会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2014年12月号掲載)
孫正義を少し離れて、1990年代に創業した企業家を紹介する。1番バッターはボヤージュグループの宇佐美進典。この遅咲きの企業家は2014年7月に株式を上場、満を持して、メディアとアドテクノロジーに挑戦する。明るくて、謙虚な人柄はIT企業家のイメージを変えるだろう。(文中敬称略)
【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、相澤英祐、柄澤 凌
孫正義の動きが止まった。米携帯の第3位(スプリント)と第4位(TモバイルUS)の経営統合が米当局の反対で、遠のいたため、孫正義も小休止といったところだ。すぐさま戦略を練り直し、米国での活動を再開すると思われるが、しばしソフトバンクから離れて、他のIT企業家の動静に触れよう。
遅咲きの企業家
時は1990年代の後半、1人の若者が早稲田大学を卒業した。ボヤージュグループ社長の宇佐美進典だ。ボヤージュグループは2014年7月2日に株式上場し、2014年10月6日現在の時価総額は約318億円と新進気鋭のIT企業だ。宇佐美は現在42歳と若いが、IT企業家としては遅咲きの部類に入る。
遅咲きと評したのには訳がある。企業家になったのは早いが、マザーズに株式上場までの道のりは平坦ではなかった。むしろ悪戦苦闘したといった方が正確だろう。
早稲田大学を卒業したのは1996年。初めコンサルティング会社のトーマツコンサルティングに入社した。3年後の99年5月に起業した。求人情報の会社である。5カ月後の10月に今の会社(前身はアクシブドットコム)を設立した。
宇佐美の20代の信条は「ギリギリで生きる。迷ったら苦しいミチを選ぶ」であった。無茶もした。ハワイでスカイダイビングに挑んだり、19歳で学生結婚した。そんなこともあって、「普通のサラリーマンにはなれないだろうな」と漠然と考えていた。
99年秋と言えば、ビットバレーといって、東京・渋谷に突然のベンチャーブームが訪れ、翌年2月、孫正義が欧州から3000万円を使ってチャーター便で帰国、そのままベンチャー企業のイベント会場に現れ、話題を呼んだ。宇佐美もその騒ぎの渦中におり、隣りの席にいた尾関茂雄と意気投合、2人でボヤージュグループを立ち上げた。
宇佐美には2、3年に1度、ターニングポイントが訪れている。最初のターニングポイントは2001年頃。6月に3社から買収の提案があった。そのうちの1つはヤフーで、「一緒にやろう」と当時の社長である井上雅博と合意したが、正式契約の寸前で経営統合を止めた。
同じ年にサイバーエージェントの傘下に入り、「請求書の書き方を教わった」。そして、2002年に尾関と代表取締役CEOを交代して、ボヤージュグループの顔となった。
ボヤージュの顔となる
最初、宇佐美は尾関と組織運営などで微妙に食い違い、自分が会社を去るはずだった。それまで尾関が経営全般を、宇佐美が現場をみていた。いざ、別れるとなると、宇佐美が会社に残り、尾関が会社を去った方が混乱が少ないと双方が思い、宇佐美が残ることになった。
組織は両雄並び立たずである。最初は2、3人のグループで立ち上げるものの、数年経てば、仲間割れが起こり、1人になってしまう。やはり意思決定者は1人がいい。
宇佐美と尾関は喧嘩別れしたわけではないが、尾関のボヤージュ株は宇佐美が引き受けず、サイバーエージェントが取得した。尾関としては宇佐美に譲りたくなかったのだろう。そこに2人の関係がよく現れている。
突然の事業転換
2004年頃まで懸賞サイトとして、業容を拡大していた。ところが、突如、宇佐美は懸賞サイトをやめて、価格比較サイトを始めると言い出した。「殿、ご乱心!」である。翌年には社名をECナビ に変更した。同社には70人の社員がいた。突然の社長の方針転換で社内はちゃぶ台を引っ繰り返したような騒ぎとなった。
企業には、事業内容を大幅に変えなければならない時がある。その変更を決断するのはトップである。社員たちは尻に火がつかない限り、変更を求めない。
