を動かされた言葉は何だったのでしょう。

赤塚「君しかいないんだよ」という言葉でした。ニューヨークまでわざわざ来てくれたということに感動しました。私は「誠意」という言葉を大切にしております。どんなことがあっても相手に誠意をもって接すれば相手の心は動かすことができるという信念を持っています。それがまさに4代目の姿ではないでしょうか。

4代目から学んだ「和」の心

問 4代目社長、それから父親である5代目社長、この二代の社長と一緒に仕事をされたわけですが、それぞれの社長から学んだことはどんなことですか。

赤塚 4代目の赤塚安則が大切にしている言葉が「和」という言葉です。赤塚家というのは男が4人、女が3人の7人の兄弟ですが、すごく仲が良いんです。これだけ大きな企業になって、仲良くやってきたのは珍しいと言われます。それは4代目の安則が「和」ということをすごく大切にしたからです。だからここまで出来たと思います。あるとき4代目から、そのときはまだ分からなかったんですが、「社長ほど自分の我を出したらいかんよ」と言われました。みんなの協調とか和を大切にすることを常に考えなさいと。そのときはえっ、と思いました。社長ほどリーダーシップを発揮するものと思っていましたから。「いやそうじゃないんだ。今は分からないかもしれないが、いつか分かるけどな」と言われたんです。最近、それがよく分かります。私どもの役員もけっこう個性強いですからね。「社長、私のどこが間違っているんですか」とよく言いにきます。間違っていない、だけど今回はこういうふうにするから理解してくれよと話をすることもあります。

問 なるほど「和」の心ですか。5代目の社長からはどんなことを学びましたか。

赤塚 5代目は父親ですから、常に前向きに、物事をプラスに考えろと教えられました。会長の言葉は「ピンチをチャンスに」という言葉です。これはまさにポジティブな考え方ですね。普通はピンチはピンチなんです。だけどそのピンチの状況でありながらどうチャンスに変えていくかということを常に考えろ。だから不況だと言って、自分まで不況にしてしまったら自分も負け組みだよと。経営者は常に冷静沈着で強気でなくてはいけないということを教えられました。だから私は頭の冷静さと心の熱さということを常に大切にしています。

問 そういう面では二人のすばらしい先生に恵まれましたね。

赤塚「和」という言葉と「ピンチをチャンスに」という言葉は今の私の経営の中で痛感しています。今ほど「和」が大切なときはないですからね。こういう時ほど社員一同、同じ方向に向かっていかなくてはならない。またピンチの状況でありながらわが社をチャンスの状況に変えていく、まさに今こそ活かせるキーワードではないかなと思っております。

BSE危機を乗り切る

問「ピンチをチャンスに」ということでは、例のBSE危機には惣菜部門に打って出て、チャンスに変えられたと思います。その辺りの話をお聞かせください。

赤塚 2001年の9月に、突如国内でBSEの問題が出てきました。急に牛肉に対する消費者からの不審が出てきて、牛肉を食べることが忌み嫌われてしまいました。私どもの場合は牛肉関連のしゃぶしゃぶ、精肉、佃煮という贈答品を売っておりましたから、12月の売上が前年比23%という大変な状況となりました。

問 23%減ではないですよね。

赤塚 77%減ですから大変なピンチでした。その当時、唯一牛肉と関係ないのがお惣菜、いわゆる中食でした。柿安ダイニングという新しい業態を持っておりましたからそこへ本格参入し、百貨店に出店しました。その惣菜事業のおかげでなんとか売り上げは前年並みの160億円は確保できました。が、利益は赤字決算となりました。でも従業員のリストラは一切しませんでした。それと株の配当もきちっとしました。目先のことを考えれば赤字なのだからリストラ、無配当が世の常ですが、それをしなかったのは当社の考え方で、目先にとらわれないということの一つの証だったのではないでしょうか。

問 そのときに惣菜部門の柿安ダイニングを展開していかれたのですね。

赤塚 当時私が常務取締役惣菜事業本部長でしたが、年間で20店舗、25店舗と二期連続20店舗以上出しました。まだ10店舗ぐらいしかなかったですから、そこで一気に増やしましたね。

