会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2018年10月号掲載)
日本ブランドの価値を高める
私は121年続く博多織の織元の5代目で、着物を中心とした製造業と小売業を営んでいます。弊社は、1982年には博多織を皇室に献上したことがある他、ルーブル美術館にも展示されたほど、その技術力が認められてきました。ただ、徐々に経営が傾き、26歳の時に私が呼び戻されました。現在は世界へと飛躍を遂げるべく邁進。博多リバレイン、銀座シックス、六本木ヒルズに店舗を構えています。
伝統工芸には、次の5つの基準があります。(1)主として日常生活で使用する工芸品であること、(2)製造工程のうち、製品の持ち味に大きな影響を与えるのが手作業であること、(3)100年以上の歴史があること、(4)原材料も100年以上使っていること、(5)集積していること。これらをクリアした伝統工芸は現在、全国に200以上あります。
さて、福岡の伝統工芸に当たる博多織ですが、経済産業省の方々とは「日本ブランドの付加価値を高めよう」と言い合っています。例えばエルメスも、フランスというナショナルブランドの恩恵を受けていますよね。フランスと書くだけで、グローバルに見ても響きが良いわけです。同じように、「日本製」と書くことで、「安心安全、センスも良く素晴らしい」という雰囲気を、国と一体になって作らねばならない。私たちは、そういう動きをしています。
博多織に歴史あり
博多織のルーツは2000年以上前に遡ります。日本最古の織物の化石は、福岡県の有田遺跡群で見つかっている。古事記や日本書紀には、絹織物を織っている様子が多く描写されていますし、それほど機織りは古代日本において根幹の部分を占めていた職業だったわけです。
中世になると、経産省が認定している博多織が登場します。博多織は、「独鈷華皿(どっこはなざら)」という紋様をデザインしたのが原点と言われており、始まりは1241年になります。今年はちょうど777周年を迎えますが、世界的に見ても、これだけ長い間同じ紋様が続いているという事例はほぼ無いそうです。
独鈷華皿紋様は、満田彌三右衛門と聖一国師が話し合ってできたと言われています。聖一国師は国師ですから、宋王朝時代の中国へ勉強に行ける立場です。ただ、満田彌三右衛門は商人だったので、当時は渡航が許されませんでした。そこで彼は、聖一国師に頼み込んで、密航します。そして宋の国から持ち帰った技術が博多織でした。したがって博多織は、満田彌三右衛門の企業家精神から出来たと言っても過言ではありません。
江戸時代に入ると、福岡郷の黒田家が博多に入城し、この地は福岡という名前になりました。この時、徳川家への献上品に選ばれたのも独鈷華皿紋様の博多織です。また、この時代に博多織は許認可ビジネスとなり、黒田家の管轄で作られるようになりました。初代市川團十郎が演目の中で博多織を着てPRするなど、今で言うプロモーション活動も功を奏し、人気に火が付きます。こうして、武士、芸者、力士といった方々が博多織を好んで身に纏うようになりました。京都の製品の10倍の価格で取引されたと記録が残っていますから、まさにブランドです。
近現代には、博多織職人から2名の人間国宝が出てきました。小川善三郎氏、規三郎氏という親子で、規三郎氏とは仲良くさせていただいています。また、実は国会議事堂の壁紙も元々は博多織でした。しかし、修復工事の際になぜかお断りしたため、今は京都の織物が使われています。次の修復では、また博多織に戻したいところですね。
江戸時代は許認可制だったため、12軒しかなかった博多織の織元も、明治初期から伸びてきて、200~300軒くらいにまで拡大しました。最盛期は戦後から1970年くらいまででしょうか。その後、衰退の一途を辿り、現在稼働しているのは約10軒ちょっとというところです。
抵抗を受けつつSPA化
私たちが所属する呉服業界は、今ものすごい勢いで縮小しています。とにかく着物が売れない。ちまたで人気のレンタル着物も、海外で作られたポリエステル製品で、伝統工芸ではありません。ピーク時の1972年に2兆円あったマーケットも、現在は2000億円台にまで落ち込みました。
