会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2019年8月号掲載)
AI(人工知能)の進歩は止まるところを知らず、あらゆる産業の構造を変えようとしている。私たちは今、歴史の潮流の只中にいるのだ。AIは敵か、味方か。そんな議論が盛んだが、いずれにしてもAI時代が訪れるのは間違いない。AIが普及した未来で、人類は何を成せば良いのだろうか。(文中敬称略)
とある未来の日常
2035年6月29日金曜日午後1時半、神奈川県横浜市のマンションの前に、一台の車が停まった。梅雨の時期ということもあり、生憎の雨模様。杉本美月(仮名、42)は建物のフロントから車まで小走りで駆け寄ると、後ろのドアを素早く開けてこれに乗り込んだ。
前方に向かって氏名を名乗り、該当箇所に人差し指を当てると、声紋と指紋が登録者のものと認証され、行き先を確認するコンピュータの音声が流れる。彼女がこれを了承するや、車は滑らかに発進した。
「車」と言えば自動運転車のことを指すようになって久しい。今や、わざわざ免許を取得して自ら運転をするのは、よほどの自動車好きだ。一昔前までは多少不便でも電車やバスを利用したものだが、いつの間にか近場までならば迷わず自動運転車サービスを使うようになっていた。特に、こんな雨の日には濡れなくて済むので便利だ。
そもそも雨天時に外出などしたくないものだが、病院を予約してしまったから仕方ない。最近何となく体調が優れないと感じていたところ、先日ついに、毎日ベッドやトイレから自動収集される彼女の健康データに微小な異常が検知されたのだった。通常の問診であれば、いまどきスマホからの問いかけに答えるだけで済んでしまうのだが、今回ばかりは念のため人間の医師から直接説明を聞くことにした。
病院の帰りに無人スーパーへ寄り、買い物を済まそうかとも思ったが、その前にスマホで冷蔵庫の中身を確認。食材と、それを使って作れるいくつかの候補レシピが表示される。この様子なら、今日買わなければならないものはなさそうだ。
病院から直接帰れるのであれば、午後4時半からの仕事まで、十分に余裕がある。杉本は子育てにさほど手が掛からなくなってからというもの、家事の傍ら時短で個別指導の教師として働いてきた。
指導内容は、主に小学校の主要科目。もはや学校でも、生徒に対して一律に同内容を教える授業方法は過去のものとなった。子どもたちにはタブレット端末が配布され、そこに一人ひとりに応じた教材が表示される。練習問題もその場で自動生成され、習熟度に従って変化していく形だ。杉本は、現状よりも習熟度を上げたいと考える親の依頼を受け、テレビ電話を通じて子どもの指導にあたる。
さて、病院までまだあと10分程度はかかりそうだ。彼女はスマホに代わってタブレット端末を取り出すと、今日教える子のデータを確認しながら、授業の準備を進めた??。
以上は、全てフィクションである。しかし、決してSFの世界の話ではない。少なくとも、技術的には既に可能なことばかりだ。むしろ、法律などの社会基盤さえ整えば、こうした世界は瞬く間に訪れるかもしれない。
6年前には将棋でプロ棋士に勝利
実際、将棋の世界では既に6年前、史上初めて公式戦においてAIがプロ棋士に勝利している。その後も次々とプロ棋士に対して連勝を重ねることになるAI「Ponanza(ポナンザ)」を開発したのは、ベンチャー企業のHEROZだ。
同社はNEC出身の林隆弘と高橋知裕が09年に創業。かねてからモバイルコンテンツやAIに関心を抱いていた2人は、00年代からスマホの時代が到来することを見据え、共同経営者として起業した。役割分担について2人に問うと、「いつも隣に座っているので、明確には分けていません」と笑う。
創業当初はモバイル向けコンテンツやソフトウェアの開発を行っていたHEROZだが、将棋でアマ六段の腕前を持ち、アマチュア全国大会での優勝経験すらある林の「将棋愛」が高じ、12年に将棋ゲームアプリ「将棋ウォーズ」をリリース。これが将棋ファンの間に浸透し、現在500万人以上の利用者数を誇る。「レジャー白書2018」によると、将棋人口は約700万人とされているので、その大部分が「将棋ウォーズ」を利用している計算だ。
18年4月には東証マザーズに上場。19年4月期は売上げ13億7700万円(前年比19・2%増)、経常利益4億1500万円(同22・6%増)と、その勢いは止まらない。彼らは持ち前の技術力を強みとして、近年はB2C事業からB2B事業へも業容を拡大。AIビジネスの中でも特に市場規模が大きいとされている金融分野に進出した。
