会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(左)ソフトバンク孫正義社長 (右)スーパーセルのイルッカ・パーナネンCEO
(企業家倶楽部2014年8月号掲載)
【執筆陣徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、相澤英祐、柄澤凌】
3万円の端末に5000億曲の音楽と3.5 億年分の新聞が保存される未来がやって来る。「そのため、世界一の携帯電話会社になる」と孫正義は豪語する。これからの新しい三種の神器は超高速通信とクラウド・ビッグデータとスマートフォン。これらを駆使して人はリッチコンテンツを楽しむ。孫正義が語る未来はとてつもなく、明るくて楽しい。(文中敬称略)
この物語は日本の情報革命を中心に展開するので、日本のIT企業家が数多く登場する。中でも主人公はソフトバンク社長の孫正義である。米国中心の情報産業革命ならアップルのスティーブ・ジョブズになるだろうし、中国中心ならアリババ集団のジャック・マーあたりになるだろう。
なぜ、孫正義は世界一の携帯会社をめざすのか
孫正義は何故、「世界一の携帯電話会社になる」と豪語するのだろうか。それは、20年後、30年後の世界に本格的な情報革命が起きると確信しているからだ。だから、そのリード役であるモバイル・インターネット(つまり携帯電話)で世界一の会社をめざしているのである。
孫正義には20年後、30年後の情報革命はどう映っているのだろうか。ここに2014年4月15日に孫正義が総務省でレクチャーした「2020年代に向けた情報通信政策の在り方」という論文がある。総務省がのちほど論文を文章化することになっているが、1ヶ月過ぎた5月19日現在も文章は発表されていない。総務省担当者の怠慢かもしくはこの論文の後半部分がNTTを批判しているので、担当者がNTTに遠慮して発表を遅らせているのだろうか。
そこで、取材班は孫正義がレクチャー用に使用した写真やデータを類推しながら20年後、30年後の情報革命を文章化したいと思う。
レクチャーは50年前の1964年の東京オリンピックに遡る。新幹線、高速道路などの経済基盤が整備され、革新的な商品、カラーテレビ、クーラー、自動車が出現、日本経済は奇跡の成長を遂げた。アメリカに次いで世界第2位の経済大国にのし上がった。
そして、50年経った今、日本のGDP(国民総生産)は中国に抜かれ、世界第3位に転落した。うかうかしていると、第4位、第5位と下り坂を転げ落ちるかもしれない。
なぜ、日本の活力は衰えたのか。それは次世代の経済基盤の整備を怠っている、と孫正義は言う。「これからの経済基盤はICT(情報通信技術)だ」と主張する。
インフラ事業が重要
孫正義は常にインフラ事業に関心を持ってきた。たとえば、高速道路になぞらえて、フェラーリやロールスロイスの高級車はいつまでも人気があり、売れるとは限らない。それよりもフェラーリやロールスロイスが走る高速道路、つまりインフラは地味だが流行りすたりがない。「私は高速道路のインフラ事業を狙う」と孫正義は言う。 では、次世代のインフラとは何か。ズバリ情報ネットワークである。それを具現化するのが携帯電話である。そこで米第3位の携帯会社であるスプリント社を216億ドル(約2兆1600億円)で買収、「世界一の携帯電話会社をめざす」と社内外に宣言したのである。
携帯電話つまりスマートフォンはただの電話ではない。持ち運び出来るパソコンなのである。スマートフォンでメールを読み、必要な情報をグーグルを通して入手出来る。人々はいつでも、どこでもインターネットにアクセス出来る時代になった。
もう少し、孫正義の説明を聞こう。2010年にCPU(中央演算装置)のトランジスタ数は30億個だったが、30年後の2040年には100万倍の3000兆個になるという。「これは人間の脳の10万倍だ」と孫正義は言う。
メモリ容量は32GB(ギガバイト)から100万倍の32PB(ペタバイト)になる。通信速度は1Gbpsから300万倍の3Pbps(ペタビーピーエス)になる。その結果、3万円の端末に保存可能なコンテンツは音楽は6400曲から5000億曲へ、新聞なら4年分が3.5億年分、映画なら4時間分が3万年分と気が遠くなるほどの記憶容量となる。
これからの三種の神器は
われわれのライフスタイルは劇的に変化し、これからの三種の神器は超高速通信、クラウド・ビッグデータ、デバイス(スマートフォン)となる。われわれはこの新しい三種の神器を駆使してリッチコンテンツを楽しみ、先端医療を受け、高度な教育を享受する。
このことに気づき、日本政府がITCによる経済基盤を世界に先駆けて整備すれば、オリンピックが開かれる2020年には、もう一度世界最高水準の競争力を取り戻すことが出来ると孫正義は主張する。
