会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2008年4月号掲載)
世界は今、情報革命の只中にある。ブロードバンド化されたインターネットはわれわれのビジネスやライフスタイルを根底から変えて行く。ネットビジネスの主戦場が携帯分野に移って行く中で、急浮上しているのが最新鋭の技術を駆使してモバイルブロードバンド環境の実現を目指すイー・モバイル。会長の千本倖生は「既存3社とは全く違う携帯会社を創り、日本をブロードバンド先進国にする」と豪語する。第二電電(現KDDI)、イー・アクセスを創業、成功に導いた通信ベンチャーの旗手はあまたの困難を乗り越えて、“第3の創業”に挑む。 (文中敬称略)
2008年2月のある朝。東京・虎ノ門にある新日鉱ビルのイー・モバイル本社。同社の会長室で、いつものように千本倖生は販売実績表を手にした。1月の契約数は3万2600、これで累計契約数は23万8500件。「予定通り目標を実現できそうだ」。千本はそうつぶやきながら満足げに窓外のビル群に目を向けた。
イー・モバイルがNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイルに続いて、第4の携帯会社としてサービスを開始したのは07年3月31日。すでに先行3社はドコモ5315万、au2955万、ソフトバンク1761万の顧客を獲得、遥か先を走っている。第4の携帯会社が今からスタートして、熾烈な携帯戦争に勝てるのか危ぶむ声が多かった。こうした声をよそに、千本は「うちは単なる携帯電話会社ではない。今後主流となる高速データ通信の携帯会社を目指す」と宣言、1年間の契約目標件数を30万件とした。
ソフトバンクが派手な宣伝をバックに月額料金980円のホワイトプランなど、低価格攻勢をかける中で、イー・モバイルは一番安いプランでも月額料金2480円のライトデータプランを掲げてスタートした。データ通信分野での初年度30万件の獲得は難しいの最新鋭のブロードバンド通信端末「EM・ONE」を手にする千本倖生9・KIGYOKA CLUBではないか、というのが大方の予想だった。マスコミの関心も先行3社の音声通信の戦に注がれがちで、イー・モバイルへの関心は薄かった。
ところが、イー・モバイルは大方の予想を裏切って、快進撃を続けている。月を追うごとに契約件数を増やし、12月は遂に月間4万件の大台を突破した。1月はUSBタイプのデータカードが品薄となる嬉しい誤算が生じ、3万2600件と4万台には届かなかったが、2月は再び4万台を突破する勢いだ。このまま推移すれば、初年度30万件突破は確実と見られる。千本は販売実績表を見ながら、2年前の資金調達のことを思い出した。
ゴールドマンから出資を受ける
06年初頭、千本はエリック・ガンらスタッフとともに、米国のゴールドマン・サックス(GS)の国際投資委員会の会議室にいた。ADSL(非対称デジタル加入者回線)のサービス会社、イー・アクセスで成功した千本は次の事業目標として、インターネットのブロードバンド環境をモバイルでも実現しようと、05年1月にイー・モバイルを設立した。同社は今後主流になるであろうデータ通信をモバイルで実現するもので、事業資金が3000億円強必要であった。イー・アクセスで成功を収めたものの、事業規模が1ケタ違うこともあって、外国企業の資金から投資を仰ぐ必要があった。千本たちが白羽の矢を立てたのがGSである。
GSは世界の金融界を震撼させているサブプライム問題でも痛手を受けないどころか、この問題を逆手にとって利益を稼いでいるウォール街の名うての投資銀行。それだけに投資のための審査は厳しく、ベンチャー企業にとっては最難関の投資銀行といえる。
GSの投資委員が居並ぶ中で千本は数カ月をかけて作成した700ページに及ぶ事業計画書を基に、イー・モバイルの事業がいかに野心的で、市場性に富み、しかも同業他社に比べて自社が優位であるかを流暢な英語で説明した。途中、GSの投資委員から容赦ない質問が矢のように飛ぶ。千本は笑みを浮かべながら、しかし、誠実に一つずつ質問に答えて行く。約2時間のプレゼンテーション。投資委員たちの納得した表情を見て、千本は投資決定を確信した。それから数週間後、GSから「ミスター千本とミスターエリック・ガン(現イー・モバイル社長)が一丸となって取り組むなら、GSはこの事業に投資させていただこう」とのゴーサインが届いた。
