MAGAZINE マガジン

【私の信条】松井証券代表取締役社長 松井道夫 氏

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

引き算の決断

引き算の決断

(企業家倶楽部2010年1・2月合併号掲載)

 バブル崩壊からの20年間を、松井証券の経営者として歩んできました。思い返すと、証券業にとって最も厄介なデフレ不況下でも潰れずにここまで来られた理由が見えてきます。それは「引き算の決断」をしてきたからです。私は今まで加える決断をたくさんしましたが、これはことごとく失敗しました。ところが既存のものを排除する決断、引き算の決断、これが当たりました。

 引き算の決断の一つが、営業マンの全廃です。コスト削減のため外交セールスを廃止し、受身営業であるコールセンターによる取引形態への転換を決断しました。当時、手数料をもたらしてくれる営業マンの廃止は証券業撤退も同然と見なされていました。社内では非難轟々の嵐、社外からは嘲笑の的でした。営業マンの殆どはお客様を連れて他社へ流れて行きました。それだけ見れば非常にマイナスの結果です。しかし「営業は鬱陶しかったんだよね」と新規で来てくれたお客様が大勢いて、結果的に顧客数は5倍に拡大しました。証券不況で他社が苦しむ中、当社の利益はバブル期を越えて飛躍的に増加したのです。収入が激増し、コストが激減したのですから当然です。

 もう一つの大きな引き算の決断は、その大成功したコールセンターの廃止です。1997年にアメリカでインターネット普及の動きを目の当たりにし、電話を遥かに凌ぐ利便性に魅了されました。そして、思い切ってコールセンターを廃止し、インターネット取引一本に特化する決断をしました。一緒にコールセンターを創り上げた社員は「インターネットなんて未知なものに賭けることは出来ない」と言って辞めていきました。しかし、この転換により、取引は更に激増し、コストは激減しました。社員100人程度の小さな会社がこの10年間でおよそ1500億円の経常利益を生みましたから、成功といえば成功でしょう。

 これらの引き算の決断を、自分なりに数式で表してみました。既存のものを2とし、新たに加えるものを1とします。すると、2+1=3、ではなく、2+1=1となります。なぜなら最初の2は不要な-1(マイナス1)と必要な1の複合で、絶対値を足した結果2になっているだけなのです。従って、2+1の式は(1+(-1))+1=1となります。大切なのは不要な-1の部分を放置せず、排除することなのです。1-(-1)=2となるわけです。

 引き算の決断の正しさを再確認させてくれたのは、大学の先輩で、日本生命の社長・会長をされていた故伊藤助成さんから教わった「坐忘」という禅の言葉です。

「どんなことでも、新しいものを取り入れるためには古いものを捨てなくてはならない。その余白にしか新しい物は入ってこない。だから古いものをどんどん捨てなさい」と言われました。その時はピンと来ませんでしたが、ずっと経ってから、これは引き算の決断のことを言っているのだと気付きました。

 加える決断には誰も反対しません。業務が拡大すると仕事は増えて、なんとなく会社も大きくなったように感じるからでしょう。要するに誰にでも容易にできます。一方で、外交セールスの廃止やコールセンターの廃止のような引き算の決断には大反対運動が起きます。それが当たっているのかどうかは実際にやってみないとわからないため、不安一杯の難しい孤独な決断です。しかし「坐忘」の言葉通り、今ある不要なものを否定し排除してこそイノベーションは生まれます。不安と同居した強烈な危機感こそイノベーションを生む原動力になるのです。

 イノベーションにより企業は爆発的に発展します。商売の本質とはイノベーションを日々の商売の中で探し求め、実行することだと思っています。私はそれをこれからもやりたい。インターネットの導入で取引量を約300倍にしましたが、もし新たな方法を探し出せばさらに300倍となるでしょう。以前と比べたら9万倍です。9万倍だって可能だと思っています。経営の醍醐味とはそういったものでしょう。人真似して安売りで規模だけを拡大したって面白くありません。

一覧を見る