具体的には、19年3月よりSMBC日興証券が始めた、AIを駆使して株式のポートフォリオを提案するサービスの基幹技術を担う。AIは、企業側から過去の決算や株価、ユーザー側から投資データやリスク許容度を学習し、個別にポートフォリオを提案する。
金融分野以外にも、建設における構造設計支援やエンターテインメント領域へと進出している。エンタメに関しては、今夏にもバンダイからリリース予定となっているデジタルカードゲーム「ZENONZARD(ゼノンザード)」に搭載されるAIを開発。これもHEROZが手掛けるAI「HEROZ Kishin」がベースになっている。
カードゲームにAIを組み込むのは初の試み。AIがカードを学習し、カードデッキの構築や対戦中の適切な一手についてアドバイスしてくれる。また、カードバトルの後には、AIに対戦を解析してもらうことも可能だ。「これまでのカードゲームにはフィードバックが無かった。将棋でも同じですが、自分の戦いを振り返って分析できる人が強くなるのです」と高橋は説く。
現時点でAIは普及の途上にあるため、本誌を含めたメディアでは便宜上「AIベンチャー」などと標榜することがある。しかし近い将来、「AI業界」という言葉自体が陳腐化するのは確実だ。
ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義も「AIを制する者が未来を制す」と唱える。もはやAIが単なるブームではなく、不可逆的な歴史の潮流であることは明らかだ。孫は事あるごとに「10年前、iPhoneを持っている人は一握りだったが、今は大部分がスマホユーザーになった。それと同じことが、AI領域でも起こる」と語る。
自動運転から無人レジまで
では前述の他に、AIはどのような領域に組み込まれつつあるのだろうか。AIの活用事例としてまず挙げられるのが、画像認識の分野だ。
画像認識と聞くと、多くの人が真っ先に自動運転技術を思い浮かべるかもしれない。この世界的な潮流の中、日本が誇るユニコーン企業として注目を集めるプリファード・ネットワークスを筆頭に、国内でも研究開発が進む。全自動運転の車が大勢を占めるにはまだ時間がかかりそうだが、運転支援技術であれば、既に各社で導入が進んでいる。
今後、全ての人が例外なくお世話になるであろう無人店舗も、画像認識が無くては成立しない。お客は棚から商品を手に取り、そのまま店を出て行くだけで買い物が終了。自動で決済が行われ、購入分の代金は後から請求される。こうした無人店舗としては、現在「アマゾンGo」が先行しているが、日本企業も負けてはいない。
AI無人決済システム「スーパーワンダーレジ」を開発し、JR東日本の子会社と実証実験を重ねているのがサインポストだ。創業社長の蒲原寧は「アマゾンのように顧客を囲い込むのではなく、あらゆる小売店に決済手段を提供したい」と意気込む。
同社は、独自に作り上げた「SPAI(サインポストAI)」を搭載した設置型無人レジ「ワンダーレジ」も開発。高い画像認識率を誇るため、規格が統一された製品に止まらず、道の駅に置かれている野菜や、バーコードの付いていないグッズなどの販売にも対応可能だという。
AIが人命を救う
AIによる画像認識技術は、医療分野でも力を発揮する。エルピクセルは、MRIやCTといった医療画像をAIによって解析し、効率的かつ正確に自動診断するサービスを手掛けるベンチャー企業だ。
診断の対象となっているのは、大腸がん、肺がん、肝臓がん、乳がん、脳動脈瘤といった、医師からの要望が多い領域。代表の島原佑基は「診断結果の整合性を医師にフィードバックしてもらうことによって、診断を重ねるほど精度が高まる」と仕組みを説明する。
医療現場では、医師不足が深刻だ。彼らも人間である以上、疲労の蓄積による集中力の低下は避けられない。そんな時、AIが診断を補助してくれれば、労働時間の軽減や病気の見落とし防止に繋がるだろう。
東大発の数理系ベンチャーとして、16年に東京大学大学院特任教授の大田佳宏が創業したアリスマーも、画像認識技術を駆使している。同社のシステムにより、三井住友海上火災保険では、事故画像に写っている自動車の損傷部分を認識し、最短1秒で修理費用を見積もる。またキリンビールでは、同システムを搭載したロボットが製品の品質管理を行う。
アリスマーは他にも、自動車の危険運転を抽出するサービスや、高い認識率の光学文字認識システム(OCR)を開発するなど、AIによる画像・動画認識を軸に据えて業容を拡大している。
不動産業界でAIを上手く活用し、飛躍しているのがGAテクノロジーズだ。中古マンションの情報などを扱うサイト「Renosy(リノシー)」を運営する彼らは、毎日500~600枚届く不動産の図面をAIによって自動でデータ化している。通常は人間が目視で精査する大量の図面をAIに委ねることによって、情報の抜け落ちや、不動産を見る目の属人化を防ぐ。