この奈落からどう脱出するのか。まず弊社では、着物のSPA化を進めています。製造と販売両方の現場を持っているのは、弊社のみ。日本で一番初めにできた流通システムは呉服屋であり、私も相当な抵抗を受けながら20年戦い続け、何とか実現できたというのが現状です。小さくなった市場でどのように利益を出していくか考え、自分たちで作り、かつ売ろうと試みています。
そして、着物のブランドになること。「着物といえば岡野」と言われるようなブランドにならなければならない。最終的には着物を買っていただけなくても、着物が中心にあるライフスタイル提案をして、そこから派生するものが生まれていけば良いと考えています。
狙うはラグジュアリー市場
私たちの業界は家業の集まりで、企業として成立させようという意思があまりありません。ところが、いくら日本の伝統工芸と言っても、マーケットが狭くなり、世界基準に合わせられないようでは、淘汰されてしまいます。企業として持続可能な成長組織になることが求められているのです。
弊社も社員の半数が職人なので、私が一生懸命ビジョンを語っても、基本的には「社長が何か騒いでいるな」という雰囲気です。それにもめげず、毎日同じことを言っています。
創業120周年の際には、記念式典を博多織の開祖と言われる満田彌三右衛門の菩提寺、聖福寺で行いました。そこで話したのは、今後60年間の計画。創業から60年間は、私の曽祖父が博多織ビジネスを博多で展開してきました。次の60年間は、日本全国で展開するようになりました。では、これからの60年間で何をしたいかと言うと、着物を超えて世界ブランドとしてビジネスを行いたい。
そのためにも、弊社はラグジュアリーブランド化を狙っています。今はラグジュアリーブランドとして君臨しているエルメスも、元々は伝統的な馬具メーカーですからね。世界のラグジュアリーブランドランキングを見ると、18位バーバリー、17位プラダ、16位ティファニー、15位コーチ、12 位エルメス、11位ロレックス、7位ロレアル、6位スウォッチ、5位グッチ、1位ルイ・ヴィトンという具合。20位以内に入っている日本ブランドはゼロです。
この世界のラグジュアリーブランド市場は40兆円近くあります。対する国内の着物市場は約2000億円。私たちは、引き続きこの国内市場の1パーセントに当たる20億円を狙っていこうとしていますが、一方ラグジュアリーブランドとして、最低でも200億円は取りに行きたいですね。
ルイ・ヴィトンを見習う
ラグジュアリー市場は、日本でもどんどん伸びています。その背景には、多くのブランドがM&Aを重ね、グループ化して巨大になっていることが挙げられる。こうした状況の中、日本の伝統工芸が竹槍を持って攻め込んでも勝てません。勝てるような仕組みを作って戦いに臨まねばならないのです。
例えば、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)のグループには比類のない会社が集結しています。各社が丹念に育ててきた伝統を守りつつ、独自の熟練技術をダイナミックに活かした現代に相応しいラグジュアリー製品を提供しています。
フランス文化を世界に広め、ビジネスとして成り立たせ、なおかつ職人に誇りを持って働いてもらう環境を構築している最たる成功事例。伝統工芸の老舗を束ねているのがLVMHです。業績は過去最高となる5兆円超え。フランスと日本を除いたエリアでも伸びています。特に、日本以外のアジア地域では28%の成長率と言いますから、巨大な市場はすぐ隣にあるのです。
日本には守るべきブランドが沢山あります。ただ、一つひとつが独自で頑張っていても、グループ化して攻めて来る世界企業にはなかなか敵わない。多くの人が連携して、LVMHのようなモデルを作り上げていかねばなりません。
全国の伝統工芸の産地で話を聞くと、皆さん大変です。経済的な成り立ち方を見出せていません。ほとんどの伝統工芸品の販売出口が、百貨店のギャラリーコーナーというのが現状。もちろん、知恵を絞って様々な売り方を考えており、経産省もクールジャパン機構というファンドを立ち上げて世界に売ろうとはしていますが、未だ成功事例を見ていません。
