会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2018年10月号掲載)
1.アゲインストの記者会見
W杯で世界一流の監督として高額で日本チームが招いたのがハリルホジッチ前監督でした。世界的レベルを持ち、日本に住み、選手たちに世界一流のプレーをしろと絶えず檄を飛ばしてきました。その要求が非常に高いので、さぞかし強くなるだろうと思われていたチームは、結局伸び悩みました。そんな中で、突然の解任。日本中が「え、なんで?」と思いましたが、一番びっくりしたのは解任された本人です。
解任理由第一、コミュニケーション力の不足。
二、選手との信頼関係ができない。「コミュニケーションは取れている。選手からは信頼されている。私は一回きちんとした会見の場を設けて、解任理由を聞くつもりだ」と、彼はインタビューで発言しました。そのあとにチーム全体の運命を任せられたのが西野監督です。
一見、体格もごく普通の細身のスポーツマン。顔つきも穏やかで、話す声もボソボソとしています。そんな監督が四月十二日に就任記者会見をしました。
当然、質問はアゲインストです。「勝つ自信があるのか?」「前任者のどこが悪かったと思うのか?」と、のっけからテレ朝の記者が聞きました。彼は居心地が悪そうに身体をスウェイさせて左右に動かし、たった一人の記者に答える間に、二十六回もペロッと舌なめずりをして、本当に落ち着かない様子でした。
そして言葉を絞り出しました。「前任者のやり方は素晴らしい。世界レベルを要求するのは当然のこと。けれど、選手のフィジカルも考えないといけない。」たぶん、それが精一杯だったのでしょう。要求レベルが高すぎて、選手の能力に合っていない等とストレートに言うことは、この時点では避けたのだと思います。そんなソフトな発信でしたから、テレビを見ていた多くの日本人は「こんな窮地で、この優しげな監督が勝てるのか?」と、半信半疑でした。そんな、どちらかと言うと弱いイメージの記者会見が終わって、さてW杯の第一戦。これだけでもビックリ仰天したのに、第二試合で引き分け、ここにきてグンと評価が変わりました。
2.実績がリーダーイメージを修正する
西野監督の発信力は、今までのどの監督よりも珍しい部類でした。最初の発信がどちらかというと弱々しかったのです。でも、勝ったらどうでしょうか!日本中がまるで掌を返したように選手の配置の素晴らしさ、途中投入の素晴らしさ、全部が素晴らしいということになり、「西野流神采配」という、新聞コメントまでだしました。日本人が特に熱しやすく冷めやすい「陸地型国民性」なのでしょう。それにしても、古今東西ないわけではありません。私たちのことわざでは「論より証拠」と言います。英語では“Seeing is believing”(百聞は一見に如かず)。イギリスのシェイクスピアは、「終わり良ければすべて良し」と言っているわけですから、最初の発信がどうであれ、実績を人は信じる。
さてここが面白いパフォーマンス心理学からの分析ですが、人は後の実績を見て、最初の自分のイメージ修正をするのです。「あの時ああ見えたのは、実はこのせいだ」という理由を、後から考えるわけです。「あの彼が弱そうに見えたのは、内心の自信を隠していたからで、本当は強いリーダーだったのだ」と自分の最初の間違った判断に論理的言い訳を加えます。
ともあれ、西野監督の評価は、初戦の勝利によってグーンと上がったのです。ポーランド戦では終了間際に、選手達は平凡なパスをやり取りして時間を稼ぎました。サッカーをよく知らない人が見ても、「なんか子供のゲームみたいに、時間稼ぎをしているな」と分かりましたから、当然会場のブーイングは騒然としていました。そんな時間稼ぎについても、誰かがどこかで決断しないといけない。それがリーダーのツラさです。「あそこで西野監督が攻めない決断をしたのは立派だった」と、翌日の日経新聞をはじめ、テレビはほとんど好意的な論調でした。ともかく決勝トーナメントに出るという権利を手にするために、あれは最善の方法だった、というわけです。結果がその人の最初のイメージを修正したケースです。
3.リーダーシップとフォロワーシップ
経営者ならほぼ全員が自分の「リーダーシップ」の表現の仕方について考え、それぞれのポリシーをお持ちでしょう。
一方、これと対になる「フォロワーシップ」についてはどうかとなると、まだ熟知までは行っていないようです。
アメリカ海軍で使われたとされていますが、現在私も、防衛省統合幕僚学校高級課程教官として自分の授業でこのコンセプトと表現の仕方を取り上げています。フォロワーシップは自分がまだ誰かの部下の時にリーダーの理念や気持ちを理解し、忖度して、リーダーが動きやすいように自ら考えて動く力です。これがあると、突然リーダーになった時にもすぐにリーダーシップを継承できます。技術委員長としてハリルさんの下で働いた西野監督がまさにこの例でしょう。だから、前任者を否定しません。
4.Unfinished
欧米で“Unfinished Woman”という本がベストセラーになったことがあります。「未完の女」と訳されます。まだ仕上がったわけではなく、常にどこか未完成で、これから完成に向かって成長中の女性のことです。実はこの「未完」というところに、アメリカ人と同じく日本人もとても魅力を感じます。芸能人でも上手いタレントよりも、ちょい下手で「ヘタウマ」と言われたり、テレビでも舞台装置の表面ではなくて裏側をちょっと映して見せたりするのが、ここ二十年間ほど流行っています。完璧ではなくて、どこか未完の感じがする。そんな舞台や俳優や監督が、きっと多くの日本人は好きなのでしょう。西野さんはなんとなくどこか飄々と、抜けたようなことをするのですが、試合で勝った時もダーッと選手たちが飛び上がりながら駆けつけていった先にいたのは、本田選手であり、仲間達でした。その途中に監督が立っていたのですが、監督の前を素通りして、走って行ってしまいました。一瞬、監督がポカリとしていました。
凱旋記者会見でも面白いことが起きました。机の上のイヤホンをどうつけたものか、と手に取ったまま耳に付けない監督を見て、長谷部選手が隣の席から「こうやるんです」と言いながら、つけてあげました。どこか一本抜けている、あるいは抜けているように見せている。これがUnfinishedの魅力です。リーダーであっても、完璧ではなくて、どこかに忘れ物をしてきてしまったとか、何か言い間違えたというようなことが一か所あると、社員がドッと喜んだりするのも、このUnfinishedのイメージの魅力です。トップの発信力としては、ずいぶん異例な監督が出たことだけは確かです。再任せず、と最初から決まっていましたし、再任されなかったのが少々残念です。
Profile
佐藤綾子(さとう・あやこ)
「日経トップリーダーonline」はじめ連載4本、著書186冊。「あさイチ」(NHK)、「ビートたけしのTV タックル」( テレビ朝日) 他、多数出演中。24年の歴史をもつ自己表現力養成専門の「佐藤綾子のパフォーマンス学講座 」主宰、入学は随時受付中。