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【ベンチャー三国志】Vol.32

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

米スプリントの再建にもたつくソフトバンクニケシュ・アローラを後継者に指名

米スプリントの再建にもたつくソフトバンクニケシュ・アローラを後継者に指名

(企業家倶楽部2015年8月号掲載)

 

ソフトバンクは米携帯第3位のスプリントの経営再建にもたついている。第4位のTモバイルを買収、スプリントと合併させて2強を追う作戦だったが、米当局に阻止され、方針転換を迫られている。そんな中で、孫正義は後継者として、前グーグルのナンバーツー、ニケシュ・アローラを指名、世界のソフトバンクグループをめざす。つねに「剣が峰」で勝負する希代のベンチャー企業家はこの難局をいかに乗り切るか。(文中敬称略)

【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、相澤英祐、柄澤 凌

スプリント再建に苦戦

 孫正義が苦しんでいる。米国第3位の携帯電話会社、スプリントの経営がなかなか軌道に乗らないのだ。ソフトバンクがスプリントを216億ドル(為替予約分を含め約1兆8000億円)で買収したのは2013年7月のこと。あれから2年が過ぎようとしているが、経営再建はもたついている。

 孫正義の最初の構想では第4位のTモバイルを買収、スプリントと合併させ、ベライゾン、AT&Tの2強と競争するはずだった。両社が合併すると、売り上げ、契約者数が1、2位と互角になり、戦えると思ったのだ。

 ところが、思わぬ伏兵がいた。アメリカ政府がスプリントとTモバイルの合併を認めないというのだ。理由は「4社で競争したほうが、3社で競争するより、消費者のためになる」というのだ。一理ある。3社より4社で競争したほうが、より競争的になる、というのは理屈に合っている。

 自由競争のアメリカでこんな待ったがかかろうとは、孫正義は予想だにしなかったに違いない。共産党政権の中国なら、理解できる。それもあって、ソフトバンクは中国進出をやめて、米国進出を優先した。ところが、アメリカ政府から待ったがかかった。どうやら2強のロビー活動があったようだ。

 アメリカのインターネット環境は世界一ではない。インターネットは米国で生まれたものだが、普及段階になって、伝達速度の面で日本より劣る。日本はソフトバンクが2000年初頭、赤字覚悟でADSLに参入、インターネットのブロードバンド化を推進、NTTと激しい競争を展開、世界一のネット環境を創り上げた。

 ソフトバンクなかりせば、今ごろNTTはやっと、ブロードバンド化にとりかかったところだろう。NTTには消費者目線はまったくと言っていいほど、ない。ソフトバンクがライバルとしていたから、ブロードバンド化にも乗り出した。

 アメリカ政府当局はネット環境の整備にあまり関心がないのだろう。また、自由競争にも関心がうすい。オバマ民主党政権になって、保守化が進んでいるのかもしれない。

 ソフトバンクは2014年8月にスプリントのCEOをダン・ヘッセからマルセロ・クラウレへ変えるなど、黒字化に懸命の努力をしている。それなりの効果は出ており、2014年12月期は赤字幅が縮小し、4位のTモバイルの追い上げをかろうじて阻止、第3位を守った。しかし、目ざましい経営の改善は進まない。

孫正義のM&A哲学

 孫正義のM&A哲学は、はっきりしている。まず、業界ナンバーワンの超優良企業を買収すること。1994年7月に株式を上場し、市場から5000億円の資金を調達、本格的なM&A作戦を展開した。

 その時、真っ先に候補にあがったのは米国のジフ・デイビスやコムデックスだった。ジフ・デイビスはコンピューター関連の雑誌出版社で、マイクロソフトのビル・ゲイツも一目置くという会社である。コムデックスは全米一のコンピューター関連の見本市を運営する会社で、ジフ・デイビスを2300億円、コムデックスは800億円で買収した。

 買収当初は「ソフトバンクは高い買い物をした」というのが大方の見方であった。しかし、ジフ・デイビスの「ベンチャーマガジン」編集長からヤフーの話を聞き、ヤフーに100億円投資した。そのヤフーが上場して時価総額が数兆円になり、100億円の投資額が1兆円に化けた。これだけで、すべての投資が成功したことになる。

 孫正義は言う。「すべての投資が成功する訳ではない。むしろ、失敗のほうが多い。しかし、大ホームランを逃さないように、私に投資情報を上げるように言っている」

 そして、最初の頃は、業界ナンバーワンの優良企業を買収してきた。ある時、あるベンチャー企業家が赤字経営の会社を買収した。その時、孫正義は「赤字の会社を立て直すエネルギーは黒字会社の2倍はかかる」と言って、赤字会社の買収をやめるように忠告した。