問 見事にBSE危機を乗り越えられたと思いますが、そのときの教訓はおありですか。

赤塚 やはりリスクの分散ですね。それまでは85%ぐらいが肉に偏っていましたから。今はお肉を扱っていない業態を増やし、リスクの分散をしております。事業部別の売上構成比も80%が精肉と惣菜だったのを、私が社長になってこの2年間、売上構成比を4分割に分散させる方針をとりました。今はレストラン部門と食品事業部の売り上げが大きくなり、互いに20%前後になっています。2年前は20%が食品とレストラン部門でした。しかし、今は35%が食品とレストランです。その4本柱を各20%前後にしていきたいと考えています。そうすることによってリスクを分散できます。

問 リスク分散は大切ですね。これでどんな経済変動が起ころうが大丈夫ということですね。

赤塚 一応、当面はなんとか持ちこたえられると思います。レストランだけの会社だったら今、大変ですね。お惣菜の調子が悪くなってもまだ内食を持っておりますから。今は不況の影響が外食から中食に移り、さらに内食へと移ってきています。

柿安らしさを表現する新しい業態を開発

問 三尺三寸箸などのレストランはもとより、和菓子の口福堂などさまざまな業態を開発され、どれも成功されています。不景気のこの時代どのように展開していこうとお考えですか。

赤塚 この2年間は既存事業のブラッシュアップということをまず念頭に置いております。既存ということでは従業員の育成や活性化、既存の業態商品のブラッシュアップですね。

問 三尺三寸箸については今後どのように展開されますか。

赤塚 ビュッフェレストランは三尺三寸箸と上海ダイニングという形で、今27〜28店舗ぐらいありますが、売り上げがフル稼働すれば年間80〜90億円ぐらいになります。4年前に売り上げ100億円になったらこの事業の展開はやめようという計画を持っていました。三尺三寸箸は今期でその規模になってきましたので、次の成長の柱としてハンバーグレストランを考えています。これは三尺三寸箸と比較し設備投資も人も少なく、オペレーションも簡単ですから、成長性のある事業だと思っております。

問 このハンバーグレストランがこれからの柱となるということですか。

赤塚 一昨年に手がけた事業で、コンセプトは柿安らしさの表現と柿安にしかできないことの表現の二つです。柿安らしさとは、肉屋としての柿安、料亭としての柿安です。柿安にしか出来ないこととは、柿安には精肉、惣菜、レストラン、小売といったようなまったく違うジャンルの事業を抱え、内食、中食、外食という三つの分野を持っていることです。この強みを発揮し柿安にしか出来ない表現をしていこうと思っています。

問 和菓子の口福堂も人気ですね。

赤塚 100店舗以上になりました。今期末には売上高が45億円ぐらいになります。これは料亭で出していたお茶と和菓子を、お客様からお土産に持って帰りたいといわれたのがきっかけで商品化したものです。だからこれは料亭というイメージからの柿安らしさを表現しています。あんこは工場で炊いておりますが、商品の最終加工、おはぎを握ったり、だんごを焼いたり、蒸したりするのはお客様の目の前で作っております。お袋の味、おばあちゃんの味です。これはまさに柿安ダイニングのノウハウを活かしております。

問 今年はどのぐらい出店する予定ですか。

赤塚 前期に45店舗出店しましたが、今期は半分の25店舗ぐらいです。今年は全体的に出店を抑制して内部固めに力をいれます。あまり出店しますとオペレーションが乱れたり、人材の育成が遅れますから。昨年、三重県・桑名に新しくスイーツファクトリーを15億円かけて作りました。ここでは今、あんこは一日3トン、串団子は一日6万本、どら焼きは一日に2万個つくっています。

問 08年9月に高級牛肉レストランが東京・銀座にオープンしましたね。

赤塚 銀座は7丁目の7階ということにこだわりまして、三重県桑名の料亭のイメージでつくりました。網焼きの料理という他所にないオリジナルのメニューです。私が社長になって世界一牛肉の有名=おいしい企業を目指す。これを名実ともに目指そうじゃないか。そこで柿安らしさの表現として高級牛肉レストランを出店しました。

人財開発でおもてなしの心を育む

問 柿安では、「人材」の材が宝ものの財になっている。これは社長のお考えなのですか。それとも先代からの引き継ぎなのですか。

赤塚 名前を付けたのは私です。考え方は先代からです。BSEの時にもリストラをしなかったのは、「企業は人があってこそ、人はお金に変えられない」という考えでした。だからBSEを乗り切ることもできたんですね。思いを形に示さなくてはいけないということで、宝という形で財を当て字にしました。昨年の4月に人財開発部という教育の専任機関を作りました。部長には外部の教育関係で名の知れた方をスカウトしてきました。既存の社員については人事制度の改革ということで、変化する時流に合わせて外部のコンサルタントも活用しながら、新しい人事制度の導入を準備しています。