では、今後のモバイル市場の現状と課題は何か。モバイルブロードバンドの普及率は2012年段階で世界第2位を走っており、まずまずの状態だ。これは2001年夏、ソフトバンクが社運を賭けてADSL事業に乗り出したお陰だ。
LTE契約者数は2013年12月段階で3900万人に達した。各社の競争により超高速化が実現した。NTTドコモ、ソフトバンク、KDDIの設備投資額も2012年はそれぞれ7500億円、5900億円、4700億円と積極的だった。
問題は今後、急増すると見られるデータトラフィック(データ通信量)への対応である。ソフトバンクの予想では、今後10年間で2014年の1000倍になるとみられる。 ビッグデータの国内経済効果は20兆円以上と見られており、その活用範囲は広い。省エネ、交通管理、健康管理、農業、防災対応、生活・娯楽支援などあらゆる分野にわたる。 ちなみに、ソフトバンクはビッグデータを活用し、どの地域の携帯電話が混雑しているかを察知、その地域の基地局を重点的に増やす作戦を展開している。この結果、つながりやすさでもトップに躍り出た。
データトラフィックの急増に対応するためには、固定電話網の活用が必要だが、光回線はNTTがほぼ独占しており、孫正義はここを他の業者に解放せよと鋭く迫った。
孫正義の世界戦略
ソフトバンクは国内での設備投資に力を入れる一方、世界戦略にも力を入れている。孫正義の世界戦略はシンプルだ。世界一の携帯電話会社になることである。
そのためには、まずアメリカでナンバーワン企業にならなければならない。その布石として2013年7月に第3位のスプリント社を216億ドル(2兆1600億円)で買収した。携帯電話会社の競争力はスケールメリットにあり、1位のベライゾン・ワイヤレス、2位のAT&Tと対等に戦うためには、3位のスプリント社と4位のTモバイルUSを合併させなければならない。
そこで、Tモバイルの買収に動いている。2014年6月4日、複数の米メディアが買収額約320億ドル(約3兆2800億円)で今夏にも合意すると報じた。Tモバイルの負債額まで入れると、500億ドル(5兆円強)になるという説もある。
そうなると、ソフトバンクの有利子負債は10兆円をはるかに超えることになり、アリババ集団の株を全部売っても、追いつかないほどの天文学的数字になる。それでもTモバイルを買う価値があるのか。
2006年3月、ボーダフォン・ジャパンを約2兆円で買ったときも、マスコミは「無謀な買収」と報じた。しかし、結果的には大型買収を成功させ、アメリカに乗り込んだ。その点からすると、Tモバイルの買収も成功するかもしれない。
ただ、Tモバイルの親会社であるドイツテレコムと合意したとしても、買収がすぐ実現するわけではない。買収の許可権を持つ米連邦通信委員会(FCC)や司法省の許可を得なければならない。政府当局は今の4社体制で競争させた方が消費者のためになるとして、合併には難色を示している。
このため、孫正義は2014年3月、米国ワシントンDCに乗り込み、300人の政府通信関係者やジャーナリストを前に一席ぶった。
「携帯電話4位のTモバイルUSを買収、同3位のスプリントと合併することが米国の消費者にとってサービス向上につながる」と。
孫正義はドイツテレコムとTモバイルUSの買収交渉を済ませ、政府当局に認可を迫る。「私に任せれば、アメリカを再びインタネットナンバーワンの国にしてみせる」と大見得を切った。
チャイナモバイルははるか先を行く
仮に、スプリントとTモバイルの合併が成功し、ベライゾン・ワイヤレス、AT&Tの上位2強との競争に打ち勝ち、米国ナンバーワンになったとしても中国のチャイナモバイルとの間には大きな開きがある。チャイナモバイルはすでに7億6000万人のユーザーをかかえている。ソフトバンクグループは日本のユーザーを加えても1億5000万人程度。中国政府は情報関連のM&Aは認めないので、中国の携帯電話買収は不可能。
そこで、孫正義はインドやインドネシアの携帯電話を買収するだろう。インドは人口12億人、インドネシアは2億5000万人いるので、両国の携帯電話会社を買収すれば、チャイナモバイルを抜けるかもしれない。
M&Aで拡大してきたソフトバンク
考えてみれば、ソフトバンクはM&Aによって業容を拡大してきた。1994年7月に株式を上場したあと、高株価を活用して、市場から約5000億円の資金を調達、ジフ・デイビスやコムデックスなどを買収した。ジフ・デイビスは最初、アメリカのフォーストマンリトルに買われたが、1年足らずでソフトバンクが約650億円上積みして、買収した。そこには孫正義の執念を感じる。
はじめ、ソフトバンクは94年10月にジフ社の買収に名乗りを上げた。その時の買収提示額は1400億円。ところが、フォーストマンリトル社が1450億円の現金でジフ社をさらってしまった。