ここで岡野が一番に成功し、ファーストペンギンになりたい。「日本の伝統工芸もできるのではないか」という勇気を皆さんに与えたいのです。勇気さえ持てば、日本人の特性として一気に花開くのではないかと思っています。それによって、日本の伝統工芸を未来へ繋げていければ本望です。
トークセッションする小松美羽氏と岡野社長(右)
アートの文脈で売る
ブランドを世界に訴求していく際、私は伝統工芸という文脈だけでは広がりにくいという実感を持っています。そこで私が注目しているのが、アートです。アートは世界に伝わっていくスピードが非常に速い。
例えば、現代アーティストの小松美羽さんの成功事例をご紹介しましょう。小松美羽さんと、私が顧問をしている有田焼のコラボレーション作品に、狛犬があります。有田焼には原型師という職人がいて、二次元のものを三次元にしてくれる。そこで、その方に小松美羽さんの描いた狛犬の絵を立体として形作っていただいたところ、それがなんと大英博物館に永久展示保存として収蔵されたのです。ここでは、小松美羽さんのアート作品に乗っかることで、有田焼が世界に発信されていったことになります。
弊社でも、小松美羽さんのアートに乗っかって、スカーフを作りました。これはG7サミットの際に各大臣に進呈。128万円という高額商品ですが、アートという文脈ならば決して高くはありません。銀座シックスのオープン時に展示販売したところ、当日すぐに売れました。これがもし「スカーフ」という枠組みで展示していたならば、売れていなかったかもしれません。改めてアートの力を感じました。
世界のアート市場は7.3兆円あるそうです。それに対して日本は3270億円。先進国の中では少ないシェアとなっています。都市別ランキングを見るとニューヨークが一番ですが、アートの取引額としては中国が大きい。台北も入っています。
私も香港のアート展に2回行きました。陶磁器や染物、織物がアート作品として展示されていたからです。私たちからすれば、正直上手くはありませんが、アート作品として成立していました。なぜならば、メッセージ性などのコンセプトがしっかりしているからです。日本の伝統工芸の方が、技術的には明らかに上手なのですが、価値を生み出せていない。そこで、日本の工芸をもう少しアート寄りに持って行きたいところです。世界的に、工芸をアート化していこうという潮流がありますが、その中でも圧倒的な工芸力を誇る日本は、必ずリーダーシップをとれるはずです。
日本は文化大国を目指せ
ブランドとは、憧れから来ます。昔は皆、西洋に憧れていましたから、向こうの商品はブランドになりやすかった。しかし、これからは東洋の時代ですから、東洋のブランドが台頭してくるでしょう。実際、現時点で中国のブランドが存在感を示してきています。この傾向は今後も増えてくるでしょう。私たちの作るブランドも、ここに入っていくのが夢です。
私は今後、日本が国家戦略として、文化大国というポジションを取りに行くのが良いと思っています。日本は王朝が一度も変わらずに続いている世界最古の特殊な国です。そして、文化とはどのように醸成されるかと言えば、風土や気候、暮らしの中の連続性が影響します。
その暮らしの営みの中で生まれた道具が伝統工芸です。したがって、日本の伝統工芸は、世界で最も古い歴史を持っている。私たちは伝統工芸の巨大なグループを作りながら、文化大国への一助となるべく頑張っていきたいと思います。
P r o f i l e
岡野博一 (おかの・ひろかず)
1971年福岡県生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、人材コンサルティング会社設立。26歳、本家が営んでいた博多織元岡野を買収、代表就任し、現在に至る。現代アーティスト小松美羽と有田焼のコラボ作品をコーディネートし、大英博物館に収蔵される。フランスの伝統工芸であるエルメスなどが、ラグジュアリーブランドとして世界で成功している事例を研究、日本の伝統工芸の再起のヒントを得る。既存の着物業界にイノベーションを起こし、世界発信するために六本木ヒルズと銀座シックスに出店。2018年、博多織工業組合理事長就任。