問 それだけ教育に力を入れて、どんな人材になってほしいと思いますか。

赤塚 まずはお客様を大切にするというおもてなしの心を分かってほしい。「自分たちの給与はお客様から頂いているんだよ。お客様は神様ですから、お客様が喜んでくれることを常に心がけなさい」といつも言っております。また経営理念の「おいしいものをお値打ちに提供する」を常に心がけさせています。おいしくてお値打ちで、笑顔のあるお店だったらお客様は必ず集まってきます。お客様が集まるということはお店が繁盛し、会社は繁栄し、それに関係している方々がすべて幸せになります。だからお客様を大切にしなさいということをいつも言っています。

問 おもてなしは奥が深いですよね。あんまりべったりでもいけないし、あんまりあっさりでもいけない。なかなか難しいですよね。

赤塚 おもてなしの心は料亭からきている言葉ですから、料亭をやっている会社にしか分かりません。ホスピタリティとは少し意味が違うと思います。私どもはおかげさまで料亭をやってきましたから、そういう気持ちは我々赤塚家の人間はなんとなく分かっております。

帝王学はおいしいものを食べ続けろ

問 御社は職人を多く抱え、店舗でつくる方式ですが、職人を使いこなすというのは大変ではないですか。

赤塚 当社には和・洋・中、それから洋菓子・和菓子・精肉の職人さんが合わせて200名ぐらいいます。食に関するすべてのジャンルの職人さんがいるというのが私どもの強みです。だからまさにうちの強みは匠の技です。ありがたいことに4代目も職人ですから、子どものころから職人さんの気質、彼らの得意なところと苦手なところはよく分かっています。それはオーナー経営だから出来るんですね。

問 匠たちと話をするとなると社長も舌を鍛えておかなければなりませんね。

赤塚 そうですね。私は作ることができません。ただ食べることは出来ますから一番おいしいものばかり食べています。おいしくないものだったらご飯を抜きます。だから買い物行くとすごく買い物します。おいしいものがあったら値段に関係なくパッと買う。

問 食品会社の社長はやはりグルメであってほしいですね。

赤塚 食べることが嫌いな社長だったら会社はよくならないと思います。私が外出するときには同行した社員にも一流のものを食してもらっています。自分と同じ目線で話をしようと思ったら一度は経験させてやらないと何を社長は言っているのか分からないとなります。役員には年2回、株主総会が終わった後は私どもの料亭本店で最高の松阪牛を食べさせます。肉屋が肉をあまり食べないでは話しになりませんから。食べ物に対する投資は自分も含めてかなり出しています。研究費と言っても年間400億円の売上高で、1%使って4億円。0.1%で4000万円。そんなには食べられません(笑)。

 私の父は帝王学というものを何一つ教えてくれませんでしたが、今考えるとおいしいものを食べ続けろというのは一つの帝王学だったかなと思います。

問 よくおいしいところに連れて行ってもらったのですか。

赤塚 そうですね。料亭の吉兆には学生時代から通っていて、「お前ぐらいやな、吉兆で2人前食べたのは」と父からも言われていました。子どものころからおいしいものを食べさせてくれました。

問 そういう面では一流の品物とか一流の料理に触れるということは大切なことですね。赤塚社長からご覧になっていて柿安の強みを挙げるとすると、どんなものが挙げられますか。

赤塚 よく働く従業員、138年の歴史。常に新しいものにチャレンジする革新の精神、牛肉の製販一貫体制。中食、内食、外食の三分野をもっていることでしょうか。一番はよく働く従業員がいるということです。

問 よく働く従業員はどのようにして育成できたと思われますか。

赤塚 それは先代たちがよく働くからです。だから私は社員の模範にならなくてはいけない。私は先代たちに比べるとまだまだですが、よく働く従業員に恵まれている。大変ありがたいことだと思っています。

profile

赤塚保正(あかつか・やすまさ)

1963年、三重県出身。1987年、慶應義塾大学法学部卒業後、米国に留学。1989年、株式会社柿安本店に入社。1998年、取締役レストラン営業部長。2001年、常務取締役レストラン営業部総支配人。専務取締役レストラン事業本部長兼精肉事業本部長等を歴任後、2006年12月に代表取締役社長に就任。

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