全体のエクイティファイナンス1432億円のうち、35・7%に当たる約511億円をGSが出資することになった。あとはトントン拍子で進み、シンガポールの投資会社、テマセクが8.3%の119億円を、残りをウッドパーカーグループ、ニューワールドTMT、三井物産などが投資した。この資金を元に金融機関からの融資2200億円を調達、合計3632億円に達した。まだ、事業に着手していないベンチャー企業が3600億円強もの大金を集めるのは日本では初めてのことである。
明日のネットワーク構築
世界の投資会社を納得させたイー・モバイルの事業構想はどういうものか。同社のサービスはドコモのような音声サービスではない。机上のパソコンでやり取りしている文章や画像などを戸外でも自由に送受信できるデータ通信サービスを主力にしている。同様のサービスをウィルコムが提供しているが、通信速度が最大512kbpsと遅い。これに対し、イー・モバイルのそれは7.2Mbps、ウィルコムの15倍弱の速度を誇る。当然、最新の設備を導入している。ネットワーク構築はエリクソンと中国のファーウェイの両社を起用、端末の「EM・ONE」はシャープが担当、端末に搭載する基本ソフトはマイクロソフト製、半導体は「携帯業界のインテル」といわれる米クアルコム製という具合に最先端技術を使っている。「当社は明日のネットワークだ」と千本は自慢する。
高速化と廉価な料金が市場拡大の鍵
最新のネットワークでイー・モバイルが狙う分野は既存3社がまだ1%しか開拓していないデータ通信の分野。固定回線ではADSLを中心に約3100万人のユーザーがいるので、これらのユーザーがイー・モバイルの潜在顧客となる。千本が「既存3社が音声サービスでは先行していても、少しもあわてることはない」と余裕を示すゆえんである。
もちろん既存3社も手をこまねいているわけではない。ドコモのiモード、ソフトバンクのヤフーモバイルのように、携帯でインターネットを利用することは出来る。しかし、音楽やゲームは楽しむことが出来ても、本格的なビジネスツールになると物足りない。やはり、無線用カードを差し込んでパソコンを戸外で使うか、専用端末「EM・ONE」を使わなければならない。その場合、既存3社の設備では回線が狭くて大量のデータを送受信出来ない。現行のネットワークを捨てて、新しいネットワークに切り換えるためには、現行の顧客を一旦捨てなければならない。そんな冒険は出来ない。既存3社が音声サービス分野でしのぎを削っている間にイー・モバイルは着々とデータサービスの顧客を開拓するというのが千本が描いた基本構想である。
千本はNTTで技術部門の部長まで勤めたエリートだった。しかし、若い頃米国に留学、同室の学生に「大手企業のサラリーマンで人生を終わるのは最低だ」と罵倒されて、価値観が変わった。85年、通信の自由化に乗じて京セラ社長(当時)の稲盛和夫とともに第二電電(現KDDI)を設立、設立8年で株式上場を果たし、大成功した。第二電電を飛び出した千本は99年、エリック・ガンとともにADSL事業を手がけるイー・アクセスを設立した。同社も2003年に株式上場、技術系ベンチャー企業の第一人者として自他共に認められている。
人生最大の危機に直面
京都大学卒業―NTT入社―フルブライト留学生―第二電電創業―慶應義塾大学教授―イー・アクセス創業―イー・モバイル創業とくれば、順風満帆のように見られるが、幾度かピンチに見舞われている。
最大の危機は01年5月に突然、訪れた。イー・アクセスを設立して1年半。当初、100億円の資金を調達してスタートした。1年半後、事業が軌道に乗ったところでもう100億円調達する計画だった。事業そのものは計画通りに進んでいたが、投資会社の米カーライルの東京支社長が突然に、「御社への40億円の投資は中止になった」と連絡してきた。千本は約束どおり40億円を投資してくれると思い、最初の1 00億円をほぼ使い切り、金庫にはあと数億円しか残っていない。動転した千本が支社長に聞く。「なんで突然、投資が中止になったのか!!」
