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【ベンチャー三国志】Vol.19

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

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楽天TBS買収に挑む

楽天TBS買収に挑む

(企業家倶楽部2013年6月号掲載)

2000年春に株式を上場、順調に成長した楽天は余勢を駆って2005年秋にTBSとの経営統合をめざした。しかし、TBSの抵抗は激しく、結局、3年半後に経営統合を断念、取得したTBS株も売却した。双方の傷跡は大きかったが、教訓も得た。既存メディアの抵抗を糧に三木谷はひと回り大きくなった。【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、相澤英祐

楽天20%弱のTBS株を取得

 楽天の三木谷浩史は2000年4月に株式上場、464億円の資金を調達して、大空に向けて飛び立った、2003年9月に「旅の窓口」を運営するマイトリップ・ネットを日立造船から323億円で買収、ヤフーと同じようにインターネットのポータルサイトをめざした。高い買い物といわれた「旅の窓口」も順調に拡大、楽天丸は順風満帆の船旅を続けていた。

 ところが、2005年10月、雲行きは一転怪しくなる。突如、楽天が東京放送(TBS)との経営統合を呼びかけ、TBS株の20%弱を取得したのである。世に言う「楽天のTBS買収」である。

 しかし、結果的には3年半の攻防の末、楽天はTBS株を売却、TBSとの経営統合を断念した。楽天はTBS株取得・売却で約620億円の損失を被り、一方TBSは楽天から自社株を買い取り、489億円の費用を捻出するハメになった。

 ネットが既存メディアを飲み込む、「小」が「大」を飲み込む現象は一体何だったのだろうか。関係者は思い出したくない事件かもしれないが、日本の情報革命という視点では極めて重要な事件である。なぜ、楽天はTBSとの経営統合を考えたのか、なぜ、TBS経営陣は経営統合に反対したのか、その結果、経営統合が実現せず両社の株主、ひいては一般消費者はどんな影響を受けたのか。検証しておくことは無駄ではないだろう。

ライブドアフジテレビ買収へ動く

 三木谷がTBSとの経営統合に動く前に、ネット企業が既存メディアを飲み込もうとする事件が起きた。ご存知、ライブドアによるフジテレビ(フジ・メディア・ホールディングス)の買収である。楽天のTBS株取得の8ヶ月前の2005年2月8日にライブドアはフジテレビの親会社であるニッポン放送の株式29・6%を時間外取引により取得、フジテレビの買収に乗り出した。

 当時、ライブドア社長の堀江貴文はITベンチャーの旗手としてもてはやされ、日の出の勢いだった。その堀江がテレビ界の雄、フジテレビを買収するという破天荒な行動に出たのだから、テレビ界はもとよりマスコミ界は大騒動になった。なぜ、堀江はフジテレビ買収という挙に出ることが出来たのか。それを解明するためにはフジサンケイグループの生い立ちまで遡らなければならない。

 フジテレビ、産経新聞を中核とするフジサンケイグループは水野成夫と鹿内信隆という2人の人物によって創設された。財界の青年将校と言われた日経連専務理事の鹿内信隆が中心となって1954年にニッポン放送というラジオ局を設立、のちに鹿内は同社社長に就任した。そして、同じ財界系の文化放送社長の水野成夫と共同でフジテレビジョンを開局した。1957年のことである。

 2人はフジテレビ開局と前後して、東京進出後に経営が悪化していた産業経済新聞社(産経新聞社)を引き受け、はじめ水野が社長、後に鹿内が社長に就任した。そして1978年、ニッポン放送を引き受け先とするフジテレビの第三者増資を実施、鹿内信隆が筆頭株主となるニッポン放送を頂点としたフジサンケイグループが出来上がった。つまり鹿内がニッポン放送を支配し、ニッポン放送がフジテレビを支配する。結果的に鹿内がフジサンケイグループを支配する仕組みが出来上がった。

 ところが、その後、テレビ業界が拡大、親会社のニッポン放送より子会社のフジテレビが大きくなる逆転現象が起きた。そうこうしているうちに、鹿内信隆、春雄の親子は死去、そのあとを襲った鹿内宏明(信隆の婿養子)も1992年解任され、鹿内家のフジサンケイグループ支配は終わった。

 親子のねじれ関係のまま、1996年ニッポン放送が東証二部に上場、村上ファンドが同社の筆頭株主に躍り出た。フジテレビの親会社であるニッポン放送の筆頭株主が村上ファンドであるのは具合が悪い。そこで、フジテレビは2005年1月17日、ニッポン放送発行済み株式を5950円で公開買い付け(TOB)、50%超の筆頭株主になると発表した。

 ところが、同年2月8日、午前8時過ぎの時間外取引で、ライブドアの子会社、ライブドア・パートナーズが700億円でニッポン放送の株式29・6%を取得、既に取得済みの株式と合わせて35%を獲得、筆頭株主に躍り出た。直後の記者会見で堀江は「もう(将棋で言えば)詰んだようなもの」と勝利宣言した。