画像認識技術はセキュリティ領域とも親和性が高い。今年4月には、セコム、ディー・エヌ・エー、NTTドコモなどが共同で開発した「バーチャル警備員」が話題となった。AIを活用したバーチャルキャラクターが警備や受付を行うのは世界初の試みで、20年春の商用化を目指している。
監視カメラの画像をAIに解析させ、犯罪現場から逃走した容疑者を確保した事例も広がっている。中国では、こうした技術が政府による不当な統制に利用されているとして人権侵害を訴える人もいるが、公正な使い方さえ担保できれば、安心・安全な社会の実現に繋がるだろう。
多言語を操り社会貢献
画像認識と並んでAIに期待されているのが、音声や言語認識の領域だ。アマゾンの「アマゾンエコー」、グーグルの「グーグルホーム」といったAIスピーカーは既に市販されて久しい。話しかけるだけで明かりやテレビの電源を操作したり、音楽を流したり、天気やニュースを知ることができる。アップルのiPhoneに搭載された「Siri」も、言語を認識して質問に答えてくれる。
音声認識技術は、このようなB2Cのみでなく、B2B事業としても立派に成立している。次世代通信規格5Gに適応したデータセンターなどを運営するブロードバンドタワーのグループ企業エーアイスクエアでは、AIを使ったコールセンター業務の自動化を行う。メールやチャットはもちろん、電話による問い合わせでも、音声をテキストに変換して解析し、適切な回答を抽出。音声を合成して無人で返答する。導入事例にはサントリー、アイリスオーヤマ、LIXILといった錚々たる企業が名を連ねる。
多言語を操れるのも、AIの特徴だ。アマゾン出身の高橋和久と鳥生格が立ち上げたトリプラは、ホテル向けに多言語チャットボットサービスを展開している。旅行業界に特化することで自動化率を高め、チャット画面に入力された質問に対して、AIが多言語で即座に回答。20年の東京五輪に向け、海外からの観光客が増加の一途を辿る中、ホテル側の負担を軽減する。
AIによる言語処理という観点で言えば、非常にユニークな試みを行っているのが、京王電鉄と電気通信大学が共同で立ち上げた感性AIだ。同社は、ブランド名や商品名から感じられる「音の印象」をAIによって可視化。「明るさ70%、清潔さ50%、古風さ10%」といった具合に、音の印象を数値化することで、商品開発の際の名付けなどを手助けしている。
また、商品が持っている「サラサラ」「ふわふわ」といった擬声語(オノマトペ)の感覚を図表に示すことで、顧客の感性に最も合った商品を提供できるように支援する事業なども展開する。
AIは、言語を操るプロの領域にも進出してきた。日本経済新聞社は17年1月から、AI記者を導入している。企業の決算発表など、ある程度の型が決まっている記事ならば、わずか2分で仕上げてしまうというから驚きだ。音声認識技術と掛け合わせれば、ゆくゆくは記者会見やインタビューの最中にAIが横で記事を仕上げていく時代が来るかもしれない。
高級車300台が30秒で完売
画像や音声の認識もさることながら、収集した膨大なデータの中から傾向を抽出して最適解を見出す能力こそAIの真骨頂だ。画像や音声の認識は、元々人間が行ってきたことの代替という側面が大きい。しかし、何十年も前から既に、記憶力と情報処理速度に関しては、どんな天才もコンピュータに遠く及ばなかった。
このコンピュータの強みを生かしているのが、AIによるレコメンド機能と言える。今や多くの人が利用しているアマゾンの購入サイトでは、AIがユーザーの購入履歴から判断してオススメの商品を提示してくれる。
こうした機能は、あらゆる領域に広がっている。例えば、インターネット上にあるメディアを開くと必ずお目にかかるウェブ広告。これも最近では、サイトを見ている人の趣向に応じて変化するのが一般的となりつつある。
ここで衝撃的な事例を紹介しよう。ある時、中国のEC市場を席巻するアリババグループに、イタリアの高級車メーカー、アルファロメオから案件が入った。彼らは、ショールームもディーラーも整備されていない中国市場において、半年で高級車300台を売りたいという。
そこでアリババはまず、5.5億人いる顧客の中から、車の買い替え時期に差し掛かっていて、かつ1500万円するアルファロメオを買えるだけのアリペイ残高を持っている人を抽出。彼らに特化してデジタル広告を打ち、試乗してもらうことに成功した。