社会システム産業の雄、セコムにも創業時、ボヤージュグループが直面したような事業内容の変更が起きた。当時のセコムは日本警備保障という社名で、店舗や会社の警備をしていた。当時、テレビ番組で宇津井健扮する「ザ・ガードマン」が人気を博していた。あのガードマンの会社が日本警備保障だった。
業績は破竹の勢いで伸びていた。しかし、社長の飯田亮の悩みは大きくなるばかりだった。「このまま、お客様が増え続ければ、警備員は20万人を超すだろう。いずれ人手不足になる。何とか解決しなければならない」。日本警備保障は人海戦術(巡回警備)で突っ走って来たのである。
人海戦術を改めるため、飯田は機械警備、SPアラームを導入していた。売上の割合は巡回警備8割、SPアラーム2割程度だった。ある時、飯田は取締役会で「これからはSPアラームを前面に出した営業をやりたい」と提案した。
予想したように取締役たちは全員、飯田の提案に反対した。「とんでもない。今は巡回警備で十分に儲かっているではありませんか。主力事業を止めるなんて反対です」と取締役たちは大反対した。
黙って聞いていた飯田は最後にこう言った。「そうか、君たちは反対か。だったら、なおさらSPアラームを営業しなければならない。明日から巡回警備営業はしてはならない。SPアラーム一本で行こう」
取締役たちは青くなった。「巡回警備の営業がやれなかったら業績は急降下する。大変だ!」。しかし、飯田は一旦口に出したら、一歩も引かない豪腕社長である。渋々、取締役たちはSPアラームの営業に専念することになった。
飯田は意地で機械警備を押し付けたのではない。「機械で出来るなら、何も人間がやることはない。人間の尊厳のためにも機械警備に切り替えるべきだ」との信念から、SPアラームの営業に専念した。
結果はSPアラームが飛ぶように売れ、取締役たちの心配は杞憂に終わった。これを境に日本警備保障は業容を拡大し、安心、安全産業のセコムへと変身して行った。あの時、飯田が決断を躊躇していたら、「今の企業規模を維持するためには数10万人の人員が必要だったろう」と述懐する。
若手社員を辛抱強く説得
宇佐美の立場も飯田に似ている。しかし、宇佐美は強権発動はしなかった。10人規模の説明会を開き、なぜ、懸賞サイトをやめ、価格比較サイトに切り替えなければならないかを説得した。そして、納得いかない顔をしている若手社員には、あとで1人ずつ呼んで納得させた。
この時の宇佐美の決断が功を奏し、ボヤージュグループは発展を続けることが出来た。もし、宇佐美が社員の反発を恐れて、事業転換をしなかったら、今ごろボヤージュグループは懸賞サイトが先細りになり、倒産していたかもしれない。
その後、アドテク市場というインターネット広告市場を切り開き、ボヤージュグループの主力事業の一つになっている。これはどういう事業かと言うと、あらゆるメディアサイトの広告のマネタライズ(収益向上策)をコンサルティングするもの。 メディアサイトは何十万、何百万とあるが、ヤフー、楽天、GMOなど一部のサイトを除いて、広告を取っていない。「これは実にもったいない。ボヤージュグループに任せてもらえれば、マネタライズ出来る」と宇佐美は豪語する。
ボヤージュグループは2014年7月2日に上場した。起業してから15年目だから決して遅いわけではないが、ネット企業としては遅い方である。遅咲きの企業家と先きに言ったのはそのためである。
しかし、遅く成功したことが宇佐美には幸いした。元々、誠実で謙虚な性格だが、遅く成功したことで、謙虚さを失わなかった。成功する企業家の共通項は謙虚さである。
ソフトバンクの孫正義はあれだけ成功したのだから、天狗になっているだろうと思いがちだが、8年間、つかえた嶋聡前社長室長は「孫社長の良さは謙虚なことで、誰の意見でも耳を傾ける」と言う。
筆者は早世したアクセスの荒川亨を思い出す。荒川は記者のどんな質問にも懇切丁寧に答えた。50歳になったばかりで早世したことを残念に思うのは筆者だけではないだろう。宇佐美は荒川をさらに明るくし、頑健にした企業家である。
絶体絶命のピンチに直面