 フジテレビ側はすぐさま2月23日、4720万株(発行済み株式の1・44倍)のニッポン放送増資を引き受ける事を発表した。これに対し、ライブドアは翌2月24日に新株券発行差し止めの仮処分を東京地方裁判所に申請した。さらに、ライブドアはニッポ放送株を買い増し、49・8%まで達した。

 このまま推移すればライブドア側の勝利に終わるかと思われたところでドンデン返しが起こった。3月24日、ソフトバンクループのソフトバンク・インベストメント社長(現SBIホールディングス)の北尾吉孝がフジテレビ側のホワイトナイト(白馬の騎士=救世主)として現れた。

 ニッポン放送が所有するフジテレビ株13・88%をSBIに貸し出すという奇策である。これと大和証券SMBCに貸し出している8・63%を合わせると、ニッポン放送が所有するフジテレビ株は0%となる。これぞ究極の“焦土作戦”(敵対的買収の抵抗策)である。堀江のフジテレビ買収作戦は失敗に終わった。

TBS側は徹底抗戦の構え

 こうした事件があった8ヶ月後に楽天のTBSとの経営統合が持ち上がった。世間は「また、ネット企業が強引なM&Aに乗り出した」とみた。楽天にとっては、いい環境とは言えなかった。

 2005年10月12日、村上ファンドがTBSの株式5|10%を取得、それまでの筆頭株主だった日本生命保険の4%強を上回った。かねて、TBSとの経営統合の意向を示す楽天に村上ファンドのTBS株が渡ると、TBSにとってはやっかいなことになる。TBS経営陣に緊張が走った。

 三木谷はTBSとの経営統合の理由について「インターネットとテレビ放送が融合すれば、可能性は無限に広がる」とTBS側に語った。しかし、あまり具体的ではなく、TBS側にはメリットが感じられなかった。TBSは唐突なこともあって資本提携提案をきっぱり断った。

 三木谷はなぜ、TBSとの経営統合に執着したのか。当時、楽天の時価総額は約1兆390億円、一方TBSの時価総額は7200億円。しかし、売上高は楽天約1298億円に対し、TBSは楽天の約2.5倍。株価が高いうちに確実な売上を上げる企業と統合し、株主の期待に応えたい、という心理が働いても不思議ではない。

 一方、TBSとしてはフジテレビ、日本テレビに後塵を拝しているものの、以前優良企業。経営統合すれば、株式交換で楽天が過半数を握ることになり、新興企業の支配下におかれることになる。TBSの経営陣にとっては耐え難い屈辱だ。TBS社長の井上弘は三木谷と会って「了解なしのTBS株取得には高圧的なものを感じる」と不快感をあらわにした。

 三木谷は簡単には諦めなかった。市場でTBS株を買って経営統合を迫った。10月26日でTBS保有株は19・09%に達し、それに要した全額は1110億円に達した。ほとんど借入金で賄ったため、負債額は大きく膨らんだ。

 これに対し、TBS側は買収防衛策の発動をちらつかせて徹底抗戦の構えを見せた。第三者機関「企業価値評価特別委員会」を設置、楽天の行為が敵対的なM&Aかどうかを審査した。第三者機関は三木谷を呼び出して、経営統合の意図などを尋ねた。

 1年経っても解決しなかった。2007年6月末のTBS株主総会で買収防衛策発動について、3分の2の賛成を得た。これに対し、楽天はTBSの安定株主とされる企業との株式持ち合いの経緯について、違法性がないか、と東京地裁にTBS帳簿の閲覧を求めて提訴した。

TBS認定持ち株会社になる

 膠着状態が続く中で、2008年12月、決定的な出来事が起きた。TBSの持ち株会社化が臨時株主総会で承認されたのである。2009年4月1日付で放送法上の認定放送持ち株会社「TBSホールディングス」に移行することが認められたのである。この持ち株会社になると、一つの株主が議決権を33%までしか保有できなくなり、楽天が単独でTBSの経営権を握ることが出来なくなった。

 つまり、TBSは放送法上の認定放送持ち株会社という奥の院に逃げ込み、楽天の経営統合の刃を避けたのである。株式公開企業でありながら、自分自身はM&Aの危険のない安全地帯に逃げ込んだ。これを公開企業と呼ぶのは笑止千万と言うほかない。

 三木谷にとっては、「残念至極」と言うところだろう。折角、追い詰めておきながら、奥の院に逃げ込まれては仕方ない。株を手放して、経営統合を諦めるしかない。楽天はTBS株の買い取りをTBSに要求、経営統合を断念した。

株買い取りでも攻防

 2009年4月1日、楽天はTBS株を全株売却、経営統合を断念すると発表した。問題は買取価格。楽天は平均取得額1株3000円を主張、TBSは1294円を提示した。結局、両社では話し合いが付かず、裁判所に委ねることになった。2011年春、裁判所の裁決の結果、1294円で引き取ることになり、楽天は約620億円の損失を被り、TBSは489億円の買い取り費用を用意しなければならなくなった。双方に大きな傷跡を残した提携話であった。