 スプリント買収は初めてM&A哲学を破って、買収したのではないか。4位のTモバイルを買って2社を合体させれば、1、2位企業と対等に戦える、との勝算があったのだろう。この構想がアメリカ当局によって阻まれた。

 やや無責任な提案だが、スプリントを売却し、アメリカ市場から撤退してはどうだろう。マイクロソフトとかグーグルなど買い手はいっぱいいると思う。売却したお金でインドなどアジアの成長企業に振り向ける。自由競争を放棄したアメリカなんぞ、こちらから三行半を出そうではないか。

 アメリカを見損なった。これでは中国に追い上げられ、イギリスなどEU諸国に見限られるはずだ。日本だけが忠犬ハチ公みたいに、付いて行っているが、日本はアメリカの核の傘に入っているので、仕方がないと諦めているのではないか。

 孫正義は全人生と全財産をかけて、勝負している。アメリカ政府の小役人たちとは相入れないものがある。孫正義には時間がない。あと、70歳まで13年くらいしかない。その間に売り上げ50兆円ぐらいのソフトバンクグループを創り上げたいところだろう。

 かつて、友人の企業家がほろ酔いかげんの孫正義に聞いたことがある。「孫さんは幾らの売り上げだったら、満足する?」「そうね~。100兆円ぐらいかな」。あのときはメートルも上がっていたので、100兆円とは口にしていたのだが、本音は50兆円あたりではないだろうか。

アローラを後継者に指名

 売り上げと言えば、ソフトバンクは2015年5月11日、2015年3月期の連結決算を発表した。連結売上高は8兆6702億円だった。発表の席上、孫正義は「これからソフトバンクは日本の会社から世界の会社になる」と宣言した。「社名もソフトバンクからソフトバンクグループにする。グループの社長は私だが、代表取締役副社長にニケシュ・アローラを就任させる」と事実上の後継者を指名した。

 これまで、ソフトバンクは宮内謙がナンバーツーとみられていた。孫正義に何かあれば、「後継社長は宮内」と孫正義は公言していた。宮内は今回の人事で国内のソフトバンクCEOとなり、日本国内の総責任者となる。後継者がアローラになり、会場はにわかにざわめき始めた。

 ニケシュ・アローラはインド出身、グーグルのナンバーツーを務めた男で、8カ月前の2014年10月に、ソフトバンクの取締役に就任した。年は孫正義より10歳若い47歳。英語は母国語。時価総額45兆円のグーグルの経営を任せられてきた人物で、経歴は申し分ない。あとは孫正義との相性だが、ともに世界的なIT企業の経営をしてきたので相通じるものがあるようだ。

 孫正義とニケシュ・アローラは出会って9カ月、1カ月の半分は一緒に過ごし、離れているときも朝晩必ず電話で会話したというほどの蜜月関係。孫正義の惚れ込みようは尋常ではない。確かにアローラはハンサムで人情の機微をとらえるのがうまい。孫正義の心をつかんだといえよう。

 ソフトバンクでは、創業30周年事業の一つとして、ソフトバンクアカデミアという教育機関を設け、孫正義も時々、講義していた。一部では、アカデミアの生徒(社員)の中から後継者が選ばれると予想していた向きもあったが、後継者は座学で育つものではない。

 世界の中で、真剣勝負をする中で後継者は育つものだ。筆者はアリババのジャック・マーだったら、ソフトバンクの後継者に適任と思っていたが、アリババはニューヨーク市場に上場、時価総額、売り上げもソフトバンクを上回り、ジャック・マーの後継はなくなった。

5月11日の決算発表で後継者を明らかにした孫正義

サプライズを演出するのが上手

 それにしても、孫正義はサプライズ(驚き)を用意するのがうまい。今回の決算発表の記者会見では、経営不振のスプリントに記者たちの質問が集中すると思われたが、すっかり後継者のニケシュ・アローラに記者たちの注目が集中した。孫正義の作戦勝ちである。

 さて、スプリントの再建だが、新しくスプリントのCEOになったマルセロ・クラウレが懸命の努力をしている。回線の拡大、値下げなどを敢行、まだ、赤字経営は脱していないものの、赤字幅を縮小したり、Tモバイルの追い上げを辛うじて阻んだ。孫正義に言わせれば、「マルセロは販売の天才で、自身が創業した会社を全米一の携帯電話販売会社にした」。その突破力を買われて、CEOに抜擢された。