理由はこうだ。米国でも同じようにADSLサービスが始まったのだが、米国では法律で電話回線をADSL回線として併用することを禁じているため、設備投資が重荷になって、軒並み倒産した。その惨状を見たカーライルの国際投資委員会はイー・アクセスへの投資中止を決定、東京支社を通じて千本に連絡したのだ。
「もう一度、話を聞いてくれ」と千本が懇願しても東京支社長は聞き入れてくれない。意を決した千本とエリック・ガンは米国のカーライル本社に乗り込み、最高責任者のビル・コンウェイに直談判することにした。5月の連休のある日、期日指定のエコノミーチケットを買い込み、カーライル本社に乗り込んだ。午前9時、会議中のコンウェイに強引に面会し、5分間だけ説明の時間をもらった。
目の前のコンウェイは面倒くさそうな顔つきで足を投げ出して座っている。千本は脳細胞をフル回転させながら、「日本は全く事情が違う。電話回線の併用が可能で、ADSLによるブロードバンドサービスを望むユーザーは山のようにいる」と市場性を熱く語った。初めソファーに寝そべるようにして座っていたコンウェイが次第に身を起こし、熱心に千本の話を聞き始めた。面会時間は1時間を超え、帰りの飛行機のフライト時間が刻一刻と迫ってきた。コンウェイがようやく口を開いた。「よくわかった。もう一度投資委員会を開いて、検討しましょう」。その顔は「ダン(投資する)」との強い意志に変わっていた。
1週間後、千本の元にカーライルから40億円の投資を決定したとの報せが届いた。同社の投資が呼び水となって残りの60億円も調達、イー・アクセスは危機を脱した。100億円の投資に関する契約書作成がすべて完了したのは9月5日。その6日後の11日に米国で同時多発テロが発生、世界の金融界は一時マヒ状態に陥った。「あの時は妙に気がせいて、早く契約を済ませなければ、と思っていた。今考えても背筋が寒くなる」と千本とともに資金調達に奔走したエリック・ガンは語る。
日本をモバイルブロードバンド先進国にしたい
今年65歳になる千本をして、最も激しい競争を展開する携帯市場に駆り立てるものは何か。それは「日本に世界で最も優れたモバイルのブロードバンド環境を実現したい」との思いがあるからだ。インターネットの普及と技術革新は通信業界に価格破壊をもたらし、われわれの生活とビジネスを根底から変えつつある。
イー・アクセスが提供しているADSLサービスはそれまでのダイヤルサービスによる従量制から定額制に変え、従来の半分の値段で24時間使い放題にした。その上、通信速度も飛躍的に向上、ナローバンドからブロードバンドを実現、人々は文字情報や映像を自由に送受信できるようになった。
今後は室内で利用しているブロードバンド環境を戸外でも自由に利用可能にすることが通信業界の課題となっている。しかし、日本の現状は世界の先進国に比べると、料金面などで後れを取っている。携帯電話の1カ月の利用時間(MOU)は139分と米国の831分に比べると、6分の1程度。それに反し、1カ月の利用料金(ARPU)は6126円と米国の6104円を抜いてトップ。その結果、1分当たりの利用コストは1番安い香港の9倍の45円となっている。つまり、固定のブロードバンド環境は世界トップ水準を行っているのに、携帯電話料金面などでは発展途上国並みの水準にとどまっている。
しかも、音声だけでなく文字、映像などのデータ通信となると、回線が狭くて、自由に送受信出来ない。イー・モバイルは最新の技術を駆使して、回線を広く、高速にし、携帯でも安価でブロードバンドを自由に利用できるようにした。同社のデータサービスは7.2Mbpsで月額5980円(定額制)、これに対しドコモのデータサービスは3.6Mbpsで同1万1340円(2段階定額制)と2倍の開きがある。ウィルコムのデータサービスは同1万5円だが、通信速度が512kbpsと相手にならない。