95年9月27 日、孫正義と財務担当の北尾吉孝はニューヨークのフォーストマンリトル社の、フォーストマン社長宅を訪れ、「ぜひともジフ社を譲っていただきたい」と懇願した。
フォーストマン社長はおもむろに口を開いた。「1500億円や1600億円では話にならない。2000億円を超えないとね」。役者である。
「おっしゃることは分かりました。必ずご満足いただける金額を提示します」と孫正義。
孫正義と北尾は帰国するや、役員会にジフ社再買収の意向を告げた。10月8日、孫正義と北尾は再び、ニューヨークのフォーストマン宅を訪れ、買収額を提示した。2100億円、わずか1年足らずで650億円も値上がりしたのだ。
ソフトバンク社として、1800億円、残り300億円は孫正義の持ち株会社MACが支払った。「ソフトバンクとして支払う1800億円はEBITDA(償却前営業利益)の9倍となり、適正価格」と説明した。
それにしても、孫正義の買収にかける熱意はすさまじい。狙った獲物は逃がさないという執念を感じる。
この頃の孫正義は業界のナンバーワン企業か黒字企業しか買収しなかった。ジフ社はアメリカのパソコンブームに乗って、雑誌数、発行部数、広告高などすべてにおいて世界最大のコンピューター関連出版会社であった。2100億円出しても惜しくない買物だった。
それに比べると、最近のM&Aは少し違っている。スプリントは赤字会社で有利子負債は約2兆3800億円に及んでいる。火中の栗を拾っている感じは否めない。赤字会社を黒字化し、しかも4位企業と合併させ、全米1位の携帯会社になるとすれば、孫正義の名声は末代まで残るだろう。
黒字会社にこだわっていたのは、転売がしやすいということもあった。ジフ社は2000年に手放している。もちろん2100億円では売れなかったが、そう損もしていない。
米ヤフーに100億円出資
代わりにヤフーという“宝石”を見つけた。ジフ社を買収し、ニューヨークでジフ社の社長、エリック・ヒッポーと昼食をしていた時である。孫が何気なくヒッポーに聞いた。「最近、面白い企業はありますか」。「あります。ヤフーという会社が西海岸にあります」。
聞けば、ヤフーはインターネット上のホームページをジャンル分けして、ユーザーに提供、大人気を博しているという。
勘のいい孫正義はその足でシリコンバレーに飛び、ヤフーのCEO、ジェリー・ヤンに100億円投資させろと迫った。ヤフーは1週間後にナスダック上場が決まっており、「お金は必要ない。出資はお断りします」とヤンは返事した。
そこで、引き下がらないのが孫正義の真骨頂。3日3晩ヤンを説得した。それでもヤンは首を縦に振らない。孫正義は最後の賭けに出た。
「私はクレージーな男だ。どうしても出資させてくれなければ、この100億円でヤフーと同じような会社をつくる。そうなればヤフーは困ると思うよ!」
これにはヤンも絶句した。「ちょっと待って下さい。1晩考えさせてください」。
次の日、ヤンは言った「100億円の出資に応じましょう。その代わり、絶対に経営には口を出しませんね」。「もちろん、約束するよ。経営には口を出さない」。
孫正義は希代の勝負師
買収したジフ・デイビスやコムデックスは他社に売り払い、今はソフトバンクグループにはいない。「ボーダフォン、ヤフーへの投資以外あまり成功していない」と揶揄する声も聞かれるが、ボーダフォン、ヤフーが“大ホームラン”になった。さらにアリババ集団への2000万ドルの出資が350億ドルに大化けするのだから、孫正義は希代の勝負師と言えるだろう。
最近では、フィンランドのスマートフォン向けゲーム最大手のスーパーセルを1515億円で買収した。スーパーセルの株式51%を取得した。
M&Aは難しい。M&Aで成長しているのは、ソフトバンク以外では長崎のハウステンボスを見事に再建した、澤田秀雄が率いるエイチ・アイ・エスか、日本電産ぐらいだ。 日本電産社長の永守重信は単身、買収会社に乗り込み、短期間で黒字化する。難しい要求はしない。「5分だけ早く出社し、始業時間にすぐ工場が稼動できるように頼む」と社員に要請する。それだけで、赤字会社が黒字会社に蘇るという。
孫正義も単身乗り込む。2006年3月、ボーダフォンを買収した時は4月にボーダフォンの幹部社員を集め、「必ず、NTTドコモを抜く」と約束した。
そして、2014年3月期に営業利益で1兆853億円を上げドコモを上回った。
スプリント社買収の時も、すぐさま同社の本社のあるカンザス州に行き、「ワンチームワンビジョン(1つのチームで1つの目標)」と叫んで、スプリントの社員が全員、スタンディングオベーションしたという。買収企業の社員の心をつかむのは天下一品だ。
孫正義は20年後、77歳になる。恐らく社長は退き、会長か相談役になっているだろう。しかし、10年か15年は孫正義がネット業界は元より、日本経済全体を引っ張って行くだろう。