 孫正義は高校時代から米国に留学、カリフォルニア大学バークレー校を卒業した。したがって、米国は第二の故郷だと思っている。英語が堪能で、国際センスがあることが孫正義の強みだろう。

 しかし、スプリントの建て直しは容易ではない。孫正義自身、インタビューで「再建は長くて苦しいものになるだろう」と告白している。経営に魔法はない。正攻法で一つひとつ改善していくしかないのだ。

 筆者は売却したら、と提案したが、ソフトバンクは容易にはスプリントを手放さないだろう。仮にどこかに売ったら、経営的には身軽になるかもしれないが、その代わり売り上げも減る。

 ソフトバンクの2015年3月期の連結決算は売り上げが前期比30・1%増の8兆6702億円だった。毎年20~30%、売り上げを伸ばしている。売り上げが5兆円、6兆円になっても、ベンチャー精神を失わないのだ。

大手企業には成り下がらない

 今回の記者会見でも「ソフトバンクは大手企業のように成り下がらない」と強調していた。仮にスプリントを売ったら、3.8兆円くらい売り上げが減る。これは孫正義にとっては身を切られるより辛い。長くて苦しい戦いになるかもしれないが、スプリントを地道に再建するのではないか。

 そのうち、米国国内の世論や政府の考えが変わり、スプリントとTモバイルの合併がオーケーになるかもしれない。オバマ政権も2017年1月で終わり、クリントン政権か共和党政権になれば、規制は緩和の方向にむかうだろう。あるいは、グループ副社長になったニケシュ・アローラがグーグル時代に培った人脈を使って、米国政権の規制を変えるかもしれない。

 確かに、スプリント買収にはソフトバンク社内に慎重論があった。「216億ドルする買収は必ず成功するという確信がなければ、やるべきではない」という意見だ。社外からも「心配なのは孫さんの旺盛な食欲(買収)だ」(ある経済界の重鎮)という声もあった。孫正義はそういう社内外の慎重論を押さえてスプリント買収に踏み切った。

 さらに、慎重論のほかに、アリババの時価総額が急減することも考えられる。ソフトバンク自身、2000年春、時価総額が一時トヨタ自動車を抜いていたのが、ITバブルがはじけて2000億円まで急減した。その時、孫は「時価総額なんて、影絵のようなもの。大きくもなれば小さくもなる」と述懐していた。アリババの時価総額は現在2265億ドル(約28兆円)で、その30%、10兆円分をソフトバンクが保有しているが、10兆円が急減するリスクはいつもある。

 孫正義は創業の時から現在に至るまで、常に真剣勝負を挑んできた。常に「剣が峰」である。そうでなければ、生きている気がしないのである。これはベンチャー企業家の宿命みたいなものである。

 ソフトバンクはある時期、安全運転で行こうと決めた時がある。創業30周年の時である。孫正義は「これからは1兆円、2兆円の買い物はしない。1000億円、2000億円のM&Aはあるかもしれないが」と言っていた。

 その舌の根も乾かないうちにスプリントを216億ドルで買収した。何故か。推察するに、「もう大型M&Aはやらない」と言った途端にソフトバンク社内に大企業病がしのび寄ったのではないか。

忍び寄る大企業病

 大企業病と言うのはひと口で言えば、社内に保守主義がはびこり、自分の会社は絶対につぶれないと社員が思い込むことである。最近の例ではシャープだ。この会社は先端技術を持ち、経営的にも優良会社といわれてきた。学生の入社希望ランキングでもベスト10に入ってきた。ところが、いまや解体の危機にある。

 どんなに優良企業でも、一歩経営のカジ取りを誤れば、倒産の憂き目にあう。孫正義が5月11日の決算発表の席上で「大手企業に成り下がりたくない」と力説したのは、社内にしのび寄る大企業病を多分に意識してのことだ。

 社内の安心感、緊張感の欠如が企業経営にとっては一番禁物である。孫正義はそれに気付いたのではないか。「もう兆円単位の買収はしない」という言葉を撤回し、スプリント買収に向かった。

 スプリント買収はソフトバンク社内の大企業病を治すには、格好の薬といえる。「安心していると、ソフトバンクといえども、おかしくなるよ」と孫正義は警告しているのではないか。

 ともあれ、スプリントをどうするか、ソフトバンクグループ最大の関心事である。ニケシュ・アローラを後継者に指名したのも、スプリント問題を解決するための方策ではないか。

 孫正義とニケシュ・アローラから目が離せない。

 

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