会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2019年10月号掲載)
「日本の農業を良くしたい」と、2007年に創業して12年、色々なことがありました。今や「農家の直売所」は1400店のスーパーに入っており、集荷場は94箇所、契約農家は9000人にまで拡大しています。
農業は需要と供給のバランスが上手く取れない業界です。良い農産物がたくさん収穫できても、供給過多で、逆に豊作貧乏になる。きちんと収益が上がる産業にするためには、流通改革が必要なのです。
1400店舗のスーパーに「農家の直売所」を置いていますが、1スーパーで私たちの占める割合は1割程度。あとの9割は市場から仕入れて売られています。その市場に関わっていかなければ流通改革は進みません。したがって、「農家の直売所」の設置は初めの一歩です。今後は私たちの売り場支配率を高めていきたいと思います。
最近は郵政キャピタルと提携し、郵便局を集荷場の拠点にしている他、株主にもなってもらっています。また、JALとも提携。新千歳空港を集荷場にして、北海道の農産物を飛行機で東京に運んでいます。
国内だけでは胃袋の数が決まっているので、関連会社をつくり、香港を中心に輸出しています。
農業に興味を持ったのは、父の実家が岩手県の農家で、子供の頃から生活が厳しかったという話を聞いたためです。そこに疑問を持って農大に入りました。卒業当時は不景気で農業関連企業に就職できず、ガスの販売会社に就職。お客様にも気に入られて楽しく仕事をしていました。
1つ目のターニングポイントは、農業に取り組むため、退職して農家に飛び込んだことです。妻の実家がきゅうり農家だったので、3年間きゅうり農家、1年間八百屋を経験しました。
2つ目のターニングポイントは、メインユーザーが倒産した時です。当時はコンサルとして関わっており、商流には加わっていませんでした。しかし、農家からは「お前を信用して出荷したんだから、金を払え」と詰められました。私の責任ではないのに生産者からは悪者扱い。「だからよそ者は」「金返せ、泥棒」などと言われる始末です。
でも自分のやっていることは正しいと信じ、腹をくくって、お金を払いました。逃げも隠れもしません。この経験があるから、生産者から評価されて今がある。
私は世界で一番農業に対してパッションを持っています。その私が「これだけ頑張ってもだめだったら、もういいかな」と思える腹のくくりが、この時にできました。
当時は起業して1年半。30代前半でこうした経験ができたのは大きかったと思います。
地方ですから、色々なしがらみもあります。どの業界にも不合理はある。でも、最終的には人と人です。
成し遂げたいのは農業を良くしていくこと。課題は次のステージへの飛躍です。今のやり方だと次のステップには上がれません。私が24時間一生懸命働いても世界は変えられない。スタッフ、農家さん、スーパーなど、関わっている人の力を借りて変えていく。この流れをどう作っていくかです。
理想の農業のあり方は2つ。1つは、どの業界より収益性の高い産業であることです。そしてもう1つは、他の仕事よりも素敵な大人になれる業界であること。ちゃんと稼げて、自分の成長が感じられる業界にしていく。農業をビジネス化するのが私の仕事です。
私は60歳で会社を辞めると宣言しています。35年までに最低でも流通総額1兆円を達成するのが目標です。今は100億円ですが、そんなに難しくはない。1兆円というスタートラインを作ることが私の使命だと思っています。