イー・モバイルは技術と価格の優位性を背景に順調に契約数を伸ばしている。サービス開始3カ月後の07年6月末6万200件、9月末12万2300件、12月末20万5900件に達した。特に12月は月間4万件の大台を突破、08年3月末の30万件達成がほぼ確実になった。08年1月のドコモの純増数は1万9800件だから、イー・モバイルの月間契約数は「驚異的だ」と千本が自画自賛するのもうなずける。
今後の事業計画は、09年度中に採算ラインの250万件を獲得、黒字化にこぎつけること。そして、10年3月期に300万件を達成し、11年3月期で単年度黒字化を実現する。さらに、12年3月期で自前での全国エリア展開を終えて500万件と売上高3000億円、EBITDA(実質的キャッシュフロー)1000億円を達成して事業を軌道に乗せる。「5年後の13年3月期に700?800万件を獲得。売上高1兆円達成も決して難しくはない」と千本はあくまでも強気だ。
もっとも、他社もデータ通信分野でのイー・モバイル独走に手をこまねいてはいないだろう。ドコモが現在の月額1万1340円の料金をイー・モバイル追い落としのために、半額まで引き下げる可能性もある。今は相手にならないウィルコムも次世代高速無線通信の免許取得で将来、急追してくるかも知れない。油断は禁物だ。2013年3月期の売り上げ1兆円達成までには、越えなければならないハードルが幾つもある。
著名企業人との出会い
千本は今、自分の企業家人生を静かに振り返る。思いを馳せるのは独立を決意してから著名な企業人と邂逅し、その度に大きく羽ばたいてきたことである。初めは松下幸之助との出会い。83年、89歳の幸之助に会い、第二電電の必要性を説いた。幸之助は「自分が若かったら是非、やりたい仕事だ」と千本を励ました。次に出会ったのが京セラ社長(当時)の稲盛和夫である。83年9月、京都商工会議所で通信自由化について講演したところ、聴衆の一人が「もう少し詳しく事業プランを聞きたい」と近づいてきた。それが稲盛であった。数日後、大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)のコーヒーテラスで千本は稲盛に事業プランを披露した。「このプランを実行するためには、1000億円の資金が必要です」と言った時、「う?ん」とうなった稲盛の顔が今も忘れられない。千本は第二電電の12年間の在籍中に、時に驚嘆し、時に反発しながら稲盛流経営の真髄を学んだ。
3人目はNTT総裁の真藤恒。稲盛と第二電電を設立することを決めた時、NTTの了解を得なければならなかった。関西に出張してきた真藤を秘書役の佐田啓助の計らいで帰りの飛行機の中で捕まえ、第二電電構想を明らかにした。NTT総裁として、同構想に賛成するわけには行かないが、「黙認しよう」との約束を取り付けた。石川島播磨重工業の社長を務めた真藤は独占企業の弊害を知り抜いていたのだ。もし、真藤が総裁でなければ、今の千本はなかったかもしれない。
そして最後はソフトバンク社長の孫正義。天才企業家、孫の存在は千本も以前から知っていたが、直接ライバルとして現れたのは01年6月のこと。ADSL事業で孫は市場価格の半値で新規参入してきた。3年間で3000億円の赤字を覚悟でマーケットシェアを取りに来るソフトバンクの物量作戦に当時は翻弄された。
何とかコスト削減策を実施して、ソフトバンクの攻勢をしのいだ。そして、携帯事業では、次世代通信システムのモバイルWiMAXの免許取得で共同戦線を組んだ。この共同戦線は実を結ばなかったが、千本は孫のマーケティングにおける天才的なひらめきを目の当たりにして、孫に抱いていたイメージを一変させた。
そして現在、モバイルの分野で、かつての同志であった稲盛と対峙する。KDDIは売り上げ3兆円を超える巨大企業。ライバルというには大きすぎるが、4年後に売り上げ3000億円を達成すれば、稲盛にとっては気になる存在になるだろう。奇しくも稲盛、千本、孫という個性豊かな創業経営者が最先端産業の携帯事業を舞台に三つ巴の戦いを演じることになった。それぞれ一回りずつ年齢の違う3人の企業家が死力を尽して戦えば、日本はモバイルの分野でも世界一のブロードバンド王国になるに違いない。