試乗期間は3日。1日ごとに車を変えられるが、3日間同じ車に乗った人の購買率は極めて高い。最終的に、アルファロメオが半年の目標にしていた300台は、たった33秒で完売した。
兆円市場が広がる
この他にも、AIによるレコメンド機能の活用機会は、就職・転職支援サービスや旅行から、裁判の判例分析に至るまで多種多様だ。データを解析して需要を予測し、製造、物流、農林水産業に生かすこともできる。ここまでの様々な事例からも、今後AIが数えきれない領域に導入されるであろうことを実感いただけただろう。
日本国内におけるAIビジネスの市場規模は、17年度に約4000億円であったものが、18年度には5300億円、19年度には7000億円超と約30%ずつ伸長している。20年には1兆円を超え、30年には2兆円規模となる目算だ。
ただし、AIが今後多くの業界に包括的な影響を与えていくことを考えると、市場規模の予測が上振れする可能性は高い。また、このグローバル時代、世界を見据えて考えると、その数字のケタが1つ2つ増えても全くおかしくないだろう。
実際、IT領域で海外勢の後塵を拝した日本も、AI分野で巻き返しを図れるかもしれない。それは、AIを高い精度で機能させる上で、あらゆる機器からデータを収集するIoT(モノのインターネット)の技術が切っても切り離せないからだ。ブロードバンドタワー代表の藤原洋は、この潮流に期待を寄せる。
「これまでは、日本がデータ量で世界と真っ向勝負するのは難しいとされてきました。技術力云々の前に、英語や中国語の使用者が日本語使用者よりも圧倒的に多いため、サービスの運営段階で勝負が着いてしまっていたのです。しかしこれからのIoT時代、繋がるのはモノ同士なので、言語という障壁はありません。日本にとってはチャンスと言えます」
もちろん、日本企業の前にGAFAを始めとする海外勢が立ちはだかるのは言うまでもないが……。
AIはパートナー
12年、AI業界に衝撃が走った。グーグルの研究チームが、AIに猫の画像を「認識」させることに成功したのだ。ここで重要なのは、人間がAIに猫の特徴を教え込んだわけではないということ。AIは1000万枚に上る画像を学習する中で、自ら猫の特徴を掴み、その画像を分類できるようになったのである。
現在利用されているAIの画像認識技術はこの研究に端を発していると言っても過言ではない。彼らの快挙が無ければ、自動運転も無人レジも存在しなかった。
それから3年を経た15年、今度は総合学術誌「ネイチャー」に掲載されたある記事が話題を呼んだ。14年にグーグルが買収したDeep Mind(ディープ・マインド)の開発するAI「DQN(deep Q-network)」が、ブロック崩しやインベーダーゲームといった古典的ゲーム50種類をプレイした結果、29種類において人間のスコアを上回ったのである。
ここでも特筆すべきなのは、人間がAIに教えたのは「高得点を目指せ」の一点のみであったという事実だ。ゲームのルールや操作方法といった予備知識は一切無し。そのため、例えばブロック崩しでは、AIは当初ボールを跳ね返すことすらできずに立ち往生していた。しかし、すぐにルールを理解すると、200回、400回とプレイするうちに上達。600回を超えた頃には効率良くブロックを崩すテクニックまで身に付け、最終的に人間が出した最高記録の13倍という高スコアを叩き出した。
このディープ・マインドによって開発されたのが、囲碁AI「アルファ碁」である。15年、世界で初めて現役プロ棋士に勝利すると、16年には「世界最強」と称されるプロ棋士イ・セドルを破り、世間を驚かせた。囲碁はチェスや将棋と比べても指し手の可能性が圧倒的に多く、「コンピュータが囲碁でプロ棋士に勝つのはまだ先になる」と言われていたが、AIはその予測を遥かに越える勢いで成長を遂げた。
自社開発のAIを現場で見続けてきたHEROZ代表の林も、「人間のプロ棋士が昨年の自分自身と対局した場合、半分でも勝てれば良い方でしょう。しかし、将棋AIが前年の自分自身と戦えば、9割は勝ちます。それほど人間とAIでは成長曲線が違い過ぎる」と舌を巻く。
AIは人間の敵か味方か。そうした議論が巻き起こる中、林は「AIは良きパートナー」と言い切る。そして、ここまで描いてきたようなAIの活躍を見れば、その言葉には十分な説得力があるように思える。
これまでの歴史を振り返っても、新技術がもたらされるたび、人間はこれに適応して生活を変容させてきた。冒頭でも述べた通り、もはやAI化の潮流は避けられない。ならば、その事実を受け入れ、その上で私たちは何を成すべきかを考えた方が賢明だろう。人間にしかできないことは何か。私たちは変化を恐れず、常に自分自身の存在意義を問い続けていかなければならない。