誠実、謙虚、明るい宇佐美が1度だけピンチに陥ったことがある。2010年7月のことである。幹部社員と合宿中に「ヤフー、検索ロボットをグーグルの検索ロボットに切り換える」というニュースが流れた。全員、通夜のように口をつぐんだ。
というのは、ヤフーの検索ロボットがグーグルに切り換えられるということは、主力事業である検索シンジケーション事業がなくなる可能性があるからだ。それで全員が黙りこくった。
一番ショックを受けたのは宇佐美だっただろう。しかし、ここでトップの自分がしょげるわけには行かない。咄嗟に計算した。「当社には余剰金が幾らあるか。30億円ある。これだけあれば、4年間は収入ゼロでも食いつなげる。そのうち次の主力事業が見つかるさ」。そう思うと気が楽になった。楽観的な自分の性格も幸いした。
「皆の顔をカメラに撮っておく。あとで、あの時は深刻な顔をしていたな、と笑ってやる」とジョークを飛ばした。トップとしての強がりもあったが、「何とかなる」という楽観論もあった。
果たして、1年も経たずして、シンジケーション事業をしのぐ主力事業アドテクノロジー事業が見つかった。「窮すれば通ず」の諺通り、道は開けるものだ。要は闘志を失わないことだ。サイバーエージェントから独立
親会社のサイバーエージェントから独立するきっかけにもなった。2012年9月期の決算がほぼ利益ゼロとなった。サイバーエージェント社長の藤田晋と会ったら、「ちょうどいい、MBO(経営陣による買収)で独立したら」と提案された。渡りに船と宇佐美も応じ、晴れて独立した。
宇佐美は考える。成功するベンチャーは何かと。それは①変化を受け入れ、変化を起こし、変化を楽しむ企業風土があること②あふれ出るエネルギーが人からも会社からも輩出されること③本気で取り組むのがカッコいいと思うこと。
宇佐美は会社を設立して早い時期に社是を作った。「360°スゴイ!」ともかく、何でもいいから、スゴイことをやろうと思ったし、社員にも言い続けてきた。
無人島で宝探しをして、宝物を見つけた者は採用するというプロジェクトを実施したこともある。野性的な人材が欲しいので、無人島でもたくましさを発揮する人を求めた。
東京・渋谷のボヤージュグループの本社ビルは海賊船をモチーフにしてつくっている。
宇佐美は社員間のコミュニケーションを重視する。ボヤージュグループが入るビルの1階には図書室がある。明るくゆったりとした開放的なスペースだ。書庫を見てみよう。インターネットビジネスを牽引する企業らしい分厚い技術書から、自己啓発本、小説からマンガまでと幅広い。読書家で知られる宇佐美の幅広い趣味がうかがえる。図書室設置の目的は社員・アルバイト・派遣含めたクルーと呼ばれるスタッフ同士のコミュニケーションの活性化。旧来は喫煙室がその役割を担っていたが、喫煙者減少の昨今、ボヤージュグループでは図書室がその役割を担っている。
かつては社員旅行を行っていた。日頃接点のないクルー同士のコミュニケーション活性化が狙い。だが社員が100人を超した頃から、旅行中も日頃と同じグループでの行動が目立つようになった。
そこで宇佐美が思いついたのは、高度経済成長時代の日本企業が行っていた運動会だ。チームごとに分かれ、毎年6月に行っている。リレーや玉入れといった一般的なものからチームワーク重視の競技と多彩。宇佐美自身も綱引きや仮装しての応援合戦に参加している。
スタートアップ企業を支援
ボヤージュグループはスタートアップ企業の支援事業も行っている。本社と同じフロアにあるBOATだ。面白いのはボヤージュグループ出資の会社ばかりではないこと、また費用が無料であることだ。隣接するボヤージュグループの会議室やカフェコーナー、無料ドリンクも使用できる。「だからこそ、一緒にオフィス空間を共有してもいいと思える価値観の合う企業でなければ」と宇佐美は語る。月に10社以上問い合わせがあるという無料のインキュベーションセンター開設には、自分たちの創業時、世話をしてくれた企業への恩返しの気持ちがある。資本的なつながりより人的なつながりを重視。現在15社が羽を広げ、天高く飛び立つ準備に入っている。