 新興勢力が既存勢力を飲み込む提携劇はいつの時代にも見られる。新興勢力には勢いがある半面、既存勢力にも長年培った信用力などがあり、容易には新興勢力には屈しない。厳しい攻めぎ合いの中で歴史の歯車は少しずつ動いていく。どちらが正しい判断であったかは、10年、20年ではわからない。50年あるいは100年経ってみないと、判断の是非はわからない。

 幕末、ペリーの黒船が日本に来航して、開国が攘夷か、勤皇か佐幕か、国論は分裂し、安政の大獄を経て、薩長連合、明治維新へと繋がっていく。145年経った現代から見ると、吉田松陰、井伊直弼、高杉晋作、坂本龍馬らの立場、発言、行動の是非は判断できる。しかし、当時の人々は誰が正しくて、誰が間違っているかはわからない。多くの人は自分こそ正しいと思って行動していたに違いない。

 明治維新と比べるのはやや筋違いだが、楽天によるTBS統合問題もいずれが正しい判断であったかは50年ぐらい先でないと分からないだろう。ネットと放送の融合は遠からず実現するといえるかもしれないし、簡単には融合せず、そのうち技術がもっと発展すると、ネットと放送という区別も付かなくなるかもしれない。

 ただ、一つ言えることは、三木谷の行動は時期尚早だったように思う。衰えたりと言えどもテレビにはまだ活力があり、ネットに飲み込まれるほど、落ちぶれていない。三木谷は少しことを急ぎすぎたのではないか。もう少し時を待てば、テレビの方から相談に来る日が必ず到来する。その時まで待っていたら、余り抵抗なく経営統合は実現したのではないか。

孫の変わり身の早さ三木谷の一途さ

 その点、ソフトバンクの孫正義は変わり身が早い。1996年6月、テレビ朝日(全国朝日放送)の株式21・4%を持つ旺文社メディアを417億円で買収、ニューズ・コーポレーションのルパード・マードックとともにテレビ業界への参入を試みた。マードックと共同で衛星放送会社、JスカイBを設立、ソフト獲得のためテレビ朝日の株を購入したのだ。

 これに対し、テレビ朝日側は猛反発、孫正義・マードック陣営を拒絶した。日ごろ、新聞、テレビは経済界にグローバル化を促しているのに、いざ、自分のことになると、この体たらくである。外資はもとより国内資本でも一歩も邸内には入れないという姿勢である。

 孫正義は「これはガードが固い」と思ったのか、半年も経たないうちにテレビ朝日の株を手放した。売却代金は購入価格と同じ417億円、損も得もしなかった。その変わり身の早さはTBSとの経営統合に拘泥して、620億円の損失を被った三木谷とは大違いである。孫は柔軟であり、三木谷は一度決めたら命がけになる一途さがある。今回はその一途さが裏目に出た格好だ。

 その後、孫はテレビから離れ、経営資源を通信(携帯電話)に集中した。2006年3月、約2兆円を投じてボーダフォンを買収、携帯電話事業に進出した。アップルのアイフォンを販売して契約を伸ばし、2012年3月期で連結売上高は3兆2024億円、経常利益5736億円と巨大企業に発展した。もし、テレビに拘泥していたら、兆円企業にはならなかっただろう。今は米国第3位の携帯電話会社、スプリント社を1兆6000億円で買収することになり、最終の詰めを急いでいる。

 これがまとまれば、ソフトバンクの年間売り上げは6兆円強になる。TBSの2012年3月期の連結売上高は3465億円、経常利益143億円、売上高はソフトバンクの20分の1程度。孫正義はテレビに興味はないだろうが、TBSの株主はソフトバンクとの経営統合なら賛成するのではないか。わずか6年の間にインターネットとテレビの力関係は大きく変わっている。その意味では、三木谷は事を急ぎすぎた嫌いがある。

 楽天はこのほか、消費者金融事業を中堅ノンバンク、Jトラストに売却、2011年12月期に約1000億円の一時損失を計上した。向う傷だらけだが、楽天は2012年12月期、連結売上高4435億円、経常利益723億円と好業績をあげた。有利子負債が3060億円とヤフーの無借金経営に比べ見劣りするが、売り上げではヤフーの3020億円(2012年3月期連結)をはるかに上回っている。

 ベンチャー企業家にとっては、失敗や事業撤退はつきものである。破竹の勢いのファーストリテイリング社長の柳井正も「経営は試行錯誤の連続で、10 回新しいことを始めれば9回は失敗する」と著書「一勝九敗」の中で述懐している。

 孫正義もある講演会で、「兆円企業になったと褒められるより、幾たびの失敗にもめげず生き残ったと評価されたい」と語ったことがある。

 失敗は企業家の勲章である。三木谷はいくつかの失敗をくぐり抜け、たくましい企業家に成長している。

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